桜沢ゆう「性転のへきれき」新作「よじれた戸籍」が出版されました | 性転のへきれき

桜沢ゆう「性転のへきれき」新作「よじれた戸籍」が出版されました

06_よじれた戸籍桜沢ゆう「性転のへきれき」久々の新作小説「よじれた戸籍」が出版されました

卒業試験が終わった翌日、就職内定先の会社から内定取り消し通知が届いた。驚いて人事部に問い合わせた結果、戸籍が女性であることが内定取消の理由であると言われた。恋人の美沙と戸籍謄本を取りに行くと、自分の戸籍が女性に変更されていて、しかも叔父の妻になっていることが判明した。1週間だけ叔父の妻として暮らすことを強いられた私に宛てられた亡父からの手紙に書かれていた驚愕の事実・・・・

(同人評)戸籍上の性と自分の認識する性がよじれてしまった場合、どんなことが起きるのか?外見上自分は男性と思いこんでいても、その自己認識は本当に正しいのか?性の自己認識の盲点に鋭く突っ込み、性転換手術の実態に踏み込んだ長編小説。



よじれた戸籍

「性転のへきれき」 ユキの場合

序章

あなたはどのような自己認識をお持ちですか?

私は子供の時から自意識はそんなに高くない方で、胸を張って自己認識と言えるようなものは持ち合わせていませんでした。

勉強も普通、スポーツも並み、身長も中学生になって伸びが止まるまでは平均的で、私は自分を「ごく普通の少年」と自己認識していました。

高校に入って、友人たちと少し違うのではないかと心配になる点も出てきましたが、自分が「普通の男子高校生」であるという自己認識は強固なままでした。

その自己認識を根底から揺るがす「ある出来事」によって、私は風に舞う枯葉のように根ざすべき場所の無い存在になりました。

戸籍に女性と記されていることが分かったのです。

性同一性障害という病気があります。同一性とはアイデンティティという英語を訳したもので、生まれついた性のアイデンティティ、すなわち自己認識に障害があって、男性の身体で生まれついたのに自分を女性であると自己認識したり、女性の身体なのに男性と自己認識するという病気です。

私はそのような同一性障害とは無縁で、男性の身体に生まれて、自分を男性と認識してきました。戸籍に女性と書かれていると知っても、当初は修正可能なミスだろうと軽く考えました。

しかし、それは大変な誤解でした。父の遺書に書かれていた驚愕の事実は、私の自己認識が、中学以降の自己認識が、全く根拠のないものであったことを白日の下にさらけ出したのでした。

あなたは、性に関する自己認識に揺らぎが生じることなど無いとお考えでしょう。でも、自己認識というものは戸籍を含む外的な客観認識と一致している限りにおいて揺るぎの無いものですが、ひとたびその同一性が崩れると誠に頼りないものになるのです。

「今まで内緒にしていたけど、あなたは本当は女の子なのよ。今日から女子の制服を着て学校に行きなさい。」
ある朝、目が覚めると、枕元に女子高生のスカートが綺麗に置かれていて、母親からそのように申し渡されたとしたら、あなたはスカートで登校できるでしょうか?

「でも僕、おちんちんがついているよ。」

「それはおちんちんに見えるけど、実はフェイクなのよ。もうすぐきれいにしてあげるわ。」

その時あなたは、自分の身体が友人の女子と同じようにしなやかで、男性的なゴツゴツしたところが無いし、声変わりもしていないという、少し心配だったけれど大したことではないと思いこもうとしてきたことに、実は重大な意味があったことを自己認識するのです。

「お前、スカートをはいてきたのか。」
「トイレも女子トイレに行くのか?」
「やあい、女子、女子。」
友人たちはしばらくの間は面白がって囃し立てますが、あなたが女子として当たり前のように認識されるまでに、そんなに時間はかかりません。認識が確立すると拍子抜けするほどで、友人にとっては「お前、昔ズボンはいてなかったっけ?」という程度のどうでもよいことになってきます。

問題は自己認識にあります。自分がどちらの性に属するかという自己認識は、自分が生きているという生の認識に次いで、動かしがたい自己認識であり、スカートをはくという動作自体は簡単ですが、どちらのトイレに行くとか、異性を好ましく思うとか、同性の言動を疎ましく思うとか、公衆浴場でどちらの暖簾をくぐるとか、更衣室で同性の裸を見て目を反らす必要が無いとか、日常生活のあらゆる場面で、自己認識の壁を乗り越えなければなりません。

最も高い壁は恋愛感情や性的衝動で、それまで同性と思っていたむくつけき男性の唇や、ひいては身体まで受け入れるのは、人間がサルになるほどの壁を乗り越えなければならないはずです。全ては自己認識がどう変化するかにかかっているのです。

性の揺らぎが中学生の時に訪れたなら、男性としての自己認識の意味するものは大人ほどの重大さがなく、もう少し楽だったかも知れません。

就職直前に戸籍が女であることを知らされた私の自己認識がどのように変わっていったのか、話をお聞きください。

第1章 発端

プルルルン、プルルルン、プルルルン。

遠くの方で電話が鳴っている。固定電話に着信だ。

プルルルン、プルルルン、プルルルン。

私は心地よい眠りを引きはがされて、半ば無意識で電話機まで這っていく。

「はーい。もしもし。」

「なに寝ぼけてんのよ。携帯にかけても出ないし、何時だと思ってるの。」
受話器から美沙のどなり声が響く。

半分開けた目で時計を見てびっくり。時計は1時を回ったところだ。

「お昼を過ぎてるなんてウソだろ。ごめーん。」

松岡美沙と1時に駅前のサイゼリヤで会う約束をしていたのだ。昨日後期の試験が終わり、悪友たちと明け方まで飲んでいた。再試の呼び出しを受ける可能性も残っているが、もうこれで学校の試験から一生解放されることになると思うと緊張感がゼロになり、眠りも自然と深くなったのだろう。

「10分以内に来ないと帰るわよ。」
というなり美沙はプチッと電話を切った。

そこらへんに転がっていたジャージーに頭を通し、15秒で顔を洗い、薄手のグレーのダウンジャケットを引っかけてアパートを出た。郵便受けに入っていた何通かの封筒を確かめもせずにダウンジャケットのポケットにねじこむ。

せっせと歩けば10分で着くが、美沙は怒ると本当に帰ってしまいかねないので必死で走り、最終通告の期限内にサイゼリヤに着いた。当初の約束の時間からは20分遅れだ。

「ごめんごめん。寝たのが今朝の4時頃だったから。」

「しっかりしなさいよ。もう2か月で就職よ。入社して遅刻ばかりしてたらクビになるわよ。パパの顔に泥を塗らないでね。」

それを言われると弱い。

私は就職が年末まで決まらず、美沙の父親が専務をしているD製薬の追加採用枠に入れてもらって何とかフリーターにならずに済んだのだ。

「コートのポケットから落ちそうになっている封筒、D製薬の封筒じゃない。」
美沙が目ざとく見つけた。

「本当だ。なんだろう。なになに、差出人は人事課長だって。」
開封すると、手紙が一枚入っていた。

「調査の結果、あなたの採用内定を取り消させていただきます、だって。そんなばかな。」

「なんですって、ちょっと貸しなさい。」
美沙が私の手から乱暴に手紙を取り上げた。

「履歴書に不実記載が認められ、と書いてあるわ。どういうことなの。裕貴、いったい何を書いたの。」

「別に変なことは何も書いてないのになあ。どうしたんだろう。小学校の入学年度とか、間違えて書いたのかな。」

「その程度の間違いで採用取り消しになるはずがないでしょ。とにかく人事課長に電話してみなさい。埒があかなかったらパパに相談してあげるから。」

美沙は私から携帯を取り上げて、封筒に印刷されていた代表番号をダイヤルした。

「もしもし、4月入社予定の高原と申しますが、人事課長さまをお願いいたします。」
美沙が私のふりをして勝手にしゃべり、電話が人事課に転送される間に私に携帯を押しつけた。

聞き覚えのある人事課長の声が携帯から聞こえてきた。

「あのう、高原裕貴と申しますが、先ほど採用取り消しという手紙が届きました。何かの間違いじゃないかと思いまして。」

「ああ、君か。採用取り消しじゃなくて、”内定”取り消しだから間違えないようにね。うちは堅い会社だから内定者には一応興信所で調査を入れてるんだがね。君にも色々複雑な事情はあるんだろうが、戸籍を偽っちゃいかんね。」

「戸籍を偽ったりしてませんけど。本籍の番地とか間違えてましたか。」

「履歴書には君が今の親御さんと養子縁組する前の、香川県坂出市の住所が書かれていた。」

「すみません。父が亡くなる前後に池田町の叔父の方の籍に入ったと聞いていますが、同じ高原姓なので気に留めてなかったんです。叔父の籍に入ると本籍の住所も変更になるんですか?」

「いや、勿論、君の本籍は池田町に移っているわけだが、そういう問題じゃなくてだね。問題は君が戸籍上は女性だということだ。きっと複雑な事情があるんだろうが、女性ならちゃんと女性とわかるように採用試験を受けてもらわないとね。当社としては内定は取り消さざるを得ない。悪く思わんでくれ。」

「わたしが女性なわけないでしょう。それは何かの間違いです。とにかくこれからお伺いします。」
食い下がろうとしたが、言い終わらないうちに電話を切られてしまった。

隣の席のカップルが好奇の目で私をじろじろ見ている。

「裕貴が女性と言ってるわけ?」

「興信所で調べたら、戸籍では女性だって言うんだ。」

「自分の戸籍を見たことがあるの?」

「大学に入学したときに戸籍抄本を出したような気がするな。間違えて女性と書かれていたら、その時に気がついたはずだよ。」

「住民票を取りに行ったらわかるわ。」

「住民票は移していないから、実家に行かないと取れないよ。ということは坂出市かな?叔父さんの戸籍に入っていると言ってたから池田町かな?池田町なんてメチャメチャ遠いよ。」

「運転免許は持ってないわよね。じゃあ、健康保険証は?」

「見たことないよ。病気したことないから。」

「とにかくパパに電話するわ。D製薬の人事課に行きましょう。」

ジャージーにダウンジャケットのいでたちでD製薬に行くことには抵抗があったが、それどころの問題ではない。私たちはファミレスを出て電車で30分のD製薬に向かった。

美沙の父親は会議中で、私たちが会社の前に来たときにやっと美沙の携帯電話が通じた。美沙は父親に事情を話し、私たちは5分ほどして受け付けの女性に松岡専務の客人ということで6階の応接室に通された。

しばらく待たされた後で松岡専務が一人で部屋に入ってきた。

「高原君、困るね。どんな事情があるのか知らないが、どんなつもりで美沙と付き合ってるんだ。美沙は君がいまでも男性だと信じ込んでるんだ。」

「ちょっと待ってください。美沙さんのお父さんまでそんなことを。」

「これを見てから釈明しなさい。」

松岡専務はテーブルの上に興信所の調書を叩きつけるように置いた。

調書にはこう書いてあった。
「調査員が坂出市役所で聞き込んだところ、高原裕貴は2年前に男性から女性に性別を変更し、父親高原保氏の従兄である高原義弘氏(徳島県三好市池田町)の養女となった。その後高原保氏は死亡。」

「裕貴、なぜうそをついていたの。」

「うそなんかついてないよ。」

「お父さんの叔父さんの養女になったというのは本当なの。」

「養女じゃなくて養子だろう。父の死後は池田町の叔父さんから仕送りを受けてるよ。父と言っても亡くなった母の再婚相手で、僕のことを大嫌いだったから僕が東京に下宿してから勝手に籍を抜いて池田の叔父さんの子供にしちゃったんじゃないかな。」

「自分が籍を移されたことも知らなかったって言うの?」

「苗字も同じだし、特に気に留めていなかったんだよ。本当だよ。」

「女性になったことも知らなかったの?」

「そんなの何かの間違いに決まってるじゃないか。きっと誰かが僕を陥れようとして偽造したんだ。第一、僕が女性に見えるか?」

松岡専務と美沙は黙ったまま私の頭の先からつま先まで視線を走らせて、股間のあたりを透視するように見つめている。

「そりゃそうね。パパ、ちょっと変だと思わない。」

「うん、まあ、華奢な身体だし色白で髪も長いが・・・」

「小さいけど、一応付いてたわよ。」

「美沙!」
松岡専務が赤面して叫んだ。

私は専務の倍以上真っ赤になった。

「当たり前ですよ。これは何かの間違いに決まってます。」

「しかし、この興信所は信頼できるところだし、高い調査料を払って現地調査させてるんだ。いずれにしてもこれは議論するような問題じゃない。君はどうせ、入社するための必要書類として戸籍謄本と住民票を提出する必要があるんだから、自分で取ってきなさい。」

「はい。自分で行って、ちゃんと証明してきます。」

「わたしも一緒に行ってあげるわ。」

「池田まで一緒に来てくれるの?」

「そりゃそうよ。裕貴が女性だとわかったらわたしにとっても大問題でしょ。それに、もし本当に女性になっていたら、裕貴が申請しても窓口で本人じゃないと言われて戸籍謄本を交付してもらえないと困るから、わたしが裕貴のふりをして申請したげるわ。」

「高原君、わかっとるだろうが。」
松岡専務が恐ろしい目つきで私をにらんだ。
「もし興信所の言う通りなら、当社に報告に来る必要はない。美沙にも二度と会わんでくれ。」

「パパ、わたしの交友関係に口出ししないでくれる。裕貴が女だったとしても元彼が女友達に変わるだけでしょ。わたしがどんなガールフレンドを持とうがパパに関係ないわよ。」

「むむ、それはそうだが・・・。」

美沙と私は会社を出た。

「先に坂出市役所に行かなくてもいいのかな?」

「でも、裕貴は三好市池田町に養女に入ったんだから、まず三好市役所に行くのが早いと思うわ。」

「養女なんて決めつけるなよ。でも確かに、先に池田に行く方が良さそうだね。叔父さんに会って確かめるのが確実だし。」

早速、近くの旅行代理店に行った。

「徳島県の池田町までできるだけ早く行きたいんですけど。」

「今日の夕方の飛行機で徳島まで行って宿泊されるか、今夜品川発の夜行バスだと明朝池田町に到着しますが。」

「直行のバスがあるんですね。じゃあ、それ二人分お願いします。」
美沙は何でもテキパキしていて、こんな時には頼りになる。

「じゃあ、わたしはこれから用があるから、それぞれ旅行の支度をして今晩バス乗り場に集合よ。明日は金曜日だから、場合によったら月曜まで泊まることになるかも知れないから着替えは多めに持ってきなさい。遅れちゃ駄目よ。」

「そっちこそな。」

「私がワンピースを一着余分に持っていってあげるわ。」

「どうして。」

「裕貴が女性だとわかったら女の子の服に着がえなきゃ。東京に帰ったらわたしのお古を沢山あげるわよ。裕貴の方が小さいから直したら着られるわ。」

「ばか。」

私は赤面したのを見られないように美沙から顔を背けた。

 

第2章 三好市役所

品川発の夜行バスが徳島県三好市池田町に到着したのは翌日の午前8時だった。美沙がインターネットで三好市役所のアクセスマップを調べてあったので、市役所まで徒歩で行って近くの喫茶店で9時過ぎまで時間をつぶした。

戸籍や住民票に関する窓口は市民課だ。証明交付申請書の本籍の欄には、現在の戸籍上の筆頭者であるはずの高原義弘の住所を記入した。申請者欄に高原裕貴と書いたが続柄の欄に長男と書こうとしてペンが止まった。もし興信所の言うように女性になっていたら、不審に思われて拒絶されるかもしれないと思ったからだ。

「ねえ、ちょっと外に出ようよ。」

「どうして。」

「いいから、ちょっと。」
私は美沙の手を引っ張って町役場から出た。

「続柄をどう書いたらいいだろう。」

「長女と書く方がいいんじゃないかな。」

「もし戸籍が男性のままだったら、変質者と思われちゃうよ。」

「じゃあ、続柄をブランクにして出そうよ。もし聞かれたら長女って言ったらどうかな。」

「その場合は美沙が高原裕貴のふりをするの?でも、身分証明書が必要って書いてあるよ。」

「そうか。裕貴は何か身分証明書を持ってるの。」

「学生証ぐらいかな。生年月日も入ってるし、うちの学生証には性別は書いていないから。」

「ちょっと見せて。」

私は財布から学生証を取りだして美沙に渡した。

「この写真なら髪も長いし女性といっても通るわね。」

「入学したばかりの頃の写真だし、ほんとに子供みたいだったから。」

「今と同じに見えるけど。そうだ、コートを脱ぎなさい。」

「どうするの。」

「とにかく脱ぎなさいよ。」
美沙も自分のコートを脱いで私に渡した。

「さあ、コートを取り替えるのよ。」

「いやだよ、ピンクのコートなんか。」

「いいからとにかく着てみて。」
半ば強制的に美沙のコートを試着させられた。

「最高。続柄欄に長女と書いてこの学生証を渡せば大丈夫。」

「もし男性の戸籍だったらどうするんだよ。」

「そしたら逃げ出して、二、三日後にもう一度くればいいのよ。さあ行きましょう。」

「こんな格好、人に見られたくないよ。」

「池田町に知ってる人がいるの?」

「池田町は徳島県だけど、讃岐山脈の向こうの坂出の実家までは40㎞ちょっとしかないんだよ。すぐそこの猪鼻峠を越えると知っている人がうようよしてるよ。」

「じゃあ、対策を打ってあげるわ。」
というと、美沙はハンドバッグからコンパクトを取り出して、いきなり私の頬をパフした。

「よ、よせよ。友達に見られたら一生笑い物だよ。」

「ばかね。素顔で女物のコートを着てれば裕貴って分かるかも知れないから、むしろお化粧してる方が安全じゃない。」
と言いながら、私が混乱しているスキに私の頬にハケで紅をはたき、手早く口紅を塗った。私は深呼吸して市役所に入り直し、窓口に申請書と学生証を出し、美沙と並んで窓口の前の椅子に座った。

二分ほどして窓口の男性が私の方を見て言った。
「高原さん、ちょっと申請書に間違いがありますね。」
やばい、私は立ち上がって、逃げ道をさがそうと後ろを振り向いた。でも良かった。やっぱり男性のままだったんだ。ほっとした気持ちの方が大きかった。私が逃げ出す前に窓口の男性が続けて言った。

「でも、単純記入ミスということでこちらで直しましたから。」

「あ、ありがとうございます。」
とっさに言って、料金を払い、逃げ出すように市役所を飛び出した。あの役場の男性は高原裕貴が男性なのに女装したとわかったからニヤニヤしてたんだ。言いふらされたらどうしよう。顔から火がでるほど恥ずかしかった。

「どうしてくれるんだよ、二度と池田には来れないよ。早く帰ろう。」

「まあ、とにかく戸籍謄本を見せて。」

元来たバス停の方向に歩き出した私を追いかけながら、美沙は戸籍謄本を読んですっとんきょうな声を上げた。
「なんですって。」

私は立ち止まって美沙の方を向いた。

「どうしたんだよ。とにかく早くどこかで化粧をふき取って、コートを取り替えてくれよ。」

「その必要は無いみたい。」

「どういうことだよ。」

「複雑すぎてわたしもわからないわ。」

「なんだよ。僕にも見せてよ。」

「待って。どこか落ち着けるところで一緒に見ましょう。」

美沙は役場に引き返す方向にすたすた歩きはじめて、役場の中の自動販売機の横にある椅子に座った。

「ここなら大丈夫よ。」

「いやだよ、僕を変質者としてさらしものにするつもりか。」

「いいから座りなさい。」
と言って、美沙は戸籍謄本を開いた。

私はそれを見て目を疑った。

高原裕貴は高原義弘の配偶者となっていた。

「なんてこった。」

「興信所の調査は部分的に正しかったのよ。ただ、叔父さんの養女になったんじゃなくて、2年前に叔父さんと結婚して妻になったわけね。」

「どうしよう。」

「とにかく、ここでは裕貴は女性なのよ。しかも人妻。」

「とんでもないよ。これから窓口に訴えてくる。」

「ばかねえ。笑い物にされるだけよ。どうしたらいいか、よく考えましょう。」

「早く化粧を落としてコートを替えてよ。」

「黙りなさい。」

うろたえる私の横で、美沙は真剣な目をしてしばらく考え込んでいた。

「そう、これしかないわ。まず、裕貴が人妻ではわたしも困るし、その点を解消するのが先決問題よ。だから、離婚届の用紙をもらってから、叔父さんに判子を押させること、それを一番急がないと。その後で戸籍の訂正の手続きをしましょう。」

美沙の言うとおりだ。市民課の受付に戻って色々な用紙を置いてある棚を探したが離婚届の用紙は見つからなかった。美沙が窓口の人から用紙をもらってくれた。

 

第3章 叔父の家

「さあ、叔父さんの家に行くわよ。」

美沙は市役所の駐車場に立っていた係員に住所を示して道を聞いた。歩ける距離ではなくタクシーで千円ちょっとだろう、と言われたので、タクシーに乗った。叔父は坂出の私の家にちょくちょく来ていたが、私は叔父の家に行ったことはなかった。

タクシーが止まったのは、川の近くの道路沿いに古い家屋が数軒ならんでいる中の一軒で、何十年か前に建築された時点では結構立派だったかも知れないと思わせる家造りだった。

「裕貴、ここのお嫁さんなのね。お気の毒。」

「怒るぞ。とにかく化粧を落とさないと叔父さんに会えないよ。」

「すぐに離婚届を出しに行きたくないの。そうならそのままにしなさい。」

美沙は戸を開けて、
「ごめんください。」
と言った。

しばらくしても応答が無いので、もう一度大きな声で、
「ごめんください。」
と繰り返した。

それでも誰も出てくる気配はなかったので、私は外に出て、ドアをドンドンとたたいた。
すると、隣の家から90才以上と言ってもおかしくない老婆が出てきた。

「高原さんのお知り合いかいの。」

「はい、親戚の者ですが。」
と美沙が答えた。

「義弘さんは定期健診に行っとって昼過ぎまで留守なんよ。お嬢さんたちはどこから来なさったんかいな。」

「東京からです。」

「東京の親戚の方で?」

「いえ、親戚というより、ここの家族なんですけど。」

「家族って、ほな、東京の大学に行っとりなさる若奥さんてあんたかいな。」

「わたしじゃなくって、こちらです。」
と私のお尻を押した。

「ほんまじゃ、若奥さんじゃ。写真は何度も見とるけんど、本物は初めてじゃ。」
老婆は高原の家に入って靴を脱ぎ、玄関口の居間に上がった。

「ほれ、この写真でよ。確かにこのお方じゃ。ほうかい、ほうかい。義弘さんが坂出の従弟の家から若い娘さんを嫁にもろうたと聞かされとったけんど、結婚式にも呼ばれてないし、式の写真も無いし、いっぺんも実物を見かけたことないし、近所でもウソでないかいなと言うとったんよ。これは義弘さんには内緒でよ。」

「大学の方が忙しくて、たまに帰っても一泊するだけだったんですよ。」
美沙が出まかせを行って調子を合わせた。

「ほな、まあ、お邪魔してもいかんけん、ゆっくりテレビでも見ながら待っとってください。」
老婆は私を何度も見ながら去っていった。

「いい加減なことを言うなよ。どこかで時間をつぶして夕方来ればよかったのに。」

「ここじゃあタクシーも拾えないし。それにわたし、顔も洗ってないから、ゆっくりできるところが欲しかったのよ。ちょっと探検してくるわ。」
と言って家中の部屋を見て回った。

「外観よりは立派な家よ。部屋数も多いわ。お風呂も改装されててきれいだわ。」

美沙は早速シャワーを浴びに行った。

「人の家なのに好き勝手なことするなよ。」

「人の家じゃないでしょ。裕貴はここの奥さんなのよ。」
美沙は勝手に見つけたバスタオルを胸に巻いて、自分のバッグから取り出した化粧水をつけながら言った。

「裕貴もシャワーを浴びてきなさい。」

私も化粧を洗い流したかったので、シャワーを浴びることにした。石けんで顔を洗ったが、タオルでこすると口紅の色がうっすらとタオルについた。今度はタオルに十分石けんをつけて、顔全体をゴシゴシ洗った。化粧の匂いが髪にも残っているような気がして、二回シャンプーをして、リンスをした。
何度かタオルを絞って髪と身体を拭いた。

「美沙、ごめん、僕のバッグを取ってくれる。」
と風呂場から叫んだ。

「隣に聞こえたらどうするの。小さい声でしゃべってよ。」
と言いながら、美沙は風呂のドアを半分開けて、さっき美沙が使っていたバスタオルを私にトスした。

「これに着替えなさい。」
と言って、美沙は自分のバッグから出した女物の下着とワンピースを指差した。

「バカ言うなよ。こんなもの着られるかよ。」

「裕貴はここのお嫁さんって想定なんだから、今度お婆さんが来た時に女に見えないとまずいでしょう。わたしの言うことを聞くのが嫌なら勝手にしなさい。わたし、帰るから。」

美沙は鞄を持って立ち上がろうとした。

「ちょっと待ってよ。」

「一分待つわ。」

美沙は思い通りにならないと、期限付きの最後通告をする悪癖がある。一人娘でわがままに育てられたせいだ。私は美沙が一分待つわというと、一分以上は待たないことを知っていたので、とにかく嫌々女物の下着を身につけた。ブラジャーを指でつまんで困惑していると、美沙が取り上げて無理矢理私の腕にブラジャーを通させ、背中のホックを留めると、ソックスをブラジャーの中に押し込んだ。

その時、玄関のドアが開く音がして、さっきの老婆の声がした。
「ごめんなして。」

「はあい。」
美沙が答え、私は急いでワンピースを着て、洗面所で髪をとかした。

「すみません、シャワーを浴びてましたので。」
美沙が老婆に言う声が聞こえる。

「草餅を作ったけん、食べてもらおうと思うて持ってきたんよ、」

「ありがとうございます。お気遣いなさらないでください。」

「若奥さんは、お風呂かいな。」
と言いながら老婆は風呂の方をのぞきに来たので、私とばったり顔をつきあわせる結果になった。

「あ、どうも。」
私はできるだけ細い声で言ってお辞儀した。

「奥さんと言うてもまだ娘さんやなあ。すらりとしたべっぴんさんじゃ。義弘さんもほんまに罪なことじゃ。」
老婆は顔をくしゃくしゃにして笑った。

「まあ、奥さん、座りなはれ。お茶入れるけん。」

老婆には帰る兆しは全く無く、台所でお湯を沸かし始めた。

その時、玄関のドアが開く音が聞こえた。

「誰が来てくれたんかいな。」

叔父の高原義弘が入ってきた。一昨年、父の葬式の際に見た時と変わらなかった。180センチ近くある長身で、背筋もピンと伸びているので50代といっても通るだろう。

「義弘さん、奥さんとお友達がお待ちですよ。」
叔父は顔をこわばらせて私の方を向いた。

「ゆ、裕貴さんかいな。」
私は発するべき言葉が浮かばず、叔父の目を見てアゴが震えた。

「高原義弘さんですね。ちゃんと説明してください。」
美沙が厳しい口調で言った。

「ほな、わたしは失礼するけん。水入らずで仲良うしてや。」
老婆はこう言って、あたふたと家を出て行った。

叔父は老婆が玄関のドアを閉めて出ていったことを確かめてから言った。
「待ってくれ。わしはあんたのお父さんに言われたとおりにしただけじゃ。悪気は無かったんじゃ。」

「なぜこうなったのか、分かるように説明してください。」
美沙が代弁してくれた。

「あんたはどちらさんですか。」

「わたしは裕貴のガールフレンドです。結婚するつもりでした。」
と、美沙が「結婚するつもり」を過去形で言ったのが引っかかったが、今はそれどころではない。

「ほなけど、裕貴さんはスカートはいとるし、女同士で結婚やなんて。裕貴さんはやっぱり女になってたんかいな。おかしいな、混乱してきたわ。」

「それはこちらが聞きたいことです。どうして戸籍がこんな風になっているのか、ちゃんと説明してください。」

「わたしがこんな格好をしているのは、ご近所の方への用心のためだけで、いつもは普通の男子学生です。」
小さい声で私は始めて叔父に対して発言した。

「そうですか。まあ、座ってください。」
叔父は私たちに座布団をすすめて、自分もあぐらをかいて座り、しゃべり始めた。

「わしはただ、保さん、つまりあんたのお父さんに言われたとおりにしたたけじゃ。保さんは死んだ叔父の一人息子じゃが、医者で、ずっと羽振りが良かった。はじめの奥さんが病気で亡くなってからしばらくは沈み込んでいたが、あんたの美人のお母さんがあんたを連れて後妻に入って、それはそれは幸せそうじゃった。あんたのお母さんにベタ惚れじゃったからのう。

ところがあんたのお母さんが交通事故で突然亡くなってから、保さんは別人のようになってしもうた。酒を飲んで荒れて、たまに叔父のわしが坂出に会いに行っても、殆ど口も聞いてくれんかった。あのころ、あんたはお母さんに生き写しで、男の子にしとくのはもったいないほど綺麗な子じゃった。普通、惚れた女房にそっくりの子だったら、可愛がるところが、逆目に出てしもうた。あんたは、保さんの家に入ってからずっと、保さんになつかんかった。保さんは初めからあんたが嫌いで、お母さんが死んでからは、憎しみがつのったようじゃ。

保さんが死ぬ少し前にびっくりするようなことを頼まれたんじゃ。保さんが言うのには、あんたは初めから半陰陽だったので、家を出る機会に手続きをして戸籍を女に変更したとのことじゃった。男から女になった人間を世間はまともに扱ってくれるはずがないから、わしの嫁として籍に入れてやってくれ、そのかわり、借金を帳消しにした上で、大学を出すのに十分な金をやる、と言われた。

わしは以前あちこちに借金があったのを保さんが肩代わりして助けてくれたことがあるが、その後も仕事がうまいこといかず、首が回らんかった。だから、常識で考えると変なことを頼まれても、断るわけにはいかんかったんじゃ。「裕貴くんは了解しとるんか」と聞いた。保さんは、「当然裕貴も了解しとるから心配するな」と言うとった。入籍などの手続きは全部保さんがやって、入籍後の戸籍謄本を持ってきてくれた。その時にお礼に大金をもろうた。

ところがじゃ。ひと月ほどして、保さんが倒れたという連絡が入った。わしが駆けつけた時にはガリガリにやせ細って、それこそ死相がありありと見えとった。その時わしは始めて保さんから聞かされたんじゃ。

保さんは鬼のような顔で言うた、裕貴が憎かったと。裕貴が死ぬべきところを神様が間違えて美津子を死なせた、美津子そっくりの顔をしてチンチンをつけた出来損ないの裕貴が生き残った、それが許せん、と言うた。仕返しに、裕貴の戸籍を女に変更して、叔父さんの嫁として入籍させた。わしはもうすぐ死ぬが、葬儀は密葬にして誰にも知らせないでくれ、全財産はわしが相続するように公正証書を作ってあるから、裕貴は養子になったと思わせて仕送りしてくれ。

そのうち、養子ではなく嫁になったと本人が知ったらびっくりするだろう、私の憤りを踏みしめつつ一生かけて美津子を弔わせてやってくれ、それがせめてもの仕返しだと、鬼のような顔をして言うた。自分は証拠も全部消してあの世に行って裕貴が困る様子を見てやる、と不気味に笑うとった。わしは、大変なことに巻き込まれてしもうたことに気づいて、震えがきた。」

「でも、本人に知らせもせずに戸籍を女に変更するなんて出来るんですか。」

「保さんは医者じゃから、色々出来たんだろう。替え玉を使って手続きしたとか言うとったが、わしは聞きとうないけん、耳をふさいでいた。それから一週間もしないうちに、日曜日の夜、保さんの医院が火事で焼けた。丸焼けで、何も残らんかった。保さんが証拠を消すと言ったのはこれだったのか、と気づいた。保さんが生まれてからその時までの全ての証拠が完全に消える、まさに完焼じゃった。ほなけんど、放火と断定できる証拠も見つからんかった。」

「あんたも犯罪の片棒をかついだわけだから、ただじゃすまされないわ。」
美沙が威嚇するように言った。

「叔父ちゃん、とにかく戸籍が元通りになるように協力して。そしたら犯罪とか言わないから。」

「犯罪の片棒を担いだなんて、とんだ言いがかりじゃ。わしは被害者じゃ。従弟から頼まれて子供と結婚してやったのに、なんと、女ではないことが分かったと申し立てたら、結婚詐欺事件になる。その場合犯罪人は裕貴ということになるな。訴えるのはわしの方じゃ。」
と居直った。

美沙は一瞬ひるんだが、反撃した。
「結婚して2年間も、妻が男だったと気づかなかったと言うの。裕貴にはチンチンがちゃんとついてるわよ。あんたが偽装結婚をしたことになるわね。」

「結婚したのに性行を拒んで、すぐに家を飛び出した。何年ぶりかで帰ってきて抱いたらチンチンがついとった、と警察に言うけんど、どっちを信じるかな。」
義弘は更に居直り、美沙の形勢が不利になった。

「ちょっと待って。犯罪とか、訴えるとか、叔父ちゃんにそんなこと言うつもりないから。とにかく戸籍を元通りにするのに協力して。」
と、私は懇願した。

「そういう風にしおらしく頼まれたら、穏便にしてもええ。離婚届を出すことには協力しよう。ほなけんど、女の戸籍を男に戻すとかは、わしの預かり知らんことじゃけん、自分で勝手に手続きしてくれ。」

「わかったわ。じゃあ、早速明日籍を抜く手続きしましょう。」
と、美沙が応じた。

「ひとつだけ条件がある。わしが保さんの娘を嫁にもろうたことは、近所に知れ渡っとる。ほなけんど、肝心の嫁が姿を見せたこと無いし、若い嫁をもろうたというのは嘘でないか、と噂されとる。それが今日突然嫁が帰ってきたのを、隣の婆さんにも見られたし、明日から居らんようになったら、やっぱり嫁をとったというのは嘘か、逃げられたかのどちらかだった、と噂されるのが目に見えとる。こんな田舎でそんな噂をされるのは嫌じゃ。悪いけんど、近所の人の前で、わしの嫁のふりをしてくれ。一週間でええ。その後、東京で勉強を続けるとか言うといてくれたら、近所の人は、義弘はんは嘘をついてなかった、ほんまに若い嫁はんをもろとった、と思うてくれる。戸籍を抜いても近所の人には分からんことやし、わしも格好がつく。頼む、一週間だけ、嫁のフリをしてくれ。」

「それで本当に全面的に協力することを約束するんだったら、その条件は飲むわ。」
美沙は私の意見も聞かずに叔父の出した条件に同意した。

「いやだよ。近所の人の前で女装して叔父ちゃんのお嫁さんのフリをするなんて。絶対に嫌だ。」

「嫌なら、法廷で争うまでじゃ。」
と叔父が強気に言った。

「バカね。たった一週間演技すればいいのよ。性別詐称で結婚詐欺として訴えられたらどうするの。週刊誌が書き立てて、結婚詐欺のオカマとして日本中で有名になるわよ。わたしのやり方に文句があるなら、勝手にしなさい。わたし、帰るから。」

「ま、待って、言うとおりにするよ。」
美沙が帰ると言うと、本当に必ず帰るタイプの人間であることを知っている私は、叔父の出した条件を飲むしかなかった。

今朝、市役所でもらった離婚届に叔父と私が記入して捺印した。同じ高原姓なのでハンコを貸してもらえて便利だ。

「ほな、来週の金曜の朝まで、しっかりわしの嫁を演じてくれたら、きれいさっぱり縁を切ろう。途中で逃げ出したり、女でないことがバレるとか、わしに恥をかかせたら、結婚詐欺じゃ。ええな。そちらが約束を果したらこの離婚届を渡すから、金曜日に市役所に出して帰ればいい。それまでこの金庫にしまっておく。」
と叔父は言って結婚届を金庫にしまい、鍵をかけた。

「一週間、きっちりあんたの嫁さんの役割を果たさせるわ。万一、裕貴が言うことを聞かなかったら、この電話番号に連絡してちょうだい。その場合は、わたしも二度と裕貴と口を聞くつもりはないから。」
と、美沙は私の目を見ながら叔父に言った。

「じゃあ、わたしは今日の夜行バスで帰るから、来週刑期を終えたら東京で会おうね。」

「待ってよ。僕一人置いていかないで。相談相手がいなかったら、どうしていいか分からないよ。」

「裕貴、あんた大人でしょ。自分に降りかかった災難に立ち向かえないようでは、結婚してからもわたしを守ってくれることもできないわ。たった一週間だからベストを尽くすのよ。それに、僕というのはやめなさい。今から一週間アタシで通すのよ。」

美沙は私の靴を履き、私のコートをひっかけて東京行きの夜行バスに乗り、ワンピース姿の私は叔父の家にに取り残されたのだった。

その夜、私は客間に布団を敷いて早々に床に就いた。

 

第4章 愛媛の写真館

「おはよう、裕貴。晴れてここがお前の家じゃ。」
私はどうすることもできなかった。

「裕貴、お茶入れてくれ。」
叔父は横柄な口調で私に言いつけた。

「なんで僕がそんなことせんといかんの。」

「そうか。言うこと聞けんのか。ほな、出て行ってもらうしかないな。」
叔父は私の弱みを完全に掌握している。言うことを聞くしかない。

「もう一回でも自分のことを僕と言うたら、出て行ってもらうからな。わしの嫁らしい、女らしい敬語でしゃべれ。ええな。」

私は無言できゅうすを探し、お湯を沸かしてお茶をたて、叔父に差し出した。

「何や、これは。黙って差し出されてもしょうもないな。」

「じゃあ、何て言えばいいの。」
私は、女言葉で聞いているつもりで叔父に言った。

「敬語も使えんのなら出て行け。お茶をお召し上がりくださいませとか、自分で考えてみろ。」

「あなた、お茶はいかがですか。」
数秒考えて、精一杯こう言った。

「まあ良かろう。」

「これからちょっと遠方の写真館に行く。嫁をもろうたはずが、結婚式の写真も無いようでは近所の手前話にならん。貸衣装して、ちゃんとした写真を撮ってもろうて、額縁に入れて居間に架けとく。近所の人も誰も疑わんようになること、間違いないだろう。」

「花嫁衣裳を着るってことですか。そんな馬鹿な。絶対に嫌です。」

「ほな、出て行け。」

結局、私は叔父の言うとおり、叔父の運転する車に乗って徳島自動車道から松山自動車道で愛媛県に入ってしばらく行った町にある写真館に行かざるをえなかった。叔父も私も知った人のいない場所で撮影するのが賢明だった。駅前の駐車場に車を止めて、10分ほど歩いてやっと到着したのは、田舎町にしては本格的な写真館で、貸衣装部門が併設されていた。

「ここまで来たら誰にも知られることはなかろう。」

写真館には主人らしい人物が座っていた。
「リハーサルで女装させてきましたが、実は息子が仮装コンクールに出ることになって、花嫁姿の応募写真を撮りたいんですわ。ついでやから、わしも花婿の衣装を着て、結婚写真と、しゃれこみたいんで、よろしくお願いします。」

「仮装の写真を捕りに来られるお客様は時々居られますので安心しておまかせください。」
リハーサルで女装してくるなどという説明が本気にされるはずは無いのだが、写真館の主人はニヤニヤとしたい様子など気配も見せずに答えた。

私はトイレに行かされた後、手際よく衣装部屋に案内され、写真館の主人の奥さんと思われる女性が手際よく採寸し、ウェディングドレスを選んだ。

「きっと、よくお似合いになりますよ。ウェストは少し小さめですけど、コルセットで締めれば大丈夫ですよ。さあ、この部屋で着替えてください。」

私はパンツだけの素っ裸になり、奥さんから渡されたブラスリップを着た上に、コルセットを着けられた。

「息を大きく吸って、そうそう、そして思いっきり吐いてお腹をできるだけぺちゃんこにしてください。はい、いいですよ。そのまま息を止めて。」
レントゲン技師のような口調でしゃべりながら、奥さんは思いっきりウェストのひもを引っ張った。

「待ってください。息ができません。苦しい。」
私は息絶え絶えに訴えた。

「ダメダメ、自分で息を止めてしまっては。絞めてあるから大きく息は吸えないから、いつもの十分の一の深さで息をするつもりで、小刻みに呼吸したら大丈夫ですよ。」

コルセットはウェスト以外の部分は私にとってはかなり大きめだった。奥さんは手馴れた様子で緩いところにフニャフニャしたゴムの塊のようなものをどんどん詰め込み、最後にその部分の紐をぎゅっと絞めた。

「これを二枚重ねではいてください。」

といって渡されたのは厚手のガードルで、コルセットの上から二枚重ねではくと、ブラスリップの上からわずかに見えていた股の膨らみは全くわからなくなった。

その上から純白のウェディングドレスを着せられたが、矯正されたボディラインに不思議なほどピタリとフィットした。鏡の中を見ると、こわれそうなほど細いウェストの下に純白のスカートが見事に広がっていた。鏡の中の顔を見るのが恐ろしい気もしたが、不思議なことに鏡の中の人物が自分であるという気持ちは全くしなかったので、意外に落ち着いていた。

「今までに来られた仮装のお客様の中で飛びぬけて一番おきれいですよ。というより、ちゃんとお化粧したら、創業以来お撮りした花嫁さんの中で十指に入ると思いますよ。」

そう言われると悪い気はしなかった。

ウェディングドレスを脱いで、隣の部屋で化粧された。多くの人の目に触れるのは嫌だったが、奥さんが自分で全部やってくれたので幾らかほっとした。ヘヤピースを上手く使い、地毛が適度に額を覆うようにされると、首から上が普通の花嫁のようになった。再びウェディングドレスを着てベールをかぶり、白い手袋をして仕上がった。

写場に行くと、叔父が花婿の格好をして待っていた。髪を真っ黒に染めた叔父は元々体格が良いだけに見栄えがして、1時間余り前に見た姿とは別人で、49才といっても通るかもしれないと思った。

「きれいやなあ、裕貴。ほんまにびっくりしたでよ。」

私一人の写真を20ポーズほど撮った後、二人の写真を何枚か撮影した。

「いつ仕上がりますか。」

「特急ですと明後日にできますが、普通料金ですと一週間かかります。」

「普通で結構です。来週受け取りに来ますから。代金は今払います。山田です。」
叔父は嘘の名前を告げた。

「もうひとつお願いなんですが、ウェディングドレス以外のおとなしい衣装で、このまま着て帰らせたいんですが、譲っていただけるものはありませんか。そんなに新しくなくても良いのですが。」

「はいはい、帰ってコンクールの練習をされるわけですね。それなら丁度良いのが幾つかありますよ。」
奥さんは私を衣裳部屋に連れて行って、おとなしいワンピースを幾つか着せ、叔父を衣装部屋に呼び入れた。

「今、着てらっしゃる紺が一番お似合いと思います。こちらの赤い方も華やかでお似合いですが、かなり古いものですので。」

「お幾らですか。」

「今、身につけられている下着も入れて、10万円です。後2万円出していただければ、こちらの赤いワンピースと、それにあう靴と、ロングのウィッグもお付けしますが。」

「ということは全部で20万円ですね。それでお願いします。」

私がウィッグを合わせている間に叔父は支払いを済ませ、赤いワンピースと、写真館まで着てきた服とサンダルを入れた紙袋を持って写真館を出て駐車場に向かった。

写真館で譲り受けた靴は10センチ近いハイヒールで、歩きにくいというよりも、初めは足を踏み出すのも苦痛だった。

「叔父ちゃん、もっとゆっくり歩いてよ。」
私は泣きそうに言った。

「そんな言葉遣いをするんだったら、置いていくぞ。」
何度目かの脅し文句だったが、朝までとは違うやさしい響きがあった。叔父は今の私を明らかに気に入っているようだった。

「あなた、もう少しゆっくり歩いていただけませんか。」
と言い直した。

正直なところ背筋を伸ばして立つことにも苦労するほどだったので、私は叔父の肩に手を回して、ぶらさがるように歩いた。叔父はまんざらでも無い様子で、時々私がつまづきそうになると、私の腰をささえてエスコートしてくれた。

駐車場に着くころには、叔父の肩につかまらなくても、割合普通に歩けるようになっていた。ただ、つま先が痛く、ふらふらだった。

「おなかがすいたなあ。」
朝から殆ど食べていないことに気づいた。

「ここでは顔を売りたくないからだめだ。帰り道でどこかに寄ろう。」

30分ほど車を走らせたあたりに、讃岐うどんの看板をかかげた立派なつくりのレストランがあった。もう午後3時を回っていた。二人とも、讃岐うどんとエビフライ膳のセットを注文した。

久しぶりの讃岐うどんはとても美味しく、東京で食べるうどんとは比較にならないことを実感してうれしくなった。しかし、うどんを半分ほどお腹に入れた時点で満腹になり、それ以上食べられなくなった。コルセットで締め付けているからだろう。

「裕貴、そんなちょっとしか食べんのか。女の胃袋は小さいのう。」
叔父はからかうようにそう言って、私が残したうどんを平らげた。

「それ、口をつけたんですよ。」

「何言うとるねん。夫婦やないか。」
叔父が答えた。

そのとき、お腹がゴロゴロと鳴って、猛烈なさしこみが私を襲った。同時に激しい尿意が持ち上がり、一分と持たないと感じた。私はお腹を押さえながらトイレの表示を求めて歩いた。

赤い女性の形のトイレのマークを目の前にして、身体が硬直した。このドアを開けるのは犯罪行為だ。理屈を超える潜在意識が私を金縛りにした。次の時、お腹がゴロゴロとなって、数秒以内にトイレに行かないと大変なことになる、と感じた。その次の瞬間、私はスカートをたくし上げ、二重にはいたガードルを下ろして便器に腰掛けていた。水のような大便が迸り出たのと、私がブラスリップの下のホックを外すことに成功したのはほぼ同時だった。小便はジョロジョロと出続けた。

その時、別の客がトイレのドアを開けて、隣のブースに入ってきたので、あわてて排水のレバーを下げた。それは正解だった。というのは、私の便器の排水が終わって静かになった直後に隣のブースで小便の音が聞こえ始めたからだ。その音は普段自分が便器に腰掛けてする小便とは全く異なっていて、直下型の単調な音だった。もし隣のブースの女性が私の小便の音を聞いていたら、女性でないことがばれて通報されたかもしれない、と冷や汗が出た。隣のブースの女性が出て行った音を確かめてから、服を調えて、トイレを出た。

鏡には、蒼白になった後で、頬に赤みが戻り始めた若い女性の姿が映っていた。ウェストラインを含めて申し分の無い、かなり美しい女性だ。鏡やガラスに映る自分の姿を見ることには大分なれ始めていたが、まだそれが自分だという実感はなく、夢の中のできごとのような気がしていた。

鏡の中では少し化粧が乱れていた。口紅がまだらになっており、口の周りの化粧がかなり剥がれてしまっている。うどんを食べた後で口の周りを拭いたり、化粧を意識せずに食事をしたからだろう。上下の唇をこすり合わせ、指を少し湿らせて頬から口の周りのまだらになりかけたところを軽くこすった。何とか見られる程度に修復できた。

「長かったなあ。大丈夫か。さっきは血の気が引いたようだったから心配したぞ。」
叔父が心配顔で聞いた。

「ええ。多分、お腹を締め付け過ぎたからだと思いますけど、もう大丈夫と思います。」

「女は不便やのう。」といって叔父は笑う。

「ほな、帰ろうか。高速に乗ったら1時間もかからんから。」

叔父は途中の小さなショッピングセンターで停車して、饅頭を15箱買った。
「近所に挨拶に回るのに手土産が必要やからな。」
といった。

「あのう、お恥ずかしいんですが、買っていただきたいものがあるんですが。」

「なんや。」

「コンパクトです。写真館でしてもらったお化粧が取れてしまって、さっきトイレで指でこすったりして必死で直したんですけど。お化粧って、しょっちゅう気をつけて直さないと、すぐにまだらになるみたいなんです。」

「ほうかほうか。きれいになりたいんやな。女らしくなってくれてわしも嬉しいわ。勿論買うたるで。」

「ありがとうございます。でも、そういうんじゃなくて、こんな格好をして人前に出るのにお化粧なしではばれてしまうような気がするし、お化粧がまだらになった顔を女の人に見られるとすごくみっともないと思うから。」

「言い訳はええから。何でも好きなのを買いなさい。」

叔父は私を化粧品コーナーに連れて行って、自分の好きな女優のポスターを指差して、
「これをひと揃い見繕ってくれるか。」
と店員に言った。

「はい、かしこまりました。お嬢様へのプレゼントですね。」

「違う。わしの嫁はんや。」

「どうも失礼いたしました。お若くてお美しい奥様でよろしいですね。」
と店員は言って、どぎまぎしている私をいすに座らせ、一通りのデモを施してくれた。

「眉に少し手を入れられると、ずっと楽になると思いますよ。今度お時間のあるときにまたお越しください。」

基礎化粧品とメークのシリーズがセットになって、総額8万円にもなったが、叔父は嫌な顔をせずに払ってくれた。

「サービス期間中ですのでポーチとカラーパレットをお付けしときました。」

化粧品を買ってもらって嬉しく感じる自分が不思議だったが、高いものを買ってもらってなんとなく心がはずんだ。

「あのう、あなた。出かけるときには、化粧品を何かに入れて持ち歩かないといけないでしょう。だから、そのう。」

「ハンドバッグが欲しいんか。わかった、買うたる。」

私は1000円コーナーに積んであるバッグの中から選ぶつもりだったが、叔父は自分でブランド物の真っ赤なバッグを指差し、
「これにしとけ、靴と同じ色やし似合うぞ。」
と言った。

7万円の値札がついている。

「そんな高いものじゃなくて結構です。一週間しか使えないんですから。」

「わしの嫁はんに安物を持たせられるか。恥かかすな。」

と言って、店員を呼んでそのバッグを買ってくれた。

複雑な気持ちで車の助手席に乗った。

叔父の自宅に帰り着いたのは午後4時半だった。

「隣の婆さんには早めに挨拶しといたほうがええな。」

「昨日はバタバタしとってすみません。嫁が帰ってきたんでご挨拶だけさせてもらおうと思うて。」

「家内の裕貴でございます。よろしくお願いいたします。」

「ほんまにお綺麗な垢抜けたお方じゃ。義弘さんにも家宝ものじゃ。今日からずっと一緒に住まれるんですかいのう。」

「いえ、一週間したら東京に戻ります。」

「そんなに短期間しかおられんのですか。」

「嫁にもらうときの条件やから仕方ないんじゃ。大学を出るまでは東京に住ませるということで。」

「今、何年生ですか。」

「3年です。ですから、あと一年あまりは東京住まいです。」
実際の学年を言うと、もうすぐ卒業することが分かってしまうので、一年サバを読んだ。

「どちらの大学ですか。」

「N大学の経済学部です。」

「N大学というと赤城さんの息子さんも行きなさった大学やなあ、義弘さん。」

「もう10年も前のことやがな。」

「今はおなごも経済やら難しい学問を勉強して偉いなあ。近頃の娘さんはお稽古ごととか無理にせんでも嫁に行けてええなあ。」

「何にもわかりませんので、一年あまりして帰ってきたら色々教えてくださいね、お婆ちゃん。」

「はいはい。困ったことがあったら、いつでも相談に来てね。義弘さん、気だてのええ子もろうて良かったなあ。おまけにこんな田舎にはもったいないべっぴんさんで。」

「おおきに。ほな、今日はそろそろ失礼します。」
叔父が上手く切り上げ、私たちは隣家を出て、次の家に挨拶に回った。

どの家でも結構立ち入った質問をされて冷や汗をかきそうになった。悪気は無いが、田舎の人たちは暇なだけ詮索好きだ。私の実家について質問が及んだ時は、叔父がうまくはぐらかしてくれた。私の実家がどこだかわかれば狭い世間ではきっと真相にたどり着く人が早晩出てくるに違いない。

4軒目で夕食を勧められたので、何とか断り、今日は4軒で切り上げることにした。

 

第5章 母の思い出

叔父の家に帰るとくたくただった。

一人暮らしに慣れた叔父は、お風呂にお湯を入れ始めた。

「腹減ったなあ。けど、裕貴に何か作れ言うても無理やろうしなあ。まあビールとつまみぐらいで済まそうか。冷蔵庫にちくわがあるから焼いといてくれ。」
と言い残すと風呂に入った。

「対外的に奥さんのふりをしてあげているだけだから、家の中では用事を言いつけたりしないでください。」
と言いたいところだったが、約束通り一週間を無難にやり通すことの方が重要課題なので、言うことを聞くことにした。

冷蔵庫の中にはちくわの他に、漬け物と卵があった。野菜入れを見るとジャガ芋、キャベツ、人参とタマネギが入っていた。キャベツと人参を千切りにしてサッと炒め、棚に置いてあるのを見つけた袋入りのインスタントラーメンの具にして盛りつけた。ちくわは斜めに二つ切りにして焼いた。

ちょうど食卓に並べ終わった時に叔父が風呂から出てきた。叔父はうれしそうな声を上げて食卓に座った。私はビールを空けて叔父が持つガラスコップに注いだ。

「ああ、うまい。極楽じゃ。」
ビールを飲み干すと叔父は言った。

「風呂から上がったら食事の支度が出来とって、女房がビールを注いでくれる。ええなあ。15年ぶりや。嫁はんが死んでから。夢みたいや。」

「わたしが高原の子供になるより前になくなったんですね。」

「交通事故で、あっけないもんや。うちには子供もできんかったから、それからはずっと一人で、味気ないもんやった。」

私は叔父が哀れになって、先ほど口答えなどせずに食事を作ってあげて良かったと思った。

「お前も飲め、裕貴。」

「いえ、わたしはお酒は弱いですし、まだ片づけもありますから。」

「そう言わんと、一口飲んでくれ。」
叔父はコップに残っていたビールを飲み干して、空になったコップにビールを半分ほど注ぎ、私に差し出した。

「じゃあ、これだけ頂きますね。」
コップを受け取って、二口で飲み干し、叔父に返した。

「あっ、すみません。」
叔父の手の中にあるコップに口紅のマークがくっきりとついていることに気づいた。ティッシューボックスからティッシューを一枚取り、コップを拭こうとした。

「ええよ。このままで。」
叔父は私の手を遮り、自分でビールを注いで、口紅のマークの反対側に口を付けて飲んだ。

「このマークは最後まで消さんように上手に飲まんとな。若い美人の嫁はんの、色っぽいキスマークやから。」
叔父はからかい気味に言ったが、本気でそう思っているような感じもした。

「本当は男なのに、そんなこと言わないでください。」
私は出来る限りぶっきらぼうに言った。

「裕貴。二度とそのことは口にするな。一週間、ちゃんとフリをして、そのまま東京に行ってしまってくれ。そうでないと離婚届は渡さん。」
威嚇的ではあるが、それは形だけで、懇願するといってもおかしくないような口調だった。

「15年前に前の女房が死んで、わしはしばらく抜け殻のようになって、仕事もうまいこといかんようになった。お前のお父さんが新しい嫁さんを連れてきたんは、丁度そのころやった。わしはお前のお母さんを見たとき、稲妻に打たれたように感じた。わしの初恋の人と似てたからや。」
叔父は遠い昔を思い出すように言った。

「いや、初恋の人といってもお前のお母さんと比べると月とスッポンや。お前のお母さんは見かけも中身も最高やった。わしはお前のお父さんが心底うらやましかった。それから、お前のお母さんがなくなるまで、わしはずっとあこがれとった。このことを口に出すのは今が初めてやが。」
私は、亡き母への告白をされて、こそばゆいような、うれしいような気持ちだった。

「お前のお父さんからお前を妻として入籍するという話を持ちかけられたとき、いくら金に困っとったからというて、普通だったら受け入れたはずがない。わしが言いくるめられることにしたのは、前に見たお前がお母さんが後妻に来たころにそっくりだったからや。」
母に似ている、ということは何度も言われてきたことだったが、悪い気がしたことはなかった。

「お前は、中学から高校になっても、大して声変わりせんかったし、からだつきも子供っぽいままだった。今でも、あまり変わってない。」
私にとっては人から触れられたくないことだったが、それも事実だった。

「今、裕貴を目の前にしてたら、お前のお母さんが甦ってここにいるかのような錯覚に陥る。いや、始めて見たときのお母さんより、今の裕貴の方がずっと若い。正直なところ、年甲斐もなくドキドキしとる。」
母への告白が矛先を変えて私に向けられた。私の方こそドギマギした。

「裕貴が戸籍上わしの妻やと思うと、ほんまにうれしいんや。たしかに、服を脱いだら女の体はしてないかも知れん。けど、そんなことはどうでもええと思うほど、わしは裕貴がそばにいてうれしい。もし、裕貴さえよかったら、このままここにいて、わしが死ぬまで嫁はんとして暮らしてほしい。」
好意から出た言葉ではあるが、到底受け入れられない申し出であることは間違いなかった。

「最近はニューハーフとか色々あるらしい。手術で要らんものを取ってしもうて、豊胸手術でもしたら、近所の人に裸を見られても心配なくなる。戸籍に合わせて体も女にしたらええ。」

「やめてください。約束通り一週間は言うとおりにしますが、その後は今まで通り男性としての生活に戻るんですから、変なことは言わないでください。」
私は、もういい加減にして欲しいという気持ちだった。

「いや、わしは普通に女が好きで、普通のセックスしかできん。裕貴ならセックスできんでも我慢する。一緒に暮らしてくれたらそれだけで満足なんや。」
叔父は懇願するように言った。

「ごめんなさい。わたしは女になるつもりも、女装して生活するつもりもありません。一週間だけ奥さんになったフリをしますから、その後はすっかり忘れてください。」

「そうか、やっぱり無理か。」
叔父はため息をついた。

「まあ、まだ6日あるからじっくり考えてみてくれ。」
叔父はこういうと、テレビのスイッチを入れて、新聞を読み始めた。

その夜はそれ以上の会話もなく、やがて各々別の部屋で床についた。

自分の本当の父が死んだ日のことは今でも鮮明に覚えている。

いつものように小学校から帰宅すると、玄関に鍵がかかっていて、
「市民病院に来てください。母。」
と書いた紙がドアに貼ってあった。

とてつもなく悪いことが起きたような胸騒ぎがして、自転車を飛ばして市民病院に行くと、病室のベッドには顔に白い布切れが被せられた父が横たわっていて、母がベッドに顔を埋めるようにして泣いていた。

交通事故だった。出張から帰宅途中の父は家のすぐ手前の通りの信号付近でひき逃げに会ったのだ。犯人は結局見つからなかった。

その日を境に私の境遇は一変した。小さいながらも機械工場を経営していた父のお陰で私は何不自由なく育ってきたが、父を失った工場は抜け殻も同様で、ふた月もたたないうちに倒産し、母と私は追い出されるようにして2DKの古い市営住宅に移った。母は近くのスーパーに勤め始めたが、父の残した借金の取り立てが厳しくて食費にも事欠くようになった。

翌日の給料日を待たないと給食費が払えないこともあった。私は給食費の封筒を家に置き忘れてきたふりをして、それほどまで貧しいということを友人に悟られずに済ませたが、翌月の給食費が期限内に払えるという保証はなかった。みじめだった。

そこで母はやむなく二駅先の町のクラブでホステスとして働き始めた。母は39才だったが、白くて完璧な肌が自慢の美人だったので、服装次第では30才と言っても通るぐらいだった。母はすぐに売れっ子になった。

でも暮らし向きが上向いたのはわずかの間だった。収入が増えると借金の取り立てもそれなりに厳しくなり、私たちは気の休まる暇がなかった。

その時、クラブの常連客だった高原保が母にプロポーズし、母はそのプロポーズを受けて高原と再婚した。高原は開業医で借金の残額約3000万円を完済してくれた。高原は母を3000万円で買ったのだ。それは、私が小学校6年になったばかりのことだった。

母は私に対して高原が好きでないと言ったことは一度もなかった。でも私は母が貧困と借金地獄から逃れたくて好きでもない男性との再婚に踏み切ったことが分かっていた。私は母似だった。単に顔立ちが似ているというのではなく、小さいときから感性が似ていて、母が感じていることは大体私の感じていることと同じだったからだ。

 

第6章 新妻二日目

新妻としての二日目は、近所への挨拶に明け暮れた。

昨日写真館で譲ってもらった赤い方のワンピースとウィッグでドレスアップした。昨日着ていた紺のドレスよりも、私の肌の色にしっくりと調和するし、幼く見える。

化粧は一見上手にできたように思ったが、鏡をよく見るとけばけばしくて不自然だった。一旦メークを落として、今度はできるだけ薄くファンデーションを塗り、最小限はたいて、教えられたとおりチークにハケを走らせた。目の周辺のメークもするかしないかにとどめた。今度はうまくいった。結局、ほんの薄化粧にするのがコツなのだと実感した。

叔父に連れられて近所を挨拶回りした。

どの家でも、まず私があまりも若いことに驚き、次に、垢抜けた都会女性だとお世辞を言ってくれる。その後に質問を浴びせられるが、その内容はどこでも似通ったものだった。

「大学はどちら?。」

「何を勉強してるの?」

「東京でお稽古ごとは何と何を習っているの?」

「どうして年の離れた叔父さんと結婚する気になったの。」

「いつ池田に帰ってくるの。」

「赤ちゃんはいつから、何人産むの?」

そのような質問にはすぐに慣れて、無難に答えられるようになった。

困ったのは過去に関する質問、特に通っていた高校の名前を聞かれたときには冷や汗が出た。

生まれ育った坂出と池田町は県こそ違え目と鼻の先なので、高校の名前を言うと高原裕貴が男子生徒だったことが何かの拍子に明るみに出るかもしれない。

叔父が上手く割って入り、
「嫁は高校入試に失敗して県外の私立に行ったんですよ。そのころのことは私にもしゃべりたがらなくて。」
と言うと、相手が気を遣って話題を変えた。

私が池田町について殆ど何も知らないことがわかると、こちらから聞かないのに、買い物はどこが安くて便利だとか、お勧めの美容院だとか、色々教えてくれた。

日が暮れるころには、近所の人たちはみんな私を知っている状況になった。

私たちは叔父の行きつけの寿司屋で夕飯をとることにした。

池田町は四国の真ん中の山の中にあるというイメージだが、実は北は瀬戸内海に意外に近く、また高速道路で鳴門市に通じているので海の幸はふんだんに手にはいるとのことだった。

疲れた私が夕食の支度をしなくて済むように、叔父が気を遣ってくれていることが感じられて嬉しかった。

叔父のすすめに従って中トロと穴子を食べた。赤貝を握ってくれたが、どうしても箸が進まなかった。
「どうした、嫌いなのか。」

「いえ、貝は好きですよ。でも、今朝から10軒近く回って、行く先々でお茶やお菓子が出たでしょう。さっきから胃がチャポチャポしてて、赤貝を見たらお腹がいっぱいになっちゃたんです。」

「そうか。まあ、無理をせんで、食べたいものだけ食べなさい。」
と言うと叔父は私の赤貝をペロリと平らげた。

叔父は上機嫌で寿司を楽しんでいた。

私はそれ以上何か口にすると吐いてしまいそうな気がしたので、時々お茶を飲むでもなく口をつけながら、叔父が寿司を食べるのを見ていた。

「どうぞ、あなた。」
お酒の酌をすると、叔父は心から嬉しそうな笑顔を見せた。

「こんなに穏やかで屈託のない笑顔を満面にたたえた人に出会ったことがあっただろうか。」

この人は私に完全に気を許しているし、包み込むように優しい。離婚手続きに応じる代わりに、一週間だけ奥さんのフリをすることを私に強制しているが、その点を除くと、素晴らしくいい人かも知れない。

東京に出てからの私は孤独だった。

いや、母を亡くしてからの私は、誰に対しても心を開くことを拒否し続けてきたのかも知れない。だから唯一の家族だった義父とも結局心が通じなかったのだろう。

閉ざされた心が解きほぐされたのは、美沙のおかげだったと思う。私は美沙には何でも話すことが出来たし、美沙も同じように心を開いてくれた。私にとって初めての親友で、かつ、お互いに結婚することが自然な成り行きと考えていた。

美沙は美沙なりに優しかったが、叔父が見せている優しさは、美沙とは違った優しさだ。何と言ったらいいのだろうか、肉親の愛情というか、大きな、包み込んでくれるような、暖かさがある。叔父は義父とは血がつながっているが、母の連れ子である私とは血縁は無く、肉親の愛情ということには無理がある。
よく考えれば、叔父にとって私は妻で、これは夫の妻への愛情なのだ。

「うふふ。」
突然可笑しくなって、つい笑ってしまった。

「どうしたんだ。一人で笑ったりして。」
叔父も笑いながら私の目をのぞき込んだ。

「いえ。妻でいるのも悪くないなって思うと、可笑しくなったんです。」
板前が耳を澄ましていることを意識しながら、冗談を言った。

「優しくしてもらえるし、昨日みたいに色々買ってもらえるでしょう。」

「おお、何でも買ってやるぞ。よかった、その気になってくれて。一週間という話は無しにしてくれるか。」
叔父は私の言ったことが冗談であると半分わかりながら、笑顔で応じた。

「ウッソ、でした。」
私は叔父の目をいたずらっぽく覗き込んで笑いながら言った。

「こいつめ。」
叔父も笑いながら言った。

見るからに不自然なカップルである私たちの会話に耳を澄ましていた板前はシチュエーションが飲み込めず混乱しているに違いない。そんな思いが私のいたずら心をかき立てた。

自分がこんなコケティッシュな会話をしかけること自体信じられなかったが、この会話が叔父と私の間の厚い壁のようなものを取り除いてくれた。

 

第7章 亡父からの手紙

叔父の家に帰ってホッとすると、急に腹に差し込みが来てトイレに駆け込んだ。それは激しい下痢で、便といえないような大量の水分が爆発するように排出された。血の気が引くのを感じたが、十分も腰掛けていると、すっきりしてきた。

「裕貴、大丈夫か。」
叔父がドアの外から心配げに声をかけてくれた。

「すみません。もう大丈夫です。」

トイレから出て、浴室に入りシャワーを浴びた。下痢の飛沫で下半身が汚れたような気がしたからだ。
昨日もそうだったが、下痢の元凶が補整下着であるのは確かだった。しかし、女らしく見せるためには明日からも着続ける必要があるので、下着一式を洗濯しておこうと思った。

乾燥機能付きの自動洗濯機の水量を最小にセットして、スイッチを入れた。

仕方なく、赤のワンピースをそのまま素肌の上に着た。

胸の詰め物が無くなってスカスカしたが、鏡を見ると、さほど不自然ではないのでほっとした。

「すみません。お先にシャワーさせていただきました。今、お風呂にお湯を入れてますからお待ち下さい。」

「おい、大丈夫か。昨日もそうだったが、さっきは顔色が青くなっていて心配したぞ。」

気遣ってくれることが嬉しい。
「写真館の下着がお腹を締め付けてるからと思うんですけど。」

「今、外してるのか。そういえばペチャパイになってるな。」
叔父の視線が私の胸元に注がれる。

「洗濯してるところなんです。下着は余分が無いので。」

「ペチャパイの裕貴はいつもより華奢で、却って女っぽさが増した感じがするよ。下着のことは気がつかなくてすまんな。明日買いに行こう。」

浴槽にお湯が入るまで、一緒にソファーに座ってテレビを見た。その時、叔父が思い出したように立ち上がり、寝室から白い封筒を取ってきた。

「保さんと最後にあったとき、これを裕貴が大学を卒業するときに渡すように言われてたんだ。少し早いが渡しておく。」

その白い封筒には「裕貴へ」と書かれていた。裏面には封がしてあって、左下に高原保と書かれていた。

「お父さんからわたしへの手紙があったんですね。」

ドキドキしながら封を開くとプリンタで印字された2枚の事務用紙が出てきた。

一枚には、大阪市内にある病院の住所と医師の名前が書かれていた。

もう一枚には、インターネット上に置かれたテキストファイルのアドレスが書かれていた。
用紙の表裏を見直したが、それ以外には何も書かれてなかった。

「何だろう、これは。」
叔父も頭をひねっていた。

「そうだ、多分これは保さんが言っていた医者仲間のことだろう。裕貴のことは、大阪にいる友人の医者が事情をわかっているから、自分の死後はその人に診てもらったらいいとか言っていた。その医者の名前も言わないうちに焼け死んでしまったので、わしもすっかり忘れていた。」
と叔父が言った。

「このインターネットのアドレスに父からの手紙がアップロードされてるかも知れません。ちょっと見てみますね。」
私はスマホにインターネットのアドレスをインプットした。

「保さんは、なんでそんな、ややこしいことをしたんだろう。」
叔父はいぶかしげに言って、風呂に入りに行った。

インターネット上に置かれたそのテキストファイルは、確かに父から私に宛てられた手紙だった。

「裕貴へ、

お前がこの手紙を見る頃には、私はこの世にはいないだろう。私は末期のガンに冒されており、既に全身に転移していて治療の可能性はない。早期発見していれば手術で直ったかもしれないが、気づいたときにはもう遅かった。医者の身でありながら誠に不覚だった。

お前が、合法的に戸籍を女性に変えてから約2年が過ぎたはずだ。お前が大学入試準備に必死だった頃に手続きを開始して、大学2年の2月に晴れて私の娘になったのだ。

「高原裕貴は女性だが生まれつき外性器が肥大し、陰茎と見間違えていた。高校に上がった後に、この間違いに気づき、精神的にも男性としての生活には強い違和感を感じていた。性の違和感に耐えられなくなり、高校を出て、東京の大学に行くのを良い機会として、女性性器の再形成手術を行い、戸籍も本来あるべき性に変更したいと決意した。」
これが手続きの際の説明だ。

勿論、医者である私にとって、手続きに必要な診断書やデータを準備することは困難ではなかったし、出頭が必要な手続きについては、金を使って別の女性を身代わりにした。

将来、戸籍抄本や住民票が必要になったときに、お前はその事実を知ることになるだろう。

私の死後、お前が戸籍の変更に気づいても、簡単に手続きをして戸籍を男性に戻せないように、義弘叔父さんと結婚してもらった。男の子だったお前を知っている義弘叔父さんはさすがに尻込みしたが、事業が失敗して取り立てに追われていたので引き受けてくれた。

私はもう長くない。余命は長く見積もっても3ヶ月だが、死を待つつもりはない。自らの手で、医院兼自宅と一緒に焼失するつもりだ。全ての記録や証拠とともに灰になるのだ。全財産を義弘叔父さんに相続する旨の公正証書を作った。その際、お前が相続放棄に同意した書類を作って、お前の実印を捺印してある。従って、火災保険金や私の全財産は唯一の肉親である義弘叔父さんが相続することになる。数億円の上の方というところだ。すなわち、お前は義弘叔父さんの妻でいる限り、何一つ不自由の無い人生を送ることができる。

しかし、義弘叔父さんと離婚をすれば、お前には一円も残らない。無一文のまま、バツイチの女性としてひとりで生活するか、あるいは自分で裁判を起こして性の変更を勝ち取り、貧相な身体の男性として生活するか、いずれかの道を選ばねばならない。

男性として生活するといっても、お前は中学に入ってすぐ左右の睾丸を失っており、男性としての第二次性徴を経験していない体では、仮に戸籍を男性に変更できたとしても、まともな人生を送るのは期待薄だ。それに、結婚と離婚の記録がある成人女性の戸籍を男性に変更するというのは、一般女性が性転換するのと同様、非常にハードルが高いはずだ。

そうそう、睾丸について説明しておかねばならない。

美津子の連れ子として、小学校5年で私の子となったお前は、私になついてくれなかった。当初はお前に気に入ってもらおうと思って、お風呂に一緒に入ったり、忙しいのに暇を作ってキャッチボールをしたり、私なりに色々努力した。しかし、お前はいつも汚いものを見るような目で私を見て、私を避けようとしていた。キャッチボールは極度に下手で、何度教えても速いボールを投げられず、まるで女の子のような投げ方だった。本が好きで、私の目に触れない場所で文学全集を読むばかりだった。

中学に入ってから、お前は長髪にした。私が髪を切れというと、極端に反発して、暴言を吐いた。お前はあの時何を言ったかを覚えているか?思い出したくもないが、私は死んでも忘れない。あの時のお前の目も決して忘れない。あの時、私は切れた。それまで我慢していたことがばかばかしくなった。あれ以来、私はお前を憎んだ。

お前が、ますます美津子に似てきたことも、却ってお前に対する嫌悪をかき立てた。私が世界で唯一人心から愛している美津子にそっくりの顔をしたお前は長髪にするとますます似てきたのだ。おまけに、お前は女みたいで、いつも私をさげすむような目で見た。私がお前を叱ると、美津子がかばった。お前の存在の何もかもが気に入らなかった。

お前が中学に入ったとき、美津子が死んだ。私はあまりのショックで気が狂いそうだった。全てがむなしく生きていく気力もなくなりそうだった。酒を浴びるほど飲んで、目の前に美津子そっくりの顔をしたお前を見つけた時、私はお前を一瞬いとおしく思ったが、次の瞬間に極度の嫌悪を覚えた。

その頃チャンスがやってきた。お前は咽頭炎をこじらせたのか、左の睾丸に菌が回って腫れ上がり、高熱を出した。悪魔のような考えが私の頭に浮かび、私はそれを実行した。お前の両方の睾丸を摘出して、シリコンのボールに置き換えたのだ。お前に男性としての第二次性徴をおこさないようにすれば、いつまでも美津子に似たままにしておけるだろう。私は美津子のレプリカを保存し、同時にお前に仕返しをすることができる。

その結果、お前は殆ど声変わりもせず、子供のような骨格のままで、身長もあまり伸びなかった。

高校に上がったころ、ビタミン剤と偽って女性ホルモンを数ヶ月飲ませてみた。2、3ヶ月で胸がふくらみ始めたが、お前はひた隠しにしていて相談にこなかった。私はお前の変化を入念に観察していたが、3ヶ月あまり過ぎると、体全体が明らかに丸みを帯び、女性としての第二次性徴が本格的に出始めた。やっとお前が相談に来たので、ホルモンバランスの乱れによる乳房肥大症と診断を下し、女性ホルモンの投与をやめた。つまり、普通のビタミン剤に入れ替えたんだ。

女性ホルモンの投与をやめると徐々に女性的形質が退潮していき、高校を出るころには乳房の膨らみも服の上からは殆どわからない程度になった。

お前が大学に入った直後、2年分のビタミン剤を送って、毎日飲むように言っておいた。実際には女性ホルモンの錠剤だ。もし、言うことを聞いて毎日飲んでいれば、今頃は義弘叔父さんの妻として相応しい肉体になっているはずだ。シリコンの睾丸の大きさは変わらないが、陰茎は小指よりも小さくなっているだろうから、早くシリコンの玉を抜いてもらい、その後、折を見て膣形成手術を受ければいい。

もし、私の言いつけを聞かず、ビタミン剤を飲んでいなければ、まだ子供のような体のままでいるかもしれない。でも遅くない。今からでもホルモン療法をやれば、お前は戸籍に相応しい体型を得ることができる。男性ホルモンを投与すれば体毛も生えてきて筋肉質になることは可能だが、もう骨格は大きくならないから、小柄で貧弱で小指大の陰茎を持った男性にしかなれないだろう。

義弘叔父さんが美津子を好きだったことは気づいていた。お前が美津子のレプリカのような外見を心して維持すれば、義弘叔父さんはお前のことを大事にしてくれるかも知れない。お前に美津子のレプリカとして生きる機会をプレゼントできて、私はあらゆる意味で愉快にこの世におさらばできる。

遠慮無く私を憎んでくれ。

義父より」

読んでいて驚愕と怒りが繰り返し私を襲い、震えがとまらなくなった。最後に絶望が残り、私はその場に座り込んで呆然となった。

「何が書いてあるんだ。」

風呂から上がった叔父が、私の手から携帯を取り上げた。

「お願い、見ないで。」

叔父から携帯を取り返そうとすがる私を払いのけて、叔父は書斎に入り鍵を掛けてしまった。

「見ないで、見ないで。」
私は書斎のドアを叩いて懇願したが、叔父は返事をしなかった。

中学に入ったばかりのころに去勢されていたなんて。

私の睾丸はとっくに取り去られて、シリコンボールに置き換えられていたというのか。信じられない。信じたくない。しかし、小学校時代には私より小さかった友人たちがどんどん大きくなり、声が太くなっていくのに、私一人が取り残されていった、あの恥ずかしさは心から消えない。

友人たちが射精のことを話していた時、私は何度も経験があるかのようなフリをして話に加わらなければならなかった。初めのうちは
「そのうち出来るようになるだろう」
と思っていた。しばらくすると、自分はその能力が無いように生まれついてしまったのではないだろうか、と不安に思うようになった。最近はほぼあきらめていたが、美沙にもそのことを打ち明ける勇気はなかった。

自分には生殖能力が全くないということが決定的事実になってしまった。それどころか、私は男性としての第二次性徴が始まらないうちに睾丸を失い、逆に女性ホルモンを長期間投与されていたというのだ。

高校時代に女性的な体の特徴を見られて恥ずかしい思いをしたことは何度もあった。必死で隠しながら男性的に振る舞っていたとは、今となって思えばピエロのような人生だ。

おまけに、父は私の身代わりを雇うという手の込んだことまでして、私の戸籍を変えたというのだ。

全て父の企んだことだったのかと思うと、心の奥底から怒りがこみ上げた。私が父をずっと好きになれなかったのは確かだが、ここまでの仕返しをされるほど、あからさまな憎悪を抱かれていたということが分かって本当にショックだった。

私にとっては、母が他所の男性と仲良くしていることが嫌だったのだ。私は母を取られたくなかった。その気持ちが伝わった結果、こんなことになったとすれば、自業自得かも知れない。

大学に入ってから父が送ってくれたビタミン剤は、時々しか飲まなかった。高校時代に乳房が大きくなったころに飲んでいたビタミン剤と見かけが同じだったので、何となく怖かったのだ。疲れたり、風邪気味だったり、何となく飲みたかったりした時だけ飲んでいた。

ここ数か月は就職活動や試験から来るストレスのため、殆ど毎日飲んでいる。高校時代ほどではないが、乳房がかなり膨らんでしまった。美沙には夏以降裸を見せたことはないが「最近女っぽくなったんじゃない。」と言われたことがある。

一度女性として結婚してしまうと、戸籍を男性に戻すのが難しくなるというのは本当なのだろうか。裁判をするとか書いてあるが、父が悪意で勝手に女性への変更手続きをしてしまったことは、この手紙によって証明できるのだから、届け出だけで手続きを取り消してもらえるのではないだろうか。

とにかく叔父さんの配偶者のままではどうしようもないので、やはり離婚届を出すことが第一歩だろう。我慢して、叔父さんの奥さんとして、一生女性のフリをして暮らすなどということは論外だ。

去勢のことを美沙に知られたらどうしよう。戸籍が女性になっていたことがわかっただけでも美沙のお父さんからあんな風に言われたのに、10年も前に去勢されていたことが分かったら、きっと美沙は私を相手にしてくれなくなるだろう。

しばらくして叔父が書斎から戻って携帯を私の手に返した。

私は敵意を込めた目を叔父に向けた。

「可哀想な子だ。わしが守ってやるから心配するな。」
叔父は嫌がる私を強く抱きしめた。

叔父の意外な出方に私はひるんだ。

「ひどいことをするやつだ、保は。まだ子供だったお前に仕返しするために男の証を手術で取ってしまうなんて。わしは全く知らなかったんだ。言われるままに籍を入れさせただけなんだ。結果的に保のたくらみに加担することになってしまってすまなかった。」
叔父は左手で私を胸に抱きしめたまま、右手で私の髪をなで続けた。

私は声を出して泣いた。悲しくて、くやしくて、涙が出続けた。

「わしが守ってやるから。わしが守ってやるから。」

叔父は私の髪をなでながら優しく繰り返した。

叔父に対する敵意が消えていった。結局、諸悪の根源は義父であり、お金に困っていた叔父の弱みにつけ込んで、私を妻として入籍させたわけだ。叔父は私を陥れるための陰謀に加担したというよりは、母に似た私を気に入って、こんなに優しくしてくれているのではないか。

「おじちゃん、おじちゃん。」
私は泣きながら叔父の胸にしがみついた。

「おじちゃん、じゃないだろう。裕貴はわしの最愛の妻なんだから。」

「あなた、あなた。」
泣くことだけが私の苦悩を和らげられてくれるような気がした。

叔父は私を抱きしめたまま後ずさって、ソファに腰を下ろした。私は叔父の左腕に頭を抱きかかえられる体制で、顔を叔父の胸に埋めたままソファに横たえられた。

そして、
「あなた、あなた。」
と、泣きじゃくり続けた。

「いい子だ。わしが守ってやるから、何も心配することはないんだ。」
叔父は右手で私の髪から太ももまでをゆっくりとなで続けた。

「あなた、あなた。」
とゆっくりと繰り返しているうちに、私を支配していた苦悩の重しが消えてしまって、「あなた」という言葉を発することが、あたかも歌を歌っているかのように自分を良い気持ちにしてくれた。ある瞬間、叔父の右手のストロークが腰からお尻を通過したとき、突然きらびやかなしびれが腰から太ももを襲い、太ももが激しく鳥肌だったのを感じ、息が止まりそうになった。右手の次のストロークが通り過ぎたとき、私の喉から
「ああっ。」
という声が漏れた。さらに次のストロークで、へそから脇腹にかけての筋肉がぴくぴくと震え、大きい声を出してしまった。

叔父は私の太ももが鳥肌立ったことを感知して、まずふくらはぎに右手を這わせ、鳥肌がふくらはぎまで広がったことを確認すると、スカートの中に手を差し入れるともなく、少しずつ太ももの奥へと、下からのストロークを上げてきた。リズミカルに這う叔父の右手は、太もものしびれを上へ上へと押し上げ、そのうち頭が電気刺激に包まれたようになった。

叔父は恍惚とした私の体を回転させて後ろから抱きかかえるようにして、私の首筋にキッスを滑らせた。太ももをなでられたときよりももっと強くて熱いしびれが走った。叔父の両手は私の両胸をつかんで、もみ上げるように捏ねた。ワンピースの上から、私のへその横から脇にかけて両掌でさすり上げ、その両掌をそのまま乳房を持ち上げようとするように前に滑らせる動きを開始した。何度目かの動きで私の体は自由を奪われ、首筋を這う唇と、体の側面をこすり上げる掌の動きの中に意識が飛翔していくのを感じた。

次の瞬間、私はアヌスに叔父の屹立した逸物がぐいぐいと侵入してくるのを意識し、痛みと、驚きと、味わったことのない感覚によって意識を取り戻していた。いつの間にワンピースが取り払われたのか、全く記憶はなかった。確かなことは、ソファーに座った叔父に芯を貫かれた全裸の私が後ろから抱きかかえられているという事実だった。

叔父の両手は私の胸の膨らみをしごき上げるようにして、私の体を上下動させた。乳首が固くなって、叔父の掌がこするたびに乳首が悲鳴を上げた。アヌスが段々熱くなり、ついに頭のてっぺんまで火照るようになったとき、叔父が声を出して私の中ではじけた。私も再び気が遠くなった。

次に意識が戻ったのは叔父のベッドの中で、私は全裸の叔父の腕枕で寝ていた。叔父の体臭に混じって、今まで臭ったことのない酸っぱい臭いがする。これが精液の臭いなんだろうか。

友人が射精の話をするたびに知っているようなふりをしていた精液というものとの生まれて初めての出会いだ。10年近前に去勢されたことで、私にとって一生無縁になったはずの精液と、こんな形で対面することになるなんて・・・・

今、生まれて初めて、母以外の人と素っ裸で体を寄せ合っている。それは男性で、その人の腕と精液の臭いに抱きかかえられて横たわっている。私はその男性の胸にしがみついて泣き、愛撫を拒みもせずに受け入れたのだ。そして、どんな形にせよ、これは私にとって生まれて初めてのセックスだった。

そんなばかな。今私が目にして、肌に感じていることは紛れもない現実だが、小説か何か非現実の世界の中で起きている他人事のように思える。もう、どうだっていい。私は10年近くも前に男ではなくなっていたのに、シリコンの睾丸を後生大事にぶら下げ、それを知らずに普通の男のように振る舞おうと、滑稽な努力を続けていたピエロなのだから。もう、自分なんて、どうなってもいいんだ。

そんな投げやりな思いが眠りを誘って、いつしか深い眠りに落ちていた。

翌朝、私は叔父がトイレに起きようとする気配で目が覚めた。
カーテンの外には朝の日差しがあった。

一瞬、自分はどこにいるんだろうと思った。すぐ目の前にある毛むくじゃらの両足が、ベッドの横に立つ全裸の男性のものだと認識するのに2、3秒かかった。両足の付け根に屹立した男根を見て、昨夜の記憶が怒濤のように甦り、思わず赤面してしまった。

おちんちん、それは薄皮に包まれた小指大の芋虫のことだと認識していたが、黒光りする巨大な男根を見て恐怖におののいた。

「白いすべすべした肌で、ほんまに綺麗な体をしとるなあ。」
素直に賛美してくれる叔父の声で、さらに赤面した。

「一緒にシャワーしよう。」
叔父はとまどう私の肩を抱えるようにして、浴室に入った。

私は、髪にも精液がついているような気がして、それが嫌でシャンプーした。

叔父は両手の指を立てて私の髪を首筋から上に向かって梳くようにシャンプーしてくれた。

だんだん気持ちよくなって思わず「ああっ」と上を向いた時に叔父が唇を合わせてきた。

私は両手で叔父を突き放そうとしたが、力が入らず、石鹸のついた私の掌は叔父の胸から滑ってしまい、叔父と胸を合わせる格好になってしまった。叔父の屹立した逸物は私の下腹を突き、上方に滑って私のへそからみぞおちにはまるような位置で落ち着いた。

叔父の十本の指と唇のリズムに呼応して私の体が上下すると、腹部に密着した叔父の逸物と両睾丸が私の腹部の感じやすい所を責め立てた。

はからずも頭の中が白くなった。次の瞬間、目が覚めたときから感じていた尿意が解放され、私は小便を漏らしてしまった。排尿の快感と恥ずかしさが加わって、私の頭は快感の中で大混乱状態になっていた。

「裕貴、裕貴、くわえてくれ。」
叔父が突然私の口を自分の逸物の位置まで下げ、口にねじ込んだ。

「たのむ、しゃぶってくれ。もうすぐ出そうだ。尺八やってくれ。」
叔父は手で私の頭を前後左右に動かした。叔父の長い逸物が喉を突いて、オエッと吐きそうになるが、叔父は容赦せず、自分の手の代わりに私の首から上をあたかも機械のように使ってオナニーをしているようなものだった。

「舌を使ってくれ、そうだ、ああ、来る、来たっ。」
叔父は何度か「うう」という声を出しながら、不思議な味の粘液を私の口の中にまき散らした。昨夜覚えた独特の臭気が鼻を突いた。

「お前は本当に絶品だ。世界一の女房だ。」

叔父が私を立たせて強く抱きしめた拍子に、私は口の中の精液を飲み込んでしまった。叔父はそれに気づいて勝ち誇ったような笑顔を浮かべた。
「可愛いのう。大事にしてやるからのう。」

叔父の真っ黒な男根は硬さを失わず狭い風呂場で向き合った私のお腹をツンツンと突く。叔父は私の両手に屹立した一物を握らせ、私の手を前後させてオナニーのようにピストン運動を楽しむ。一物の表面に残ったヌルヌルとした精液が私の掌の中の熱を帯びた固い棒を生き物のように感じさせる。

これが精液なんだ。

これがおちんちんなのか。

知っているつもりだったのに全く知らなかった二つのものが衝撃的なほど眩しかった。

叔父はシャワーで軽く体を流して風呂場から出て行った。

私はタオルに石鹸をつけて体の隅から隅まで綺麗にした。

私は混乱していた。男性の逸物を受け入れたり、精液を飲み込んだり、本来考えられないことを平気でしている、させられている自分が、不思議だった。自分ではない、誰か別の人がそうしているかのような気がしていた。

嫌悪感は無いといったら嘘になるが、それほど強烈な嫌悪感というより、羞恥心に似た感情だったが、予期してなかった様々な快感の記憶が、マイナスの感情を中和していた。

愛情とまではいかないが、少なくとも私は叔父が、どちらかといえば自分にとって好ましい味方かも知れないと感じ始めていた。

風呂場を出て、乾燥機の中で乾いていた下着をつけて、一昨日と同じ紺色のドレスを着た。昨日の朝の手順を思い出しながら薄く化粧をした。今日は一回でうまくいった。

「そうだ、父の手紙のことは美沙にも見せよう。」

手紙に書かれていたことは、できれば美沙には隠しておきたいことが殆どだった。特に、去勢されていたという事実を知らせると、美沙との結婚の可能性は完全に無くなる。でも仮に美沙をだまして結婚できたとしても、結婚後に全ての嘘はばれてしまう。そうすれば私は美沙も深く傷つけることになるだろう。

やはり美沙には隠しておけない。父からの手紙は、そのまま美沙にも読んでもらおう。

私は美沙に携帯でメールを書いた。

「美沙、大変なことがわかってしまったんだ。父が僕に手紙を残していたことがわかった。手紙といってもインターネット上に残されたテキストファイルをダウンロードしたものだ。読んだら美沙は僕を軽蔑するかも知れない。でも隠せることではないと決心した。裕貴。」

送信ボタンを押しかけたが、押せなかった。美沙を永遠に失うことが怖かった。いずれ知られることになるとは思うが、今は止めておこう。私はこの原稿を下書きとして保存した。

 


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