新作「過去からの呪文」を出版しました(日英TS文庫)


桜沢ゆう性転のへきれきシリーズの姉妹文庫、日英TS文庫の新作「「過去からの呪文」は3月11日に出版した英語小説 “Voices from the Past”の日本語翻訳版です。主人公のピーター・ライトはロンドンに住む21才の若者です。大学を卒業したばかりですが、シェイクスピア・シアターに演劇を見に行った時に、隣に立っていた同年代の女性リビーと知り合い、意気投合して結婚します。新婚旅行先を決めるにあたって、ピーターの頭に浮かんだのはインドのコルカタでした。ピーターは両親の仕事のせいで8才から10才までの2年間コルカタに住んでいたことがあるのですが、そのころの記憶は殆どありませんでした。コルカタに行くと二人はカーリー寺院というガンジス河畔の有名な寺院に観光に行きます。カーリー寺院で瞑想をしている時、地底から湧き出るような声がピーターに聞こえ、寺院を出てガンジス河畔に向かうよう命令されます。言う通りにしなければリビーを殺すとその声に脅迫されます。ガンジス河畔で沐浴している人たちの横を通り、ユーカリやハイビスカスの木立の中に足を踏み入れると、その声はピーターに驚くべき命令を下します。ピーターの人生は思いもよらない形で翻弄されることになっていきます。


Title: Voices from the Past
Author: Yu Sakurazawa
これはYu Sakurazawaの69冊目の英語小説です。

これまでの三作と違い、過去からの呪文は原作をかなり忠実に翻訳した小説です。(結婚式に関するくだりで原文には無い数小節が挿入されていますが……。)原文はかなり濃くて切迫感のある英語で、それを膨らませずに日本語にしたので、日本語小説としては短めです。

桜沢ゆうの小説の価格設定は:
長編(約10万文字~)980円
長編に満たないもの(概ね5~9万文字)590円
英語小説 US$3.99

「過去からの呪文」は37000文字で、390円に設定しました。

Yu Sakurazawaの英語小説は直訳して日本語化すると4万文字前後になるものが多いです。まだ日本語にしていない英語小説が65作品あり、将来日英TS文庫のレーベルで出版する本には390円の設定になるものが増える可能性があります。



過去からの呪文

第一章 ハネムーン

初めてリビー・ブラウンと会ったのはロメオとジュリエットを観るためにグローブ座に行った時のことだった。私は大学を卒業したばかりで彼女はおらず、一人でテムズ川の南岸の劇場に行った。一番安い立見席の平土間でロメオとジュリエットを観劇した。

二人の薄幸な恋人たちの描写が琴線に触れて、私は周囲の人には構わず、涙があふれ、すすり泣いた。たまたま隣に立っていた背の高い女性が私をバカにしたように見下ろして、いかにも無慈悲な様子でせせら笑った。

「男が人前でワンワン泣くとは女々しいわね」
とリビーが言った。
「まあ、あなたのフェミニンな側面がつい前に出たんでしょうけど……。あなたみたいに感情的な男性は初めて見たわ」
と、リビーは忍び笑いした。

「人それぞれだから、放っといてくれよ」
初対面の相手に対してあまりの言い方だと腹が立ったので、私は少し意地悪な言葉を返した。
「僕もこんなに心を打たれる劇を見て涙ひとつ流さない女性を見たのは初めてだよ」

「私の男性的な側面が出たということでしょうね。私を強くて精神的に独立した、そして感情的ではない女性に育てるということが私の両親のモットーだったから」

あっけらかんとした言い方だったので、彼女に対して感じていた反感が消えた。
「じゃあ、僕たち二人がカップルになったら丁度いいんじゃないの?」
と軽い気持ちで冗談を言った。

劇場を出てから一緒にそのあたりをブラブラして、コーヒーショップに入った。

リビーは背が高くてしっかりとした骨格のブロンド美人だった。大らかな感じで、くったくなく笑う女性だった。一方、私は黒い髪で、身長は百六十八センチとイギリス人男性としては小柄な方で、骨格は小作りと、リビーとは正反対だった。でも二人には共通点があった。二人とも二十一才と若く、大学を卒業したばかりで、自分たちをどんな人生が待ち受けているのだろうかとワクワクしているということだった。

何週間かデートを重ねて、リビーと私は結婚した。二人とも家族はあまり結婚には乗り気でなかった。私たちの家族からすると、そんなに若くして特定の相手につなぎ止められてしまっていいのかということと、まだお互いを十分知らないのではないかという心配が先に立ったようだ。でも、リビーと私は結婚して幸せそのものだった。今後の人生を一緒に生きていくという判断をするために十分なほど長く付き合ったと考えていた。

少なくとも私はそう思っていた。

新婚旅行をどこにするかという話になって、リビーは私にまかせると言い出した。

「ピートは誠実な気持ちでこの私を妻にしてくれたんだから、家の中では主人として立ててあげる」
とリビーが言い出したので少し当惑した。

「気持ちはありがたいけど、僕としては主人になりたいわけじゃなくて、対等の関係を築きたいんだ」

「とにかく、どこに新婚旅行に行くかはあなたが決めてちょうだい」

それはある意味で親切な申し出であり、リビーは非常に寛大だと思った。私はどこに行くのがいいだろうかと頭を巡らせた。とある外国の光景が頭に浮かんできた。巨大なカンチレバー橋、ドラムを打ち鳴らす音、ホラ貝を高らかに吹き鳴らす音、マスタード・オイルで調理した魚の芳香……。私はきらびやかな豊饒の地を想像したが、そこには暗くて恐ろしい何かが流れているような気もした。

その地がコルカタであると認識するまでに時間はかからなかった。インドの西ベンガル州の州都で、以前はカルカッタと呼ばれていた大都市だ。

私の両親は旅が好きで、若い頃には色々な国に住んでいた。インドには私が八才から十才までの二年間住み、コルカタで英語を教えて生計を立てていたそうだ。インドの次はタイにしばらく住んでいた。

当時の私はあまりのカルチャーショックやコルカタのきらびやかな光景と音に圧倒されたのか、不思議なことにその時期の記憶が殆ど無い。家で両親から教育を受けていたのか、現地の学校に通っていたのかさえ覚えておらず、友達が居たのかどうか、両親が近所づきあいをしていたのかどうかについても記憶が無い。八才から十才という年令なら詳しく覚えているのが普通だと思うのだが、その部分の記憶が完全に欠落しているのは不可解なことだった。

私の心に残るコルカタの印象は「美しい町」だったが、その表面的な栄光の下に横たわる得体のしれない悪意というべきものがうっすらと記憶に残っている。しかしその悪意が何だったのかは私には分からなかった。それでも私は是非あのカリスマチックな町に行きたいという強い願望を抑えられなかった。まるで超自然的な力が私を妻と一緒にそのガンジス河畔の町へと誘っている気がした。

「コルカタにしよう。君と一緒にコルカタに行ってロマンチックな時を過ごしたいんだ」

「かなり変わった選択ね」
とリビーは好奇の目で私の顔をのぞき込みながらコメントした。
「エキゾチックな趣向が強い人だとは分かっていたけど、インドを選ぶとはちょっとびっくりしちゃった」

「ゴメン。それほど君をがっかりさせるとは思わなかったんだ。勿論ほかの場所でも良いんだよ。例えばもっと平凡なところで、パリとか」

「いやよ、パリなんて! 陳腐すぎるわ。新婚旅行というと誰でもパリに行こうとするもの。喜んでインドに行くわ。すごくいい雰囲気の国だと聞いているし」

リビーがインドに行くことを意外にあっさりと了承したので拍子抜けした。

「インド全体が同じだみたいな言い方は間違ってるよ。一見同じように見えても地方によって全く異なるんだから」

リビーと私は九十日間有効の観光ビザを取得し、一ヶ月間の新婚旅行の予定を組んでコルカタ行きのフライトに乗った。コルカタ国際空港、通称ダムダム空港に到着し、タクシーでエスプレナード地区にあるホテルに向かった。エスプレナード地区はコルカタ市の中心部に位置し、どの観光スポットに行くのにも便利な場所だ。

到着した日にレンタカーでコルカタ市を一巡りして、観光スポットの豊富さと、豊かな光景と音に改めて感銘を受けた。ロンドンは華麗な大都会だが保守的な不毛さとでも言うべきものがあり、それに対してコルカタの官能的な肥沃さは好対照だと感じた。コルカタは豊富な文化、文学、宗教、芸術的な趣で満ちており、何かにつけて私の感覚が動揺させられる気がした。

しかし、この美しい大都会の奥底に私にとって意味のある暗い秘密が隠されているという気持ちがぬぐいきれなかった。

そんなことを考えるのはコルカタの暑さと旅の疲れのせいだと自分に言い聞かせた。ホテルの部屋に入るとリビーと私は交代してシャワーを浴び、ルームサービスで食事を注文した。しばらく休憩した後、リビーは旅行の日程表を眺めていた。

「コルカタは色んな場所を折衷したような町なのね。どこから手をつけたらいいのかさっぱりアイデアが浮かばないわ。ピート、どこに行くかはあなたが決めてちょうだい」

「またかよ……。僕は深刻な決断不能症の女性と結婚してしまったみたいだね」
私は怒ったふりをして唸った。

「その通りよ。私があなたと結婚したのは人生の決断を全部任せられる人を見つけたからだもの」

「はいはい、分かりました。でも、あきれたね。じゃあ、旅程に書いてある行き先を一つ一つ読み上げてみて」

「いいわよ。ヴィクトリア・メモリアル、インド博物館、科学博物館、ファイン・アーツ美術館……」

「美術館や博物館ならイギリスに腐るほどあって、僕は飽き飽きしてる。もっとインドならではのユニークな場所に行こう。例えば宗教的な名所とか」

「じゃあダクシネーシュワルのカーリー寺院はどうかな? インドで最も聖なる川と言われるガンジス川を近くで見られると書いてあるわ」

「それはグッド・チョイスだ。明日、朝食を終えたら出発しよう」


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