桜沢ゆう「痴漢冤罪」を出版しました | 性転のへきれき

桜沢ゆう「痴漢冤罪」を出版しました

桜沢ゆう性転のへきれきシリーズの新作小説「置換冤罪」が出版されました。

六月十二日の夜、東西線の満員電車の中で「この人、痴漢です」と言われた主人公の苦悩と約四十日間の苦闘を描いたTSサスペンス犯罪もの長編小説「痴漢冤罪」を出版しました。もし自分が痴漢事件に巻き込まれたら?日本で痴漢事件がどのように扱われるか、警察・検察での取り扱いや、弁護士の起用について正しい知識を持たずに満員電車に乗る男性は、武器を持たずに戦場に行く兵士と同じです。本書を繰り返し読んで、主人公と一緒に痴漢冤罪事件を体験することをお勧めします。但し、本書の主人公のやり方をそのまま真似すべきかどうかについてはご自分でよく考えていただくべきかと存じます。



痴漢冤罪

by 桜沢ゆう

第一章 この人、痴漢です! 

 本格的なフランス料理を食べたのは生まれて初めてだった。

「フレンチ」という名前を掲げるレストランや居酒屋に行ったことはあるし、ブイヤベース、鴨のコンフィとか、いわゆるフランス料理のひと皿なら食べたことがあるが、今日食べたのは本物のフランス料理のコースだった。食前酒のシャンパンを飲みながら「本日の料理」の説明を聞き、前菜から始まってサラダ、スープ、そして魚料理が出る。ああ、美味しかった、と思ったら、ソルベ(シャーベット)で口の中をリセットしてから、肉料理、フルーツが出てくる。ごちそうさまでした、と言いたくなった後でケーキとコーヒー。チョコレートが出てきて、コニャックを飲みながら談笑。それでやっと終わりだった。

さすが、菱丸物産の役員による接待は高級感にあふれていた。専務が慣れた様子でワインリストを見て、長い名前のワインを注文したが、僕たちが飲み会で飲むワインとは味も香りも別格だった。

ホスト側は専務と人事部の課長、接待されたのは今日の役員面接で事実上の内定をもらった大学生四人だった。

三年前、僕たちが大学に入ったばかりの頃には、就活とは困難を極める人生の難関だと聞かされていた。ずっと大学生のままで居られればどんなにいいだろうと思い、就職のことは出来るだけ考えないようにしていた。ところが、去年あたりから就職戦線の雰囲気がガラリと好転し、僕は第一志望クラスの数社から早々と内々定をもらうことができた。父母とも相談した結果、大手商社の菱丸物産を選んだ。その結果、今日の役員面接とディナーに到ったわけだ。

赤坂のレストランを出て専務たちと別れ、千代田線に乗って家路についた。乗客はサラリーマン、OL、大学生が大半で、半数はアルコールが入っている。

いいワインは酔い心地が違う。同じ酔っていても、他の乗客とは別次元の、セレブなアルコールが僕の身体に入っているという優越感を感じながら電車に揺られる。

大手町で東西線に乗り換える。午後九時半なのに満員だ。どこかの駅で人身事故があったために電車が遅れているらしい。来年就職したら毎日満員電車で通勤しなければならない。でも、僕は天下の菱丸物産の社員になるんだ!

東陽町で大勢のサラリーマンが乗り込んできて、僕は反対側のドアに押し付けられた。南砂町で少し乗客が減ったが、満員であることには変わりがない。

僕の左側にノースリーブのワンピースを着たアイメイクのきつい女性が立って、段々身体を寄せてくる。なんだ、この女? 次の駅でドアが開いたら、身体を移動させてこの女から離れねば……。痴漢と間違えられたらたまったものじゃない。彼女の向こう側には人相の悪い二十代前半の男が立っていたが、彼女がその男にチラッと目を向けて、お互いに軽く頷きあったように見えた。怪しい奴らだな、と感じた。

西葛西で停車する直前に、僕は突然左手首をつかまれた。あの女だった。

「この人、痴漢です!」

「ウソだ、僕は何もやっていない。人違いだ!」

「この人が私のお尻を触りました!」

「バカな、あんたはウソを言ってる!」

「シラを切るな! お前がこの女の人のお尻を撫でるところを見ていたぞ!」
そう叫んだのは、さっき彼女が視線を交わしていた人相の悪い男だった。

「電車を降りろ、言い訳は警察でしろ」

僕は二人に手を引っ張られて電車から引きずりおろされた。僕たち三人が降りるとドアは閉まり、満員電車はスーッと走り去った。

「僕は何もしていない。誤解だ」

「言いたいことがあったら警察で言え。もっとも、痴漢は九十九パーセント以上が有罪になるそうだから、お前が前科一犯になるのは確実だ。それがいやならこの女性に土下座して許しを乞うんだな!」

こいつらは確実にグルだ。僕から示談金を取ろうとしているのだ。

僕はスマホを取り出し、インストールしたばかりのアプリをクリックした。最近話題になっている「痴漢免罪SOS特約付きの保険」を母が申し込んでくれたのが、早速役に立った。痴漢免罪SOSアイコンをクリックすると気持ちが落ち着いてきた。

「今、弁護士を呼びました。痴漢の冤罪に詳しい弁護士です」

当惑の表情が二人の顔に浮かんだ。二人は顔を見合わせ、逃げようとする気配が感じられた。その時、二人の駅員が駆け寄ってきた。

「どうしました?」

「この人が私のお尻を触りました」
と女性が僕を指さした。

「触る所を目撃しました」
と男が言った。

「僕は何もしていません。これは冤罪です」

「話は駅長室でうかがいましょう、さあ、来なさい」
と言って駅員が僕の右手首をつかみ、もう一方の駅員が左手首をつかんだ。

「今、弁護士を呼んだところです。駅長室には行きません」

僕はきっぱりと言い切った。

保険に加入した時にもらったパンフレットの中に、弁護士が到着するまで現場を離れてはならない、駅長室には行かない事と書かれていたのを覚えていた。駅長室に行った場合には刑法上の「私人逮捕による現行犯逮捕」が成立し、警官に現行犯逮捕されたのと同じ状況になるとのことだった。つまり、警官に痴漢犯罪の現行犯として逮捕されたものとして拘留され、身柄を送検されることになるので、非常に立場が悪くなる。

「ここでは他の乗客に迷惑だから、駅長室に行って弁護士さんを待ちなさい」

駅員は僕を引きずって行こうとしたが,
「僕はここで弁護士を待ちます。暴力はやめてください! あなたたち、罪に問われますよ!」
と叫んで地面に這いつくばった。

駅員たちは「罪に問われる」という言葉を聞いてひるんだ。

「警官じゃなくても現行犯なら逮捕できるんだぞ」

「私人による現行犯逮捕のつもりですか? 身元が明らかで逃亡の恐れが無い人を力ずくで連行すると刑法二二〇条の逮捕監禁罪に問われますよ」

実は、刑法の何条だったか覚えていなかったが、相手をビビらせるために適当な数字を言った。

「ほら、免許証を見てください。身元を明らかにした上で、弁護士を待つといっている僕に手をかけたら、あなたたち、会社をクビになるだけじゃ済みませんよ!」

二人の駅員は顔を見合わせ、そのうちの一人が僕の免許証の内容をメモし始めた。

もし心配性の母が僕を痴漢冤罪保険に加入させてくれていなければ、僕は駅長室に連行されていただろう。その時にもらったパンフレットを読んでいたお陰で、法律的知識があるかのように装って攻守を逆転することができた。保険料が年間数千円かかると聞いた時には無駄な気がしたが、一生分の保険料を取り返せた気分だった。

その時、季節外れのレインコートを着た白髪まじりの男性が僕たちの方に歩いてきた。六十絡みでテレビドラマに出て来る刑事あがりの雑誌記者のような風貌だった。

「弁護士さん、僕です! 僕が痴漢冤罪の被害者です」

「被害者は私よ!」

「<ruby>日暮波瑠<rt>ひぐらしはる</rt></ruby>さんですね。弁護士の金田蜂彦です」
と言って僕に名刺を差し出し、
「まだ逮捕や起訴をされたわけではないので、冤罪の被害者というのは不適切ですな」
と言った。

「す、すみません」

「状況をご説明ください」

「大手町で東西線に乗り換えたのですが、電車が遅れていて車内は満員でした。僕は押し込まれるように電車に乗って、反対側のドアにへばりついて立っていました。僕の右側に立っていたその女性が、身体を寄せてきたので、逃れようとしましたが身動きが取れませんでした。西葛西駅の手前でその女性がそちらの男性と何やら目配せし合っていたので怪しいなと思いました。西葛西駅で停車した時に女性が僕の手首をつかんで『この人は痴漢です』と言いました。すぐにそこの男性が『目撃した』と言って、電車から引きずりおろされたんです。ホームに降りてからその男性から、痴漢で逮捕されたら九十九パーセント有罪だから女性に土下座して和解することを勧めるという主旨のことを言われました」

「日暮さんからそちらの男性、女性、それに駅員さんに対して発言した内容を教えてください」

「僕は何もしていないということと、この場で弁護士さんを待つと言いましたが、力ずくで引っ張って行こうとしたので、免許証を見せて、逮捕監禁罪に問われますよと警告しました」

「完璧です。この場に留まる理由は無いので、場所を変えて打ち合わせしましょう」

「待ってください。警察を呼んだので駅長室で事情聴取を受けてください」

「お断りします。私は弁護士の金田蜂彦です。連絡先はこの名刺に書いてあります」

四人を残して僕たちはエスカレーターへと急ぎ、改札を出てタクシーに乗った。

***

金田弁護士が運転手に告げた雑居ビルにはほんの二、三分で到着した。

「駅から歩いてでも来られそうな場所ですね」

「すぐに警官が来ると駅員が言っていたから早く駅から離れたかったんですよ。間一髪でした」

「身元が明らかで弁護士さんが一緒だから警官が来ても大丈夫じゃなかったんですか?」

「目撃者が一緒でしたからね。心象としてはかなり怪しいんで、警官が逃亡の恐れがあると判断したら逮捕されても不思議じゃない」

「そうだったんですか……。でも、僕は心象として怪しいんですか?」

「飲酒したことが明らかな若いサラリーマン、女好きそうな顔立ちのチャラ男。失礼ですが、そんな印象を受ける人もいるでしょうな」

いくら年上で弁護士だからと言って、クライアントに「女好き、チャラ男」というのは口が過ぎている。でも、状況が状況なのできついことを言うのは思いとどまった。

「ちょっと名誉棄損レベルみたいに聞こえましたけど。ちなみに僕は大学生です。四月からはサラリーマンですが」

「ほう、内定が取れましたか、おめでとうございます」

「菱丸物産です」
と鼻先を上に向けて自慢げに言った。

「それはまずい。痴漢で逮捕されたら内定取消は不可避でしょう」

「冤罪なんですよ! それに逮捕されてませんし」

「まだ現行犯逮捕を免れただけの段階です。今頃警官が被害者と目撃者から事情聴取をしているはずです。明日あなたの家に警官が来て任意同行を求められるでしょうな。調書を取られて、逮捕状が出て身柄を拘束されて送検されるか、ラッキーなら書類送検されることになるでしょう。書類送検すなわち在宅起訴となった場合でも検察庁に出頭させられます。それから裁判になるわけです」

「弁護士さんのお陰で、もう助かったと思っていたのに……」

「現行犯逮捕されていたら三日間は家族にも会えなかったところです。否認を続けた場合、更に二十日間拘留されていたでしょう。痴漢免罪SOS特約付きの保険をかけたお陰で地獄への直行を回避できたわけです」

「明日、警官が来たらついていくしか無いんでしょうか?」

「警官が来る前に先手を打ちます。出頭する意思を表明しますが、弁護士同席で供述したいと申し入れます」

「同席していただけるのですね」

「いえ、同席を申し入れても百パーセント断られます。但し、弁護士が警察署内に待機することは許可されます。任意出頭による取調ですから、刑事訴訟法一九八条一項但書により自由に取調室から退去することができます。取り調べ中に、どう答えればよいか分からなくなったら『弁護士と相談したいので少し時間をください』と言ってください。予め、私から取調官にそのような申し出があれば速やかに取り調べを中断して相談の機会を与えるようにと申し入れておきます」

「弁護士さんに一緒に行っていただいても、取調官に変なことを言われた場合の備えにしかならないというわけですか……」

「警察が取調する目的は公正な目で真実を調べることだと思っていませんか? 甘い、甘い。痴漢事件の場合、警察は被害者の訴えに基づいてあなたを逮捕、送検することにしか興味がないと思ってください。あなたに容疑を認めさせて身柄を送検し、検察官が略式起訴をして罰金刑にする。それが彼らにとって一番手がかからない最良のパターンです。あなたが否認した場合、容疑を認めさせようと二十三日間、硬軟両様で凄まじい精神的圧力をかけてきます。毎日脅されすかされの繰り返しですから、普通の人はやっていなくても『やりました』と言ってしまいます」

「警察ってそんなにひどいところなんですか……」

「はい、痴漢事件の無実の被疑者・容疑者にとって、警察とは極悪人の集団だと思ってください。精神的圧力をかけられると、殆どの人は『ミス』を犯すのです。任意出頭の場合でも、一人で行けば逮捕拘留時と同様な状況に置かれかねません。弁護士が待機していると、取調官は不当な圧力をかけたり、不必要に長時間の取り調べができなくなります。非常に大きな違いですよ」

「なるよど、よく分かりました」

「念のためですが、ここからは有料です。保険の特約がカバーしているのは痴漢免罪SOSに駆けつけて現場で対応するところまでです。厳密に言うと、タクシーに乗って以降のコンサルテーションは有料になります。あなたが支払った弁護士費用の相当部分は保険で取り戻せるでしょうが、その点はご自分で保険会社にお問い合わせください」

「弁護士料って高いんですよね……」

「そんなに高くないですよ。この資料をご覧ください」

「あ、ホントだ。じゃあ、さっき言われた、警察に任意出頭を申し出てその時に同席するところまでは、この場で依頼させてください。そのくらいなら僕の貯金で払えますから。その後どうするかは今日帰って親に相談してからお返事します」

「それでは、事実関係を整理させてください。電車に乗る前に飲酒していたんですね? どの店でどれくらい飲酒して、どの駅で電車に乗りましたか?」

僕はグーグルマップのタイムラインを開いて金田弁護士に見せた。

「ほう、素晴らしい! 今朝家を出てからの移動が分単位で記録されてるんですね! レストランの名前と住所まで表示されている! メモを取らせてください」
と言って弁護士は僕の足取りをメモし始めた。

「メモしなくても、スクリーンショットの画像を弁護士さんにメールしましょうか? Lineで友達登録して送ります?」

「Lineは好きじゃないんですよ。名刺に書いてあるアドレスあてにメールで送ってください」

僕はグーグルマップのタイムラインの詳細表示画面を三枚に分けてスクリーンショットを撮ってメールで送信した。

「近頃のスマホはすごいんですね。ちょっと見せてください」

金田弁護士は僕のスマホを手に取っていじり始めた。画面を指で触れまくっているようなので、Lineのトークとかで変なボタンを押されはしまいかとヒヤヒヤしたが、意外に手慣れた手つきだったので、この人、本当はスマホに慣れているのではないかという疑念が湧いた」

「もう返してもらっていいですか?」
と僕が言うと、弁護士は僕が今朝開いていたキンドル・アプリの画面を表示したスマホをテーブルの上に置いた。

それは僕が一週間ほど前にアマゾンで買った電子書籍で、最近アマゾンの「原作開発プロジェクト」というコンテストで優秀賞を受賞した「採用面接」という小説だった。

「採用面接の手引書にしては表紙の雰囲気が奇抜ですな」

「ええ、まあ……」
と、ごまかして返事した。採用面接をテーマにした小説を読めば就活の助けになるだろうと思って買ったのだが、読んでみたら化粧品会社に転職した商社マンがOLの制服を着せられて最後には女性にされてしまうというストーリーで、読んでいてドキドキした。僕がそちらの系統の人だと誤解されるとまずいので、採用面接の手引書と思われた方が都合がいい。

「同じ作家の本を他にも三冊も買ったんですね。ええと『LGBT婚活コンシエルジュ』、『性別という名のセレンディピティ』、それに『性を選ぶ』ですか。いずれも性別をテーマとした小説のような題がついていますね」

「『採用面接』がすごく面白かったので、つい次々に買ってしまいました。ちょっと無駄遣いかなと反省してるんですけど……」

「いいじゃないですか。良い書物との出会いによって人生の流れが変わるというのは、よくあることですから。しかし『採用面接』は手引書ではなくて小説だったんですね。今後、私には何でも包み隠さずに話していただくよう、くれぐれもお願いします」

「隠すつもりじゃなかったんですが、すみませんでした」
と僕は素直に謝った。

「それでは明朝、警察に任意出頭を申し出てからお電話しますので、お帰り頂いて結構です」

僕は弁護士事務所を出て、タクシーを拾った。今夜東西線に乗ることは避けたかったので、小遣いをはたいて家までタクシーで帰った。

***

帰宅すると両親はパジャマ姿でソファーに座ってテレビを見ていた。

「波瑠、どうしたの? 顔色が悪いわよ。菱丸物産の偉い人とお食事してきたんじゃなかったの?」

「それどころじゃないんだ。僕の人生の危機なんだ」

「可哀そうに、内定を取り消されたのね。菱丸物産だけが商社じゃないわよ。人生の危機だなんて落ち込むことはないわ」

「違うんだ。実は、警察に捕まりそうになったんだ」

僕は一部始終を詳しく話した。母は「どうしましょう」とオロオロしていた。父が僕をにらんで言った。

「波瑠、本当にやっていないのか?」

「信じてよ。絶対にやってない。もしウソをついていたら殺されてもいい」

「分かった、信じよう。しかし、大変なことになったな。痴漢で逮捕されたら、やってないと言ってもまず有罪になると聞いている。就職したくても、前科がついたら殆どの会社で門前払いになる。ここは被害を訴えている女性と示談するのが賢明かもしれない」

「あの男と目配せをした後に痴漢ですと叫んだんだよ。痴漢詐欺犯人にお金を払うなんて悔しいよ」

「逮捕、起訴された場合のマイナスを考えると仕方がない。お金のことは心配しなくても大丈夫だ。お父さんに任せなさい」

「ありがとう。弁護士さんには何と言えばいいの?」

「お父さんが電話で話そう。名刺はもらったか?」

名刺を父に渡すと、父はすぐに電話をかけた。

「もう遅いから事務所には居ないと思うけど」
と僕が言い終わらないうちに、電話がつながったようだった。

「弁護士の金田蜂彦先生ですね。私はさきほどお世話になった日暮波瑠の父です」
と自己紹介して、金田弁護士と話し始めた。

父は半時間近く電話で話していた。時々難しい用語も交えてしっかりした口調で冷静に話していたので、さすがビジネスマン、頼りになるなと感心した。

電話が終わると父が僕と母を見ながら言った。

「明日、任意出頭に同行する一方で、示談を打診するために女性との接触を試みるとのことだ。任意出頭しても逮捕状が出て身柄を送検される可能性は十分に高いので、明日の任意出頭は非常に重要だと言っていた。逮捕された後に示談が成立して不起訴になった場合は前歴が残るから、それは避けたい」

「起訴されて有罪にならない限り前科一犯にはならないんじゃなかったの?」

「それは前科だ。逮捕されると逮捕歴という『前歴』が警察署の記録として残るんだ。就職の際に会社から『前科・前歴はありません』という誓約書を求められた場合に、出せなくなる」

「それは困るよ。じゃあ、僕は任意出頭したら具体的にどうすればいいの?」

「この人は痴漢をしそうな人じゃないというクリーンな印象を与えること、そして逃亡や証拠隠滅の怖れはないので逮捕する必要はないと思わせるために、何を言われても激せず、誠意をもって真実を語る姿勢を貫くことが重要だ。警察に出頭する前に、弁護士さんが直接波瑠に説明すると言っていたが、とにかく弁護士さんに言われた通りにしなさい。明日、私は普段通り会社に行くが、弁護士さんから緊急の電話があれば対応する。携帯の番号を教えておいた」

「私、波瑠と一緒に警察に行くわ」
と母が言った。

「それはどうかな……。身元を明らかにするという点では親が同行するのもいいかもしれないが。それも金田先生の指示通りにしてくれ」

「波瑠、明日は頑張らなきゃならないから、早くお風呂に入ってゆっくり寝なさい」

何をどう頑張っていいのか分からないので、そんなことを言われると余計に眠れなくなりそうだった。でも、風呂を上がってベッドに横になると、あっという間に眠りに落ちた。


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カテゴリー: リアル系TS小説

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