「編み笠に揺れる性」と「男子総合職はOL?」 |

「編み笠に揺れる性」と「男子総合職はOL?」

踊り子(京都・徳島編)
踊り子(錦糸町編)
を再校閲を機に改訂再出版ました。

阿波の踊り子(就活編): 編笠に揺れる性
阿波の踊り子(新入社員編): 男子総合職はOL?

いわば前編と後編ですが、「(就活編): 編笠に揺れる性」は阿波踊りの女踊りをテーマにした小説で、「(新入社員編): 男子総合職はOL?」は文字通り男子総合職がOLとして扱われる「会社ものTS小説」であり、趣が基本的に異なる二つの小説となっています。その意味では②の表紙画像をオフィスものにした方が分かりやすいかもしれません。


 主人公は京都の大学四回生の板東鈴之助。

失恋後遺症に苦しむ鈴之助は夏休みに徳島の実家に帰省する。高校時代に憧れの同級生だった夏菜と再開し、夏菜に誘われて阿波踊りの連に加わる。

夏の夜、華やかな阿波踊りの渦の中で鈴之助は踊りに酔いしれ、魂を根底から揺さぶられる稀有な体験をする。

最愛の人を失い京都に戻った鈴之助は、既に関西の超一流企業への就職が内定していたが、悲しい思い出に満ちた関西から離れた所で就職したいと考えて遅まきながら就活を再開する。

大企業の大半は応募を締め切っていたが、東京都内の上場目前の中堅企業で採用枠が残っている会社が見つかった。そこは五年前に一般職を廃止し、派遣も採用せず、全員が総合職で、女性社長が男女差別を排除し、有休消化率が業界最高レベルで、徒歩圏にある独身寮の寮費月額が二食付きで一万五千円というユートピアのような会社のようだった。

社長面接を受けて一発内定をもらった鈴之助は新天地で頑張ろうと決意する。


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性転のへきれきTS文庫
著者:桜沢ゆう

阿波の踊り子

第二章 深津真凛

土、日と泣き明かしたが、月曜日には授業に出られるまでに回復していた。教授がしゃべっていることは耳に入るし意味も理解できるのだが、僕とは無関係な話をしているように感じられた。心の真ん中にポカンと穴が開いていて、自分が自分とは思えなかった。

それにしても人間とは強いものだ。亜美から電話で別れ話をされたのが木曜の夜、大阪で会ったのは金曜の夜で、その時はもう自分は生きている価値がないと感じたし、四条河原町で電車を降りてから道を歩いていて正面から自動車が迫ってきても避けようとは思わなかった。二日半経った今、心は空虚でも僕はちゃんと食事をして、赤信号では止まり、授業に出て、泣きもせずに普通の顔をして大学構内をたむろしている。泣いていないのは涙が枯れたせいでもあったが、時が経つにつれて心も身体も徐々に元通りになろうとしている。ひょっとしたら二、三週間もしたら普通に笑えるようになり、二、三ヶ月経てば亜美のことを忘れて、他の女性に恋をすることができるようになるのかもしれない。

火曜日の朝の授業が終わり、西部講堂の食堂でカレーと納豆の昼食を食べていると、深津真凛から声をかけられた。

「ここ、空いてる?」
真凛は僕の返事を待たずに、トレイをテーブルに置いて僕の対面の席に座った。

「亜美から聞いたわ。残念だったわね」

悪気がないとは分かっていたが「残念だったわね」と言われて「うん残念だった」と答えられるような問題ではなかった。「深津さんがあんな女を紹介するからだ」と文句を言いたかったが、いくら消耗していても僕はそんなことを言う人間ではない。

「こんなことを言ったら怒るかもしれないけど、板東君に合ったタイプの子じゃなかったかもしれない」

僕はさすがにムッとして
「山村さんから別れ際に、僕には深津さんみたいなタイプが向いてると言われた」
とイヤミのつもりで言った。亜美が僕にそう言ったということを、きっと真凛は聞かされている。

「何それ。私をナンパしてるつもり? 悪いけど、今は男女交際とか興味ないの。就活はほぼ決着がついたから、社会に出て実力を発揮することに集中したい」

そう言えば真凛は就活が本番に差し掛かったところだった。それなのに僕のことを気にかけて話しかけてくれたのだ。

「そうか。先週、就活で東京に行ってきたんだっけ。内定をもらったんだね。おめでとう」

「まあ、内定をもらったことイコールおめでとうになるような会社ではないけどね」
謙遜と恥じらいが混じった表情で真凛が言った。

「何という会社なの?」

「まだ社名は言いたくない」

「どうして? 今年は売り手市場だから京大卒で顔もスタイルも抜群の深津さんなら引く手あまたじゃないの?」

「どうしてそこに顔とスタイルが入ってくるのよ」
と真凛は怒った口調で言った。僕は半分以上お世辞で言ったのに、当然の事実と受け止められたうえで腹を立てられたのでは割に合わない。

「女性は美人だと就活で得をするというのは常識じゃないか」

「板東君はもう少しまともな感覚の人かと思った。がっかりだわ」

「美人と言ったのに何を怒ってるんだよ。失恋した僕を慰めようとして話しかけてくれたんじゃなかったの?」

「あ、そうだった!」
真凛はおどけた様子で頭を掻いた。少し白けていたものの僕たちは顔を見合わせて笑った。

「電機大手のS社との役員面接のために東京に行ったんだけど、高校のバスケ部の先輩で東大に行った雪村さんという人がS社に就職したのを知っていたから、アドバイスを聞こうと思って個人的にメールでアポを取っておいたのよ。役員面接は上手くいったんだけど、その夜雪村さんと食事をした時にショッキングな話を聞かされたの。雪村さんは八月にS社を辞めて九月から中堅企業に転職するということだった」

「S社は就活人気ランキングでもトップクラスだよ。ブラックな会社とは思えないけど、転職の理由は何なの?」

「セクハラの連続というか、日常的に差別を受けたんだって」

「信じられないなあ……。分かった。すごくブサイクとか? それに東大卒の女性は気位が高いから」

「また私をがっかりさせることを言う。S社は板東君みたいな男ばかりがのさばっている会社だったということかな」

「変に絡まないでよ。まあ、就職する前に実態が分かってよかったじゃないか。その人と会わなかったら深津さんも同じ目に遭ったかもしれないんだから」

「まあね。もし何も知らずに就職していたらと思うとゾッとするわ」

「で、その話と、中堅企業の内定がどうつながるの?」

「雪村さんの転職先の会社に私も就職することになったのよ。雪村さんがその場で社長に電話して私を紹介してくれた。驚いたことにその半時間後に社長が私たちのいる飲み屋まで来てくれたのよ! 感激したわ。その社長も東大卒でS社に入社したけど、女性の扱いに幻滅して退職した人なんだって。退職後まもなく起業をして、十年で従業員二百名の立派な会社に育て上げたのよ。すごいわ」

「高学歴女性が三人意気投合したってわけか。そのシチュエーションなら入社は断れないよね」

「高学歴女性という言葉でひとまとめにするところに板東君の視野の狭さが表れてる。私の意識としては、三人の共通点は自分で自分の道を切り拓く気概があるということよ。それに社長と雪村さんは東大バスケ部つながりで、私も高校までバスケをしていたから、二つ目の共通点はバスケ部よ」

「体育会系の女性三人か。どうせ僕は体育会の経験は無いから仲間には入れないね」

「悪いけど坂東君が私たち三人の仲間に入るのは不可能よ。私たち三人にはもうひとつ共通点があるの。三人とも身長が百七十以上なのよ」
と深津は顎を上にしゃくって勝ち誇ったように言った。

「異性の身体の欠点を指摘するのはセクハラだよ」

「それも聞きかじりのセクハラ論よね。女性が自由に力を発揮できる職場環境という話題について板東君と話すのは時間の無駄みたいだわ」

真凛が僕に腹を立てているポイントがつかめなかったが、女性には誰でも理屈が通らなくなる時期があるから、いちいち反論することは控えた。

「雪村さんがS社で受けたセクハラとは実際にどんなものだったの?」

「典型的な女性差別よ。まず、入社の日から東大卒の女性として特別扱いされる。同じ職場の配属になった男性は新入社員として厳しく扱われるのに、雪村さんは事あるごとに持ち上げられる。役員や部長からわざわざ声をかけられるし、毎日のように『東大卒の女性』とか『モデル系美女』とか『才媛』とか言われる」

「それがどうしてハラスメントなの? 僕から見ればうらやましい限りだけど」

「社長が雪村さんの話を聞いて、自分も同じ気持ちだったと言っていたわ。私たちは同期の社員と同じ土台で競いたいのよ。女性であることとか、出身大学とか、身長や外観ではなく、仕事をする能力によって認められたいのよ」

「女性であることで認められやすくなる状況がどうしていけないの? モデル体型の美女だから目立つということなら、それを武器にして自分をアピールすればいいじゃないか。競争社会を生き抜くためには、自分が周囲の人より秀でている点を冷静に分析して、自己アピールに活用すべきだと思うよ」

「女性であることを『自分が周囲の人より秀でている点』と考えるべきだと言うの? 役員や部長が女性の部下を褒める言葉には通常、言外の意が含まれている。女性なのに東大を出ている、女性なのにこの会社で男性と同等に扱われている、男性にひれ伏すべき立場の女性を自分は寛大にも持ち上げてやっている。つまり、女性は男性より下であるという意識が前提となっているのよ」

「それ、被害妄想じゃない? 僕のように本質的に男性より女性の方が賢いと考えている人も多いと思うよ」

「板東君の場合はたまたま日常的に自分より頭が良くて背が高い女性と接しているからそう思うのかもしれないけど」

「暗に自分のことを言ってない?」

「暗にじゃなくて事実を言ってるんだけど。今は可愛い系でいじられる側の板東君でも、就職したら男性が支配する企業風土に染まって、同じように考え、行動するようになるんだわ」

「こう見えても僕は芯がブレないからどんな環境に放り込まれても女性を下に見るようには絶対にならないと言い切れる。でも僕っていじられキャラだと思われてるの?」

「可愛い系と言われて否定しなかったのが板東君らしいわ」
と腹の立つ前置きをしてから真凛は話を続けた。

「これは殆どの女性が経験するらしいんだけど、入社後の歓迎会ではその席で一番偉い上司の横に座らされる。同期入社の男性は末席に座らないと叱られるのに」

「さっきの繰り返しになるけど、それは女性であることのメリットだよね」

「でも、お酌をすることを当然のこととして期待されているのよ」

「そりゃあ、偉い人にしてみたら、男からお酌をされるより若い女性に『どうぞ』と言ってもらった方がうれしいよね。そのぐらい我慢しなきゃ」

「お酌を二、三回するだけで終わるなら我慢もするさ。実際には上司は徐々に増長してきて性的な話題を出したり、胸や太ももまでは手を出さないにしても肩や手にタッチしてくる。社長も雪村さんも入社直後の歓迎会でタッチされたそうよ」

「お酒が回ってつい手が出ちゃったということか。でも、二人ともそれだけ美人だったという自慢にも聞こえるけど」

「もうちょっとマシな人かと思っていたけど、板東君にこんな話をした私がバカだった。S重工に就職して、そのうちセクハラで訴えられればいいんだわ」

真凛は心から落胆したという表情で立ち上がり、まだ半分も食べていない昼食のトレーを持って別のテーブルへと移動した。そこまで腹を立てるとは思っていなかったので真凛の冷淡な仕打ちに当惑した。真凛との会話を思い出すと、確かに無神経な発言もしたかもしれないが、今日の僕は失恋して身も心もボロボロなのだから多少の失言は許してほしいと思った。

それと同時に、まだ内定段階なのに将来受けるセクハラについて考えすぎてS社を蹴って中堅企業に就職することにしたとは驚きだった。就職先の選択という人生で極めて重要な問題に関して、感情に任せて軽率な行動に走るとは、真凛も所詮女性だったということだ。

いや、今の表現はちょっとセクハラ気味だったかもしれない……。

その日から真凛は口をきいてくれなくなった。ハイメイトの部室で顔を合わせると視線を逸らして部屋の反対側に行ってしまう。一週間経っても真凛の僕に対する態度に変化はなかった。どうしてそれほど怒るのか信じられない気持ちだった。

「この間はごめんなさい」と謝りに行こうかと何度か思ったが、真凛のことだから「どの点についてごめんなさいなの?」と問い詰められつと思った。その際に僕が言えそうな返事は「無神経な発言で深津さんを傷つけたこと」ということになるが、「具体的にどの発言が無神経で、私がなぜ傷ついたの?」と聞かれたら返事に窮することになる。正直なところ、自分が真凛に何を言ったのか、よく思い出せなかった。

真凛に疎遠にされて、僕がハイメイト・コーラスで真凛以外に何でも話せる友人がいないという現実に気づいた。入部した頃は面白くて面倒見のいい先輩が沢山いたし、同期の部員も何人かいた。毎年先輩が卒業して、同期の部員は一人減り二人減りで真凛と僕だけになった。勿論、下の学年に感じのいい部員は大勢いるのだが、僕は自分より若い人から敬語で話しかけられるのはどうも苦手で、先輩から可愛がられる方が心地よかった。

真凛に異性としての興味を抱いたことは一度もなかった。正直なところ真凛に女の子らしい魅力は皆無に近い。僕は本来背の高い女性に魅力を感じるタイプで、真凛は百七十センチ以上あって顔も美人の部類だが、言動とか雰囲気に女性らしさがないから、僕にとっては男友達のようなものだ。いつもジーンズ・パンツと、カジュアルというよりはファッション的な見地での工夫が感じられないシャツやセーターを着て登校する。スカート姿になるのは合唱団の公演の時だけだが、まるで性同一性障害の女子高生が意に反してスカートを強制されているかのような雰囲気が漂っていた。

コーラスでの話し相手を失って、寂しいというより居心地が悪かった。こういうことは時が解決してくれるものであり、夏休みが終わるまでには真凛の機嫌も治っているだろうと期待した。

京都での最後の夏だったが、夏休みは鳴門の実家で過ごすことにした。京都の町のそこここに亜美との思い出が詰まっているので、京都には居たくなかった。とりわけ四条河原町界隈から鴨川べりにかけての一帯は歩くのも辛かった。夏休みが終わったら、卒業するまでの半年間を耐えれば、四月からは大阪のS重工の独身寮に住むことになるから、亜美との思い出の呪縛から逃れることができる。S重工は一般職社員に美人を採用することで知られている。亜美には及ばないにしても可愛い女の子と出会って新しい恋を見つけられるかもしれない。

第三章 浅利夏菜

鳴門には何もない。海と、渦潮と、強すぎる陽射し。阿波踊りの時期を除くと活気もない田舎だ。阿波踊りも中心は徳島市であり、僕も四日間は徳島市に入り浸りになる。自宅から一キロメートル以内に同じ高校の友達は住んでいない。鳴門市は徳島県の第二学区なので、第一学区の徳島市の高校に越境入学できるのは成績上位数パーセントの優秀な中学生か、県内全域の中学生が受験できる城之内高校に行くしかない。僕は前者なので友達の大半は徳島市に住んでいる。

中学は鳴門教育大学付属中学だったが、笑えることに鳴門市ではなく徳島市に所在する中学だ。元々徳島大学付属中学だったのが、徳島大学の教育学部が鳴門教育大学として独立した結果、付属中学は名前だけが鳴門になったのだ。徳島県全体の優秀な小学生が受験する中学だから中学の友達は徳島市を中心に県下全域から来ている。僕の実家から一キロほど離れた所に付属中学の同窓生が一人だけ住んでいるが、その女子とは中学三年間で二、三度言葉を交わしただけの仲だった。

実家の周囲に友達が居ないというのは気楽で好ましい状況だ。道を歩いていて声を掛けられることはなく、人の目を気にする必要がない。近所の大人で僕が歩いているのを見て「板東さんのところの息子だ」と認識する人が何人いるだろうか? 友達に会いたいときにだけメールなどで連絡を取って徳島に行けばいい。バスに乗るか、自宅から徒歩数分の撫養駅に行ってJR鳴門線に三十分ほど乗れば徳島駅に着く。

徳島市はこじんまりしていて居心地がいい町だ。徳島駅を出ると目の前にデンと眉山びざんが見える。徳島駅と眉山ロープウェイを結ぶ七百五十メートルの道路に沿って、商店街、飲み屋、レストラン、ホテル、新町川公園、そごうデパートまで何でもある。新町橋を渡って、東新町のアーケード通りを抜けると秋田町という徳島県最大の歓楽街がある。歓楽街といっても妖しい所ではなく、学生が利用する飲み屋も沢山ある便利な場所だ。

帰省してすぐ、中学、高校を通じて仲が良かった宇野にメールをして会いに行った。宇野は徳島駅の近くに家があり、徳島大学医学部の四年生だ。僕は宇野を誘って「滝の焼き餅」を食べに行った。県外では知られていないが、僕にとって徳島で一番美味しいお菓子は滝の焼き餅だ。土産物屋でも売っているが、本物の焼き餅を食べたければ、眉山のふもとに何軒かある店に行くのがお勧めだ。店頭の鉄板の上に米粉で作った薄皮を伸ばし、こし餡を乗せてさらに薄皮で覆い、その上からこてで押さえる。数分焼くとこんがりとした小判型の焼き餅が出来上がる。僕が好きな店はロープウェイ乗り場の手前を右折して寺町に進み、お寺の並ぶ山沿いの道を少し上ったところにある店だ。店頭の緋毛氈を敷いた座席か奥の和室で日本茶と一緒に味わうことができる。

「風流だよね。京都の嵐山の桟敷で茶菓子を食べている気分だ」
一口噛むと素朴な甘さが口に広がる。

「京都には負けるかもしれないけど、ここはいいよね」
と宇野が素直に同意した。

「自然を感じながら焼きたてのお菓子を食べられる所って、めったにないと思うよ」

「きれいな女の子が一緒ならもっと楽しいだろうけど」
と宇野がニヤニヤしながら言った。

「医学部はいいよね。看護学部との合コンとか毎週のようにあるんだろう? うちの高校から薬学部に行った子も美人が多かったから、選り取り見取りだね。うらやましいよ」

「時代錯誤じゃないの? 医学科は男女比率が六対四を切ったんだぞ。医学部の医科栄養学科と保健学科を含めると医学部は女が男の倍もいる。板東みたいに女子を軽視する発言をしていたらひどい目にあうぞ」

「いつ僕が女子を軽視する発言をしたんだよ」

「医療に従事する女性が男性の医師に選り取り見取りされるという発想が頭の根底にあるだろう?」

「現実的にそうなんじゃないの?」

「確かに医学科の男子学生や若い医者は、かなりの売り手市場だからその気になれば女の子は手に入る。身長が女性並みの男でも、寄ってくる女性はいくらでもいるぞ」

「それ、僕を念頭に置いた発言だよね? 言っとくけど僕は百六十三センチであって、女子の平均より五センチも背が高いんだけど」

「誤解だよ。板東は男前というか、美形だから、仮に京大じゃなかったとしても女はいくらでも手に入るさ。俺が言いたかったことは、うちの医学科自体でも十人に四人が女性で、男女は完全に対等な環境だということだ。今は栄養学科でさえ十人に一人は男だし、保健学科になると十人に三人が男だ。板東みたいに医者は男性、ナースは女性、女医は女医、なんて考え方をしていたら医療の世界では生きていけない状況になってる。俺はそれを言いたかったんだ」

「ふうん……それは大変だな。僕、医学部を受けなくて正解だった」

「そういう問題じゃないと思うけど」

「僕はS重工に内定してるんだけど、総合職は大半が男性で、一般職は外見や性格を能力以上に重視して選考された女性だ。昔からの日本の価値観が受け継がれているという点で恵まれた環境かもしれないな」

「日本の屋台骨を支える大企業の若手社員がそんな考え方をしているとは残念だ。だから日本は女性の社会進出が遅れていると欧米からバカにされるんだよ」

「そこまで真剣になるなよ。僕の部活の友達の深津真凛みたいなことを言うんだな」

「そいつはお前の彼女なの?」

「まさか! 外観を含めて八割以上男性という感じのやつだ」

「正月に会った時には彼女が居ると言ってたよな。就職したら結婚する予定だとか聞いた覚えがあるけど、相手は男みたいな人だったのか?」

「傷口に塩を擦りこむなよ!」

失恋の話をすると涙が出るので話したくなかったが、宇野にせがまれて悲恋の物語を話して聞かせた。意外だったことに涙は一滴も出なかった。先週までなら思い出すだけでも苦しかったのに、ロマンチックで悲しいストーリーがすらすらと口から出てくることに驚いた。男どうしの親友を持っていることの良さとはこういうことなのだろう。

「まあ、多少脚色されているにしてもそこそこの美人だったんだろうな」

「脚色? とんでもない、写真を見せてやる」

僕はスマホを開いて亜美の写真を見せた。グーグル・フォトにアップロードしてあるから、宇野が望むなら八千枚の画像を全部見せることもできる。

「これは確かに感動的だ! 徳島だと滅多にお目にかかれないレベルの美人だな」

「分かればいいよ」

「しかし、板東向きではない」

「また深津真凛みたいなことを言う。どこがどう向いてないんだよ?」

「この手の美人は男を自分の従属物として扱う傾向がある。表向きには彼氏を立てて彼氏についていく自分を装っていても、本心では自分に都合がいい男を選んでその男の人生を自分のものとして利用するんだ。その手の女から見ると板東は頼りなさすぎる。板東はある程度自分を引っ張って行ってくれる女と付き合う方がうまくいくと思うな」

「うーん……。宇野君以外から言われたら怒るところだけど、亜美について確かに思い当たる点はあるかも」

「その、深津真凛という女の写真はないの?」

「確か去年の大学祭の時に撮ったやつがあったはずだけど」

グーグル・フォトで十一月祭の日付までスクロールダウンするとその写真はすぐに見つかった。ハイメイト合唱団のチャットスペースで真凛と並んで立っている写真だった。真凛がわざと背伸びをした瞬間にシャッターを切られた写真なので、僕の背は真凛の肩までしかない。人には見せたくない写真だった。

「これ、女? 美人というよりはイケメンだ。でも女と思ってよく見ると結構レベルが高そうだな。板東の相手としてはさっきの振られた女よりこの女の方がずっと似合ってるよ、アハハハハハ」

「何がアハハだよ?」

「男女が逆なら美男美女だよな、アハハハハハハ」

「だから見せたくなかったんだ……」

宇野が写真で真凛の顔を見てレベルの高い美人と評したのは意外だった。三年余りの間、異性と思わずに接してきた。それ程の美人なら、もっと気を使っておくべきだったかもしれない。しかし、真凛と並んで京都の町を歩くのはムリだ。僕一人が笑いものになってみじめになる。やはり釣り合う相手と付き合うのがいい。亜美は僕と同じ百六十三センチであり、長身女性が好きな僕にとって何とか釣り合うギリギリの身長だった。

宇野と話していて亜美が僕の人生にとって最高の女性ではなさそうだったということが分かった気がした。失恋から脱皮できる時も意外と早く訪れそうだ。宇野に感謝しなければならない。僕は女性を外観で判断しすぎる傾向があるのかもしれないと反省した。

「そうそう、浅利夏菜なつなを呼び出してやろうか?」

「ど、ど、どうして浅利さんの名前が出てくるんだ……」

「そこまであからさまに狼狽するとは板東らしいな。板東の高校時代の憧れの女性じゃないか」

「知ってたの?」

「品行方正で優等生の板東が世界史の授業中に浅利さんをボーッと見ていて、先生に当てられたのに返事しなかったから叱られたという話は有名だぞ」

「えーっ、まだそんなことを覚えていたのか」

「四月に薬学部との飲み会で浅利さんの隣に座った時にその話をしたら浅利さんもなつかしそうにしていたよ」

「ひどいよ! 本人に言うことはないじゃないか」

「満更でもなさそうだったぞ」

「浅利さんほどの美人なら彼氏がいるんだろうな」

「俺がそう言ったら『彼氏募集中よ』と言っていた。薬学部の美人というものは売り手市場だから卒業後に医者か製薬会社の男を物色しようと在学中はデンと構える傾向にある。だからまだ板東にもチャンスがあるんだよ。当たって砕けろだ。電話してやる」

「待ってくれ。きっと断られるよ……」

宇野はあたふたしている僕を無視して電話をかけた。すぐに応答があり、なつかしい浅利の声が洩れ聞こえた。

「板東鈴之助君と滝の焼き餅を食べているところだけど、板東が結婚するつもりだった女に捨てられたらしくて見るも哀れな様子なんだ。ちょっと来て慰めてやってくれない?」

小声で「そこまで言うか」と宇野に抗議したが、意外なことに夏菜は「いいわよ」と二つ返事で引き受けてくれた。夏菜は佐古二丁目に住んでおり、車で五分とかからないのでこれから焼き餅屋まで来てくれるという話がまとまったようだ。

夏菜とは二年前の夏休みの同窓会でお互いに「久しぶり」と挨拶を交わしたことがある。その約二秒間の会話が高校卒業後唯一の交流だった。もっとも、高校時代にも親しく会話したことがあるわけではない。廊下ですれ違うたびにドキドキしながら憧れの視線を向けて、それに対して夏菜がいつも好意的な反応を返してくれていたという仲だった。

ただ、好意的な反応というのは僕がそう感じただけで、夏菜の側に好意の意識は無かったかもしれない。モテる女の子は外観が美しいだけでなく、相手に好意があると思わせる仕草が基本動作になっているものだ。だからモテると言ってもよい。僕自身それが分かったのは最近のことであり、社会人になったら会社の上司や同僚から「こいつは俺のことが好きなのだ」と思われるような動作を身に着けようと考えていたところだった。

半時間ほどして駐車場から石段を登ってくる女性の姿が見えた。ヒマワリの模様のノースリーブのワンピースを着た若い女性だった。風に舞ったスカートが真上からの陽光を浴びてクジャクのように輝いた。僕は思わず立ち上がってその美しい女性が近づくのを待った。

「板東君、久しぶりやね」

「ご、ごぶさたしてます……」

「三年半ぶりなのに全然変わってへんわ」

母と姉妹が話す徳島弁の女言葉は聞きなれているが、夏菜が話すと色っぽく感じた。二年前の同窓会で「久しぶり」と挨拶したことを忘れているようなのは残念だが、美人なら許されると思った。

「浅利さんは高校の時もきれいだったけど、大人の女性という感じになってる」

「お世辞でもうれしいわ。世界史の授業中に私のことを見ていて先生に立たされたんよね。あれはうれしかったから今でも覚えとるわよ。ありがとう」

「立たされはしなかったような……けど浅利さんが覚えていてくれてよかった」

「婚約者から一方的に捨てられたんやて? かわいそう」

「いや、婚約ではなくて、勝手に僕が結婚するつもりでいただけだったというか……」

「きれいな人だったん?」

「まあまあかな。浅利さんの足元にも及ばんけど」

「よう言うわ。ミス武庫女とか自慢しとったくせに」
と宇野が余計なことを言い出したので冷や汗をかいた。

「私が慰めてあげようか?」

「えーっ、ほんまに?」

夏菜の思いがけない言葉に驚いた。いくらなんでも話がうますぎる……。

「一緒に阿波踊りで踊ろうよ」

「いや、僕は踊るのは苦手で……」

本当のところは踊り自体は得意な方だが、一回生の時に京都大学連で踊ったのが苦い思い出として心に残っていた。阿波踊りの衣装は男は足袋であり靴と違って上げ底ができないから百六十三センチの身長がもろに出てしまう。知り合いから「お前ってこんなにチビだったのか」と呆れたように言われて傷ついた。女は高い下駄に編み笠なので、見上げるように背が高くなる。京都大学連の場合、関西の女子大の学生が一緒に踊りたがって寄ってくる。演舞場で踊っている間はいいのだが、次の演舞場まで歩いたり、休んだりしている間、ほとんどの女子から見下ろされるのが辛い。たまたま京都女子大から来た背の高い女子が京大連の男踊りに加わっていたのだが、両国本町演舞場で踊った時に彼女に言われた言葉がトラウマとして残っている。

「あらっ!? 京大連にも男踊りをしている女性が一人いると思っていたのに、胸が平らということは男だったのね! あんた、女踊りをした方がいいんじゃない?」

彼女は酔っぱらっていたからそんな失礼なことが言えたのだろうが、一緒に歩いていた男性二、三人から「俺もそう思っていた」とか「その通りだけどはっきり言いすぎだよ」とか「京都女子大の衣装を貸してもらえ」などと冷やかされた。

結局僕はその日の打ち上げにも参加せずに鳴門に帰り、二日目からは体調を崩したことにして踊りを欠席したのだった。

「私が手取り足取り教えてあげるから」
と夏菜に言われて、苦い思い出が吹き飛んだ。

「ほんまに手取り足取りしてくれるん?」

「ほんまよ。約束する」

「けど、浅利さんは薬学部の連で踊るんやろ?」

「違うわよ。『笑わ連わらわれん』という小さな連よ。有志でやってるんやけど、人が足りんのよ。板東君みたいな子が入ってくれたら助かるの」

阿波踊りの連の名前は有名どころだと「のんき連」とか「大名連」などがあるが、要するに言葉の最後に「連」をつければいい。「笑われん」というのは徳島弁で「笑うな」という命令形だが、語感的には「笑わないでよ」に近い柔らかさが感じられる言葉だ。

「『笑わ連』という名前には魅力を感じるな。ほんまに浅利さんが手取り足取り教えてくれるんだったら、やってもいいけど……」

「マンツーマンで教えてあげる。衣装も用意するから、板東君は来てくれるだけでええんよ」

「浅利さんって何センチ?」

「いきなり女性にサイズを聞くの? 板東君と同じぐらいやと思う。百六十三」

「一緒なんや。阿波踊りの恰好をしたら浅利さんの方が十センチくらい大きくなるよね。女踊りはつま先立ちで背筋を伸ばして踊るし、男踊りは腰を落とすから、僕は浅利さんより二十センチは小さくなってしまう……」

「アホやなあ、そんなことを気にしてたん? ほな、板東君が身長のことで恥ずかしい思いをしなくていいようにしてあげる」

「どうやって?」

「私にまかせてくれたら、何もかもやってあげる。その代り私の言う通りにすると約束してくれる?」

「分かった。ほな、浅利さんに任せる」

「板東君は男性としては小柄で細身やけど、頭が小さくてバランス抜群の体形やから、すごく恰好いいのよ。私、高校の時から板東君てきれいな子やなあと思うて見てたんやから」

「浅利さんにきれいと言われたらお世辞と分かっていてもドキドキする」

「本番までに三回ぐらいしか練習できへんけど、とりあえずこの土曜日に時間を空けてくれる? リーダーの家に行って挨拶かたがた衣装を取りに行ってから、私の家で二人で練習しよう」

「浅利さんの家で二人っきりで?」

「そうよ。手取り足取り教えてあげるって、約束したでしょ?」

顔は火照るし、心臓が宇野の耳にも聞こえそうなほどドキドキと音を立てている。宇野は僕と夏菜のやりとりを黙って見ていたが、呆れ顔だったのが羨望に満ちた表情になってきた。

「宇野君も一緒に踊りたそうな顔をしてるみたい」

「笑わ連の欠員は一人だけなんよ。板東君やないと無理。それに宇野君はたけのこ連で忙しいから」

たけのこ連とは徳島大学医学部の連だ。たけのこが育つと竹藪たけやぶになるので、やぶ医者の卵が踊る連というシャレた命名なのだ。

「ああ、俺も失恋したかったなあ!」

宇野が嘆くのを見て僕は優越感に浸った。


続きを読みたい方は以下をクリック:
阿波の踊り子(就活編): 編笠に揺れる性
阿波の踊り子(新入社員編): 男子総合職はOL?


カテゴリー: OLになる, 異性装・女装

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