三つの願い:今日からOLになりなさい(改訂再出版)

「三つの願い」の再校閲を機に表紙画像を一新し「今日からOLになりなさい」を副題として再出版しました。主人公は三つの願いを唱える機会を与えられたら何を言おうかと常日頃考えていたので、実際に神さまと出会った時に、一つ目の願いとして「女の子が四六時中うるさいほど僕にたかってくるような高身長のイケメンになりたい」と唱えます。神さまは主人公が何を考えているかを詳しく聴取してくれて、希望をかなえてくれようとするのですが……。ここから後は読んでのお楽しみ。

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皆さんは三つの願いを考えたことがありますか?

私は何百回も三つの願いについて考えたことがありますが、その度に気になっていたのが、複合的な願いをしてもよいかどうかという点です。

例えば、男性が「若くて美しい女性になりたい」と願った場合、それは「若くなりたい」と「美しくなりたい」と「女性になりたい」いう三つの願いの組み合わせだと考えられます。一つの文を一つの願いと見なすというルールなら「若くて美しい女性になって大金持ちの男性と結婚して百歳以上まで健康で幸せな人生を送りたい」という願いをすればいいわけです。

それでは三つの願いの意味がありません。

でも、もっと賢い願いも考えられます。「若くて美しい女性になりたい」という代わりに、具体的にそれはどんな女性かをイメージして、例えば「美人女子高生になりたい」と言えばいいのです。

さらに言えば「美人女子高生になりたい」だと「美人になりたい」と「女子高生になりたい」の二つの願いから成り立っていると神さまに却下される可能性があります。それを克服するには、例えば「全日本美少女コンテストでグランプリを取りたい」という願いにすれば、神さまもひとつの願いだとみなさざるを得ないのではないでしょうか?

この小説を書くにあたって「三つの願い」について調べた結果、序章にも書いた通り、一六九七年のフランスの童話がそもそもの原作だったと分かりました。ただ、その原作の目新しさは、不用意な言葉を口に出した結果、一つ目と二つ目の願いが無駄になる三つ目の願いをせざるを得なかったということだったと思います。この小説でも、そんなトホホな結末の可能性を結構長い間引きずりそうです。

人間はずっと以前から神さまへの願いについてああでもない、こうでもないと想像していたはずです。

ホモサピエンスに進化する前から色々な願いを持っていたのではないでしょうか。美味しいバナナをもう一度食べたいとか、あの異性と一緒にいたいとか、言葉を持たなくても、願いは成立すると思います。

オスがメスになりたいという願いは、人類が言葉を持つ以前から存在したでしょうか? メスの乳房を見て、自分の胸に同じものがあったらいいのにと願う類人猿がいたとしてもおかしくないと思います。サルでも個体によって行動様式には差があるようですので、戦いを好まない類人猿が、メスのように暮らしたいと考えることは十分にあり得たと思います。

有史以降の人類の場合は、男女の服装の違いが明確になり、女性の服装が機能よりも美を重視する傾向が明らかになったことで、「女になりたい」という願いが「女と同じように美しく装いたい」という願いと錯綜し、しばしば混同されることで話がややこしくなりました。

色々考えると、男女の服装に差があることが、異性になりたいという願いについて徒らに引き金を引いたり、煽ったりしているのではないかと思います。男女の服装を同じにすることによって、人間は性別についてもっと冷静に考えられるようになるのではないかと思うのです。

例えば、中学の制服は、男女ともスカートにすればいいのではないでしょうか? 上はブレザーでもセーラー服でもどちらでもいいし、紺のプリーツスカートでもチェックでもいいと思います。私はクラシックな紺のプリーツスカートで膝が隠れるぐらいの長さの制服が好きです。

男女が同じ服装なら、不必要に区別をつけることも減り、お互いの理解度が格段に上がるはずだと思います。


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