「若返りの秘湯」を再出版しました | 性転のへきれき

「若返りの秘湯」を再出版しました

性転のへきれきTS文庫の小説「若返りの秘湯」をAmazonと楽天Koboで再出版しました。秘湯の存在を信じる人にとっては「リアル系TS小説」ですが、SF小説だと主張する人も多いかもしれません。

同窓会で中学時代の初恋の女性と再会し、その女性に誘われて若返りの秘湯を一緒に探しに行くというお話です。その温泉は長野県の佐久の奥にある「春日温泉」がモデルです。六角屋根のある露天岩風呂の奥の林に入り、藪の中をかき分けていくと若返りの秘湯につながる洞窟の入り口があります。この秘湯は「性転の秘湯」(旧タイトル:春日温泉の湯守)に出て来るのと同じ野天岩風呂です。

「若返りの秘湯」は表紙カバーが示す通り「マリオマリヤ:40才若返った男」と同一ストーリーですので、重複購入されないようご注意ください。


ご購入はこちらから(楽天Koboの販売ページに表示されるには2,3日かかるかもしれません)。前編(楽天Koboは無料、Amazonは当初99円で時期未定ですが0円になる見込み)も同時に出版しました。

 


若返りの秘湯

第1章 再会

 60才になることを「還暦を迎える」ということぐらいは誰でも知っている。干支(えと)には甲子(きのえ・ね)から癸亥(みずのと・い)まで60種類がある。僕の場合は丙申 (ひのえ・さる)生まれで今年目出度く干支が巡って来たというわけだ。

還暦というと「赤いちゃんちゃんこ」がつきものだ。60年生きて再び赤ちゃんに戻るという意味と赤には魔除けや厄除けの力があるので年寄りには赤を着せておこうという安易な発想らしい。とんでもない! 水戸黄門じゃあるまいし、赤いちゃんちゃんこなんて着られるはずがない。もし家族や親類が還暦祝いに赤いちゃんちゃんこを持ってきたりしたら、その場で躊躇なく引き裂いてしまうだろう。

それに僕はまだ3月末までは現役サラリーマンだ。お腹も出ていないし、髪の毛もフサフサだ。2年前の役職定年で部長の肩書は失ったが、仕事の腕は落ちていない。パソコンやインターネットの知識は20代の連中に負けない。最新のアンドロイド・スマホを身体の一部のように使いこなし、エンタメ関係のネタは女子大生と互角に渡り合える自信がある。だから若い女子社員とは話が合う。同じ60才でもジイサンのような同期も居れば、僕のようにその気になれば後10年は平気で現役を続けられる人間もいるのだ。一律に「60才定年」を押し付けるのは全く非合理的だ。うちの会社では数年前から再雇用制度ができて、本人が望めば65才まで働き続けることは可能だが、60才になると給与がほぼ半分になってしまう。

僕は妻とも相談した結果、再雇用制度には応募せず60才できっぱりと退職するという道を選択した。ある程度の財産形成は出来ているから、あくせく働かなくても生活レベルは維持できる。3月末に退職したら、しばらくは旅行をしたり羽を伸ばしてから再就職先を探すか起業でもしようと考えた。仮に再雇用の道を選んだとしても5年後には退職することになる。それなら気力も体力も十分な現時点で退職して新しいライフスタイルを模索する方が理に適っているというものだ。

僕の60才の誕生日は3月6日の日曜日で、前々日の金曜日にうちの部の連中が退職記念パーティーを開催してくれた。パーティーといっても近くのレストランの一室を借り切った飲み会なのだが、部員25人の殆どが出席してくれた。一応3月31日までは社員の身分だが、明日から有給休暇の未消化分を取得するので、今日が事実上の最終勤務日だ。

「来週からは麻生さんのダジャレが聞けなくなると思うと寂しいですよ」

芹沢君が僕にワインを注ぎながら言った。芹沢は僕が10年ほど前に中途採用した課長で僕とは相性が良くいつも一緒に仕事をしてきた。しかし、ダジャレが聞けなくて寂しいと言われてもちっとも嬉しくなかった。私は芦沢にとってその程度の存在と思われていたのか……。芹沢でさえこれだから、他の連中は僕が辞めても何とも思わないのだろう。

「麻生さん、会社を辞められても、分からないことがあったら質問して良いですか?」
そう言ってLineの友達になりたいと私に申し出たのは入社2年目の水田亜希子だった。僕たちはスマホをフルフルして友達登録した。歓送会の最後にもらった花束と記念品よりも、水田亜希子の友達登録の方が僕にとっては何倍も価値があると感じた。退職で一番悲しいことは、会社の女の子たちに会えなくなることだ。勿論、しょっちゅう無駄話をしていたわけではなく、たまたま昼食が一緒になった時とか飲み会とか何か仕事で用があるとか、一日にほんの数回言葉を交すだけだったが、若い女の子たちとのさりげない交流は僕の生きがいだった。明日からは4才年下の女房と話す以外は、盆や正月に帰省して姪と会う時ぐらいしか女性と話しをする機会がなくなる。それは本当に悲しいことだ。

パーティーが終りに近づくと、うちの会社での38年間のサラリーマン生活が本当に終わってしまったことを実感して虚しさが込み上げてきた。最後に万歳三唱されて、さらに虚しい気持ちになった。花束を持って一人とぼとぼと家路に着いた。

***

3月6日の日曜日の朝、目を覚ますと妻の多恵子が「還暦おめでとう」と笑顔で言ってくれた。僕は本当に60才になってしまった。

今日はひと月ほど前から楽しみにしていた同窓会の日だ。それは中学の「第1回東京同窓会」だった。中学の同窓会は既に何度か福島で開催されたが、2年前の同窓会の際に、東京とその近辺の在住者で「東京同窓会」を開こうということになった。小、中、高と一緒だった勝浦が幹事を引き受けて企画してくれた。今日の参加予定者8名のうち7名は福島での同窓会などでちょくちょく顔を合わせる連中だが、残りの1人は中学を卒業して以来1度も会っていない人物だった。それは後藤田美咲さんという、僕の中学時代の憧れの女性だ。彼女が中3の夏に父親の転勤で東京に引っ越して以来の再会だから、正確に言うと45年と7か月ぶりということになる。

幹事の勝浦からのメールには昔のままの苗字で後藤田美咲と書かれていた。結婚しなかったのだろうか? いや、養子を取ったか、離婚して後藤田姓に戻ったのかもしれない。旧姓を通称として使っている女性も多いし、死に別れということもあり得る……。僕には多恵子という妻がいて仲良く暮らしているのだから、後藤田美咲が独身だろうが夫のいる身だろうが同じことなのだがつい気になる。

美咲に会えると思うだけでワクワクした。僕の頭の中にあるのは中学の卒業アルバムに載っている顔だ。女優に例えると広瀬すずが「学校のカイダン」に出演した時と雰囲気が似た、切れ長の目をした美人だ。僕よりも少し小柄だがスポーツウーマンで爽やかな感じの女の子だった。中3の春の時点での僕の身長は159センチだったから、後藤田美咲は156~157センチといったところだろうか。しかし、同窓会に来るのはあれから45年間の年輪を重ねた女性だ。あまり当時のイメージを頭に描いて期待をすると実物を見てガッカリするかもしれない。

同窓会の会場は秋葉原駅から中央大通りの裏筋を上野方向に歩いたところにあるイタリアン・レストランだった。午後6時半開始だったが僕は6時過ぎにレストランに着いた。後藤田美咲の前か、最悪でも斜め前の席に座りたいので早めに行って席を取ろうと思ったからだ。レストランの入り口で勝浦の名前を言うと、左奥の個室に案内された。勝浦が先に来ていて、8人がけのテーブルの手前側の2つ目の席に座っていた。

「おお、麻生。久しぶりだな」

「何が久しぶりだ。年末に高校の同窓会で会ったばかりじゃないか」

「年末からはもう70日近くになる。久しぶりと言うべきだ。とにかく麻生、俺の横に座れよ」

勝浦の右の席を指さされた。手前の右端の席だ。

「もっと真ん中の席に座っちゃだめかな……」

「だめだ。俺の周囲の中央部分の3席は女の子を座らせる。参加者8人のうちで女の子は3人しかいないから、俺の左と、その正面と、俺の正面に座ってもらう」
あっさりと拒否されて、僕は渋々手前の端の席に座った。

「ということは、僕は斜め前にしか女の子が居ないわけだな。せめて、一番奥の端に座らせてくれないか。そうすれば隣と斜め前が女の子ということになる」

「麻生、セコイことを言うなよ。奥に座ったら俺と離れてしまうじゃないか。俺は麻生とも話がしたいんだ」

「いいなあ、勝浦君は女の子3人と話せる席で」

「バカ野郎。幹事の特権だ」

幹事にそう言われると仕方ない。僕は後藤田美咲が来たら左斜め前の席、すなわち勝浦の正面に座るように上手く誘導しようと心を決めた。

いい年して女の子、女の子、と言っているが、よく考えると60のオバサン、いや、悪く言えばバアサンだ。昔からのクセでそう言っているだけだ。高校の同窓会でも女性の事を女の子と呼ぶし、女の子たちは自分の事を女子と言う。可笑しなものだ。

6時20分を回ってほぼ同時に4人が到着した。男女2名ずつだった。勝浦が女の子たちを所定の場所に座らせようとして必死に交通整理していた。勝浦の苦労が実って、勝浦と僕の前の2つの空席を残して6人が着席した。よかった! これで後藤田美咲が僕の左斜め前に座ることが確定した。

6時半丁度に男女1名ずつが息を切らせて駈け込んで来た。同窓会のたびに会う秋葉浩二と、もう1人は長身で颯爽とした感じの女性だった。後藤田美咲を今か今かと待っていた僕の心の緊張がプッツリと切れた。僕は心から落胆した。美咲は来られなかったのだ。

この女性は誰だろう? 50代半ば並みの肉体を自認する僕よりも更に若く見える。50才と言っても通りそうな体型と肌のハリだった。中学の同期で170センチもある女子は宮沢さんと須藤さんぐらいだった。記憶の糸を手繰ってもこんな女子は出てこない。

先に入って来た秋葉浩二が勝浦に言われて僕の前に座った。勝浦はその女性を自分の正面の席に座らせようとしたが、その女性が秋葉に言った。

「秋葉君、悪いけど、真ん中の席に移ってくれない? 私、そこに座りたいから」

秋葉は怪訝そうな表情で「ああ、良いよ」と言って右の席に移ろうと立ち上がった。

「いや、女子が真ん中に座るルールだから」と勝浦が秋葉を制した。

「ごめん、私、どうしても麻生君の前に座りたいの。お願い」

「仕方ないなあ……」と勝浦が譲り、秋葉が席を移動して、その女性が僕の前に座った。今、彼女は確かに「麻生君の前に座りたい」と言った。この女性は一体誰なのだろう?

勝浦が「今日は後藤田美咲さんも来てくれて8人で第1回の東京同窓会を開催することが出来てうれしく思います」と校長先生のような挨拶をして生ビールで乾杯した。僕の頭が混乱した。この長身の女性が美咲だと言うのか? おかしい。僕の頭の中の画像記憶領域がウィルスに侵されたのだろうか、それとも別人が成り替わって後藤田美咲のフリをしているのだろうか……。

「麻生君、今日で60才ね。お誕生日おめでとう」
どうして僕の誕生日を知っているのだろう? この女性は邪悪な意図で周到な調査を行ったうえで僕に近づいた詐欺師なのかもしれない。僕は身構えた。

「どうしたの、その顔? 私を覚えていないの? 後藤田美咲よ。中2の時に学園祭で演劇の台本を2人で作ったじゃない」

この長身の女詐欺師はそんなことまで調べて来たのか……。

「後藤田美咲さんのことは勿論覚えているよ。ていうか、憧れていた人だから今日会うのを楽しみにしてたんだ。でも君は後藤田さんではない。後藤田さんはこのぐらいの背で、広瀬すずみたいな顔の子だったもの」

「アハハハハハ。麻生君、私の顔をよく見て」
その女性は顔を僕に近づけて、目を丸く見開いて僕の目を覗きこんだ。

それは確かに後藤田美咲の切れ長の目だった!

「ほんとだ。目がそっくりだ。全体の印象が全然違うから気がつかなかったよ。もしかして、後藤田さんの妹さんとか従姉妹じゃないの?」

「まだ信じてないのね。私、高校に入ってから急に背が伸びたのよ。バスケ部とサッカー部を掛け持ちしていたから体型や性格も変わったかも。麻生君の顔は中3から全然変わってないわね。こうやって向かい合っていると、あの頃に戻ったみたいでドキドキする」

「そうなんだ……」
ドキドキすると言われて僕も嬉しかったが、本当に後藤田美咲本人だろうか?

「まだ納得していないの? じゃあ、何か質問してみて。私たちだけしか知らないことを」

「図書館の裏とかで、何か特別な思い出はない?」

それはファーストキスのことだった。中3の夏休みの前に転校の話を打ち明けられた時に、目の前でうつむいた美咲の額に僕がチュッとキスをしたのだ。

「引っかけようとしているのね。図書館の裏じゃなくて体育館の裏よ。麻生君がここにキスをしたのは」

美咲は僕がキスした場所を正確に指さした。

「後藤田さん!」

それは確かに後藤田美咲だった。僕は美咲の手を握った。目が涙で潤んだ。

「よかった。初恋の人にやっと信じてもらえて。私、転校してからもずっと麻生君のことを考えていたのよ」

「それならもっと早く連絡してくれればよかったのに」

「忙しかったのよ。高校はバスケとサッカーと勉強で忙しかった上に、文芸活動もしていた。東大に入学した後はバスケとサッカーから足を洗って文芸活動と女性の地位向上のための活動で飛び回っていた。学生結婚して、3人の娘を産んで、子育てしながら会社勤めをして、店頭上場企業の役員になって、55才で女性の地位向上の関係のNPOに移った。それからも土、日も無しに飛び回ってきたのよ。去年の秋に60才になった時に後進に道を譲って、顧問的な立場になったから、やっと自分のことを考える時間ができたわ。それで真っ先に思ったのが麻生君に会いたいということだった」

「後藤田さんが上場企業の役員になったことは風のうわさで聞いたことがある。すごいね、カッコいい人生だ」

「ありがとう。私、カッコいいと言ってもらうのが一番うれしいのよ。麻生君にそう言ってもらえたなんて夢みたい」

「苗字は後藤田さんのままなんだね?」

「いきなりその質問? 娘たちがまだ小さい時に離婚したのよ。私が女性の地位向上の活動をすることをサポートしてくれる人だと思ったからプロポーズを受けて結婚したんだけれど、蓋を開けてみたら昭和初期並みの性差別意識の男だった。失敗だった。実は私、32才の時に探偵を雇って麻生君のことを調べさせたことがあるのよ。でも麻生君が幸せな結婚生活を送っていることが分かったから断念した」

「断念って?」

「独身だったらプロポーズしようと思ったのよ。そのころ母が病気になって、小5、小3、小1の娘の面倒を見てもらえなくなったの。麻生君なら私についてきてくれると思ったから」

「僕に娘さんたちの面倒を見させるということ?」

「その通りよ。麻生君を私の奥さんにしようと思いついたの。麻生君は女性を主人として受け入れることのできる、心の広い人だから」

心が広いと言われるのは嬉しいが、女性を主人として受け入れられると決めつけられても……。中学時代の僕はそんな印象の少年だったのだろうか?

「その時に僕がもし独身だったら家事と子育ての人生を歩んでいたわけか……。東大出のエリート女性の奥さんになるというのは恥ずかしいな。ママ友との付き合いとか、舅姑との関係とか……。僕の実家の家族からも冷やかされただろうな」

「麻生君が私にプロポーズされたらOKするという前提で話してくれるのを聞いて嬉しいわ」

見透かしたように言われて、自分の顔が真っ赤になるのが分かった。

「でも僕、今も女房と仲良くしているから」

「うふふふ、分かってるわよ。今、麻生君に結婚を迫っているわけじゃないわよ」

既に紅潮していた顔がゆでだこのように真っ赤になった。顔から火が出そうだった。

「今日麻生君の前に座った目的は離婚して私の奥さんになるように口説くためじゃないの。全くそんな期待が無かったといえばウソになるけど……。麻生君、若返りたいと思わない?」

「な、何だよ、突然。そりゃあ、若くなりたいさ。でも、サプリとか、化粧品とか、エステとか、新興宗教とかは興味無いよ」

「麻生君、私がそんな勧誘をしようとしていると疑っているの?」

「そ、そんなことはないけど」

「少し若く見えるようになる、という類の話じゃないのよ。60才の私たちの身体が20才に若返るという話に興味があるかどうかと聞いてるの」

「勿論興味はあるよ。若返りをテーマにした映画とか小説のこと?」

「若返りの秘湯のことを覚えてない? 裏磐梯の山中に秘密の温泉があって、ひと晩浸かると老人が若者になったという話よ」

「中2の時に一緒に調べた会津の伝説の中に確かそんな話があったよね」

「そう。その温泉が見つかったのよ」

「ウソだろう!」

「うちのNPOに相談に来て私が対応した20才の女性から秘密裡に聞いた話なの。その人が76才だった時に、ある山奥の温泉の従業員に教えられて、その温泉の奥の林の中を通り抜けた所にある秘湯に入って20才に若返ったんだって。会社勤めを始めたところセクハラを受けて困っているという相談だった」

「それで、その女性から秘湯の場所を教えてもらったわけ?」

「そうよ。スマホの地図にその山奥の温泉の建物の場所が表示されたから、露天風呂からどちらの方向に入って行くのかを教えてもらった。温泉の裏は絶壁になっていて下に川が流れているのよ。絶壁沿いに左に歩くということで、地形から判断してたどり着ける場所は限定されているから、その秘湯の場所がほぼ特定できたの」

「裏磐梯の山中なら標高によってはまだ雪が残っているかもしれないね」

「それが、秘湯の場所は裏磐梯じゃなかったのよ。見せてあげようか?」

美咲はスマホの地図を拡大して僕に見せた。それは長野県佐久市から八ヶ岳連峰の北の端の方向に上がって行ったところにある温泉だった。

「その女性は気が狂っているか、想像力が豊かな人なんだよ、きっと」

「それでもいいじゃない。夢を見ましょうよ。万一本当に若返ったらラッキーということで」

「長野か、遠いなあ」

「佐久インターから僅か半時間よ。東京から2時間半ってところかな。麻生君の場合は奥さんにどう説明するかが一番の問題ね」

「うちの女房は25日の金曜日に福島の実家に帰るからその週末なら大丈夫だけど」

「麻生君は一緒に帰らないの?」

「女房の父が老人介護施設に入ってるんだけど、女房のお姉さん夫婦が実家に住んでいて面倒を見てくれているんだ。女房はそのことを申し訳なく思っていて、春休みにお姉さん夫婦を旅行に行かせてあげるために実家に帰る予定なんだよ。僕は邪魔になるだけだから一緒には行かないことになっている」

「良い奥さんなのね。でも、同窓会で再開した初恋の女性と浮気する為に温泉旅行に行くわけじゃないから、良心の呵責にさいなまれる必要は無いわよ」

「後藤田さんが僕の初恋の人だとは言っていないけど」

「言わなくても分かってるわ」

「女房に内緒で行って、もし本当に若返ったら困ったことになるよね」

「その時は体当たりして率直に話し合えばいいのよ」

「そりゃそうだね。ていうか、本当に若返るはずが無いから。まあ一度ぐらい女房に内緒で、中学の友達と長野に冒険旅行に行くぐらいなら万一バレても許されるよね、きっと」

「じゃあ約束よ。私が車を出すから三鷹まで電車で来てくれない? 26日の土曜日の朝にJR三鷹駅の北口で麻生君を車でピックアップするということでどうかな?」

「何か用意すべきものは無い?」

「林の中を歩いて秘湯を探すから、山歩きのような服装とトレッキングシューズがあれば良いわね。それから、翌朝、若返った後でも似合いそうなスポーツウェアを着替えとして持ってきて。ドローンは私のを持って行く」

「ドローンって、あのUFOみたいなやつ? 後藤田さんがあんなものを持っているの?」

「そうよ。林の中を歩いて探しても見つからない場合は上空から捜索するのが一番だから。私の三女の夫が去年ドローンを買って河原で飛ばすのについて行ったのよ。面白くて夢中になったから、自分用に1台買ったの。まだ1度しか使っていないけど、私はドローンの操縦に関しては才能があるみたい」

美咲と僕はずっと2人だけの会話に夢中になっていた。

「これから一人一人の近況報告ということで後藤田さんからお願いします」
という勝浦の言葉が耳に入って「今日は同窓会なんだった」と現実の世界に引き戻された。

美咲はさっき僕に言ったような内容の近況報告をした。絵に描いたようなエリート人生で、55才で上場企業の役員のポジションを捨てて、自分の思想を実現する為にNPOに移ったというところがカッコいい。皆も「へえー、すごいな」と口々に言っていた。僕が多恵子と結婚していなければ32才のときに、この人の奥さんになっていたかもしれないんだと思うと、誇らしいような、恥かしいような複雑な気持ちになった。

最後に僕が「今月末で定年退職します。一昨日が最終勤務日でした」と近況報告すると、「英断だ。実に素晴らしい」と勝浦が言って皆から拍手された。しかし、今日参加している女子3人のうち美咲以外の2人は医者で、男子5人のうち僕以外は65才まで働く意向なので、結局退職するのは僕1人であり、拍手されても素直に喜べなかった。外観的には僕が一番若いのに……。

「暇だったら後藤田さんのNPOで働けばいいのに」と吉峰由紀子に言われた。

「アシスタントの女の子が3月末で辞めるから、麻生君が来てくれるなら大歓迎よ」と美咲が本気な感じで言った。

「いっそ、後藤田さんの奥さんになったらどうだ」酔いが回った秋葉がつまらない冗談を言ったが、僕は「結婚してるから」と言い訳をするつもりは無く、秋葉を無視した。

「私としては大歓迎よ」美咲が僕に顔を近づけて、他の人に聞こえない声で言った。

その時にウェイターが「5分後がラストオーダーです」と言いに来た。飲み放題2時間半のコースだったが、やはり飲み放題というシステムには弊害がある。どうしても飲む量が増えてしまうので、先ほどの吉峰由紀子や秋葉浩二のように、素面なら言わないような失礼なことを平気で発言する人が出てくる。誰でも酔うと気が大きくなって相手の気持ちに配慮せずに本音が出てしまうのだ。

吉峰と秋葉の発言に続けて美咲が「大歓迎よ」と2回言ったが、本気なのだろうか? 僕を美咲のNPOで雇ってもいいという誘いだ。。僕はこの同窓会に来てよかったのかどうか分からなくなった。多恵子と平穏に暮らしていたのに、初恋の人が45年ぶりに目の前に現れて、僕の心に踏み込んで来た。僕の心は柳のように揺れている。

「えー、宴たけなわではありますが本日はこの辺でお開きにさせていただきます。次回の幹事は秋葉君が引き受けてくれました。よろしくお願いします」

全員がフラフラと立ち上がった。美咲と僕は他の6人の後姿を見てから立ち上がった。

「あれれれっ! 麻生君、中3の時のままじゃない。大きくならなかったのね」
美咲が僕の前に立って言った。僕の目の高さに美咲の唇があった。

「中3の時は159だったけど今は162.7センチあるから少しは伸びたんだけどなあ。後藤田さんは僕より小さかったのに……」

「私は172.9センチだけど人には172センチと言ってるの。麻生君よりも丁度10センチ高いのね。こんなだと、おでこにキスをするのは私の方になっちゃうわ」

と言って、突然、美咲は僕の肩に両手を置いて額の中央にキスした。それは僕が45年7か月前に美咲にキスしたのと正確に同じ場所だった。予期せぬ出来事に心臓が止まりそうになった。

「真理夫、今日会えて本当に良かったわ。26日が楽しみね」
中学の時には麻生君と呼ばれていた。美咲からファーストネームで呼び捨てにされたのは生まれて初めてだった。

「は、はい」
僕は美咲を見上げて思わず敬語で答えてしまった。

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カテゴリー: 非リアル系(SFを含む)TS小説

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