ホームレスあがり(今日からOLになりなさい!) |

ホームレスあがり(今日からOLになりなさい!)


「ホームレスあがり」という小説は非常に面白いのに、客観的に見て題名と表紙が地味すぎると感じていたので、再校閲を機にラノベらしい表紙に衣替えし、副題として「今日からOLになりなさい」を付加しました。重複購入にご注意ください。

***

若いホームレスの男が南千住駅の階段で空腹によろめき、通行人と肩がぶつかって階段を転げ落ちた。仰向けに倒れているホームレスに「大丈夫か」と声を掛けた男性はある企業の会長だった。その出会いがホームレスの人生を変えることになる。

会長は牛丼の特盛3つをテイクアウトで購入し、自分が宿泊するホテルで若いホームレスに何ヶ月ぶりかの入浴をさせた。近くのドンキで安物のジャージーとスニーカーを買ってきて、臭い衣服と靴を捨てた。百均で買ってきたハサミでボーボーだった髪を散髪した。

去年国立大学を卒業後ブラック企業でこき使われ放り出されホームレスになったとの身の上話を聞いて同情した会長は、北千住にある関連会社が退職者補充の募集をしていたことを思い出し、その場で関連会社の社長に電話を入れたが、高卒女子限定の求人なので男性は対象外と断られた。

翌朝、会長が奇策を思いついた。「まずは身なりから」とホームレスを近くの紳士服チェーンに連れて行った。丁度スーツを含む就活5点セットの大バーゲンを実施していた。「出世払いでいい」と言われて感激したホームレスの男性は店員が持ってきた服を見て目を疑った。それは女性用のスカート・スーツだった。

 


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性転のへきれきTS文庫
著者:桜沢ゆう

ホームレスあがり
今日からOLになりなさい

第一章 地獄に仏

待ちに待った春が来た。

桜の蕾を見上げながら歩く朝の上野公園。湿った透明な空気が気管支の奥まで潤す。国立科学博物館の横から鬼子母神の北を抜けて入谷に入り、仲ノ町通りを歩き始めると清川はもうすぐだ。

長い冬だった。今、自分が元気に歩いていることが不思議だ。咳も鼻水も出ず、大きく息をして真っ直ぐに道を歩くことができる。僕は生きている。コンビニのゴミ箱で拾ったオカカおにぎり二個を大事にポケットに入れて持ち帰り、昨夜上野公園の物陰で食べたから、僕は特にひもじさを感じずに普通の人のように歩いている。

昨日の昼下がり、トイレに行ったすきに全財産を盗まれた。それ以来、鍋もスプーンも着替えも無い。不運だった。でも大丈夫だ、春だから。もし一月か二月に盗まれていたらと思うとぞっとする。今の僕の全財産は着ている服とジャンパー、それに、ポケットの中の五百円硬貨だけだ。このお金はもしもの場合に飢え死にしないためのお守りとして大事にしている。

山谷さんやの朝はざわめき立っていた。日雇いの仕事を求めて大勢の労務者がたむろする。僕も仕事にありつこうと必死でもがく。一番安い仕事でも一日弱ほど働いて五~六千円にはなる。幸運なら僕でも一日八千円の仕事にありつけることがある。それだけのお金があれば、この季節なら一週間生き延びられる。もし継続する仕事が手に入れば安宿に泊まって人間らしい生活をすることだって夢ではない。

でも、やはり僕は今日も仕事にありつけなかった。労務者の殆どは中高年だ。中年で体格のいい人にとってここは天国だ。僕は華奢でひ弱すぎるように見えるし、若すぎる。
「若いのにどうして働かずにホームレスなんかしているんだ?」
と、おせっかいなオジサンに言われたことは二度や三度ではない。確かにホームレスの殆どは五十歳以上ではないかと思う。でも僕だって好きこのんでこんな生活を送っているわけでは無い。

一度ホームレスになってみないと、這い上がるのがどんなに難しいかは分からない。僕の場合は若いという事実が、這い上がるために却って邪魔になっている。二十三歳だが華奢でひ弱そうな骨格の僕は十八前後にも見える。成人に見られた場合でも「何故健康な二十代の若者がホームレスに甘んじているのだ」という偏見に満ちた視線が、せっかく這い上がろうとしている僕を突き落す。「きっと何かあるのだろう」と思われるようだ。

こんなことを言うと白い目で見られるかもしれないが、若くてひ弱なホームレスよりも、ヨボヨボの老人の方がまだマシかもしれない。生活保護の認定を受ければ山友荘さんゆうそうに入れる。勿論空きがあればの話だが。山友荘は全室個室で三食付きで介護付きだから飢え死にする心配はなくなる。気持ちの持ちよう次第だが、ひ弱な若者としては炊き出しに並ぶのさえ後ろめたい気がすることがある。

また明日頑張ろう。城北福祉センターの前の炊き出しにありつければ一日生き延びて明日を迎えることが出来る。春だから何とかなる。

そう思って僕は汐入公園しおいりこうえんに向かって歩き始めた。外人観光客で一杯の上野公園と違って、人間らしく時間を過ごすことのできる汐入公園は僕の安息の場所だ。

穏やかな春の日だった。汐入公園の中を静かに散歩し、いくつかのベンチを渡り歩く。瞑想の時間。何を瞑想しているのかと聞かれても答えられない。それが瞑想というものだ。豊かな時間だ。昔のフランス国王がベルサイユ宮殿の庭で瞑想しているのと、今僕がここで過ごす瞑想の時間とどちらがリッチだろうか? 若くて健康な僕の汐入公園での時間は、優雅さという点で昔のフランス国王に負けないのではないかと思う。

陽が傾き始め、僕は立ち上がって公園を出る。南千住みなみせんじゅの駅周辺でチェックすべきコンビニのゴミ箱を覗いてから泪橋なみだばしに行くことにした。早めに福祉センターに行って並ぶのが安全だ。お腹がグーッと鳴った。やはり一日一食ではキツイ。南千住駅を一度越えてマックから松屋の前を通り、また引き返すのが僕のお決まりのルートだった。しかし、食べ物にはありつけなかった。要するに競争率が高いのだ。仮に食べ物が落ちていても、他のホームレスが先に取ればアウトだから。
駅の階段をトボトボと下りる脚が少しふらついて身体が左に揺らいだ時、後ろからドーンと左肩に体当たりを食らって僕は階段を転げ落ちた。

「大丈夫か、君!」

目を開くと、身なりの良い中年の男性の顔が、僕の上に見えた。

「すみません。フラッとしたみたいで……」
起き上がろうとしたがお腹が空いていて力が出ない。

「指は何本だ?」
男性が指を四本立てて僕の目の前に出した。

「五本」
僕は微笑みながら答えた。僕の冗談に男性も笑って座が和むと思った。

「大変だ。頭を打ったんだな。下から三段目ぐらいから落ちただけで外傷は無さそうだが、とにかくCTを取りに行こう。君、歩けるか? 救急車を呼ぼうか?」

男性は僕の背中を抱え上げて立たせた。僕は空腹でフラフラしていたが何とか自力で立つことが出来た。五本と言ったのは冗談で本当は四本見えたと言い出すタイミングを逸してしまった。

僕のお腹がグーッと鳴った。半径数メートルに響くほど大きな音だった。男性は僕がフラフラしている原因の一つが空腹にありそうなことを察したようだった。
「先に何か食べていくか?」

「お金が無いんですが……」
と正直に答えた。

「勿論おごるよ」
と男性が微笑んだ。

「それにしても臭いな。こんなに臭い身体で飲食店に入ったら追い出されるぞ。ちょっと待ってくれ、そこの『すき屋』でテイクアウトを買ってきてやる。牛丼の特盛で良いかね?」
と言って、牛丼を買いに行った。僕が立って待っていると数分後に牛丼が二、三個入ったビニール袋を手に提げて戻って来た。

「一緒に来なさい。私は大阪から来た出張者で、そこのホテルにチェックインするところだ。風呂に入って、その臭いを落としてから食べてくれ」

男性は牛丼の入った袋を僕に持たせて、ビジネスホテルにチェックインした。僕は少し離れて待っていたが、男性がキーを手にしたのを見てエレベーターまで歩き、一緒に八階に上がった。部屋に入ると清潔なツイン・ルームだった。ツインの部屋ということは、ひょっとして、明日の朝までここで過ごさせてくれるのだろうか。もしそうだとすれば、こんなふかふかした清潔なベッドで寝るのは半年ぶりだ。

「さあ、風呂に入って身体の隅々まで洗って来てくれ。その間に私は缶ビールとおつまみを買ってくるから」

僕は風呂のドアを開けて浴槽にお湯を貯めながら服を脱いだ。頭からお湯をかぶり、シャンプーを使ったが汚れ過ぎているのか泡が立たない。シャワーをして頭を流してからもう一度シャンプーをつけるとやっと泡立ってきた。タオルにボディーシャンプーをたっぷりとつけて髪の生え際、耳たぶの裏、耳たぶ、耳の穴の中、クビ、脇の下、おへそ、肛門、大事な場所、手足から指の先まで念入りに洗い、シャワーを流した。生き返るとはこんな気持ちを表現するのだろう。浴槽に潜って頭までお湯の中に沈んだ。お湯の中で髪から身体の隅々まで手で擦った。

滅多にない機会だからもう一度洗おう。僕はシャンプーを髪につけて泡立たせ、立ちあがってボディーシャンプーで身体を一通り洗い直した。息を止めて鼻の穴の中にシャワーを吹き込み、歯磨きをして口の中をシャワーで洗った。

男性が部屋に入って来るドアの音が聞こえた。僕は浴槽のお湯を流し、次に入る男性の為に風呂の隅々までシャワーできれいにした。ハンドタオルを絞って髪の毛の水分を拭きとってからバスタオルで髪と身体を乾かした。バスタオルを腰に巻いて風呂を出て、作務衣のような備え付けの寝間着を着た。

「ほお、石鹸の臭いがする若者になったな。しかし肌が真っ白になっているから驚いたよ。よほど汚れがこびり付いていたんだな。悪いが、君が来ていた服をこのビニール袋に入れて袋の口をしっかりと縛ってくれないか。臭くてたまらん」

僕は言われた通りにしてから、もう一度手を洗った。

「さあ、食おうか。まずは乾杯だ」
男性はアサヒスーパードライの大缶を四本コンビニの袋から取り出した。

「いただきます」
僕はビールを開けて男性と乾杯した。

ビールの喉ごしが新鮮だった。世の中にこんなに美味しい飲み物があったのか。

「ビールは半年ぶりです。僕はお酒は弱いので大缶だと酔っぱらうかも知れません」

「酔っぱらったら寝ればいい。牛丼も食べなさい。特盛を三人前買ったから、良ければ君が二つ食べてくれ」

僕は牛丼の蓋を開けて食べ始めた。美味しい! 新品の牛丼とはこれほど美味しいものだったのだと感激した。

階段でぶつかったぐらいでこんなに親切にしてくれるなんて……。それもふらついて身体を傾かせた僕が悪いのに。男性が神様のように思えた。食べながら涙ぐんでしまい、鼻をジュクジュクとすすりながら牛丼の特盛を一つ空っぽにした。缶ビールの残りをゆっくりと飲むと、ホームレスだった自分が普通の人間に戻ったような気持ちになった。

お腹が一杯になった。元々小食なのに、毎日生きながらえるのに最小限の食糧しか口にしない毎日が続いていたので胃が小さくなったのだろう。

「無理をせずに後でお腹が空いたらもう一つの牛丼を食べればいい。もっと欲しければ買ってきてあげるから」

男性の優しい言葉に、ホロっと来てしまった。
「ありがとうございます。まるで神様と出会ったみたいです」
と涙声で言った。

「失礼だが、臭いと汚れから推測すると、君は所謂その……ホームレスというやつか?」

「はい、ご指摘の通りです」

「若いのにどうしてホームレスをしているんだ? 信条として自由を大事にしたいから昔で言うヒッピーのような生活をしているのか?」

「若いのにどうして?」その言葉はこれまで何度か傷つけられた心無い中高年男性の言葉と同じだった。しかし、この男性には軽蔑、侮辱、不信、偏見の気持ちがないためだろうか、僕は少しも不快とは思わなかった。

「一度ホームレスに落ちてしまうと這い上がるのは至難の業なんです。ずっと這い上がりたかったんですが……」

「君には、何というか、悲劇的な外観とは裏腹に、教養と心の余裕が感じられるんだ。どんな事情があったのか、話してみないか。いや、話したくなければ黙っていてもいいんだよ。聞けば助けになれるとは言わないが、話すと気持ちがすっきりするということもあるから」

悲劇的な外観と言われて、風呂を出た後でも僕の外観に悲劇的な要素が残っているのだろうかと気になった。男性は自分の不用意な言葉が僕に与えた影響に気づいたようだった。

「不適切な表現をして申し訳なかった。表現しにくいんだが、風呂から出て来た君をひと目見て、マッチ売りの少女を連想したんだ。無力で、今にも壊れそうで、マッチの火が消えると天に召されそうな雰囲気を称して悲劇的な外観と言ってしまった」

「天に召される前のマッチ売りの少女ですか……」

男性の言い訳で納得したわけでは無いが、悪意が無い事はよく分かった。それにしてもマッチの火が消えたら死ぬなんて縁起でもない。僕にはもっと生命力がある。だから今日まで生き延びられたのだ。

「僕は二十三歳です。一年前に福島の大学を出て東京の上場企業に就職しました。レストランチェーンと老人介護を二本柱とする会社で、僕は最初の半年間、山梨県の老人介護施設で勤務しました。施設に併設された従業員寮で寝泊まりしながら介護の仕事に明け暮れました。シフトを勝手にどんどん増やされたり、土・日も無い厳しい勤務でした。ブラック企業とはこういうものなのかと気づきましたが、介護の仕事はとてもやりがいがありました。僕が介護を担当しているおじいちゃんやおばあちゃんが元気に笑うのを見ると疲れは吹っ飛びました。僕は男性としてはかなり非力ですが、同僚の殆どは女性ですし、コツを覚えると同僚と同じように大抵の仕事ができるようになりました。充実した毎日でした。

転機が来たのは十月です。その企業の業績が急激に悪化したのです。老人介護事業は収益部門だったらしく、売りに出されました。大手の企業が飛びついて、売却が実現しました。しかし、僕のように本社から介護施設に派遣された人間は事業譲渡の対象から外され、僕は飲食部門に配置転換されたのです。飲食部門は赤字部門で、もともと人件費節減のためにブラック企業的な傾向があったのが、立て直しのために更に酷くなりました。僕は毎日朝から夜中までこき使われ、土曜日も日曜日も無く奴隷のように働かされました。僕が配属された店は店長が人間味の無い最悪の上司で、人員整理の目的も兼ねて僕は毎日怒鳴られ、罵られました。そのうちに僕の頭の中は空っぽになって、まるで廃人のようになってしまいました。結局、十一月の中旬に、午前一時ごろ後片付けをしている途中に小突かれながら罵倒されて、僕は半狂乱で店を飛び出しました。会社の寮で寝泊まりしていたのですが、翌朝寮に行くと僕は既にクビになったとのことで、荷物と一緒に放り出されました」

「しばらくは失業保険で暮らしていたんだね」

「いいえ、僕は正社員として雇われていると思っていたのですが、バイトと同じ扱いにされていて社会保険には加入していなかったことが分かりました。正真正銘のブラック企業だったのです。財布に入っていた二万円ほどのお金でネットカフェに寝泊まりしてバイトをしていましたが、病気になってしばらく働けなくなり、財布が空っぽになってネットカフェを出るしかありませんでした。スマホを売ったりして一週間食いつなぎましたが、アルバイトにはありつけませんでした。気がついたらインターネットを含め通信手段が全く無いホームレスになっていました。山谷で日雇いの仕事にありつけない限り、炊き出しが頼りの毎日でした」

「実家を頼ることは出来なかったのかね?」

「僕は震災で両親を失い、遠い親戚のおばあちゃんに引き取られて大学まで出してもらいました。でも、おばあちゃんは僕が就職してすぐに亡くなり、家や財産は僕が知らない人たちが相続しました。僕には帰るところはどこもないんです」

「大変だったね。よく頑張って生きて来た。立派だった」

男性は僕の手を強く握ってくれた。僕は涙が止まらなくなり、大声で泣いた。声を出して泣いたのは久しぶりだった。熱い涙で心が洗われた。

「君が働けそうな所を当たってみてあげよう」
男性はスマホを取り出して電話をした。

「富永君、大森だ。ああ、実は事故に遭って今日は行けなくなったんだ。明日の午前中に行くから時間を開けておいてくれ。ちょっと聞きたいんだが、今度退職する杉野美佐の後釜の募集をかけていたね。そうか、明日もインタビューをするのか。実は丁度いい候補者が居るんだが考えてくれないか。二十三歳の男性だ。知ってるよ。ちょっと訳アリなんだが、真面目そうな人物だ。そうか、やっぱりだめか……。分かった。明日もう一度話そう」

どうも不首尾に終わったようだった。電話の相手の声は女性だった。

「今話していた相手は東京の関連企業を任せている富永という社長だ。丁度退職者が出たので、そこに君を使ってくれないかと思ったんだが、女性じゃないと駄目らしい。東京の他の関連企業も当たってみてあげよう。それでもだめなら大阪の本社での採用を考えてあげよう。警備員の仕事に空きがあればいいんだが。もし空きが無ければ社内食堂とか、掃除係とか、中高年女性向けの仕事を当たってみよう。そのうち真面目に働いていれば大卒に相応しい仕事につけるチャンスを提供できるかもしれない」
電話で大森と名乗っていたこの男性は大阪の会社の社長のようだ。社内食堂がある会社なら相当な規模だろう。東京に複数の関連企業があるとはすごい。

「ありがとうございます。大阪でもどこでも喜んで行きます。電車代は貸していただく必要がありますが……。中高年女性向けの仕事でも、社食のおばちゃんのような仕事でも何でも結構です。僕、飲食関係なら勝手が分かっていますから直ぐにでもお役に立てると思います」

「よく言った。それでは就職の世話をしてあげよう。但し、同情すべき過去があっても、従業員としてひいきはしないよ。働きが悪ければクビにする。それを分かった上でついて来るか?」

「はい、よろしくお願いします」

「ところで、ビニール袋に入れてもあの服の臭いはちょっと耐えられないな。これからホテルの前のゴミ箱に捨てて来るよ。近くにドンキがあったから、ジャージーの上下でも買ってきてあげよう。必要なものがポケットに入っていたら出しておきなさい。その靴も服に負けないほど臭そうだからビニール袋に入れてくれ。安物のスニーカーか何かを買ってきてあげよう。君の靴のサイズは何センチだ?」

「今履いている靴は二十七センチですけど、僕は二十三・五センチ以上なら何でも大丈夫です」

そう答えながら僕はズボンのポケットからお守りの五百円玉を出し、ビニール袋に靴を突っ込んで臭気が漏れないように括りなおした。
「ああ、臭かった!」
僕は先ほどまで自分がどれほど臭かったのかを思い知った。浴室に入り石鹸で手を洗い直した。

大森は三十分ほど出歩いてから部屋に戻って来た。薄っぺらい安物のスニーカーと、明るいえんじ色のジャージーが入った袋を僕にくれた。「パンツは新しいのをひとつ余分に持ってきたからそれを上げよう」と言って、カバンの中から出したトランクスを渡された。

「君のそのホームレス・ヘアを何とかしなきゃならないと思って、百円ショップでハサミを買ってきた。もう一度裸になって風呂に入れ。私が髪を切ってやろう」

「社長の会社は散髪屋さんと関係があるんですか?」

僕は真面目に質問したつもりだったが、大森は
「わっはっは、まあまかせておけ」
と言った。僕の言葉のどの部分が笑いを誘ったのかは不明だった。

男どうしなので大森の前で素っ裸になった。大森は僕を浴槽の横の便器に後ろ向きに座らせ、耳の数センチ下の位置にハサミを入れて、真横に切っていった。僕は元々マッシュの髪型だったが昨年の夏に美容院に行って以来、忙しくて伸ばしっぱなしだったので髪の一部は首筋から肩まで掛かっていた。耳の下で切りそろえられて首筋がスースーした。

髪の毛が便器の中に入らないように注意しながら前向きに座り直した。むき出しになった陰部を大森に見られるのが恥ずかしくて、ペニスの根元を下に押し下げながら太腿をしっかりと閉じた。

「オイオイ、そのポーズは勘弁してくれ。君がそんな恰好をすると女に見えるじゃないか。第二次性徴が始まる前の少女をホテルに引っ張り込んで悪いことをしているような気分になってしまうよ」

大森が僕のおへその下を見ながら苦情を言ったので、僕は股を開いて男性であることが分かるようにした。

「前髪がうっとうしいな」

大森が櫛で髪全体を真下に下ろすように梳くと、前髪は口まで届いた。大森は丁度眉の位置にハサミを入れて、両目尻の間の約十センチを真横に切り落としてしまった。目にかからなくてスッキリしたが、これでは、おかっぱ頭だ。

「我ながらいい出来だ。悪いが、風呂の床の毛はきれいにしておいてくれ」

僕は風呂のドアを閉めて、二度シャンプーをしてからもう一度タオルにボディーソープをたっぷりつけて身体の隅々まで洗い直した。髪の生え際はカミソリできれいにした。ひと月ほど前に体中が痒くなって山谷のボランティア団体に貰った薬を塗って治っていたが、気になっていたので腋毛、陰毛から初めて身体中の毛をカミソリできれいに剃った。元々体毛は少ないが皮膚がツルツルになって気持ちよかった。もし痒みがダニのせいだったら、今後はもう大丈夫だろう。

床に散らばった髪の毛はトイレットペーパーで丹念に拭き取り、残らずトイレのゴミ入れに捨てた。シャワーのお湯をたっぷり使って身体と浴槽をきれいにして風呂を出た。バスタオルを腰に巻いてヘアドライヤーをかけると髪の毛がフワフワになってボリュームが出た。髪の毛がこんなにフワフワになったのは何ヶ月ぶりだろうか。

大森からもらったトランクスは想像以上に大きかった。買ってくれたジャージーの上下は大きすぎて、ブカブカだ。元々骨格が小さい上に、ろくに食べられない日々が続いたので、僕の身体は見るからに貧弱になっていた。
「MサイズとLサイズのどちらにするか迷ったんだが、小さすぎるよりは大きめの方が良いだろうと思ってLを買ったんだ」
と大森が言い訳をした。

「それにしてもパンツ一丁で見るとメチャメチャ小柄だな。普通の女性より小さいんじゃないか? この身体では警備員に採用するのは無理だな」

「僕は女性の平均よりはずっと背が高いんですよ。ホームレスになって以来ダイエットに励んだ結果少し体重を落とし過ぎましたが」
と言うと、大森は気まずそうに
「今のが冗談だとしても、ちょっと笑えないな」
と言った。

「色白だし肌も女性のようにきれいだな。君なら本社の食堂でオバチャンたちと一緒に働くのが無難かもしれない」

「ホームレスをやっている間、汗と埃とアカで身体中を保湿パックしてしていたようなものです。パックが分厚かったのでUV防止効果が十分だったんでしょうね。そこら辺の女性よりずっとお肌を大事にしていたことを自慢したいぐらいです。アハハハ」

僕は自分の口から出た冗談のセンスの良さに悦に入った。

「オエッ、さっきの臭いを思い出したよ。君の冗談はあまり好きじゃない」
大森に言われて意気消沈してしまった。

大森が買って来た靴はこれ以上安物の靴は中国にも売っていないだろうと思えるようなペラペラの赤いスニーカーだった。サイズは二十四センチと書いてあったが、僕の足には大きすぎた。栄養不足で足が縮んだのか、靴が大きすぎるかのどちらかだ。もう少しマシな靴を買ってくれればよかったのにと内心不満だったが、大森から
「ジャージーと靴の代金を合わせてもさっきの牛丼特盛三人前より安いから気にしなくていいよ」
と言われた。大会社の社長なのに経済観念がしっかりしていて好感が持てた。

大森が風呂に入る間、僕はジャージー姿でベッドの上に寝転がってテレビを見ていた。テレビは集会所とか待合所など色々な場所で見ることが出来たが、こんなにくつろいで清潔な場所でゴロゴロできるのは本当に久しぶりだ。自分で自由にチャンネルを変えることが出来ることも夢のようだ。

大森はベッドの上に分厚い財布をむき出しにして置いてあった。初対面のホームレスが居るホテルの部屋に貴重品を置いて風呂に入るとは無防備な人だなと思った。いや、実は財布の中の現金は少額で、大森は僕を試しているのかもしれない。僕は例え十万円の現金を目の前に置かれても持って逃げたりはしない。ホームレスから抜け出せるチャンスが目の前にあるのに、僕がそのチャンスを捨てるはずがない。

ああ気持ちいい。天国だ。僕はテレビを見ながらウトウトしてそのまま眠ってしまったようだった。


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カテゴリー: OLになる, 異性装・女装

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