女性管理職になりたかった男 – 男性サラリーマンが制服OLとして働く羽目になる・・・

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桜沢ゆうの性転のへきれきシリーズ新作小説「女性管理職になりたかった男」は、大好評の「一般職になった男」に続く、一般職OL長編のTS小説で、男性サラリーマンが制服OLにされるお話です。

女性の地位向上、女性の戦力化は日本の多くの企業での重要課題ですが、主人公の宇佐美唯(タダシ)の勤務する会社では、女性管理職比率を上昇させるために、ある奇策がぶち上げられました。

31才~35才の小柄で細身の男性の中が4名ピックアップされて、「来年の4月1日付で課長にしてあげよう」と言われました。しかし、それには条件がありました。「女性の課長」に抜擢するという話だったのです!

 

女性管理職になりたかった男
第1章 千載一遇のチャンス

月曜日の朝アパートを出て駅まで歩くとき、必ずカーペンターズの歌のメロディーが頭に浮かび思わず口ずさんでしまう。レイニー・デイズ・アンド・マンデイズという題名で、小節の終わりに「雨の日と月曜日はいつだって私を落ち込ませるの」というフレーズが入る。

しかし、歌詞をよく読むと、これは週末を楽しんだサラリーマンが月曜日に会社に行くのが億劫だという趣旨の曲ではなく、特に理由もなくメランコリーや焦りを感じる心の内を表現して、象徴的に「雨の日と月曜日は落ち込む」と嘆息するというポエムだ。

それは今朝の僕の心境をピタリと表していた。週末は瑞帆と八ヶ岳方面に行ってきた。瑞帆の運転するモコの助手席から眺める紅葉が素晴らしかった。

「また秋になっちゃったわね。」

瑞帆の言葉には、プロポーズをしてくれない僕への恨みが少し感じられた。「少し」というのは、それが僕だけの責任ではないからだ。燃えるような恋なら自然に結婚になだれ込むだろうし、瑞帆が強く結婚を願っているなら別に僕からプロポーズしなくても瑞帆が「結婚しましょう」と言えば良い。そうならないのは、僕も瑞帆も本当に煮え切っているとは言い切れないからだろう。

砂川瑞帆とは同期入社で同じ営業部の別の課に所属している。僕たちの同期で総合職として採用された女子は東大の修士過程を出た村上育子だけだった。同期どうしで結婚したのは2組で、友人たちからは瑞帆と僕が3組目の最右翼だと思われている。一般職で入る女子の殆どは当初から、この会社で生涯の伴侶を捕まえることが最有力選択肢だと考えていると言ってもよい。瑞帆がターゲットに選んだのが僕で、付き合い始めたのは入社4年目だが、僕はその心地よい状況に甘えるうちに何年も過ぎてしまったのだ。

「そろそろ年貢の納め時だな。」
僕は通勤電車の中で声に出さずに独り言を言った。今週中にでも瑞帆と会ってプロポーズしようかな、と乗りの悪い決心をした。

始業時間は9時15分だが僕はいつもの通り9時少し前に席に着いた。課長は今日から中国出張だ。

始業前なのに部長から声をかけられた。
「宇佐美君、ちょっと。」

僕は部長の席の前に立って「おはようございます」と会釈した。

「突然だが、9時半に人事部に行ってくれ。」
部長が僕と視線を合わせにくそうにしながら言ったので、これは良くないことに違いないと直感した。人事部で僕に用があるならメールに要件を書いた上で呼び出しが来るはずだ。

「何か、まずいことですか?」
僕はストレートに質問した。

「浜崎常務から若手数名に招集がかかっている。君のその一人だ。ある意味では千載一遇のチャンスかも知れないな。頑張ってくれ。」
部長が伏し目がちに言う理由が不明だ。どう考えてもグッドニュースとしか言いようがないと思うが・・・。

「はい、承知しました。」
僕は軍人のように切れ味の良い会釈をして席に戻った。人事担当常務が数名招集する若手に選ばれるとは何という幸運だろう。いや、これは運ではなく、僕の努力と実力の結果だ。自信が湧いてきた。

今週はきっと運に恵まれた週に違いない。そうだ、プライベートの方も強気で行こう。瑞帆に体当たりのプロポーズをするのだ。結婚指輪を恐る恐る差し出して「僕と結婚してください」などと言う女々しいやり方はしない。「ごめんなさい」と指輪を押し返されたらどうする?そんな惨めなシチュエーションも100%無いとは言い切れない。それも、僕が今日までプロポーズを躊躇っていた理由の一つかも知れない。「瑞帆、結婚しないか。」とシンプルに言おう。いや、「瑞帆、僕と結婚してくれ。」とこちらからお願いしたことにするのが女性に対する思いやりかも知れない。

僕は瑞帆に「今夜話がある」とスマホからメッセージを送った。すぐに「いいわよ」と返事が入った。よし、今週はこんな感じでグイグイ前進する週にするのだ。

9時25分に人事部に行くと、応接室に通された。既に2名が座っており、間もなくもう1名が入ってきた。僕より2、3才上の男子社員だった。面識があるのは隣の部の3年先輩の畠山浩二だけで、他の2名は顔は見たことがあっても名前は知らない。

浜崎常務が応接室に入ってきたので、僕たち4人はさっと腰を上げて硬直したように直立した。アフリカン・ゴリラのような大男の浜崎常務に対して、僕たち4人は測って揃えたように162、3センチの細身の体型であることに気づいた。

「座ってくれ。人事部のデータベースから若手4人が厳選された。それが君たちだ。今日は君たちに千載一遇のチャンスを提供したい。」
浜崎常務はいきなり本題に入った。

「よしっ、来たぞ!」僕は膝の上で拳を握りしめた。

「君たち4人を4月の人事異動で課長に任命し、その後も役員候補として育成したいと考えている。どうだ、畠山君。」

「は、はいっ、光栄です。しかし、先輩を追い越して35才の私を課長にしていただけるのでしょうか。」

「あっはっは。当然の質問だ。だがこの中にはもっと若い人もいるぞ。ええと、31才の人は・・・。」
浜崎常務が僕たちを見渡した。

「はい、私、宇佐美タダシ です。31才です。」
僕は思わず手を挙げて名乗った。

「タダシは正しいと書くのかね?」

「唯一の唯でタダシと読みます。」

「ユイか、まさにうってつけだな。君、当社始まって以来の最年少課長になりたいかね。」

「はい、勿論です。一生懸命頑張ります。」

「よろしい。ではそのカラクリを説明しよう。」
浜崎常務のカラクリという言葉が引っかかった。

「君たちはそれぞれに優秀な中堅社員だが、当社には有望な中堅社員が大勢いて課長になろうと競っている。ところがだ、当社は女性管理職の比率が同業他社と比べて格段に劣っている。総合職の女性採用に出遅れたツケだと言える。高い下駄をはかせてでも管理職に登用できそうな女性総合職は出し終えた。手っ取り早いのは外部から女性管理職を雇用することだが、それをやると社員の士気が落ちる。飽くまで内部調達ということにしたい。そこで君たちが選ばれた。」

「ここにいる4人は男性ですが・・・。」
畠山が呟いた。

「女性になれる人をピックアップした。君たちは、業務能力だけでなく、身長、顔立ち、その他の女性適性により選ばれたんだ。」

「まさか、性転換手術を受けたら管理職にしてやろう、ということですか?」

「まず、自分は女性だと宣言してもらう。つまり性同一性障害のカミングアウトだな。会社としてはチンチンがついていても性同一性障害の治療を開始した時点で女性とみなして適格とする。」

「性同一性障害の治療を開始するとは具体的にどういうことでしょうか?」

「精神科医から性同一性障害の診断を受けた上で、ホルモン投与を開始すると同時に女性として業務に従事する。医療費、脱毛等の費用は会社が負担する。治療が完了すれば戸籍の性別変更を申請することになるだろう。」

「戸籍が女性に変わった後で課長になれる、ということですか?」

「いや、先ほども言った通り、性同一性障害の治療を開始した時点で会社は君たちを女性と見なす。今は10月で課長発令予定日は4月1日だが、それまでに完全に女性化して戸籍の変更も完了しているという可能性はまず無い。」

「課長になった後で、気が変わって男性に戻ったらどうなりますか?」と畠山が恐る恐る質問した。

「それは想定していないが、同年齢の総合職の中で君が特別に若くして課長になれるだけの力量があるかどうかという観点で判断することになるだろうな。」

「性同一性障害の診断を受けたら女性として業務をする、というのは具体的にどうすればよろしいのですか?まさか、女装しろと言われるんじゃないでしょうね。私は営業部ですから、女っぽい言動をするとお客さんからオカマは来るなとか言われて出入り禁止になると思います。」

「その点については検討済みだ。いくら君たちが小柄で男っぽくない外観だと言っても、スカートをはけばすぐ女として通用するというほどではない。その点を考慮して、課長になるまでは内勤の業務に従事してもらう。最も合理的な方法として、職種を一般職に変更し、3月末までは一般職として働いてもらうことにした。」

「当面は降格になってしまうということですか?」
僕たちは驚き、お互いに顔を見合わせた。

「同期の仲間からバカにされるでしょうね。」

「同期どころか、後輩の連中よりも下の立場になるんでしょう。」

「目先のことに一喜一憂してどうするんだ。君たちは4月1日には大勢の先輩を追い越して課長になるんだぞ。その時に君たちの部下になる先輩の気持ちが想像できるかね。彼らの気持ちを理解したうえで指導できる力量を付けるため、君たち自身が後輩の総合職に命令される立場に立つんだ。将来役員になる時のためにも貴重な経験になる。」

常務にそう言われると、確かに理屈に合っている。

「更に言うとだな、会社としては、女性管理職比率の向上、セクシュアルマイノリティ―問題への取り組み、一般職から総合職への昇進実績、という一石三鳥を達成できるわけだ。良い考えだろう、わっはっは。」

結局は会社の都合のための論理が先行していることは否めないと思った。

「付き合っている彼女がいます。課長になりたければ、もう彼女とは別れることになってしまうんでしょうか・・・。」

「今後、同性婚の道が開ける可能性もあるかも知れない。勿論、君の彼女が女性同士の結婚を望めばの話だが。」

「このお話をお断りすれば、今後の昇進の道は途絶えるのですか。」

「いや、そんなつもりはない。当社が女性になることを強要したなどと言われては困る。もし君が断っても、君の待遇には全く影響しない。いいか、君たちは厳選されたエリートなんだ。千載一遇のチャンスをつかむか、つかまないか、それは君たちの決断次第だ。回答期限は木曜日だ。チャンスをつかむ事を決意した人は、この封筒に入っている職種変更の同意書と、性同一性障害の届出書を直接私まで持参してくれ。その時点で支援金として100万円の一時金を支給する。女性になると服を買うなど一時的な出費があるだろうから。」

浜崎常務は僕たちを見回した。僕は100万円の一時金と聞いて生唾が出そうになったが、荒唐無稽と言っても良いような話を聞かされて、頭の中がグルグルと回っていた。他の3人は深刻な顔をして俯いていた。

「じゃあ、君たちの勇気ある決断を待っているよ。何か質問があれば私に直接電話してくれ。」

応接室に残された4人はお互いの顔を見合わせた。早く席を立って自分の部署に帰りたいところだが、問題が大きすぎて、席に戻っても正常な思考はできそうにない。

「一般職として働けということは、制服を着させられるのかな?」

「まさか、俺たちに、あのピンクのスカートをはけとは言わないだろう。」

「でも常務が、会社として女性と見なすと言ってましたよ。すぐに制服を着ろとは言われないでしょうけど、しばらくして女性に見えるようになった時点で制服を着させられるんじゃないでしょうか。」

「ピンクのスカート姿を社内で晒せっていうの?そんなことしたら友達には2度と顔向けできなくなるし、会社の女の子から相手にされなくなるぜ。」

「というか、最終的に女性になるってことでしょう。会社の女の子から相手にされなくなるというより、最終的には彼女たちと同じトイレに行く立場になるんですよ。今の友達から見て異性になっちゃうんですから、ある意味仕方ないとも考えられます。」
僕は冷静な状況分析を披露した。

「お前、よく平気な顔して他人事みたいに言えるな。自分が女になるんだぜ。男に抱かれる立場になるんだぜ。」

「彼女がびっくりするだろうな。パニックになるのは間違いない。」

「でも、課長になれるんですよ。役員候補として育成すると常務が仰ってました。このまま男として頑張っても、うちは層が厚いし、今後は女性の登用が益々進むでしょうから、40代半ばでも課長になれるかどうか・・・。僕は人事部ですから、その点は冷静に受け止めています。」

「一時金で100万円くれると言われて、ハイ、やります、と言いかけましたが、よく考えると、それはスカートとかブラジャーとか化粧品を買うためのお金ですから、笑えませんよね。」
僕がそう発言すると、畠山に「お前、軽いな」と睨まれた。

「でも、もし女になりたいと思っていた人なら、100万円くれた上で会社が支援してくれて、おまけに昇進までさせてくれるわけですから願ったりかなったりの、まさに千載一遇のチャンスですね。」

「宇佐美、お前、女になりたかったんだな。知らなかった。」

「待ってくださいよ、畠山さん。僕にはれっきとした彼女がいるんですよ。」

「そうだったな。知ってるよ。」

「畠山さんが女になりたいとは思えないし・・・。」

「俺もだよ。背は小さくても俺に憧れている女は沢山いるんだぜ。」
もう一人の34、35才の先輩が言った。人事部の男性は何も言わずに微笑んでいたので、もしかするとこの人は女性になりたいと思っているのではないかと疑った。

「俺はもう気持ちは決まっているが、浜崎常務のオファーを断ったことでしっぺ返しを食らわないように、うちの課長や部長に相談してみようと思う。木曜の夕方ぎりぎりに断りに行く方が良いだろうな。」

「俺もそうする。」

「俺は親と相談してから返事するつもりです。」
と人事部の男が言った。

「僕はまず彼女と相談してみます。彼女が本当はレズで、女どうしで暮らしたいと言い出したら、この話に乗って最年少課長になります。けど、チンチンを取る手術は痛いでしょうね。」
おどけて行ったら「お前、本当に軽いな」と畠山先輩にバカにされた。僕たちは応接室を出てそれぞれの部屋に帰った。

営業部の席に戻ると、「宇佐美君、ちょっと」と部長に呼ばれた。
「どうだったかね。」

「木曜日までに回答するように言われました。部長は話の内容をご存知なんですね。」

「ああ、聞いてる。」

「どう返事すべきでしょうか?」
僕は部長が答えられるはずがない意地悪な質問をした。

「千載一遇のチャンスだが条件を受けるかどうかは君の考え方次第だ。」
それは浜崎常務の言葉そのものだった。本人から質問された場合の模範解答を指示されているのだろう。

デスクワークを始めようとしたが頭が回らない。営業本部の人員構成から考えると、私の2、3年上から7、8年上までは非常に層が厚い。課長になれるのは営業本部内の課の数に、海外拠点の管理職のポジションを足しただけの人数だ。私より年上でまだ課長になっていない人は、その3倍以上の人数がいる。課長の在職期間を5年とすると、私に課長になる番が回ってくるのは早くても40代半ばになる計算だ。40代半ばで課長になって50そこそこまで課長を務めたとして、その後で更に上に行けるのは数十人に1人だ。海外拠点の長とか関連会社の重要ポストにありつける人を含めても10人に1人という非常に低い確率だ。すなわち、苦労して課長になり、その後は窓際に追いやられるか、年下の管理職の下で働く、というのが僕にとって最もありそうな将来図だ。

片や浜崎常務の話に乗れば32才で課長、しかも役員候補として育成してくれる。同僚や先輩たちは僕の破格の昇進を指をくわえて見ているだけだ。但し、そんな僕に若い女の子たちが目を輝かせて群がってくる、ということにはならない。スカートをはいている僕に、若い女の子が寄ってくるはずがない。

まてよ、当面、トイレはどうなるんだ?一般職の辞令が発表された後に男子トイレに行けば「お前のトイレはあっちだろう」とか「ここ、男子トイレですけど」とかブラックジョークを言われるだろうな。何か月後になるか知らないが制服を着るようになった時点で女子トイレに行くことになるのだろうか?女子が嫌がるだろうな。彼女たちがお化粧を直している横で僕が手を洗ったら露骨に不快な表情をされるに違いない。でも、スカート姿では男子トイレに入りづらいだろうな・・・。

高校時代の仲間とは福島に帰省する度にワイワイやっている。今年の年末年始に集まる時に僕がミニのワンピースでも着てお化粧して行ったら、やつらは僕だと気づくだろうか?特に仲良しの5人組は僕を入れて男子3人、女子2人だが、僕が女子になると男子2人、女子3人になるな・・・。

そんなどうでもよいことや、両親の反応、特に父が激怒するだろうとか、色々な想像が頭を駆け巡る。仕事どころではなかった。電話がかかって来ても上の空だった。僕は本来訪問する必要のない木更津の客先に電話を入れて午後のアポを取った。「もし夕方までに帰社できない場合は千葉から電話を入れるから。」と一般職の季実子に言って会社を出た。

 

第2章 瑞帆からの祝杯

木更津の客先との面談を終えたのは午後4時で、僕は季実子に今日は帰社しないと電話してから、秋葉原に行った。瑞帆と6時半に約束に会う場所は、AKBカフェの前の広場に面したビルの2階にあるレストランで、僕たちは付き合い始めた頃からずっとそのレストランを利用してきた。駅の改札から近くて便利な割には目立たず、会社の人に見られる恐れが少なかった。僕は約束の1時間近く前にそのレストランに入り、ビールを飲みながら浜崎常務からもらった応募書類を見たり、色々思案しながら瑞帆を待った。

応募書類と言っても、ひとつは性同一性障害届出書と題された書類で「届出人は性同一性障害であり会社では女性として処遇されることを願い出る」という主旨の簡単な文面だった。もうひとつは更に簡単な一般職転換願出・同意書と題された書類で「一身上の都合により総合職を辞し一般職への転換を希望する、処遇については一切を会社に委ねる」という書類だった。

半年後に管理職に昇進すること、その後役員候補として育成されるということはどこにも書かれていないことに不安を覚えた。もし人事部が人員整理の為に4人を選び出したのだとしたらどうなるだろう。僕たちは性同一性障害であることを届け出て一般職に降格され、しばらくして女装させられ、4月になっても課長にしてくれずに「あの計画は取りやめだ」と言われたら・・・。いや、まさか浜崎常務がそんな姑息な人員整理策に自ら手を汚すはずはない。単に会社にとって必要な書類を出しなさいというだけのことだろう。それに100万円の一時金をくれるというのだから悪意はないと考えよう。

瑞帆が来た時には、3杯目の中ジョッキが半分になっていた。

「どうしたの、ユイ、昨日ドライブに行ったばかりなのに、いきなり大事な話があるなんて。」
付き合い始めた時に「唯と書いてタダシと読む」と自己紹介したが、瑞帆は「本当はユイと読むんじゃないの?」と意地悪を言って、その後も僕のことをユイと呼んでいた。今日の瑞帆の目はキラキラと輝いている。瑞帆は、僕が週末のデートの後でプロポーズを決意したと推測しているのだろう。そしてその推測は当たっていた。今朝の9時半までは。

「うん、前から言いだそうと思っていても言えなかったことを、今日言おうと決心したんだ。だから今朝メールを出して今夜会いたいと言った。でも、ちょっと見て欲しいものがあるんだ。」

僕はカバンに手を差し込んだ。その時、カバンの中から指輪の入った箱が出てくることを瑞帆が期待していないだろうか、と一瞬心配になった。僕がカバンから出したのが会社の封筒だということが分かった時、瑞帆の目の輝きが衰えたように見えた。

「今朝突然人事から呼び出しを受けた。浜崎常務からの召集で、来年の4月に人事部のデータベースから厳選された若手4名を課長に大抜擢するという話だった。僕はその中に入っていたんだ。」
つい、言いやすいことだけを先に言ってしまった。

「すごいじゃない。3月に32才になるけど、うちの会社で史上最年少の課長じゃないかしら。すごいわ。」

「課長にしたうえで役員候補として育成するということだった。」
瑞帆はテーブルの上で僕の両手を握り、今まで見せた中で最高の笑顔を見せた。

「おめでとう、ユイ。私も鼻が高いわ。これからはタダシさん、と呼ぼうかしら。」
瑞帆から尊敬に満ちた視線を向けられると照れ臭かった。

「勿論、そんな夢のような話が無条件で手に入る訳じゃない。僕は決断を迫られているんだ。千載一遇のチャンスに乗るか乗らないかは、僕の気持ち次第なんだ。」

「勇気を出して。私はどこまでもあなたについて行くわ。」
瑞帆の言葉を聞いて、僕の心は決まった。

「ありがとう、じゃあ、僕はこの書類にサインして明日の朝一番で浜崎常務に提出してくるよ。」

「見せてもらっていい?」
いつもの瑞帆なら勝手に封筒の中身を見るところだが、今日はしおらしかった。瑞帆は2枚の書類を見ていたが、裏返して見た後、封筒をライトに透かして他に書類が入っていないことを確認した。

「これ、違う書類でしょ、正しいのを見せてよ。」
瑞帆は笑いながら言った。

「いや、性同一性障害届出書と一般職転換願出・同意書の2通だけだ。」

「何の冗談なの?これは、女になりたいから一般職に格下げして欲しいという意味の書類よ。」

「会社としては4月に課長にするとか、役員候補として育成するとかは書けないんだ。手続きに必要な書類を書かされるのは仕方ない。」

僕は浜崎常務から聞いた女性管理職比率の向上策やその他の会社としての施策のことを出来るだけ詳しく瑞帆に説明した。営業部の人員構成と、僕が課長になれる見通しについても解説を加えた。

その間、瑞帆は一言もしゃべらずに僕の手を握ったまま、燃えるような視線で僕の目を見つめていた。テーブルの上で僕の手を握っていた瑞帆の手が、痛いほど固くなった。

「付いてきてくれるんだね、瑞帆。」

瑞帆が「・・・・・」と小声でつぶやいたがよく聞こえなかった。

「もう一度言ってくれる、瑞帆。」
僕は優しく微笑みかけた。

「ザケンジャネエ・・・」
小声を聞き取れたが意味が掴めなかった。

「何だって?」

「ふざけるなって言ってるんだよ。」
瑞帆が僕にそんな乱暴な言葉で話しかけたことは過去に一度もなかった。

「大事な話というから来てやったら、女になるのを認めてくれだって?そんな話は付き合い始める前にしろ。てめえみたいなオカマのせいで何年も棒に振らされたなんて、冗談にもならない。」

「女になりたいと思ったことなんか一度もないよ。今夜はプロポーズするつもりで瑞帆にメールしたんだ。今回の話はその後で始まったことなんだ。」

「私から返事が欲しいの?いいわ、どうぞご勝手に。ユイという名前にふさわしい女性最年少課長におなりなさい。私とは関係ないもの。あんたには言わないつもりだったけど、あんたの課の課長代理の坂東さんからプロポーズされてるのよ。今日ここに来て良かったわ、決心がついて。」

「坂東さんが・・・。部下の彼女と知った上でちょっかいをかけるなんて。」

「くだらないことを言うな、自分も女のくせに。」
再び瑞帆が乱暴な口調になった。

「女の世界を甘く見てるようね。4月までは私と同じ一般職なんだからとことん可愛がってやる、これまでのお礼も兼ねて。」

「お、脅すのか。僕は課長になるんだぞ。協力してくれるなら僕の課に呼んで厚遇してあげるよ。」

「ばーか。できそこないの女の下で働くなんて、こっちから願い下げだわ。」

「瑞帆、僕は君とケンカ別れしたくない。君とのことは僕にとって一生の思い出だ。」

「私にとって、あんたの粗チンは一生の笑い種だわ。でも賢い決断よ、粗チンをぶら下げて生きていくより、男のおチンチンをおしゃぶりする道を選んだのは。」

「瑞帆、冷静になってもう一度僕の話を聞いてくれ。」
瑞帆は僕の中ジョッキを手に持ち中味をバシャっと僕の顔に浴びせて「これが私からの祝杯よ」と言い残した。


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