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性転のへきれき「絵画モデル」がBLカテゴリー1位になりました

2016年8月31日09:38現在のAmazon売れ筋ランキングです。

2016-08-31 (1)

BLカテゴリー(有料トップ100)の1位に「絵画モデル」がランキングされました。今まで何度か2位になったことはあるのですが、1位は初めてです。読者の皆様ありがとうございました!

 


絵画モデル「性転のへきれき」シリーズ新作

kaiga-modelお待たせしました。桜沢ゆうの性転のへきれきシリーズの新作小説「絵画モデル」が出版されました。

「絵画モデル」は、画家が描くための素材であり同時に究極的な自己表現が求められる美術モデルの仕事について「性転のへきれき」風に掘り下げた新しい感覚のエンターテインメント作品です。

東京のアパートでひとり暮らししている大学一年生の凛太郎は、夏休みに割の良いバイトの募集を見て応募しました。それは美術モデルの仕事でした。美術モデルの仕事は楽そうに見えたがやってみると大変だった。内面から浸み出たオーラという衣装を身にまとったモデルたち・・・。



絵画モデル

性転のへきれき・シリーズ

by 桜沢ゆう

第一章 モデル

クロッキークラスとデッサンクラスのモデルさんを募集しています。

人物クロッキークラス モデル
第一、三金曜日 午後七時半から午後九時まで

人物デッサンクラス モデル 
第二、四金曜日 午後七時半から午後九時まで 固定ポーズ

  • 自分の美しさ、顔、スタイル、体型などに自信がある方,写真を撮られるのが好きな方、絵あるいは写真に興味がある方の応募をお待ちします。
  • モデル経験のない方も歓迎します。
  • 身長は百六十三センチ以上、百八十七センチまで
  • 年令は十八才から三十七才まで
  • 報酬は時給二千五百円から四千八百円。
  • 交通費は全額支給します。

ご興味のある方は、お名前と連絡先の電話番号、メールアドレスを明記の上、上半身と全身の画像を添付してお送りください。

アトリエ小惑星
http://www.atelier-asteroid/
mail:miyuki@atelier-asteroid.com

***

先月頭に描いていた計画としては、夏休みは帰省して親元でゆっくりする予定だった。四月に東京の大学に入学して四ヶ月目。初めて経験する一人暮らしは快適だった。毎日好きな時間に起きて、気が向くままに授業に出て、学食かどこかで適当に外食して、アパートに帰ってボケーっとしてテレビでも見て寝る。まだ彼女もいないし、べっとりと群がる友達もいないから毎日が自由だ。元々一人になるのは好きだからそれで良いのだが、時々降って湧いたように人恋しさを覚えることがある。実家に帰ればたまには高校時代の友達とワイワイ言うこともできるし、毎日祖母、父、母、姉、妹と同じ屋根の下にいる安心感が懐かしい。

計画が変わったのは六月中旬に祖母が亡くなったからだ。まだ七十二才だった。僕が三月末に東京のアパートに移った時には少し体の調子が悪いというようなことを言っていたが、僕が知らないうちに病状が悪化してあっけなく行ってしまった。母に言わせると僕に隠していたわけでは無いとのことだった。三月に体調が悪いと言っていたのは胆嚢の結石で、全く生死にかかわる病気ではなく、死因は脳の血管が破裂したからだった。

姉からの電話で新幹線に飛び乗り、病院に駆け付けた時には祖母はもうこの世の人では無かった。おばあちゃん子だった僕は家族の中で一番取り乱して大泣きした。心に大きな穴が開いた。簡単に埋められる穴では無かった。告別式が終わって夜行バスで東京に帰った。翌日の講義に出席する必要があったからだ。

高三の秋に失恋した時と同じで、一日中ボオーっとしていた。自分の周囲で何が起きているか、周囲の人が僕に何を話しかけているのか、目や耳には入るし無意識のうちに認識は出来ているのだが、全く頭に残らず、解釈もされずに頭から抜けて行った。五感は働いていても脳の思考領域が活動を停止しているのだ。

七月の最後の講義が終わった時には僕の脳は普通の状態に戻っていたと思うが、祖母のいない家に帰るのが怖かった。祖母のいない食卓で父母姉妹と普通に会話できるかどうか自信が無かった。高校時代の仲間に会っても、祖母を亡くした僕が何も起きなかったかのようにワイワイと騒げるとは思えなかった。だから夏休みは東京で過ごすことにしたのだ。

アルバイトをしなくても何とか生活できるだけの仕送りをしてくれていたが、六月の新幹線代も懐に響いたので、何か軽いバイトでもしてみようかなと思っていたところだった。大学の友人の中には大学生か働き者のフリーターか分からないほどバイトに明け暮れている人もいた。大手飲食チェーンで定常的にバイトをしている人の話を聞くと相当大変そうだ。身体がシンドイだけでなく、店長からの締め付けや意地悪な上司、無責任なバイトの同僚から受ける精神的ダメージの方が応えるらしい。「この不条理を乗り越えることが将来の自分の力になる。」と友人が言うのを聞いて凄いなと圧倒された。僕には無理だ。

そんな時に目に入ったのがこの募集広告だった。午後七時半から午後九時までという点が真っ先に目を引いた。テレビで二時間物のサスペンスを見るよりも短い時間だし、その時間帯なら夏休みが終わってからも継続できる。行ってみて万一多少気乗りしない仕事であることが分かったとしても、僕だって一時間半ぐらいは我慢出来るだろう。

そして何よりも時間給の高さが魅力だ。時給八百円のバイトを五時間してヘトヘトにならなくても、一時間半立っているだけで同じバイト代が入る。美人女子なら親に内緒でキャバクラでバイトすればその程度の時給は貰えるかもしれないが、男子にはこんなに時給の高いバイトは滅多に無い。

身長は百六十三センチ以上、百八十七センチまで、年令は十八才から三十七才までとある。僕は身長も年令も丁度その下限に入っている。「美しさ、顔、スタイル、体型などに自信がある方」と書いてあり、自分で言うのは少し恥ずかしいが、その点もクリアしている。時給が高いのは、まさにこの点をクリアする人が稀だからだろう。

僕はスタイルが一番よく見える黒のTシャツとグレーのタイトなパンツに着替えて全身像を数枚撮影し、一番良さそうな写真を添付してアトリエ小惑星にメールで申し込んだ。

メールを送信したのは昼過ぎだったが、夕方に返信があり、翌日の午前十時からのオーディションに来て欲しいとのことだった。交通費は全額支給すると書いてあった。アルバイトの募集なのに一方的にオーディションに呼び出して、気に入らなければ採用しないというのはどうかと思ったが、交通費を支給するということは僕が送った写真を見て、少なくも候補者として認めたということだろう。どうせ他に予定があるわけでは無いから行ってみることにした。

僕はテレビのドラマやルポで俳優のオーディション光景を何度か見たことがある。会議室に数人の審査員が座っていて、その前に立つか椅子に座るかして質問に答えたり、セリフを言ったりして合否が判定されるというものだ。会議室の外には何人もの、場合によっては何十人もの応募者が座っていて、名前か番号が呼ばれるのを待っている。自分がそんなオーディションを経験することになるとは思ったことが無かったので心が躍った。

アトリエ小惑星は地下鉄の駅から数分歩いた雑居ビルの四階にあった。無人の受付カウンターでメールに書かれていた番号をダイアルした。名前を言うと「その場でお待ちください」と言われた。一分もしないうちに電話の相手らしい大柄な三十代の女性が受付に来た。

「あのう、オーディションの会場はどちらでしょうか?」

女性は可笑しそうな表情を見せて「こちらにお越しください。」と僕を受付の横の小さな会議室に連れて行った。

座って待っていると、その女性がコーヒーの入った二つの紙コップを持って戻って来た。

「アトリエ小惑星 代表取締役 社長 篠原美由紀」と書かれた名刺を渡されて僕の緊張は一気に頂点に達した。社長という肩書の人と面と向かって話するのは生まれて初めてだった。

「オーディションと書いたけど単なる面接のことよ。写真の通り美しい人かどうかを会って確かめたかっただけだから緊張しないで。」

僕はほっと一息をついたが、期待していたようなオーディションを経験できなくなったのは残念だった。篠原社長は僕の落胆に気付いたようだった。

「ひょっとしてAKBのオーディションみたいなことを想像していたの?」
それは図星で、僕はまさに一週間ほど前にテレビで見たAKBのオーディション光景を頭に描いていたので、赤面してしまった。

「アハハハ。あなたの年令だとそんなことを考えるのね。」

「は、はい・・・。」

「モデルの経験はどの程度あるの?」

「全くありません。生まれて初めてです。」

「やっぱり。じゃあ、まず詳しく自己紹介をして。形式は問わないから。」

「谷崎凛太郎と申します。N大学の一年生です。1998年3月6日生まれの十八才です。実家は福島市で父母と姉、妹がいます。趣味はテレビを見ることぐらいです。ひとりでボオーっとしているのが好きです。身長は百六十三センチで、バランスの良い体型がセールスポイントだと思います。ええと、それから・・・。」

「そんなところでいいわ。普通の就職面接での自己紹介だったらアウトでしょうけど、モデルの自己紹介としてはOKよ。」

「普通だとどんな点がアウトなんでしょうか?」

「趣味がテレビでひとりでボオーっとしているのが好きと言う学生を採用する職種は受付嬢ぐらいじゃないかしら。」

「なるほど、勉強になりました。」

「モデルの面接では話すときの表情、目の動きや口元、声質などを見るのよ。全ての項目において合格。難点は身長だけど、自分で言っていたように体型のバランスが良いから合格にしてあげる。」

「身長は一応下限には入っていますので。」

「少しサバを読んでない?」

「三ミリほど。」

「聞かなかったことにするわ。」

「ありがとうございます。」

「じゃあ、今週金曜日のデッサンクラスから来てくれるわね?その次は来週金曜日のクロッキークラス。」

「はい、大丈夫です。ところでデッサンとクロッキーとはどう違うのですか?」

「モデルを見ながら時間をかけて質感や陰影の濃淡まで詳しく描くのがデッサン、短時間で把握して速写するのがクロッキーと思っておけばいいわ。うちのアトリエの基本は二十分間のポーズのあと十分間の休憩だから、一時間半のクラスだと三セットになるの。デッサンの場合は三セットとも同じポーズ。クロッキーの場合は先生の指示によってポーズを変えるの。五分以下の場合もあるわ。」

「絵描きさんは二十分毎に休憩を取るんですね。知りませんでした。」

「休憩するのはモデルだけよ。二十分間同じポーズを取ると疲れるから十分間の休みをくれるのよ。モデルが休んでいる間も描く側は休まない。」

まるでゲスト扱いだと思った。楽そうな仕事だなと思ったが、勿論口には出さなかった。

「募集を出したデッサンクラスとクロッキークラスのモデル以外にも単発の仕事を受けることは可能かな?アトリエ小惑星は私がクラスを教えるのと、場所貸しの両方で成り立っているの。レンタルの場合はお客さんが自分でモデルを手配して連れて来るのが基本なんだけど、時々モデル込みのレンタルの依頼もあるのよ。引き合いがあった時点で私からメールで都合を聞いて、もし都合が合えば来てもらうことになるけど。」

「学生ですから大学の授業が優先ですけど、時間が合えばお引き受けします。特に夏休み中は暇ですから大歓迎です。」

「今日の十一時から二時間のレンタルのお客さんで、モデルが病気でドタキャンになったから手配できないかという問い合わせが今朝入ってお断りしたんだけど、もし良ければオファーしてみようか?お客さんは幾つかプロダクションに当たってみるとは言ってたけど時間的に難しいから手配できなかった可能性が高いと思う。」

「今日は完全にフリーですから大丈夫ですよ。」

「じゃあ、お客さんに電話してみるからしばらく待っていてね。」
社長は部屋から出て行ったが五分ほどして戻って来た。

「成立よ。モデルの代わりに使う石膏像を車に積んだ所だったらしくて、とても喜んでいたわ。初めてだから時給は二千五百円だけど、今日は十パーセントの緊急割り増しをつけて二千七百五十円。二時間だから五千五百円よ。それで良いわね?」

「はい、結構です。募集広告には二千五百円から四千八百円と書いてありましたけど、経験とともに時給が上がるのでしょうか?」

「売れっ子になれば別だけど経験を積んでもそんなには上がらないわ。うちでは二千五百円が基本で、専属契約を結べば上乗せがある。四千八百円というのはヌードモデルの場合よ。私のクラスでヌードモデルを使うのは女性だけだけど、レンタルのお客さんでたまに男性のヌードモデルの引き合いもある。もし興味があるのなら登録しておけば引き合いがあった時に連絡するわ。その場合は後で全身像を撮影させてもらうけど。」

「ヌードはちょっと・・・。」

「恥ずかしいと思うのは未経験のモデルさんだけよ。デッサンする側は石膏像と同じオブジェとしか思っていないから。」

「将来の課題という事で。」

「男性のヌードモデルの場合は古代ローマの彫刻のような肉体をイメージして探す場合が多いから、失礼だけど谷崎さんの場合はお客さんの希望に合わない場合も多いと思う。でも一応全身の裸像は撮影しておかないと引き合いが来ないわよ。」

「いえ、やっぱりヌードはやめときます。」

「分かったわ。気が変わったら教えて。じゃあ、十一時の開始まであと五十分ほどだから、この部屋で待っていてね。飲み物はそのコーヒーだけにして、十一時までにこの突き当りのトイレに行っておくこと。二時間はトイレに行けないと思っておいて。」

「二十分毎に休憩があるんじゃないんですか?」

「それは身体を休めるためよ。レンタルの場合はどんな衣装になるか直前まで分からないことが多いし、トイレに行くと衣装の線が崩れるから、できるだけトイレに行かないのがモデルとしての心がけ。」

そう言って社長は部屋から出て行った。

オーディションを受けに来るだけのつもりだったのに五千五百円もの臨時収入があるというのは朗報だった。それにしても割の良いバイトだ。時給二千五百円だと一日四時間、ひと月二十日間働けば、二十万円の月収になる。就職しなくても生活できるレベルだ。しかも二十分ごとに休憩を取れたり、大事に扱ってもらえる楽な仕事のようだった。

僕はもうすぐ始まるモデルの仕事のことを想像してワクワクしたが、十一時が近づくに連れて緊張してきた。十一時十分前に社長が部屋に来た。

「トイレは済ませた?そろそろお客さんが来るからアトリエで待機して。これがあなたのプロフィールよ。」

社長からプロフィール画面をコピーしたものを渡された。「モデル名:りん」と書かれた下に、全身と上半身の画像が並び、身長、体重、年令と血液型が記されているだけのシンプルなものだった。

「りん、ですか?」

「谷崎凛太郎と本名を書くことも可能だけど、美しさが売りのモデルはストーカー被害などを防止するために本名は使わないことをお勧めするわ。男性モデルは普通苗字が入るけど、あなたの場合は短い名前の方が売りやすいと思う。」

「いえ、りんで結構です。平仮名で書かれていたので面食らっただけです。」

「最初、『凛』と漢字で書いてみたんだけどしっくりこなくて、片仮名の『リン』と平仮名の『りん』を並べてみたら平仮名がフィットしたのよ。」

「へえ、色々考えるんですね。」

「そりゃそうよ。あなたにとっても自分の名前は大事でしょう。さあ、ぐずぐずしていられないわ。」

僕はトイレに押し込まれた後、二十畳ほどの教室のような部屋に連れて行かれた。前方の教壇の位置にホワイトボードがあり、その近くの中央に移動式の台がある。その周囲が折り畳み式の椅子を置くスペースになっていた。

その時、受付から社長に呼び出しがあった。僕はアトリエで立って待っていた。社長は七人のグループを率いてアトリエに戻って来た。男性三名と女性四名だったが年令は四十代から七十代に幅広く分布している。

「これがモデルのりんです。」
社長が右手を向けて言った。

「りんと申します。よろしくお願い申し上げます。」
とお辞儀をした。

先生格らしい五十代の男性が僕に衣装を手渡して「ローマ時代の農夫の衣装です。」と言った。僕は着替える場所を探そうとキョロキョロしたが隅に移動式の仕切りが置いてあったのでその陰に行った。それは麻袋を思わせる素材でできた被るだけの服で、ウェスト部分を紐で縛るようになっていた。パンツ一丁になってその服を被った。分かりやすく言えばざっくりとした膝丈のワンピースだった。

ホワイトボードの近くまで戻ると先ほどの男性から靴を脱いで台の上に立つように言われた。

「靴下もですよね?」
と僕が聞くと、社長に睨まれたのですぐに裸足になり、台の上に立った。

「両手を軽く広げて『ああ』と絶望の吐息を出しながら天を見上げるポーズでお願いします。」

僕は言われた通りのポーズを作ったが、まるでマネキンのようにその男性に手や首の方向を動かされ、口と目の開き方まで注文を付けられた。

「それで結構です。動かないで。」

僕は斜め上を見ているので七人が何をしているのかは殆ど見えないが、僕と画用紙を交互に見ながら鉛筆を走らせているのは確かだった。社長が出て行った気配は感じられなかったので、多分社長は僕がちゃんとモデルの役目を果たすかどうかを心配して見守るか見張るかしているのだろう。

「隅田先生、ローマの農夫の男性という設定で描いて良いんですよね?」
男性の一人が質問するのが聞こえた。

「それは皆さん次第です。若い男性、少年、胸の小さい少女、或いは捕虜にした敵国の王子が去勢されて奴隷になっているのかも知れませんよ。ご自由に想像力を発揮してください。」

「そういう意味では最高のモデルさんね。よかったわ。」
母よりも年上の女性の声だった。

それは面と向かって「お前は中性的だ」と言われるのと同じで嬉しくはなかったが、僕は考える余裕のない状況だった。というのは、二十度ほど左右に開けている腕がしびれてきて、腕を動かさないようするのに必死だったからだ。肘が反り返るほど真っすぐに伸ばし、掌がやや外側を向く位置で止めたのが間違いだった。その方が恰好は良いのだろうが、人間の腕は外側に捩じって肘を反り返らせた状態で長時間固定するようには出来ていないのだ。上腕部が痛くなりぴくぴくと引きつり始めた。でも動かすことは許されない。拷問とはこういう状況のことではないかと思った。最もつらいのは視野の中に時計が無いので拷問状態があとどのくらい長く続くかが分からないということだった。既に一時間が過ぎた気がするが、まだ五分しか経っていない可能性もあった。「ああ、もうだめだ。」そう思った時に先生から声がかかった。

「モデルさんご苦労さま。十分間の休憩に入る前に今のポーズと角度をしっかり覚えておいてください。」

このポーズは身体が嫌と言うほど覚えている。僕は足の位置と身体の向きを確かめてからポーズを解いた。七人はわき目も降らずにデッサンの作業に集中している。僕は彼らの視界の外まで歩いて行って屈伸運動をした。そして両手を交互に使って肩から上腕部をマッサージした。肩を回しながら七人がどんなデッサンをしているのかを遠目で覗くと、同じモデルを見て描いているのにここまで違うのかと驚いた。ローマ戦士のような絵もあれば、明らかに女性を描いているものもあった。どうせ初心者で下手だから似ていないのだろうと思ったが、よく見るとそれぞれの画像は立派だった。

「モデルさん、元のポーズをお願いします。」

先生はGショックのような大きな腕時計とにらめっこしている。モデルを一秒でも余計に休ませることのないように管理しているのだろう。僕は台の上に戻って先ほどと同じポーズを取ったが、肘が反るほど真っすぐに伸ばさないよう注意して、腕を外転する角度も減らした。すると先生が僕のところに来て、肘の伸ばし方と腕を捩じる角度を元と同じになるように修正した。「オニ!」と思ったが仕方ない。僕はマネキン人形なのだ。

社長がアトリエから出て行くのが気配で分かった。僕が一応モデルとして通用することが分かったから仕事に戻ったのだろう。

肘と腕はだるくはなったが先ほどのように痙攣寸前になることはなかった。身体がこの状態に慣れて学習したという事だろう。今度痛くなったのは首と口だった。人間の首は真っすぐ伸ばして前を見るように出来ているのだ。四十五度以上の仰角で固定することには相当な無理があることを思い知った。それ以上に苦痛だったのが口だ。僕は小さい時から口を半開きにしていることを祖母や母に指摘されては口をつぐんでいた。だから口を開いたままにすることに問題は無いはずだったが、「ああ」と天を向いて絶望する時の開口度は半開きより二段ほど大きく開いた状態だ。それを維持するのは本当につらい。顎が痛くなるし、もしハエでも飛んで来たらどうしようと心配になった。首が今にも折れそうな感じになった時に「モデルさん、休憩していいですよ。」という声がかかった。

残った二セットのポーズは惰性で何とかやり終えた。恐らく僕のモデルとしてのパフォーマンスは最後の二十分間がベストだったのではないかと思う。というのは、当初は絶望して天を見上げる自分を演技していたのだが、最後のセットの場合は本当に絶望して天井を見上げていたからだ。

「はい、ご苦労さま。」

緊張の糸が解けて僕がその場で首と肩を回し始めた時、既に社長がアトリエに来ていたのに気付いた。

「りん、頑張ったわね。」
社長が僕の肩に手を乗せて言ってくれた。
「初めてやるときが一番しんどいのよ。次からはずっと楽になるから。」

僕はどれほど酷い拷問状態だったかを社長にぶちまけたかったがお客さんの前なので黙って微笑んでいた。

「りんさんでしたね。いやあ、実によかった。実はもう少し男性的なモデルさんをイメージしていたので、十一時に来た時には正直なところがっかりしたんですが、描いてみて価値が分かりました。ボディーや顔の部品の一つ一つが精密にできているし、想像力をかき立てられるオブジェでした。」

「先生、来週は従来のモデルさんに戻るんですか?」
一番若いと思われる女性が質問した。

「りん、どうなの?」

「夏休みは九月二十四日までなのでそれまでは大丈夫ですけど・・・。」

「皆さんいかがですか?九月二十四日までりんさんにお願いしますか?」
全員から「賛成」という声が上がった。

「それではりんさん、お願いします。」

「はい、承知しました。」
僕ではなく社長が答えた。

「月一回はヌード・デッサンですが、それも大丈夫ですよね?」
先生が社長に質問した。

僕が口を出す前に社長が「料金は倍ですが」と言ったので僕は慌てた。

「勿論承知しています。」

「分かりました。りんは新人でヌードはまだ契約に入っていませんが本人を説得しておきます。月一回とはいつですか?」

「来週のこの時間になります。」

「分かりました。」

「りん、衣装を脱いでお返ししなさい。」

僕が衝立の陰で衣装を脱いでいた時に社長が来た。

「悪いけどパンツを脱いで足を拡げてちょうだい。もしあまりにも酷すぎたらお客さんからクレームが出るからアソコを見ておきたいの。」

僕はパンツを脱がされる事よりも社長の上から目線の態度に戸惑ったが、プライド的にはちゃんと見せておこうと思いパンツを下ろして股を拡げた。社長は屈んでじっくりと見てから指先でチョンチョンと持ち上げ「合格」と言った。

僕がパンツを上げてズボンをはいている間に社長は衣装を畳んで客に返しに行った。モデルとしてはお客さまを見送るべきだと思っていたが、七人の客は社長に率いられてそそくさと出て行った。僕に挨拶する必要は全く感じていないようだった。

僕は客が使った椅子を元に戻してアトリエを整頓した。そこに社長が戻って来た。

「あら、整頓してくれたのね。そんなに気が利くモデルさんは珍しいわ。私の部屋でコーヒーでも飲んでいかない?」

僕は立派な社長室をイメージしていたが、連れて行かれたのはデスクが三つの小さな事務室で、その横に四人分の応接スペースがあった。四十代の事務のオバサンが一人座っていた。

「こちらは米倉常務よ。米倉さん、新人モデルのりんよ。」

ただのオバサンと思った人が常務だと分かって緊張した。

「そんなに緊張しなくても良いわよ。米倉常務というのはハッタリ。私の姉が家事の合間に手伝ってくれてるだけ。普段は姉さんと呼んでるの。このビルは私たちの父が所有していて、私はこのフロアを父から借りてるのよ。芸術学部を出て絵の先生をしているうちに、三、四年前から場所貸しも始めたの。手を広げると忙しくなるから、モデル付きレンタルまでやるつもりは無かったんだけど、お客さんの要望が強くて仕方なく始めたのよ。」

「モデルは何人ぐらい雇ってらっしゃるんですか?」

「りんを含めて四人よ。金曜日のデッサンクラスは生徒五人にモデルが一人だからりんを含めて三人のモデルが揃うわ。今まで男性のモデルは誰もいなかったのよ。」

「それで募集を出されたのですね?」

「やっぱり気付いてなかったのね。あれは女性のモデルの募集広告よ。スタイルの良い美人に限ると遠回しに書いたつもりだったんだけど。」

「でも身長は百八十七センチまでと・・・。」

「うちの三人の女性モデルのうち二人は百八十以上よ。もうひとりはとても小柄で百六十七しかないけど。ファッションモデルを目指す人が生活費のために絵画モデルをするケースが結構多いのよ。私はその手のモデルが好みなの。」

「すみません・・・。」

「メールに凛太郎と書いてあって驚いたけど、美人だからオーディションに呼んだのよ。予想以上だったので即採用ってわけ。すぐ商売になったから良かったわ。」

「商売になったって?」
米倉が社長に質問した。

「今まで場所貸しだった今日のお客さんがりんを気に入って、次回からモデル付きに変更になったのよ。それも月一回はヌードで。」

「社長、やっぱりそれ困ります。」

「何が困るの?ウェブサイトにヌードモデルとして載せるわけじゃないのよ。今日のお客さんはサンプル画像も見ずに来週のヌードモデルの注文をしたんだから、りんは台に立つだけ。今日やっていて分かったと思うけど、お客さんはりんを単なるオブジェとしか見ていないの。だから今日も挨拶もせずに黙って帰ったでしょう。」

「そう言われてみれば確かにそうですけど・・・。」

「来週やってみてどうしても嫌だと思ったら、それっきりにすればいいのよ。二時間で九千六百円なのよ。時給八百円で十二時間汗だくになって働くのとどちらが良いと思う?」

「じゃあ、来週はお引き受けして、その結果でそれ以降どうするかを僕が決めるということで良ければ。」

「了解。契約成立よ。」
社長に手を差し出されて握手した。


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HLAの絆「性転のへきれき」新作

HLA-Cords桜沢ゆうの性転のへきれきシリーズの新作小説「HLAの絆」が発売されました。

夫婦と息子二人のごく普通のサラリーマン家庭。子供が中1と小3の時にアメリカ駐在から帰国した家族は幸せな生活を送っていました。

次男が中2の時に一緒に風呂に入っていた父親は次男から体の変調を指摘されます。翌日クリニックに行って診察を受けた結果、精密検査のために大病院へ。父親は即入院、手術となります。

命はとりとめたもののハンディを抱えて苦しむ父親を家族が支えます。それにも関わらず自殺未遂・・・。

この物語はそんな家族が一緒に困難を乗り越える姿を描いた愛のドラマです。

こんなにピュアーでシリアスな愛のドラマなのに、読むと何故こんなにドキドキするの?それはこれが性転のへきれきシリーズの小説だからです。



HLAの絆

第一章 父と子

僕は父が好きだ。小さい時から父のようになりたいと思っていた。

父は商社マンで僕が三才になる少し前にニューヨーク駐在員になった。家族は父が赴任してから三ヶ月後に渡米し、ニューヨーク郊外のスカースデイルという町の一軒家に入居した。僕は泣き虫で母が近所のキンダーガーテン(幼稚園)に連れて行っても、僕を預けて帰ろうとする母にしがみついて離れなかったそうだ。でもその時のことを僕は殆ど覚えていない。

何才に「物心がつく」のかについては諸説があり、人によって違うと思うが、渡米する前の記憶は殆どなくて、画像を伴う最も古い記憶は、家の裏庭で父とバーベキューをしている光景だ。僕の幼少時の記憶に出て来る友達は白人かアジア系アメリカ人で、親しかった女の子はアリスと言う名前の栗毛の子だった。

四つ上に兄が居るが、兄は母が好きで母にベッタリ、僕は父が好きで父にベッタリだった。兄と父を取り合って競った記憶は全くないので、兄はあまり父が好きでなかったのかも知れない。

何故僕がパパっ子になったのかは自分でも分からない。母によると僕は渡米するまでの幼少期に近所のオバサンにはなつかなかったが、クリーニング屋や新聞屋のお兄さんが来ると顔を輝かせていたとのことで、生まれつき男性との接触を好むタイプの子供だったのだろう。

誤解を招かないために言っておくが、僕はいわゆるホモっ気はゼロで、小さい時から美しい少女が大好きだった。僕はキンダーガーテンや小学校の同級生でも美人を選別する能力が非常に高く、幼少期の僕の「女を見る審美眼」の高さには父も感心していたそうだ。

父は世界中を飛び回るビジネスマンで、米国駐在中は全国を飛び回り、夏休みになるとマイレージで家族を旅行に連れて行ってくれた。カナディアンロッキー、フロリダ、コロラドに行った時の感動は今でも心に鮮明に残っている。

僕が小三の時に父の駐在任期が終わり僕たちは東京へと引っ越した。僕にとって日本は見知らぬ外国だった。僕のアメリカの友達は日本にはサムライやニンジャが住んでいて腰か背中に帯刀して歩いていると信じている人が多く、僕もある程度そう思っていた。

帰国前に父から聞いた注意事項で最も怖いと思ったのは「日本では家の玄関を出ると数十センチ先を車がブーンと走っているので、日本に帰ったらドアを出る時には左右を確かめてゆっくりと道に出るように。」というものだった。実際に日本に帰ってみると父の言葉はかなり誇張されていたことが分かったが、大筋父の言った通りだった。スカースデイルの家は玄関を出たら広い芝生の前庭を数秒走ってやっと歩道に出る。そのまま歩道を突き切って車道に飛び出さない限り僕は安全だった。

日本に来てみるとスカースデイルだと比較的貧しい人が住むアパートのような家が多く、一戸建ての場合でも僕のスカースデイルの家の前庭程度の広さをコンクリートなどの壁で囲んだミニハウスのような家が殆どだった。僕たちが移り住んだのは市川市にある社宅で、何百戸もある大規模マンション(スカースデイルだと『コンド』か『コーポ』と呼ばれる集合住宅)の二、三十戸を父の会社が買い取って社員に提供しているとのことだった。僕は一度カンボジア移民の貧しい友達の家に遊びに行ったことがあるが、その子が家族と住んでいたアパートに負けないほど狭い家だったので驚いた。

小学校に行って最も困ったのは言葉だった。音楽の時間に先生が持ってきたカセットレコーダーを「キャセット・リコーダー」というと友達に笑われた。そのレコーダーはレイディオウとしても使えるが、僕が「レイディオウ」と言っても先生しか分かってくれなかった。先生に「日本ではラジオと言うのよ。」と教えられて驚いた。毎日遊んでいた「ポウキモン」のことを「ポケモン」と呼んだり、訳の分からない単語が沢山あった。

後から思うとガイジン呼ばわりされるなど、ある程度の虐めは受けた気がする。しかしそれはアメリカでも同じで、アリスや僕の親しい友達は(そして僕も)僕は普通のアメリカ人と同じだと認識していたが、他所のクラスや上の学年の粗暴な男子生徒の中には僕を「チャイニーズ」と呼んでバカにしたり意地悪をする人がいた。僕は日本のクラスの友達から不当な扱いを受けたら面と向かってファイトバック(反論)するタイプで、友達を作るのも得意な方だから、虐められる状況が深刻化したことは無い。

友達を作るテクニックは生まれつきの能力とアメリカの小学校で身に着けたスキルとの両方であり、僕は相当レベルが高かった。父によると小さい時に僕を近所の女の子と一緒に置いておくと、席を譲ったりオモチャを渡したり色々気遣って話しかけたりして、女の子に対して類いまれなサービス精神と話術を発揮していたそうだ。僕は日本の小学校でも常に女の子の友達に取り巻かれ、男子の友達からも「モテモテ男」とお世辞を言われるのに慣れていた。

僕の名前は「ミーオウ」で家ではミオと呼ばれていた。英語で言うと「リーオウ」すなわちレオと響きが似ていて、僕は自分の名前が気に入っていた。漢字では美桜と書き、英語に直すと beautiful cherry blossomで本当にカッコいい名前だと思っていた。ところが日本の小学校に行くと友達から「ミオは女の名前だ」と言われてショックを受けた。「美しいという文字が含まれるのは殆どは女の名前だ。それに、花の名前が入ると、まず女だ。両方入っているのは百パーセント女だ。」僕はそいつを殴ろうかと思ったが思いとどまり先生に言いつけた。すると先生がそいつを「名前は女の子でも柳田君は男の子なんだから、今後そんなことを言ったら許しませんよ。」と叱りつけた。その時から僕は自分の名前に自信が無くなり友達には自分の事を出来る限り柳田君と呼ばせるようにした。

兄の彰は僕とは違ってハードボイルドだった。日本に来てすぐに野球部に入り、中学も高校も朝練・夕練と野球の事だけを考え、僕から見るとサムライか僧侶のようだった。毎日ドロドロになって家に帰り、ご飯を食べてお風呂に入って勉強をして寝る。兄はまさにシンプルライフを送っていた。そのせいかどうか、兄は勉強とスポーツでは優等生で、僕が中二から中三に上がる時に、超一流国立大学の医学部に進学した。面白いことは何も知らないしガールフレンドも居ない、僕から見ると「つまらない人」の代表のような兄だったが、両親や祖父母からは文武両道・高身長・イケメン・医者の卵である兄は「柳田家の宝」であり理想的な後継ぎとして期待を一身に集めていた。

僕にとって兄は「デカくて怖い大人」で、しょっちゅう「軟弱だ」とか「もっと真面目にやれ」とか怒鳴られたり、たまには殴られることもあった。高一で百八十センチを超えていた兄はホームランを打つための筋トレに励んでいたこともあり、兄にとって僕は喧嘩の相手にならないひ弱な存在だった。僕は中二まで身長は常にクラスで小さい方から数人目で華奢だった。僕の分身のニンジャが五人一緒になって兄と戦っても勝ち目は無かった。そんな状況は僕にとって決して居心地の悪いものではなく、性格の良い僕はどちらかといえば期待と言うストレスを感じることも無く、「どうでもよい」存在として、両親や祖父母に可愛がられた。中学に入った頃には日本語力もついてガイジン的な扱いをされることも無くなり、勉強は中ぐらいでも英語だけは軽く満点という気楽でカンファタブルな毎日を送っていた。

幸せな一家が暗雲に包まれたのは中学一年の夏休みだった。父と一緒に風呂に入った時、僕は父のおチンチンの一部が異様に黒くなっているのを見つけた。

「お父さんのおチンチン、ちょっと変だよ。痛くないの?」

「痛くは無いが、春ごろから色が段々濃くなったみたいだ。」

「それ、もしかして性病じゃないの?外国によく行く人には性病にかかる人が多いってネットで読んだことがある。」

「性病の場合は皮膚がただれたり熱が出たりするらしいから、性病じゃないはずだ。念のために抗菌軟膏を手に入れて塗ってみたけど改善しないんだ。このことはお母さんには秘密だぞ。」

「絶対に内緒にする。僕はお父さんの味方だから。でも早くお医者さんに診てもらった方が良いと思うよ。」

父はその翌日会社の近くの泌尿器科に行ったようだった。「行ったようだった」というのは、げっそりとした顔で帰宅して僕たちには何も説明してくれなかったからだ。父は翌週に東京湾岸にある病院に精密検査を受けに行き、そのまま入院した。友達のところに遊びに行っていた僕が帰宅すると「病院に行って来ます。夕ご飯はお兄ちゃんとコンビニでお弁当を買って食べてね。」という母のメモが千円札二枚と一緒に食卓に置いてあった。

そんなことは初めてだった。夕方になって帰宅した兄も「どうしたんだろう、お父さんに何かあったのかな」と心配していた。

「おチンチンかも知れない。実は先週お父さんとお風呂に入ってこんなことがあったんだ。」

父が会社の近くのクリニックで診てもらって良くない診察結果が出たので、その結果大病院に行ったのではないかと兄に説明した。兄は先週父が帰宅した時にげっそりとしていたことには気づかなかったようだ。

「バカヤロウ、おチンチンのことぐらいでお母さんと一緒に大騒ぎするはずが無いだろう。」

夜遅くに母が帰宅した。母は僕たちに父が入院したことを告げた。病院の名前に「がん」という文字が含まれていたので僕の血の気が引いた。

「お父さんは癌なの?お父さんは死んじゃうの?イヤだ、僕そんなのイヤだ!」

立っているのが不思議なほどやつれた母を気遣う余裕も無く、僕は大声で叫んだ。

「死なないわ、絶対。幸いステージ2だったの。ステージ2の五年生存率は九十パーセントだそうよ。お医者さんも仰ってたけど、美桜がお風呂で見つけてお父さんに早く病院に行くようにと言ってくれたお陰で助かったのよ。もし病院に行くのが遅れて、リンパ節転移したステージ3になっていたら生存率は五十パーセントを切っていたところだったのよ。」

「よかった。お父さんは運の良い人だから生存率が九十パーセントということは絶対に死なないということだよね。」

「手術と抗がん剤治療を併用すればきっと大丈夫だって言われたわ。」

「おチンチンの表面の黒いところをえぐるように切り取るのかな。痛いだろうなあ。でも、えぐって切り取った部分は段々元の大きさに戻るんだろう?」

「美桜、彰、これは絶対に他の人には言っちゃダメよ。お祖父ちゃん・お祖母ちゃんにも内緒よ。おチンチンは癌に侵されてしまっていて根元に近いところで切らなきゃならないんだって。多分立ってオシッコはできなくなるわ。」

「男じゃなくなるのか。」
兄の粗暴な言葉に猛烈に腹が立った。

「お父さんのことを悪く言うな!」

兄の胸に頭突きをすると、兄は「イタッ」と少しよろめいたが殴り返しはしなかった。きっと兄も自分の失言に気づいて恥じたのだろう。

「おチンチンの両横のボールは癌にかかっていないからお父さんの身体が女性化する可能性は無いのよ。オシッコを座ってするという以外は今まで通りよ。お父さんがそのことを気に病んだりしないように、皆で支えてあげようね。」

「勿論。僕はお父さんのためなら何でも協力するよ。」

僕たちは柳田家最大のピンチを家族で協力して乗り切ろうと誓い合った。

その週末、僕は父のお見舞いに行くつもりにしていたが母から家で待つように言われた。父はおチンチンを切り取られることを恥ずかしく思っていて、そのことを知っている人には会いたくないと思っているとのことだった。もうすぐ退院したら会えるので見舞いには行かなくても良いと言われて僕たちはお見舞いに行くことを諦めた。

母が出かけた後、兄が僕に言った。

「美桜、セックスって知ってるか?」

「知ってるよ。」

「勿論オナニーをしたことはあるんだな?」

「当たり前じゃないか。」

それはウソだった。ついひと月ほど前に友達がオナニーの事を話すのを聞いて、僕もやってみたのだが何も起きなかった。多分やり方にコツがあるのだろうと思ったがそのままになっていた。

「女の人の割れ目の部分におチンチンを差し込んでピストン運動をすることで射精をする、それがセックスだ。お父さんは差し込むべきおチンチンが無くなったから、セックスはできない。つまりもう男じゃないんだ。」

「またお父さんの悪口を言うつもりか!」
僕は立ち上がって兄に襲いかかろうとした。

「待て待て、お父さんをバカにしているわけじゃない。美桜にお父さんの本当の気持ちを理解させたいからこんな話をしてるんだ。」

兄は先日失言したことの言い訳をしたいのだろうか?

「大人の男性にとってセックスは非常に重要なことだ。お父さんはセックスができなくなったことで自分は男性ではなくなったと考えているはずだ。お母さんに対しても引け目を感じるだろう。お父さんにとっておチンチンを無くしたことによるショックは美桜が思っているより百倍大きい。美桜もその点は理解しておいた方が良い。」

「お父さんはそんなにスケベな人じゃないよ。お兄さんみたいにセックス至上主義じゃない。お父さんがおチンチンを無くしたことで、お兄さんはまるでお父さんより優位に立ったような言い方をしてるじゃないか。」

僕の言葉は兄の逆鱗に触れたようだった。僕はボコボコにされて床に肩を抑えつけられ「今度そんなことを言ったら殺すぞ」と脅された。

兄が父をライバルのように見ることがあるということは小さい時から薄々気づいていた。兄は小さい時から母べったりだったから、父と自分が母を取り合っているように思っていたのだろうか?父は中肉中背で、母は同じ年代の女性ではかなり大きい方だ。兄が大きくなったのは母の遺伝子の影響が大きい。兄は父よりもずっと大きく、殴り合いをすれば父は敵わないだろう。兄は自分が父に勝ったと思っていて、今度父がおチンチンを無くしたことで父を見下す気持ちになったのかも知れないと僕は邪推した。

* * *

父が退院した後、僕は兄の見方が外れていなかったことを思い知らされた。

病院から帰って来た日の父は、普段よりも更に優しい目をしていた。弱々しい笑顔で僕を見て「ただいま、心配かけたね」と言った。僕は父に抱き付いた。

「お父さん、頑張ってね。何があっても僕がついているからね。僕はお父さんのためなら何でもするよ。」

「美桜と風呂に入った時に後押ししてくれたからお父さんは命を失わずに済んだんだ。ありがとう、美桜。」

父は目に涙を浮かべて僕の髪を指で梳いた。父の指はまるで母のようにしなやかだった。

一週間ほど家で静養してから父はまた会社に通い始めた。その一ヶ月ほど後には海外出張も再開したが、帰国した日の父は別人のようだった。沈み込んでいて母が話しかけても返事をしなかった。後で母から聞いた話によると、香港の取引先の会社を訪問した際にオモラシをしたのだそうだ。その会社の男子トイレに個室は二つしかなく、そのうちのひとつが故障していて、残りの個室に入っていた人が中々出て来なかった。ドアをトントンと叩いても広東語で悪態が返って来るだけだったそうだ。父はもう限界だと判断し、ズボンを下ろして小便器の前に立って放尿したが前方には飛んでくれず、あたり一面が水浸しになりズボンもビショビショに濡らしてしまったそうだ。運の悪いことに出張に同行していた部下がちょうどトイレに入ってきたところで、切り株から尿が飛散する現場を目撃されてしまったのだった。

帰国してからの父は日ごとに小さくなった。背をかがめ、うつむき加減で弱々しかった。母が「何があったの?」と聞いても返事しなかった。

母は父に何があったのか大体の想像はついていたようだ。母から香港の事件について聞いていた僕もそうだった。

香港出張に同行した部下は内緒にしてくれと父から頼まれても、大ニュースを心にしまっておくことは出来なかったのだ。父に男性のシンボルが無かったという衝撃の事実と、女性のような股間なのに立小便を試みて失敗したと言う失笑を買うエピソードは、あっという間に会社中に広がったのだろう。

父の酒量が増えたことは同情に値するかも知れない。父は飲んで帰ることが多くなった。ある日、酩酊して帰宅した父は一人食卓の前に座り母が冷蔵庫から出した麦茶を飲んでいたが、突然食卓にうつ伏せになって泣き始めた。僕は父がそんな風に泣くのを見たのは初めてだった。

「部長に言われたんだ。柳田君はもう男じゃないんだから無理をするなと。出張の必要のない管理部門に回されそうなんだ。イヤだ、そんなことになったら会社には行きたくない。」

父はうわごとのようにそう言った。完全に酔っていた。そんな父は見たくなかった。

悲劇が起きたのは十二月の初めの金曜日の夜だった。

父が早めに帰宅して家族四人で夕食を食べている時に、宅配業者が荷物を届けに来た。それはアマゾンから父宛の荷物だった。母が玄関に出て受け取った。

「あなた、何を買ったの?」

「何も注文した覚えはないんだが間違って配達されたんじゃないかな?」

「でもあなた宛てになってるわよ。」

「何だろう、気になるな。」

父は食事の手を置いて、アマゾンからの荷物を開封した。

「何だこれ、女物の服じゃないか。お前が俺のクレジットカードで注文したんじゃないの?」

母がビニールを開けて服を取り出した。僕の友達が着てもおかしくないようなワンピースだった。

「何コレ?サイズがXXLよ。いくら私が大きめと言っても失礼だわ。私はLで丁度良いのに。」

それを聞いて父の顔から血の気が引いた。

「あいつだ。あいつの仕業だ。」

「誰よ、あいつって?」

「来週月曜日のうちの部の忘年会にこの服を着て来いという意味だ。山崎が俺の事を女だと言いふらしてるんだ。俺を侮辱する為にわざわざこんなものを送って来たんだ。」

父はそのワンピースの背中のファスナーを開けて左右に引き裂いた。父は「ごちそうさま」と言って一人で寝室に引っ込んだ。母も兄も僕も何といって父を慰めればよいのか分からなかった。僕たちは一言も交わさずに食事を済ませ、兄は自分の部屋に引っ込んだ。僕は食器をキッチンに運んだり、布巾で食卓を拭いたりと母が食事を片付けるのを手伝っていたが、ふと胸騒ぎがした。

僕は父の寝室に走って行ってドアを開けた。父が仰向けに寝ているベッドの端が真っ赤だった。父は手首を切っていた。

「お父さんが自殺した!」
僕が大声をあげると母と兄が駆けつけ、兄はすぐに居間に走って行って救急車を呼んだ。

崖の端ギリギリまで追い詰められていた父に、悪意のワンピースが最後のひと押しをしたのだった。

「お父さん、死なないで!」

意識の無い父にすがりついて叫ぶ母と僕には構わず、兄はネクタイで父の腕を強く縛った。

「神さま、お父さんを助けてください。もしお父さんを助けてくれたら、僕のおチンチンを差し上げてもいいです。」

胸の前で手を合わせて大きな声で神様に祈った。ほどなく救急車が来て父を病院へと運んで行った。

「あの程度の出血量では人間は死なない。」
落ち着いている兄の様子を見て僕は平静を取り戻した。

一緒に救急車に乗って行った母から半時間ほどして電話があり、「お父さんは助かったわ。心配しないで。」とのことだった。

翌日、土曜日の昼すぎに父は退院し、母と一緒に帰宅した。

父は何も言わずに寝室に行った。僕は父が再び手首を切らないかが心配で、父の横に寝て右手をしっかりと握っていた。

「美桜、もう二度と自殺を試みたりしないから心配しないでくれ。こんなところに寝ていないで勉強してくれ。」

「約束だよ。絶対に手首を切らないって。」

「分かった。約束する。」

僕は自分の勉強部屋に引っ込んだが父のことが心配で勉強どころではなかった。

夕食の時間になると父は不思議なほどしっかりとした表情になっていた。

「皆、心配をかけて本当にすまなかった。それから彰、お前が腕をきつく縛って止血してくれたおかげで助けられた。医者も感心していた。ありがとう。」

照れ臭そうにしている兄を誇りに思った。

「お父さんが助かったのは美桜が神様にお祈りをしたからだよ。『もしお父さんを助けてくれたら、僕のおチンチンを差し上げてもいいです。』あれは感動的だったなあ。そろそろ神様が美桜のおチンチンを召し上げに来るころだな。」

「私もあの時美桜のお祈りの言葉を聞いて感動したわ。」

「ありがとう、美桜。お父さんも今回ばかりは反省したよ。月曜日からは気持ちを切り替えて仕事をするよ。そもそも手術をした時に隠したのがいけなかった。『陰茎癌が早期発見されたので陰茎を切除しました。五年生存率は九十パーセントです。睾丸には転移しておらず温存されました。』それだけを皆の前で明言すべきだった。今からでも遅くは無い。月曜日の忘年会で発表するよ。それから、例のワンピースはアマゾンに返品して、送り主を突き止めるつもりだ。その上で、そいつがしたことを公表して、弱者の傷口に塩を塗る行為を糾弾することにする。」

「それでこそお父さんよ。」
母が嬉しそうに言った。

「男子トイレの個室が塞がっている場合の問題については老人用のオムツを携帯することで対処する。万一の場合はトイレの隅でベルトを緩めてオムツをパンツの中に差し込めば良いんだ。海外出張の際には老人用のオムツをはいて行動してもいいぐらいだ。」

「そうよ。でもそこまでしなくても早め早めにトイレに行くようにすれば大丈夫よ。私たちと同じなんだから。」

母が力づけようとして言った「私たちと同じ」という一言が父の心を傷つけたことが父の顔を見ていて分かった。母はその瞬間にたまたま目を反らしていたので気づかなかったようだった。

父はアマゾンに何度か電話やメールをして送り主を突き止めた。

「やっぱりあいつだった。」

父は月曜日の夜遅くに晴れ晴れとした表情で帰宅した。忘年会の席で癌の手術についてカミングアウトし、悪意のワンピースが送られて来たことについては送り主の名前を明かさずにそれが如何に卑劣な行為であるかを訴えたとのことだった。忘年会には部員のほぼ全員が出席していて口々に「許せない」と言っていたそうだ。

「これで明日からは胸を張って会社に行ける。」
父の様子を見て僕は心から安心した。


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性別による差別がない会社「性転のへきれき」シリーズ新作

seibetu桜沢ゆう性転のへきれきシリーズのTSエンターテインメント小説の新作、「性別による差別がない会社」が発売されました。

「性別による差別がない会社」は日本の企業のLGBT対応を背景にして、どの会社で起きてもおかしくない、性別にを越えたカップルの誕生や、それに伴う社員の常識の変化に関する小説です。

主人公の深澤明日香は国際事業部米州部第二課の新入社員で、第一課の岩倉奈帆に淡い憧れを抱いていました。奈帆から実は自分は年上の人からプロポーズを受けたと打ち明けられた日、明日香は奈帆に自分こそは奈帆に相応しい結婚相手だと名乗り出る決意をしたのでした。


性別による差別がない会社

第一章 告白

「深澤君、今日の夕方、時間ある?」

梅雨明けを待つ七月のある日、同期の岩倉奈帆から廊下で声をかけられた。

「うん、あるけど。どうしたの?」

「ちょっと、相談したいことがあるの。とても大事なことなの。」

「六時以降ならいつでも大丈夫だよ。」

「じゃあ、場所と時刻は後でメールしとくわね。」

僕は心の中でヤッター!とガッツポーズをした。岩倉奈帆は同期の新入社員の中でも断トツの美人だ。入社後の同期の懇親会で隣り合わせた時に勇気を出してメールアドレスを交換したが、その後は部の飲み会で立ち話をした程度だった。僕は特に内気な方ではなく女性とも気軽に話すことが出来るタイプだが奈帆だけはダメだった。僕のタイプにピタリはまりすぎているというよりも、僕の理想を越える女性なのだ。隣の課に座っている奈帆の後姿を見るだけで精いっぱいだった。

奈帆は超一流の国立大学を卒業したエリートで少林寺拳法の有段者でもある。ミス東京にも出たことがある170センチの八頭身美人だ。どこを取っても僕には釣り合わないという意識も手伝って、遠くから密かに憧れる存在だった。そんな奈帆から大事なことで相談したいと誘われるとは信じられないほどの幸運だ。

奈帆からのメールに指定されていたのは秋葉原の駅ビルの二階のカフェ・レストランだった。赤坂にある会社からは随分遠いしロマンチックな場所とは言えないが、奈帆は僕が総武線沿線の住人だと知っていて秋葉原を選んでくれたのだろう。奈帆の心遣いが嬉しかった。

「深澤君、突然呼び出してゴメンネ。」

「とんでもない。男だったら岩倉さんに呼び出されれば例え親の死に目に会えなくても飛んで来るさ。」
それは僕の本心だった。

「大げさね。でも私たちも段々忙しくなってきたわよね。入社当初は言われたことを機械的にこなすだけで精一杯だったけど、最近は自分がやっている作業の意味や位置づけが理解できるようになってきて仕事が楽しくなったわ。」

「岩倉さんほどじゃないかも知れないけど僕もそんな気がする。」

「二課にもCEIの調査が来てるでしょう?あれってすごいわね。アメリカの一流企業はここまで来てるのかって驚いたわ。」

CEIとはCorporate Equality Indexの略で米国の人権団体がLGBTに対する職場の公平性を示すベンチマークとして構築した企業平等指数のことだ。最近アメリカの顧客から「お宅の会社はCEIに準拠していますか?」という問い合わせが急増している。その問い合わせの中に「もし準拠していなければ取引を停止する。」と明確に記されておりCEIに対応することは当社にとっても死活問題だ。

「僕なんか本田さんからCorporate Equality Index 2016という百ページもあるPDFファイルを渡されて来週までに読むように言われたんだよ。月曜日に口頭でテストをして、もし不合格なら僕には営業の仕事はまかせられないと言われちゃった。お陰で今週は土日返上だ。」

本田さんとは僕の所属する米州部第二課の課長代理の本田詩音のことだ。ご本人は元ニューヨーク駐在員で英語はペラペラだから僕に気軽に命令するのだが、僕にとっては大変な重圧だ。

「Corporate Equality Index 2016は絵や図表が多いから文章としては三十ページ程度よ。私も課長から言われたけどスマホにダウンロードして帰りの電車で読んだけわ。高校を出ている人なら誰でも簡単に読める内容よ。」

僕が最初の三ページを読むのに既に二日間かかっていることを知られると奈帆にバカにされるのは確実だ。この話題はまずいと思った僕は話題を変えようとして本題に切り込んだ。

「ところで大事な話ってなに?会社で言われた時からそのことが気になっているんだけど。」

「もっと色々おしゃべりしてから話そうと思ってたんだけど・・・。でもその話を聞いてもらいたくて呼び出したんだから勇気を出して話すわ。実は私、ある人からプロポーズされて迷っているの。」

何という重大な話なのだ!僕にラストチャンスを与えるために打ち明けてくれているのだろうか?落ち着け、落ち着かなくっちゃ。

「相手は会社の人なの?」

「そうよ。でもその人が誰だかは言えない。」

「その男性が誰だか教えてくれないと、僕は同性から見てその人が岩倉さんに相応しい人かどうかコメントしようがないじゃないか。」

「人物評価をして欲しくて相談したわけじゃないの。その方はずっと年上で能力経験も私が足元にも及ばないような人なの。でも私は自分の力を発揮したくてこの会社に入ったのよ。自分の力が全く及ばないような人からのプロポーズを受けるということは、その人に寄りかかる人生を送ることになるんじゃないかと思うのよ。その点がまだ納得できていないの。」

「分かった、相手は阿部課長なんだね。」

阿部課長とは奈帆の所属する米州部第一課の課長だ。ニューヨーク勤務経験のある四十才のエリート課長で彫りの深い顔だちの身長百八十五センチのバツイチだ。うちの部で年長好みの女性は全員が阿部課長の熱烈なファンだと聞いたことがある。阿部が相手では僕には手も足も出ない。

「相手が誰だかは明かさないと言ったでしょう。でも阿部課長じゃないことだけは教えてあげる。これ以上カマをかけても何も答えないわよ。」

「ああよかった。」

「どうして?」

「阿部課長からプロポーズを受けたからどうしようと相談されたら僕は泣き寝入りするしかないもの。第一、身長が一割以上違うし。」

「あらうれしい!深澤君は私のことが好きだったの?」

予期せぬ突っ込みに僕は耳たぶまで赤くなり、シドロモドロになってしまった。

「岩倉さんは全ての男性の憧れだから・・・。」

「深澤君のその言葉のお陰で少なくともひと月は幸せな気持ちで居られるわ。ありがとう。でもそんなことを言ってくれたのは深澤君が初めてだし、残念ながら他の男性からそんなそぶりも感じたことは無いわよ。背が高すぎる女は敬遠されるのよ。深澤君は自分より背が高い女性でも気にならないの?」

「気にならないどころか、背が高い女性の近くに来るとドキドキするんだ。でも自分より背の低い男性を好む女性は滅多に居ないから・・・。」

「深澤君からの誤解を解くために言っておくけど、プロポーズされた相手は深澤君よりも小柄な人なのよ。」

「国際事業部で僕より身長の低い人は二人しかいないけど二人とも既婚者だよ。岩倉さん、不倫は良くないと思うよ。それとも他の本部の人なの?」

「さっき言ったでしょう!相手の特定につながる質問には一切答えないから。」

「ゴメン。もう聞かない。でも一体僕は何をコメントすればいいの?岩倉さんはずっと年上で能力のある小柄な男性からプロポーズされて、もし受ければ相手に寄りかかる人生になりそうだから迷っている。女性には女性としてのライフスタイルがあるから、僕が何をアドバイスできるのか想像がつかないな。」

「深澤君がもし私と同じ立場に立ったらどうするかを聞きたいの。例えば身近な例で言うと本田詩音さん。十五才年上のエリートで身長も私より高い。深澤君が自分より十五センチも背が高い本田さんからプロポーズされたと想像してみて。」

「そんなことはあり得ないよ。但し、言っとくけど身長は十五センチも違わないよ。本田さんが百七十とすると僕が百六十五だから五センチしか違わないんだよ。」
僕はつい自分の身長を二センチ大きめに言ってしまった。

「それ、ちょっとサバ読んでるでしょう。深澤君って小顔で華奢だから女の子の平均ぐらいかと思ってたわ。」

「ということはプロポーズされた相手は女性の平均よりもチビの男性なの?」

「その手の質問は受け付けないと言ったでしょう。私の質問に答えて。もし深澤君が本田さんからプロポーズされたらどうすると思う?本田さんは仕事でも深澤君のスキルアップを助けてくれるし色々サポートしてくれるわよ。但しあくまで上から目線で。」

「そうか、そう言う質問だったのか。やっと岩倉さんの質問のポイントが理解できた。そうだなあ。僕は相手が本田さんみたいに目上で能力的に絶対に足下に及ばない人でも抵抗は無いと思うよ。さっきも言った通り身長の高い女性は好きだし・・・。でも男女が逆転したみたいな形の結婚になるから友達に対して恥ずかしいだろうな。きっと西田美紀さんや佐村順子さんから『深澤君のご主人はお元気?』みたいなことを言われると思うな。あっ違うか。本田さんと結婚したら僕は本田明日香にさせられるのか。」

「子供が生まれたら深澤君が産休を取ることになるわよ。本田さんが会社を休むより深澤君が休む方が妥当だから。」

「僕が赤ん坊の面倒を見るのか・・・。それに家事も手伝わされるよね。」

「手伝わされるんじゃなくて深澤君が家事をするのよ。家事育児は深澤君の責任。私はまさにその決断を迫られているの。」

「困るよね・・・。僕はそんな人生は想像したこともなかったもの。でも愛し合ってしまったんだろう?そして本田さんがそれを希望しているし僕は本田さんの希望に沿いたいと思ってる。そんな状況でプロポーズをされたら僕なら迷いはしないと思うよ。家事をしたくないとか人からどう思われるということより、相手が僕に何を希望しているかの方が遥かに大事だもの。」

「深澤君ありがとう。そうよね、深澤君の言う通りだわ。心の中にモヤモヤしていたものがさあっと晴れた気がする。深澤君に相談して本当に良かったわ。」

「僕は憧れの女性が他の男性のプロポーズを受けることを後押ししちゃったわけ?トホホホ。」

「お礼に一つだけ教えてあげるけど、さっきの本田さんの話は話を分かりやすくするための仮定であって、深澤君が本田さんからプロポーズされる可能性はゼロに近いわよ。だって本田さんが好きなのは女の子だから。」

「ええっ!本田さんはレズなの?ショック・・・。」

「うちの部の若い女性の間では阿部課長より本田詩音さんの方が人気が高いのよ。そこそこのレベルの男性は殆どが既婚者でしょう。バツイチの阿部課長は別にして、うちの部の未婚男性と本田詩音さんを並べると本田さんの方がずっとセクシーだし危険な匂いがする。」

「ショックだな。うちの部の女の子たちの意識がそこまで乱れてるなんて。」

「さっきはとても良いコメントをしてくれたのに、今の発言にはガッカリよ。LGBTを差別してるのね?CEIの基準で深澤君のスコアをつけると落第点がつくわよ。」

「そ、そんなつもりで言ったわけじゃないんだ。本田さんがレズだと聞いてショックが大きすぎただけだよ。」

「ショックついでにもう一つ教えてあげる。深澤君は私にプロポーズした人が誰かと言うことについて真っ先に阿部課長を思い浮かべたみたいだけど、阿部課長には部内に恋人がいることは女の子の間では公然の事実よ。」

「誰?まさか一課の佐村順子じゃないだろうね?あいつ阿部課長に呼ばれるといつもウキウキした表情になるもの。」

「深澤君が順子の表情をそんなに注視しているとは知らなかったわ。あの子とても可愛いものね。」

「変な言いがかりをつけないでよ。僕は何とも思っていないんだから。それより阿部課長の恋人って誰なの?」

「橋本さんよ。」

「橋本さんって欧州アフリカ部の部長席のオバサンのこと?まさか男前の代表の阿部課長が四十代の太ったオバサンと恋に陥るとは!」

「ハズレよ。あの橋本さんじゃないわ。うちの課の橋本幸宏さんよ。」

「ゲゲゲゲ、ゲイだったの?それも、よりによってあの汗っかきで三段腹のブサイクの代表みたいな橋本さんを相手に選ぶなんて信じられない。」

「もし深澤君が相手だったら部の全員が納得したでしょうけど、人の心って分からないものよね。阿部課長と橋本さんはしょっちゅうアメリカに一緒に出張してるじゃない。私が聞いた話だと去年二人がアトランタに出張した時に手違いで橋本さんの部屋だけがキャンセルになってたんだって。コンベンションでアトランタの全部のホテルが満室だったから、仕方なくキングサイズベッドの部屋に二人で泊る羽目になって、その夜にできちゃったらしいわ。」

「ヒエェ、怖い話だな。僕も豊福課長と一緒に出張する時にはホテルの予約をダブルチェックするようにしないと。もし不倫関係になってしまって豊福さんの奥さんに恨まれたらいやだもの。一度豊福課長の家にお呼ばれしたけど、すごく素敵な奥様とお嬢様だった。あの人たちを敵に回すのは絶対に嫌だ。」

「深澤君の場合は本田さんとの出張の方が現実的に危ないんじゃない?本田さんが遊びのつもりで深澤君に手を付けて、その結果本田さんのレズの彼女から目の敵にされる。会社の前でナイフで刺されて二十二才の人生に幕が下りるとか。」

怖ろしい!遠いアメリカの問題だと思っていたLGBTがうちの部でそれほどまで現実化しているとは信じられなかった。奈帆がプロポーズを受けたという話と同じぐらいショックだった。「今日私から聞いた話は絶対に他言しちゃだめよ。」と奈帆から念を押された。

* * *

奈帆と別れてアパートに帰ると僕の頭の中で様々な思いが錯綜した。まず第一に思ったことは僕が大変なミスを仕出かしてしまったのではないかということだ。ずっと目上で能力的に及ばない人からのプロポーズを受けると家事育児の責任が自分にかかるし仕事に打ち込めなくなるので、僕ならどうするかを質問したかったと奈帆が言っていた。でもそんなことは女性にとっての共通の問題であり、同性の友人と相談すればよいことだ。それなのに付き合ってもいない僕をわざわざ呼び出してそんな大事なことを相談するというのはどう考えても不自然だった。

そうだ。奈帆は僕のことが好きだったのだ。プロポーズをした相手が僕より身長が低い事をわざわざ伝えることにより僕からプロポーズがあればOKであるとヒントをくれたのではないだろうか?それに対して僕は奈帆がプロポーズを受けることを後押しするような発言をしてしまった。最悪だ!僕は人生最大のチャンスを棒に振ってしまったのだ。

このままでは一生後悔すると思った僕は明日もう一度奈帆に会って結婚を申し込むことを決心した。

プロポーズに必要なものは指輪だ。普通預金口座の残高と財布の中の現金を合計すると二十二万五千円あった。クレジットカードの未決済残高と電気ガス水道料金を差し引き、月末の給料日までに必要な食費を計算すると十七万円残った。借金をしてはいけないというのは深澤家の家訓であり結婚指輪をクレジットで購入することは僕の主義が許さない。明日の夕方六時半ごろに奈帆と約束をして、明日の昼休みか終業後にでも赤坂の会社の近くの宝石店で指輪を買って持って行こう。

奈帆の指輪のサイズはどのくらいだろうか?ネットで身長体重や体型から推測する方法を調べると奈帆だと十号前後ではないかと推測された。明日宝石屋に行ったら買った後でサイズの調節をしてくれるかどうか確かめてから購入しなければならない。

翌朝、僕は奈帆に「昨日の話を聞いて渡したいものがあるのですが今日午後六時半に昨日と同じ場所で会えないでしょうか?」というメールを送った。送信ボタンを押した後で硬い文体になったことを後悔したが幸い奈帆からすぐに絵文字付きで「いいわよ」という返信があった。僕は昼休みにATMで十七万円を下ろして赤坂通りを入った所にある宝石店へと走った。十七万円で買える婚約指輪は僕のイメージよりも貧相なものしか置いてなかった。店員からは婚約指輪ではなく結婚指輪として使えるシンプルな指輪を勧められた。迷った挙句、可愛いデザインで小さなダイヤを幾つかあしらった指輪に決めた。もしサイズが合わない場合は調節するとの約束を取りつけた上で購入した。その日の夕方五時半過ぎまでにイニシャルを刻印してくれることになった。

昼休みが終わって席に着くと、上司の本田詩音に「今日は大事な用があって五時半丁度に失礼します」と言っておいた。

「二日連続ね。まあ、急な仕事ができても西田さんに残業を頼めば大丈夫だから、全く問題ないけど。」
と冷たく言われた。

「西田さん」というのはうちの課の一般職の西田美紀のことだが一流の私立大学を出て三年目の女性だ。帰国子女で英語はペラペラだし貿易実務試験も上級をA合格している。客観的に見て美紀の方が僕より能力的にはずっと上だ。僕が美紀に勝っているのは身長だけだった。それも一センチかそこらの差だが。美紀はそんなことは百も承知の上で僕をそれとなくサポートしてくれる。本田からは事あるたびに「西田さんを総合職転換して深澤君を一般職にするのが最も合理的なんだけど。」とイヤミを言われている。

上司のイヤミ程度の事は大事の前の小事だ。五時半が来て僕は隣の課で僕に背を向けて座っている岩倉奈帆にテレパシーでラブコールを送りながら立ち上がり、宝石屋へと走って行った。濃紺のベルベットの小箱に入った指輪を袋に入れてくれた。僕はその袋をバッグに入れて千代田線に乗り新御茶ノ水で総武線に乗り換えて秋葉原に行った。

ドキドキしながら奈帆を待った。一世一代の告白の時間が迫る。

奈帆は約束の時間に十分ほど遅れてレストランに到着した。

「遅くなってゴメンネ。急な仕事を言われて断れなかったの。」

「岩倉さんのためなら一時間でも二時間でも喜んで待つよ。」

「で、渡したいものって何なの?」

僕は奈帆の目をじっと見ながら人生で最も大事な告白をした。

「昨日岩倉さんからプロポーズの話を聞いて帰って途方もない喪失感に襲われたんだ。そして僕がどんなに岩倉さんのことを想っていたのかを実感した。僕は岩倉さんのためならどんなことでもできる。家事や育児も岩倉さんと公平に分担する。いや、岩倉さんが仕事の方を優先したいという気持ちなら家事は六四か七三で引き受けても良い。どうしてもと言うなら八二でも良いよ。僕は岩倉さんの人生を応援しながら一緒に歩みたいんだ。岩倉奈帆さん、僕と結婚してください。」

僕は頭を下げて結婚指輪を差し出した。奈帆が結婚指輪の箱を受け取ってくれた時、僕は天にも昇る気持ちだった。

「オーケーしてくれるんだね?」

「やっぱり誤解されちゃったか。無駄に高い買い物をさせてゴメンネ。それにしても可愛い指輪だわ。」

「ダ、ダメなの?」

「ごめんなさい。深澤君のことは大好きよ。結婚対象としてじゃなく友達として好き。女友達は口が軽いし親友と思っていても心のどこかで私をライバル視していたりするのよ。深澤君なら安心して心を打ち明けられると思ったから。実際に話をしたらその通りの結果だった。深澤君のお陰で何もかも吹っ切れたから、昨日の夜プロポーズをお受けしますと電話で返事したのよ。」

「そうだったのか・・・。岩倉さん、一つだけ教えて。もし昨日僕が岩倉さんの話を聞いてその場でプロポーズしていたら間に合った?」

「いいえ。深澤君は何というか・・・私にとって異性じゃないの。だからこれからも仲良くしてね。いえ、私の親友になって。」

二十二年間の人生でこれほど打ちのめされたことは無かった。小学校二年の時に僕を可愛がってくれた祖母が亡くなった時でさえ、今日よりもマシだった気がする。その上、僕は奈帆にとって異性ではないとは酷すぎる一撃だった。

「この指輪、刻印しちゃったから返品や買取はしてもらえないわね。指輪なんて買ってこなくてもプロポーズできたのに。」

「刻印を削って他の客に売れないのかな?」

「ムリムリ。買取価格はプラチナの重量分だから数千円ぐらいじゃないかしら。」

「十七万円が数千円・・・。」

「可哀想。ねえ深澤君、この指輪、今日の告白の思い出として私にプレゼントしてくれない?いえ、一番の親友への貢物として。」

「親友になるのに貢物というのは理屈に合わないだろう?数千円で店に買い取ってもらうのはバカバカしいからプレゼントするよ。でも、旦那さまになる人に対してどう説明するの?きっと彼氏は他の男からもらった指輪なんか捨てろと言うに決まってる。」

「いいえ、決してそんなことは仰らないわ。深澤君への感謝の証として相手が誰だかを教える。正式に発表するまでは絶対に誰にも言わないでね。約束してくれる?」

「絶対に言わない。もし僕がしゃべったら、一般職の制服を着て社内を歩き回ってもいい。約束する。」

「じゃあ教えるわ。私たちの部長の藤井和歌子さんよ。」

「ぶ、ぶ、ぶ、ぶちょう?でも部長は女性だよ。この場に及んでつまらない冗談はやめて本当の事を言ってよ。」

「本当よ。入社して一週間後に部長から飲みに誘われて告白されたの。私は藤井部長にとって『なりたいけれど決してなれない理想の女性』なんだって。お話しすればするほど部長のことが好きになった。ひと月ほど前に結ばれてからは部長のお傍に近づくだけで胸から太ももまでジンジンするようになった。誰にも言わないでね。一番の親友の深澤君だから言ってるのよ。」

何ということだ!

僕は絶句した。

それ以上言葉が続かなかった。

「指輪をプレゼントしてくれて本当にありがとう。この指輪のことは部長にも自慢できる。心の広い方だから喜んでくれると思うわ。これからは何でも相談があったら気軽に声をかけてね。親友として、いつでもお茶したりのみに行ったりしようね。」

奈帆と別れて帰る道、ショックが大きすぎて全く涙は出なかった。結局のところ、有り金をはたいて買った指輪は無駄にはならなかった。だってミス東京に出たことのある美人から一番の親友にしてもらったのだから。

あまりにも虚しすぎる一日だった。


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新作発表「落ちん子ヘルパー」性転のへきれきシリーズ初の病院ドラマ

落ちん子ヘルパー

【訂正:作品名が落第ヘルパーに変更になりました】

別の作品の読者コメントに「医療関係をテーマにした作品を書いて欲しい」と書かれていたのにお応えして、この小説を書きました。

とある千葉県の病院をモデルにして、中途半端な形で就職した主人公が、果てしなく転落しながら、幸せを求めて努力するドラマを性転のへきれきシリーズらしいタッチの小説にしました。

女性ホルモン、性転換手術、豊胸手術、精子の凍結保存、不妊クリニックなど、性転のへきれきシリーズには病院が絡んでくることが多いのですが、医療を提供する側の立場での小説は今回が初めてです。

バイオテク絡みのネタは得意な方なのですが、医療絡みの小説で、自分が他の作家よりも心に迫れるTS小説を書けるとしたらどんなストーリーだろうかと考えたら、こんな話になりました。

江戸時代の武士の数は全人口の数パーセントだったそうです。病院で働いている人たちの中で医師が占める数も十%を少し超えた程度です。一般病院の従業員数の約六割が看護要員であり、患者さんへの実際の対応は圧倒的に女性従業員の力に負う所が多いのです。病院の主体は看護師さんだと思った方が良いかもしれません。

今回の作品では病院のヒエラルキーの下部を中心に、中途半端な立場に置かれた主人公の目線でストーリーが展開されます。 「落ちん子ヘルパー」という題名は、「(国家試験に)落ちない落ちないと言っていたのに落ちた人」を「落ちん子」と呼ぶことで、おたんこナース(佐々木倫子さんの有名な漫画)をもじったわけですが、題名を入れた表紙を早い段階で製作済みでした。

ところが、第九章で産科の門脇部長が「落ちん子」という言葉を使って周囲の女性が笑ったシーンを書いていて初めて、「落ちん子」は「オチンコ」と音が同じだと気づき青ざめました。これは私としては結構真面目な作品であり、エロい隠語のダジャレで題名をつける意図は全く無かったのです。 でも、表紙を作り直すのも面倒なので、そのままの題名で出版することにした次第です。

作者としては非常にシリアスなドラマとして書きましたが、シリアスといっても、あくまで性転のへきれきらしいシリアスさですので、どうぞお気楽にお読みください。

 


強制去勢手術された男木島のネコの無念を考える

産経ニュースでネコ100匹を一斉不妊手術の記事を読んでショックを受けました。

高松市の男木島で、増えすぎた野良猫が農作物を食い荒らしたり漁網を食いちぎるなどの被害を防ぐために野良猫を片っ端から捕まえて不妊手術を行ったとのことでした。人口が180人しかいない男木島にネコ200匹が住んでいることを紹介するテレビ番組のお陰で「猫の島」として観光客が増えていた男木島ですが、生業である農業・漁業を守るのが大事で背に腹は代えられなかったようです。

会社の中の境界線R18続編:僕はネコである私は「僕はネコである」の執筆を終えて三日目のタイミングだったので、心の中では自分がネコであるという意識が消えないままにその記事を読み相当なショックを受けました。平和な男木島をいつものようにブラブラ歩いていたら、親切そうな島民が美味しそうな餌をくれる。ニャーンと近寄ったらヨシヨシと捕まえられて手術台に送られるのです。気がつくと自分の股間には女の子のような溝が・・・。

200匹のうち100匹はメスでしょうから100匹の去勢手術を行えば、今生きているネコが老衰した時点で男木島は「猫の居ない島」になってしまうのでしょうか。

去勢手術されるオス猫や、そのオス猫を彼氏と考えているメス猫にとって、それは非常に残酷なことです。自分の将来がある日ガラリと断ち切られ、中性ネコになってしまうのですから。

去勢手術されたオス猫は発情しなくなり、大人しくなるそうです。生殖にかかるストレスから解放されるお陰で心安らかになって寿命も延びるとか。オス猫は赤ちゃんが大好きというよりは子孫を残したいという本能により結果的に子供を作ってしまうのでしょうから、子供ができなくなったからといって人間のように悲観することは無いかもしれません。

強制去勢は非人道的なこととして胸にグサッとささるものがありますが、非猫道的かというと必ずしもそうではないようです。野良猫が増えると殺処分される猫の数が増加するので人口増(猫口増)の抑制は猫道的という側面があるのです。

人間世界のことを考えてみても、突然捉えられて強制去勢されるとその時はショックでしょうが、十代でそんな目に会えば、特に第二次性徴の発現が完了する前なら、その後は女性として生活できることでしょう。もし男性として生きて、人口が増えて「殺処分」されることと比較すると、去勢された方が遥かに幸せです。

殺処分される前の動物の身になって考えると、今回の男木島の強制去勢は良いことだったのではないかと思います。殺処分される前の動物の気持ちやプラトニックラブについて読みたい方には危険な誘惑(犬になった女)をお勧めします。


 


性転のへきれきは横書き!ふつうの電子書籍は縦書き?

After Seven (Se7en) というサイトに性転のへきれき「スイッチ」の読書感想文が載せられていました。

http://d.hatena.ne.jp/Kow/20160606/1465215448

とても好意的な感想を書いて下さっていて気を強くしたのですが、その中に以下のようなコメントがありました。

しかもこの作品は横書きである。そしてさまざまな文芸的な作法をあえて破っている。そのせいなのか、あるいはKDP作家と呼ばれる人たちが内輪の仲間で閉じこもった世界しかみていないからなのか、KDP作家たちには桜沢ゆう先生の姿が映っていないようだ。

ええっ!横書きと言うのはそんなに異例な事だったの?!それに私は作法を破っている!

知りませんでした・・・。そう言えば私がKindleで買ったり無料プロモーションでダウンロードして読んだ小説は全部縦書き!!

元々、小説の冒頭の部分を性転のへきれきHPで公開して「続きを読みたい方はこちらをクリック」のリンクで販売サイトに飛ぶ形にしてきましたので、そのまま Sigilという無料ソフトにコピペしてEpubファイルを作成し、Amazon Kindle(KDP)にアップロードするという超簡便法での出版を続けてきました。

その結果、私の小説は全てウェブページと同じフォーマットになっていて、段落の最初に空白文字が入っていませんし、アルファベットと数字は基本的に半角になっています。

私が積極的に参加している日本独立参加同盟のフォーラムで少し前に「推敲の際に縦書き表示にするとミスが見つけやすい」という投稿を見て、秀丸というエディターの縦書き表示モードを使って推敲をするようになりました。誤字(例:言った vs. 行った)が減ったのではないかと思います。同じフォーラムでMadoka Text Converterという小説仕上げ校正補助アプリ(無料)を公開されている方が居て、それを使えば縦書きでも横書きでも段落の最初に空白を入れるという編集は簡単にできます。

出版済みの作品について縦書きへの変更と段落初めの空白挿入を行うのに必要な時間は一作品当たり一時間ぐらいかな、という感じです。

でも、縦書きに変更すべきかどうか、迷っています。理由は、

  • 出版にワンステップ余計に手間がかかること、特にEpubに変換する際に色んなcompatibility problemがありそうなこと。(ソフトウェアを買えば解決すると思いますが。)
  • 文中に英単語を使いにくくなること。(英単語のみ横表記になります。)
  • スマホで大量の文章を読んで育った人たちの20年後:小説だけを縦書きで読むことに違和感を覚えるようにならないでしょうか?

当面は、従来「第1章」と書いていたのを「第一章」にするとか、文字数の少ない英単語だけは全角文字にする(SNSは全角、Facebookは半角:半角英文字は横表記になるので)とか、将来縦書き出版にシフトすることになっても手間がかからないように微妙な舵取りを開始しました。従来「私は21才」と書いていたのをそのまま縦書きに変換したら21だけが横表記になり、「私は21才」と21を全角にすると縦書きでは2の下に1が来ます。「私は二十一才」と書く癖をつければ縦書き・横書きどちらでも大丈夫。でも漢数字がやたらと多い文章になります。「2016年」を「二千十六年」と書くと時代物SF小説みたいに見えますよね。それなら「二○一六年」?これ、顔文字に見えません?

縦書き・横書きに関して性転のへきれき愛読者のみなさんのご意見があれば是非お知らせください。

 


僕はネコである(会社の中の境界線R18続編) 新作発表

桜沢ゆう性転のへきれきシリーズ新作小説、会社の中の境界線R18続編「僕はネコである」が出版されました。

「僕はネコである」は「会社の中の境界線」を読み終えた方のための続編です。本編を読んでいないと面白さが半分になりますので必ず先に本編をお読みください。「読んだけど忘れちゃった」という方は再読後に読まれるようお勧めします。

性転のへきれきシリーズ・会社の中の境界線を読まれた方は主人公の青葉麻有が既に性転換手術を受けて女性になっているということをご記憶かと思います。「僕はネコである」の中で主人公は子供の時からのクセで自分を僕と呼んでいますが、主人公は根っからの女性になっているので、「僕はネコである」はTS小説とは言えないと思います。なお、登場人物は名前のない脇役以外は全員が女性です。従いましてAmazonのアダルト分類の中では「サブカルチャー」に細目分類されるはずです。(LGBT的にはMTF-Lesbianに分類されると思います。)

思想的にも性転のへきれきシリーズとは趣の異なる、M度が高い小説です。(危険な誘惑のR18版と趣を共有する小説です。)読者をM的な性行に導く可能性があると思い、アダルト分類で出版しました。18歳未満の方は18才の誕生日以降にお読みください。

さて、本編のおさらいを兼ねた内容紹介ですが、前の恋人に監禁されていた主人公の青葉麻有(マユ)は香月たちの手によって解放され自由の身となり、会社勤めを再開しました。マユには新社長のアシスタントへの異動命令が出ますが、密かにマユを好きだったチームリーダーの香月はマユを新社長に奪われると心配し、社内異動の歓送会の席でマユにプロポーズします。

「マユ、私と結婚しなさい。今日限り会社を辞めて私だけの子猫ちゃんになりなさい。」

香月のプロポーズを受諾して退職し、香月のアパートに住み着いたマユは、今後香月だけの子ネコとして暮らすよう命令されて厳しい規則を突き付けられます。それは、前の恋人のペットだった時よりも更に過酷なものでした。

毎日二十四時間、この規則に一生の間従う。
言語はネコ語のみ。人間の言葉は厳禁。
着衣禁止。
二本足歩行禁止。
手を歩行以外に使用することの原則的禁止。
トイレは砂場で
餌はキャットフードを皿から直接口で食べる
飲み物も皿から直接口で飲む
スマホ等はすべて廃棄

マユは香月に言われるまま「香月だけの子ネコちゃん」として暮らすことになったのでした。

香月のプロポーズを受諾して命令に従う事が、自分の人生にとってどれほど重大な事なのかをマユが本当に理解しているのかどうか、ちょっと心配です。マユはこのまま人間の言葉を捨てて四つ足での一生を送ることになるのでしょうか。


このページはGoogleより「アダルトコンテンツへのリンク(多分AmazonでR18分類された作品のページを指すと思われます)を含むと判断されたようですので、Amazonのリンクを外しました。ご興味のある方はAmazonで作品名により検索してください。


 


「スタア」性転のへきれき 新作

スタア

桜沢ゆう性転のへきれきシリーズの新作小説「スタア」が発売されました。

「スタア」は性転のへきれきシリーズでは初めての芸能界を舞台とした小説です。

主役は西口アリスというシンガーソングライター。ファッションモデル出身で女優としても活躍しています。九頭身の長身でファン層の八割が若い女性です。

主人公は西口アリスの大ファンの大学二年の男性です。いわき市で開催された野外コンサートに姉と一緒に参加するのですが、姉がそのコンサート会場でアーティストが着替えの後に出てくる裏口に関する情報を友人から入手したと聞き、姉と二人でその裏口で西口アリスを待ち伏せします。折り悪く、アリスに危害を加えようとする女子高生グループがいるとの情報を得ていた開催者がボディーガードを裏口周辺に配備していたので、主人公と姉はボディーガードにつかまってしまいます。

そこにアリスが姿を現し、不審者として捕まった二人と顔を合わせます。そんな状況での出会いによって、燃えるような恋の火ぶたが切って落とされるのでした。

性転のへきれき

スタア

第一章 理想の女性

ステージの左奥から走り出て来た細長いシルエットの女性が左手を真上に突き出し、右手に持ったマイクに叫んだ。

「帰ってきあしたよ、西口アリスだぁ!みんな、元気にしてるべ?」

キャーッという割れるような歓声が三崎公園野外音楽堂全体に湧きあがり、ステージの背の貝がらの形をした壁にこだまする。

「ありぴー!好きよー!」
僕の周囲の女子高生たちが声をからして叫んでいる。ありぴーとは西口アリスの愛称だ。ありぴーが自分に視線を向けてくれたら死んでも良いとみんなが思っている。

「ありぴー!ありぴー!」
僕も背伸びしながら必死でステージに向かって叫んだ。前に僕と同じぐらいの身長の女子高生が何重にも立っていて、その頭の隙間からステージ上の西口アリスを見るのは楽ではない。

西口アリスはいわき市が産んだトップ・スターで福島の誇りだ。いや、僕は日本の誇りだと思っている。十三才の時にスカウトされて東京に行き、女性ファッション誌のモデルとして活躍しながら、テレビドラマや映画に女優として出演してきた。去年歌手デビューを果たし、今年発表した自らの作詞作曲による歌が大ヒットした。西口アリスがその曲をピアノの弾き語りで歌うのを聞くと、僕は何度聞いても涙が溢れて来る。

二千人を超える観客の八割は若い女性だ。西口アリスは女子高生と女子大生が選んだ「なりたい女性ランキング」でダントツのナンバー・ワンだ。卵型の小顔にぱっちりとした目、そして細い首とすらりと長い手足。百七十五センチの長身だが大きいという印象は全く感じられず、可愛いのだ。女子高生・女子大生は皆が西口アリスのような顔と身体を持ちたいと熱望し、毎日ファッションやコスメを工夫している。

男性にも熱狂的なファンは大勢いるが、女子に比べると熱狂度は低いかもしれない。男性から見ると世界中には多くの美女がいて西口アリスはその一人だから、西口アリス以外の美女でも代用がきく場合が多い。でも、西口アリスになりたい女子高生にとっては「西口アリスになりたい」のであってそれ以外の女性になりたいのではない。代替のきかない憧れの人が西口アリスなのだ。

僕は寝ても覚めても西口アリスだ。朝起きると西口アリスをフォローしているインスタグラムやツイッターで新しい写真が投稿されていないかチェックする。ユーチューブで何百本も流れている西口アリスの動画は全て見たが、特に好きなライブの動画は何十回繰り返して見ても飽きない。夜寝る前もオフィシャルホームページの西口アリスの写真を見ないと気が済まない。

「ありぴー!」

僕には「キャー」という声は出ないので、何度も「ありぴー!」と呼び続けた。この西口アリスの野外コンサートに来るためにわざわざ東京から来た人は、そう多くはないはずだ。もっとも、僕は東京からいったん福島市にある実家に帰り、姉の車に同乗して来たから「東京から来た」と言うのは少し無理がある。大学四年の姉の千尋も僕ほど熱狂的ではないが西口アリスのファンだ。

ステージの上を飛び跳ねるようにダイナミックに躍動しながら身体全体で歌う西口アリスは本当に美しい。三曲目の弾き語りの時には僕も、隣に立っている姉も、周囲の女子高生たちも全員が泣いていた。

一時間半のコンサートはあっという間に終わりに近づき、最後に西口アリスがアンコールに応えてロックな曲を歌った。西口アリスがステージの奥に消えていくと、どうしようもない寂しさに襲われた。

姉の千尋は僕の手を引っ張って、音楽堂の右手の裏の方へとどんどん歩いて行った。

「お姉ちゃん、どこに行くの?」

「シーッ、黙ってついてきなさい。」

千尋はひそひそ声で僕の耳元に囁いた。
「この野外音楽堂でバイトをしていた友達に、控室の場所を聞いたのよ。ありぴーは着替えが終わったら、この裏のドアから出て駐車場に向かうはずよ。」

「すごーい。お姉ちゃんの友達ってレベル高いね!」
僕は千尋に続いて音楽堂の裏の生垣の間を潜り抜け、駐車場に続くドアの近くまで行って千尋と一緒に木陰に隠れた。

日は落ちていたが、その夜は満月だった。裏口からありぴーが出て来さえしたら、どんな変装をしていても僕は絶対に見間違えない。

一分、五分、十分と待ったが、そのドアからは誰も出て来なかった。

「お姉ちゃん、その友達って信用できるの?それ、最新情報なの?」

「ううん・・・私の親友のマユッピの高校時代の友達なの。マユッピが一昨年のお正月に高校の同窓会で会った時にその子から聞いたって言ってたんだけど。」

「なあんだ。そんなに古い話なのか。」

その時、僕の手首が誰かに掴まれて、僕は「ヒエッ」と叫んでしまった。姉も「キャーッ」と悲鳴を上げた。振り向くと二頭のマウンテンゴリラが背後に立っていた。

「お前たち、何をしているんだ。」

もう片方の手で首筋を掴まれ、木陰から、裏口のドアの手前の空き地へと突き出された。月明かりに照らされた二頭のマウンテンゴリラは黒い背広を着た大男たちだった。

「過激な女子高生のグループが西口アリスを襲撃する計画があるという情報を入手したから張り込んでいたんだ。お前たちはその一味なのか?」
千尋の手首と首筋を掴んでいる方の大男がどすのきいた声で言った。

首筋を掴む力が強すぎて、千尋も僕も「ウウウッ」としか声が出ない。でも、悪いやつらに襲われたのではないことが分かって少しほっとした。それに、明るいところに連れて行かれたら、千尋と僕が女子高生ではなく、女子大生と男子大学生であることは一目瞭然だ。

「私は若く見えるけど、女子高生じゃなくて、大学生よ。」と千尋が叫んだ。やはり千尋は自分が女子高生に見えることを内心期待していたのだ。

「僕は男だ。」と叫ぼうと息を吸い込んだときに裏口のドアが開いて、黒いジャージーのパンツにグレーのパーカーを着たスリムな人物が現れた。

「ありぴーだ!」
僕は息を飲んだ。憧れの西口アリスが、ほんの二メートル先に立っている。

「ありぴー!」僕は声にならない声で言った。目から涙が溢れ出た。

「離してあげて。この子たち悪いやつには見えないわ。それに、例えこの子たちに襲われても私一人で簡単に倒せるわ。」

少しだけハスキーなアルトの声が天の鈴のように僕の胸に響いた。僕は陶酔した目で西口アリスを見上げた。

「君たち、私のファンなの?」

「はい。コンサートが終わったらしばらくしてアーティストがこのドアから出てくるという情報を得たので姉弟で待ち伏せしていました。」

「君が妹で、そちらの子がお姉さんなのね。」

「い、いえ。僕、弟ですけど。」
憧れのアリスに女性と間違えられて、僕は傷ついた。

「うそ!こんなに可愛いのに?ちょっとこっちに来て顔を見せて。」

アリスは僕の手を掴んで、電灯のついた壁の所に引っ張って行った。

「キミ、男の子なんだ!お名前は?」

「狩野千草です。」

「千草くん?素敵なお名前ね。お姉さんについてきただけなの?キミも私のファンなの?」

「ぼ、ぼく、ありぴーの大、大、大ファンです。毎日朝から晩までありぴーのことを想っているんです。」

「うれしいわ。そんなに熱心なファンの男の子に会えて幸せ。キミもとても可愛いわ。」

西口アリスに手を握られて、直に会話ができるなんて、夢のようだ。おまけに、可愛いと言われた。

「ありぴー、僕、もう死んでも良いぐらい幸せです。」

少し離れた場所で千尋はまだ男に手を掴まれて僕を羨ましそうに見ていたが、「離してよ」と大きな声で言って、男の手を振りほどいた。

「お詫びにビールでも一杯ごちそうするわ。キミたちは車で来たの?」

「福島市から私の車で来たんです。この公園の反対側の駐車場に置いてあるんですけど。」
と千尋が答えた。

「そうなんだ・・・。車ならアルコールは飲めないし。」

「私は結構です。弟だけ連れて行ってやってください。千草はキチガイと言っていいほどのありぴーファンですから。」

「本当にそれで良いの?じゃあ、ホテルで飲んだ後で家まで送るから、千草くんを私に貸してね。」

「お姉ちゃん、そんなことを言わずに一緒に行こうよ。」

「いいのよ。千草はありぴーに会うために東京から来たんでしょう。一生一度のチャンスだから楽しんできなさい。」

千尋はアリスと握手をしてから、僕たちに手を振った。アリスに言われて、大男の一人が千尋を反対側の駐車場に停めてある車まで送って行ってくれることになった。

「さあ、私の車に乗って。」
僕は天にも昇る気持ちでアリスについて行った。駐車場には数台の車が泊まっていた。

「どれが私の車か当ててみて。」

僕は自信を持って白のレクサスを指さした。

「ブブーッ、外れよ。」

アリスがキーのボタンを押すと、メタリックなダークグレーのワンボックスカーのドア・ランプが二回点灯した。

「フリード・スパイクよ。後部座席が完全フラットになるからどこでも車中泊できるの。私は日本全国でライブをするけど、この車を自分で運転していくことが多いのよ。」

「へえ、ありぴーみたいなスーパースターが大衆車で車中泊とは驚きです。」

「このサイズで後部座席が完全フラットになる車はフリード・スパイクしか見つからなかったのよ。それに、私の収入が増えたのは最近よ。この車を買った時にはローンを組んだんだから。」

アリスが身近な存在に感じられた。これほどの大スターなのに少しも気取ったところが無い。

僕はフリード・スパイクの助手席に乗り、アリスがアクセルを踏んだ。

「千草は私に会うために東京から来たって、お姉さんが言ってたわよね?」
アリスにファーストネームで呼び捨てにされて、僕の心臓は素手で掴まれたようにキュンとなった。

「はい、僕は東京の大学の二年生です。姉は実家から福島の大学に通っています。」

「東京にはいつ帰るの?」

「明日帰ります。月曜の朝の講義に出ないとまずいので。」

「私は東京に帰るから、このまま乗って行けば?」

「ホテルに泊まるんじゃなかったんですか?」

「そのつもりだったけど、千草とドライブしたくなった。」
何という幸運だろう。僕は有頂天になった。

アリスは信号の手前で停車し、パーカーのポケットからスマホを取り出して誰かに電話した。
「関口さん、アリスよ。悪いけど、私、用が出来たからこのまま東京まで帰る。部屋はチェックアウトしといてね。ごめんね、よろしく。」

アリスは僕を見てニッコリ笑い、「マネージャーに頼んだから、これで大丈夫。」と言った。

海沿いをしばらく走ってからいわき勿来インターで常磐道に入った。アリスの運転は安定感があり、高速に入ってからも時速百キロを少しオーバーするだけだった。右側を百四十キロを超える車がビュンビュン追い越しても気にも留めない。

助手席の僕は何もしゃべらずに、ただアリスの横顔を見ている。アリスも落ち着いた表情で前を見て静かに運転している。

「私の方ばかり見ないで、恥かしいわ。」
さっきからずっと見られているのに気づいたアリスが前を見たまま言った。

「だって、憧れのありぴーがすぐそばに居るんですよ。一生に一度の機会だから見ずにはいられません。」

「ひとりだけずるいわ。私だって千草の顔を見たいのよ。」

ドクドクと首筋の血管が破裂しそうになる。アリスにとっては言葉の遊びなのだろうが・・・。

「さっき、妹じゃなくて弟だと言ったでしょう。それで千草をじっくりと見て心臓が止まりそうになったの。理想のタイプの男の子だったから・・・。だからあんな言い方をして千草だけを誘い出したのよ。お姉さんには失礼だと分かっていたけど。」

「理想のタイプ?僕、少し上げ底の靴を履いてますけど、百六十三センチしかないんですよ。ありぴーは百七十五センチもあるんでしょう?」

「正確には174.7センチよ。」

「奇遇ですね!僕、本当は162.7センチなんです。」

「アハハ、そうなんだ。私、自分より十二センチぐらい小さい男の子がタイプなのよ。百六十二、三センチの男性は山ほどいるけど、千草みたいな身体のバランスで、千草みたいに綺麗な顔の男の子は何万人に1人しかいない。ライブでステージの上から観客を見ていて、そんな子を二度か三度見たことがあるけど、ステージが終わったらどこかに消えてしまってもう二度と会えない。」

「僕、ありぴーのライブは三回目です。前に二度か三度見たというのは僕だったかも。」

「そうかもね。神様が千草を私の元に配達してくれたんだわ。」

西口アリスと相思相愛の関係になれるとは、想像を絶するほどの幸運だ。運命的な出会いとでもいうのだろうか。いや「運命的」ではなく、これは運命なのだと思った。

友部サービスエリアのサインが見えた。西口はウィンカーを出して左レーンに移り、サービスエリアに入ると、建物から少し離れた暗いスペースに停車した。

「何か飲もうよ。お腹も空いてきたわ。」
アリスはダッシュボードからファッション・サングラスを取り出し、野球帽をかぶって車の外に出た。これなら誰もアリスとは気づかないだろう。

コンビニで大きい缶ビールを二つとお弁当を一つ買ってフードコートに行った。アリスと向かい合って座るなんて夢のようだった。でも、高速のサービスエリアでビールを飲んだら運転できなくなる。僕はお酒は弱い方だから一人で缶ビールの大を二缶もは飲めない。

「さあ、乾杯よ!」
缶ビールを開けてアリスと乾杯の仕草をしてから飲んだ。アリスはゴクゴクと豪快に飲んで「ハーッ、うまいっ。」とオジサンのように言った。

「飲酒運転はダメですよ。」

「千草って私の女房みたいなことを言うのね。心配ご無用。私は飲酒運転は絶対にしないわ。明日の朝までここでゆっくりするわよ。」

「ああ、良かった。」
僕は胸をなでおろした。アリスが飲酒運転をしないと分かって安心したのと、明日まで一緒にゆっくりできるから良かったのとの両方だった。

コンビニで買ったお弁当はチキン南蛮だった。ひとつのお弁当を、二人で同じお箸を交互に使って食べた。そんなことをするのは生まれて初めてだった。その相手が西口アリスとは・・・。

「千草の口って面白いわ。への字になったり、丸くなったり、大きくなったり、すごく小さくなったりしてる。こんな口って、初めて見た。ガバってかぶりつきたくなるわ。」

「千草は眉毛を毎日整えてるの?ウッソー、眉は触っていないの?うらやましいわ。後で舐めちゃおう。」

「目の形が私と似てる。知ってる?私の目って女子高生から羨ましがられてるのよ。私って、こんなに可愛い目をしていたのね。あとでキスしちゃおうっと。」

アリスは僕の事ばかりしゃべっていた。僕はアリスがどんなに美しいかについて話したかったが、僕がアリスを褒めると「千草の方がもっと素敵よ。」と言ってアリスが僕のことを話し始めるのだった。

「僕のことなんか話してもつまんないのに・・・。」

「そろそろ車に戻ろうか。」

「えっ、もう戻るんですか?まだ早いのに。」

「私たちのベッドに戻るのよ。」

「ええっ!」

「さっき教えたでしょう?フリード・スパイクは後部座席を前に倒すと荷台と同じ高さになって、フラットベッドになるのよ。今夜の二人のベッドよ。」

アリスが二人のベッドというのを聞いて鼓動が高まった。単に車をベッド代わりにして寝るという意味だろうか。それとも、特別な意味が込められているのだろうか・・・。

「あら、千草!今、何かエッチなことを考えていたでしょう。」
アリスに心を見透かされて僕は真っ赤になってしまった。

トイレに寄ってから一緒に車に戻った。アリスは手慣れた様子で荷物を助手席に移し、後部座席を前に倒した。バッゲージ・スペースに折り畳んで置いてあったキャンプ用のウレタンマットを広げると、二人で十分に寝られそうなスペースができたので感心した。僕たちは車に入り、靴を脱いでゴロンと横になった。

「この車って割と遮音性が良いから、中は結構静かでしょう?外は騒音がしているから、中でキャーキャー騒いでも車の外を通る人には殆ど聞こえないのよ。」

「ふうん、じゃあ、キャーキャー騒ぎましょうか?」
アリスがエッチなことを考えていないことが分かっていたので僕は強気になって軽い冗談を言った。

「私は大声は立てないけど、千草にはキャーキャーと言わせてあげるわ。」
運転席側に寝ているアリスが急に身体を回して僕の上に乗った。アリスは僕の両肩を抑えるようにしてキッスした。一瞬の動きになすすべもなく、僕はアリスの舌を受け入れた。僕もアリスの脇に両手を差し込んで抱きしめた。

アリスのキスはしっかりと、そしてしっとりとしていた。性急な動きは無く、身体に身体が話しかけるように、ゆっくりと迫って来た。キスがこれほど豊かな表情を持つものだとは知らなかった。唇が離れ、もう一度重ねられる時に感じる安堵に満ちた幸福感は比類のないものだった。僕は高二の時に元カノと短いキスをしたことがあったが、それは単なる真似事であって、今日が生まれて初めてのキスと言っても良いかも知れない。男女の営みの中でキスがこれほど大切なものだとは知らなかった。

アリスの手は僕の頭をバスケットボールを持つように抱えたり、首を絞めるように握ったり、髪を掴んだりしたが、胸から下を性急に攻めようとはしなかった。

「ありぴー、大好き。世界一好き。」
僕は頭の中が真っ白になりそうだったが、首を左右に振りながら僕がアリスをどんなに好きかを訴えた。背中がジンジンして胸がむずがゆくなった。アリスの形の良い胸を僕の胸に圧しつけてくれるか、アリスの手のひらで僕の胸から脇を撫でてくれることを切望した。そんな僕の気持ちをアリスに届けたくて、僕はアリスの丸い乳房をシャツの上から掴んだ。硬くてカサカサしているのに驚いた。

「私のペチャパイの秘密を知ったわね。もう生きては帰せないわよ。」
僕の上に馬乗りになったアリスはグレーのパーカーを脱ぎ、そしてブラジャーを外した。スラリとした上半身についた、小さくて形の良い乳房が露わになった。

「ありぴーのオッパイって最高!」

僕は心から感動して言った。

「私の裸はタダじゃ見られないのよ。一回一億円。お金が無い場合は身体で払ってもらうから。」

僕は一億円でも安いと思った。
「身体で払います。」
と喜んで答えた。

「うふふ。じゃあ千草の身体は私が一億円で買ったわ。千草は一生私のものよ。」

アリスにチェックのシャツを脱がされ、その下の黒のティーシャツも脱がされて上半身が裸になった。アリスはいきなり僕の右の乳首にタコのように吸いつき、舌の先で乳首を転がした。僕がくすぐったがってもアリスはお構いなく舐め続けた。しばらくすると乳首がチリチリして右の太ももにしびれが走り始めた。

「可愛い!千草の乳首がこんなに立ってきたわ。」
アリスは左手の親指と人差し指の先で僕の右の乳首をコネながら、今度は僕の左の乳首に吸いついた。

「ああああ、ありぴー、ありぴー。」
背中から太腿全体がジンジンして、胸が燃えそうだった。アリスは僕が泣き声を上げ始めても乳首への攻撃を決して止めようとはしなかった。

アリスが自分の胸を僕の胸に合わせてくれたのは、僕が殆ど正気を失ってからだった。それから僕たちは上になり、下になりながら、お互いの胸、乳首、脇、肩、首筋、喉、耳、頬、唇、鼻、目、そして頭を全身を使って攻撃し合った。何時間も疲れを感じることなく愛し合った。二人ともズボンの股間から太腿に大きなシミができたまま、いつしか眠りに落ちた。


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性転のへきれきの英語小説が伸びてきました

欧米でも桜沢ゆう「性転のへきれき」の読者がボチボチ増えてきました。英語でTS小説の出版を開始したのは去年の5月で、当初は「時々売れるかな」という感じだったのが、「おおっ、今日も買ってくれた」から「売れている日の方が多い」、更に「売れない日は殆どない」に変化して、今年の5月に初めて「販売数ゼロの日がゼロ」の記録を樹立しました!まだ売上的には日本語小説の数分の一のレベルですが、英語人口は日本語より一ケタ以上多い上に、性的マイノリティーの顕在化度合も日本より先行しているので市場規模が何十倍も大きいのです。

“性転のへきれき”のシリーズ名は”TRANS OUT OF THE BLUE”と表記していますが、英語版TS小説はホラー、ミステリーなど特定の分野でシリーズ名をつけています。

  • SLIPPERY SLOPEシリーズ:「落とし穴」ミステリー
  • FORBIDDENシリーズ:「禁断」ホラー
  • HIJRA, THE 3RD GENDERシリーズ:「HIJRA」ヒジュラ専門
  • TRANSGENDER MYSTERYシリーズ:その他TS小説

英語版TS小説の全作品リストはこちらです。

日本では性転のへきれきシリーズの多くの読者の方に支えられていますが、欧米では完全に無名の私の小説に目を止めてもらうのは至難の業です。これを打開するため、5日間の無料キャンペーンを一ヶ月あたり30日程度実施するようになって販売数が増加しました。読んで「面白い」と感じた方が次作を購入してくれるという点は万国共通のようです。

「英語の小説なんて全く興味ない」という方が殆どとは思いますが、とにかくフルバージョンの5日無料キャンペーンを全部の英語作品について打ち続けていますので、ぜひ一度お試しください。

TS小説ですので「お子さまの英語教育用にお役立てください。」と言えないのが残念ですけれど・・・。