桜沢ゆうの 「第3の性への誘惑」は若い日本人ビジネスマンがインド出張中に、ふとしたことからヒジュラ(Hijra)の世界に足を踏み入れてしまうという小説です。ヒジュラの社会は、合理的で強固なヒエラルキーの元で、様々なルールや儀式によって成り立っています。
「第3の性への誘惑」はそのような社会の構造や儀式(とりわけ無麻酔のトランス状態で男性を捨てる儀式)に当事者として踏み込む意欲的な試みの小説で、取材・調査に長時間を費やした作品です。
(同人評) インドのヒジュラと呼ばれる女装した去勢男性の集団がいることは日本でも知られていますが、その詳細に関する書籍は数少なく謎でした。本書はヒジュラの社会にインサイダーとして踏み込み、インドの階層社会の明暗が描かれた意欲的な小説です。
約7年に渡る主人公の希有で壮大な体験がフォレスト・ガンプ(映画)を思い起こさせるタッチで描かれた長編(約11万文字)のロマンス・ファンタジー小説です。
第3の性への誘惑
性転のへきれき
序章
第3の性に関連して、ヒジュラに関する体験談をお話ししておきたいと思います。
昨年の秋、北インドに取材旅行に行ってきました。砂漠の州ラジャスタンを訪れるのは2回目ですが、日本人にとってインドの中でも特にエキゾチックに感じられる地域です。
出版社の方にインドの企業主と知り合いの方がいらっしゃって、その方の紹介でジョドプールというラジャスタン州第2の都市に滞在しました。人口が129万人の都会ですが、砂漠の中の広々とした田舎町で、古いインドの面影が残る街です。
私はその社長さんにとって「知り合いの友人である作家」に過ぎないのですが、まるで先進国の文化人のように手厚くもてなして頂きました。ジョドプールではお金持ちの家は必ず石造りです。石造りといってもブー・フー・ウーのウーのお家のような代物ではなく、ジョドプールストーンと呼ばれる砂岩の壁材と大理石の床材でできた豪邸です。
真夏に摂氏50度を超えることのある砂漠地帯の街では、厚い石の壁でできた家だからこそ快適に過ごせるのだそうです。私が滞在した11月は昼間は20度台ですが朝夕はストールなしでは寒すぎる季節でした。
私はその豪邸の客間に泊めて頂き、社長さんの奥様から毎日異なるサリーを貸りて、約1週間インド人のように過ごしたのです。
北インドの女性の多くは今も毎日サリーを着て生活していますが、サリーを着るのは簡単ではありません。
サリーとは約120センチ幅で6~7メートルもの長さのある美しい布です。これを2メートルほど残して腰にグルグル巻いて、最後の2メートルを使って肩から後ろに垂らす装飾部分を作りつつ腰や胸を覆います。慣れればスカートに思い通りのプリーツを作ったり、美しいドレープを随所に見せることが可能ですが、実はサリーの着付けというのは非常に奥の深い芸術的な秘技なのです。
私は何度も教わったのですが全然ダメで、きつめに巻くと布巻の刑に処された遊女のようになるし、緩めにしようとしたら歩行中に解け落ちてしまいました。サリーの下にインナースカートをはいているので外国人としては大して恥ずかしくないのですが。結局最終日まで奥様に着付けを手伝っていただくという始末でした。
ジョドプールの女性は、農婦もサリーを着て農作業し、何をするにもサリー姿です。真っ赤な綿のサリーが灰褐色の大地に美しく映えていました。昔、日本人が何をするにも着物を着ていたのと同じです。
そんなジョドプールで、普通の女性と比べて非常に派手なサリーを着て装飾品を身につけた、大柄な女性の集団に出会いました。丁度近所で結婚式が行われており、お祝いに呼ばれた芸人のようにも見えましたが、北インドのシャイな女性とは雰囲気が丸で違っていて、アメリカ女性のように陽気に騒いでいました。
パチパチと手拍子を入れながら独特の踊りを楽しそうに踊っていて、人々が少し遠巻きに見ています。私も飛び入りしたくなって、見よう見まねで一緒に手をたたきながら踊り始めました。
すると、全く予期しなかったことが起きました。その日、私を市内見学に連れてきて頂いていたのは、社長さんの従兄弟だったのですが、突然、
「ストップ・イット」
と怒鳴り、私の手を乱暴に引っ張って、待たせていた車のところまで歩いていき、私を乱暴に車の中に押し込んだのです。
車の中で、
「ネバー・ドゥー・イット・アゲン!」
と、まるで召使いを叱りつけるかのような口調で私に申し渡しました。
それまでは、私をあたかも外国の大先生のごとく丁寧に扱ってくれていた人が、ガラリと態度を変えたのでした。結局、市内見学は半日で打ち切られ、私は社長さんの家に返されました。
私は何が起きたのか分からないまま沈み込んでいましたが、奥様にその日の出来事を話すと
「それはダメよ。」
と言って、理由を教えてくれました。
大柄な女性の集団はヒジュラという極めて卑しいカーストの人たちで、決して交わってはならない人々であること、特に人前で手拍子しながら踊る行為に女性が加わるのは売春婦になるのと同程度に最悪であり、例え外人であっても許容されない、ということでした。
さらに、ヒジュラはサリーを着ていても女性ではなく去勢された男性であると聞いて、あの集団の中でも数人は、おかまっぽい骨格であったことの理由が分かりました。
「ヒジュラというのはカーストだとおっしゃいましたよね?」
と奥様に確かめたところ、
「そうよ。カーストよ。」
と答えてくれました。
「カーストって、大昔から今まで続いてきたものですよね?去勢された男性だけの集団なら子供が作れないから、カーストとして続かないんじゃないでしょうか?」
私の素朴な質問に対する答えは、
「毎年どんどん補充されるのよ。ヒジュラが男の子を誘拐して去勢したり、貧しい家庭が食い扶持を減らすためにひ弱な男の子をヒジュラに売ったり、男の子が自分の希望でヒジュラになったりするから、全体の人数は減らないのよ。」
とのことでした。
男の子を誘拐して去勢するとか、信じられないことばかりですが、さすがインド、と圧倒されました。
夕方社長さんが会社から帰って来て、何となく視線が冷ややかだったので「私の乱行について従兄弟から聞いたんだな」と直感し、
「今日は何も知らずに恥ずかしいことをしてしまって申し訳ございませんでした。明日から気をつけます。」
と先手を打ちました。
「外国人だから仕方ないですよ。」
と社長さんが笑顔で答えたので一安心。
ところが、夕食は、いつもは社長さんの隣の、いわゆる貴賓席だったのが、社長さんから一番遠い席を与えられたのです。「真似をするだけでそこまで汚れるとは、よほど蔑まれているカーストなんだな。」と悲痛な気持ちでした。
昔から、困っている人や虐げられた人を見ると助けたくなる性分だった私の心に、ヒジュラに対する親近感と共感が湧いてきました。
帰国後、ヒジュラに関して多くの情報を収集し、色んなことを考え、想像しました。その結果生まれたのが今回の物語です。
子供の頃学校でインドにはバラモン・クシャトリア・ヴァイシャ・シュードラという4つのカーストがある、と学びましたが、ヒジュラは最下層にも含まれない、いわゆる「不可触賎民(アンタッチャブル)」の中でも最も蔑まれるカーストのひとつです。
正確にはカーストではなく「ヒジュラと呼ばれるアウトカーストの人々」と言うのが正確であるとのことです。
結婚式や男子が生まれた新婚家庭にお祝いのために招かれ(押しかけ)お金をもらうこと、商店を回って少額のお布施をもらうことと売春が主な収入源です。ヒジュラは口に出したことを実現する能力、とりわけ男子を種なし・インポにする呪いをかける能力を神様から賦与されたと信じられているので、怖れられているのです。
ヒジュラになるには、まず、その地域のヒジュラの「子分」になる必要があります。そのボスをGURU(オーム真理教のグルと同じ単語です)、子分のことをCHELAと呼びます。GURUは自分のCHELAの収益(物乞い・売春のなど売り上げ)の一部乃至全部を上納させる代わりにCHELAを庇護するというシステムになっているようです。
一般にヒジュラといえば去勢男性と思われていますがそれは間違いで、去勢するかどうかは本人の選択によります。去勢すると「れっきとしたヒジュラ」と認められやすいので、大半は去勢を希望するようです。
去勢といっても単にちょん切ればよいのではなく、女神の手先としてのダイ・マ(産婆)の資格があるヒジュラが、NIRVAN(ニルヴァン)という儀式によって施術することになっています。バフチャラ・マタという女神の像の前で女神の名前を繰り返し唱えることによりトランス状態になったヒジュラの睾丸摘出と陰茎切除は、ダイ・マが鋭利な刃物を使って無麻酔で実施します。止血は一切せずに、悪い血が流れるままにするそうです。
そのような伝統的な去勢儀式はタヤンマ(THAYAMMA KAI)と呼ばれますが感染等のリスクが高く、病院での簡易な去勢手術も一般的になっているそうです。
いずれにしても、NIRVANは睾丸摘出と陰茎切除が基本であり、膣形成(いわゆる性転換手術)は含まれませんので、売春といっても膣を使わない行為が基本です。ごく一部の経済力のあるヒジュラは膣形成手術を実施する場合もあるそうですが、一般的ではないようです。
結婚式に勝手に押しかけてきたヒジュラは「本物のヒジュラかどうか証拠を見せろ」と言われる場合があり、一瞬スカートをめくって手術の後を見せなければなりません。本物のヒジュラでなければ呪う能力が無く怖れるに足りないので「帰れ」と言われるそうです。
タイの病院で最高のドクターによる最新の性転換手術を受けた場合、ボイスセラピーが完璧で女性と見分けがつかなければ呪いの能力が無いと思われ、結婚式のお祝いに行っても「お布施はやらない、帰れ」と言われるかも知れませんね。
第1章 暖炉の前で
「もう一度ジャイサルメールに行った時の話をしてちょうだい。」
暖炉の前のカーペットに寝転がった私の髪を手櫛でゆっくりと梳きながら母が私にねだった。
「何度も話してあげたでしょう。また同じ話をしろというの。」
私は意地悪く母に返事した。何度も、というより、今までにもう何十回も同じ話を繰り返してきた。
ジャイサルメールで何が起きたのか、もし私が言葉に詰まれば母が代わりにしゃべれるほど熟知しているのに、母は私が時々恥じらいながらしゃべるのを聞くのが好きなのだ。
私の身に起きたことは余りにも唐突で、不自然で、その都度私がとった行動も決して褒められたものではなかった。でもその結果、私はこうして母と満ち足りた時間を過ごすことができるのだ。
もし歯車がひとつでも狂っていたら、私の人生は全く異なるものになっていただろうと思う。
第2章 初めてのインド出張
学生たちの夏休みが終わって、再び朝の東西線のラッシュを拷問と感じ始めたある日のこと。
課長代理の山賀さんと客先回りから冷房の効いた会社に戻ってほっと一息ついていたとき、課長から「鈴木君、ちょっと。」と呼ばれた。
「山賀君の10月のインド出張には君も同行しなさい。」
と課長から言われた。
「は、はい。分かりました。」
心の中では小躍りしていた。そのうち連れて行ってもらえるとは思っていたが、4月に営業2課に配属になったばかりの僕が、その半年後に海外出張に行かせてもらえるとは予想外だった。
僕の名前は鈴木小次郎。昨年大学を卒業して大手専門商社に入社した23才のサラリーマンだ。入社1年目は物流部門に配属され、貿易に関連する物流や保険などの実務について勉強させてもらった。真面目な就業態度が気に入られたのか、4月の営業2課の増員の人事で、僕が指名され、営業2課に配属になった。
営業2課では食品添加物の輸入販売業務を担当する山賀課長代理のアシスタントとして、営業見習い兼秘書のような仕事をしている。
「よかったわね、鈴木君。お土産期待してるわよ。」
営業2課の一般職の西田さんが僕にウィンクして、出張の命令が出たことを祝ってくれた。西田さんは一般職だが部のOLたちの総元締めのような存在であり、半分秘書的な仕事をしている僕にとっては上司のような存在だ。
山賀課長代理はニューヨーク駐在経験のあるエリート営業マンだ。二人のお嬢さんを持つ39才の既婚者だが、元アメリカンフットボールの大学リーグで名前の知られたスポーツマンで、甘いマスクの長身に憧れている女子社員も多い。
僕は山賀課長代理とは対照的で「一割引秘書」と言われているそうだ。一割引きというのは山賀課長代理の身長に0.9を掛けると163センチになるからだ。一般職の制服を着せればそのまま秘書になれそうな外見なのに、残念ながら男性だから秘書としても一割引だ、という意味が入っている。これは課内の飲み会で酔っぱらった3年上の先輩から聞いた話だ。
しかし、チビで女性にもてない男かというと、それも正反対で、僕に近寄りたがる女性社員の数は、既婚の山賀課長代理に劣らない。女性社員には高倉健のような男っぽい男とか、福士蒼太的な絵に描いたような長身のイケメンだけでなく、自分たちに負けない美しさや可愛さを求める人も結構多いのだ。地元でミスコンに出たこともあるモデル系美人の母親の血を引いた僕は、まさにそのタイプとして人気がある。身長だけは母のDNAが受け継がれなかったのが残念だが、僕は僕なりに自分の身体が気に入っていた。
出張命令をもらった僕は以前にも増して仕事に励み、山賀課長代理の担当する分野の商品知識を勉強したり、商品ごとにメーカーの製造能力や特徴を比較する表を作ったりと、出張の準備に忙しい毎日を過ごした。
10月1日の朝、僕たちは成田発デリー行きのフライトに乗った。旅慣れた山賀課長代理は、右側の非常口の横の二人席を予約した。うちの会社は管理職にならないとビジネスクラスは使えないので、大柄な山賀課長代理でもエコノミークラスで我慢しなければならない。
「横に座るのが鈴木君だからゆったり乗れて楽で助かるよ。」
と山賀さんが言った。
インド領空に入る頃、右側にヒマラヤ山脈が見えるとの機内アナウンスがあり、窓のシェードを上げると、遠くにヒマラヤが見えて、その威容に感動した。
デリーで入国手続きし、国内線でジャイプールに飛んだ。ジャイプールはラジャスタン州の州都で、ピンクシティと呼ばれている。ピンク色の石材の産地で、街全体がピンク色をしているからピンクシティという名前がついたのだ。
ジャイプールでは食品に使われるハーブの輸出業者を訪問した後、業者が市内を観光案内してくれた。驚いたのはエレファント・ライドで、文字通り象に乗るのだ。象に直接乗るのではなく、象の背中に2、3人分の座席が固定されていて、乗り場の2階席から乗り込むのだが、長い坂を上ってアンベール城までの約20分間象の背中に揺られるという貴重な経験をさせてもらった。
その夜、ジャイプールの鉄道駅から寝台車に乗り、翌朝ジョドプールに到着した。ジョドプール駅には山賀課長代理が親しくしているメーカーの社長以下数名が迎えに来ていた。
駅のホームで僕たちの首にずっしりと重い花輪が掛けられ、手を合わせて拝まれた。
「仏さんを拝んでるみたいだけど、これが挨拶だから心配するな。」
と山賀課長代理が日本語で僕に言った。
そのままホテルに連れて行ってくれてチェックインするまでは、車に乗る時にはドアを開けてくれるし、荷物には一切触れる必要も無く、お殿様のような扱いを受けて、自分が偉くなったかのように錯覚した。
ホテルは古いお城を改造した石造りのホテルだった。
「ウマイド宮殿の予約が満杯で、このホテルに滞在していただくことになり大変申し訳ありません。」
メーカーの社長さんが僕たちに謝った。
ウマイド宮殿というのはUMAID BHAWAN PALACEというマハラジャ(中世の地方領主)の宮殿を豪華ホテルに改造した人気ホテルだ。
僕にとっては今回泊まるホテルは非常に豪華だと思ったが、ウマイド宮殿を知っている山賀課長代理はがっかりした様子だった。
ジョドプールはラジャスタン州でジャイプールに次ぐ第2の都会で人口は100万人を超えているが、ラジャスタン州の農産物の集散地でもあり、農産物の輸出加工産業が栄えている。
山賀課長代理が担当する植物抽出物やハーブ類はラジャスタン州が世界的な主産地になっていて、ジョドプールの現物を主体とした商品取引所で、農産物を原料として買い付けて食品添加物を製造し、輸出する企業が数多く存在するのだ。
ジョドプール駅での出迎えやホテルの予約を手配してくれたJODHPLANT(ジョドプラント)はモダンな工場をいち早く建設した企業で、我が社のメインサプライヤーだ。JODHPLANT社にとって日本向け輸出は売り上げの相当な部分を占めており、買い付けの実験を握る山賀課長代理は最重要人物と言える。
僕たちのインド出張について知っているのはJODHPLANT社その他2、3社だけのはずだが、それ以外の輸出業者の中にも僕たちの出張に関する情報を入手した会社があったようだ。
到着した日の夜、夕食の後で入浴を終えて寝ようとしていたときに、ロビーの館内電話から僕に電話があり、重要なメッセージがあるので5分間でよいから話を聞いて欲しい、と言われた。僕はすぐに山賀課長代理の部屋に電話を入れてそのことを報告したところ、「お前、一人で会ってこい。」と言われたので、カッターシャツとズボンに着替えてロビーに降りていった。
ロビーで待っていたのはRAJASTHEX(ラジャステックス)という会社の社長と輸出部長の名刺を持つ人たちで、RAJASTHEXが最新鋭の大型工場を建設中であり、RAJASTHEXから購入することが我が社にとって如何に重要であるかを早口でまくし立てられた。
「わかりました。工場が完成したら、サプライヤーの候補者のひとつの選択肢として検討しましょう。」
と役人のような返事をして、何とか帰ってもらった。
「俺の苦労が分かっただろう。やつらは皆、必死で売り込みを仕掛けてくるんだから。JODHPLANTかどこかの従業員が俺たちの出張に関する情報をRAJASTHEXに売ったんだろうな。」
翌朝、僕が報告すると山賀課長代理が言った。
「そんな情報が売れるんですか?」
「百円とか二百円とかわずかな情報料だよ。それでも貧しい従業員にとっては家族の一日分の食費になるからな。」
僕たち日本人には想像のつかない世界だ。
ジョドプールでの2日目はJODHPLANTに次ぐセカンドサプライヤーを訪問した。MARWAREX(マルワレックス)という社名だが、JODHPLANTの工場をそのまま模倣したような工場なので驚いた。
「JODHPLANTから技術導入したんでしょうか?」
設備機器の細部までそっくりなので、技術導入をしたのではないかと僕は考えた。
「JODHPLANTの従業員か、設備機器を納入したメーカーか、エンジニアリング会社から設計図を買ったんだろうな。インドでは設計図はコピー代プラスアルファで買えるから、新鋭の工場がひとつできれば、生き写しのようなクローンがどんどんできるんだ。」
インドに関して聞くこと見ることが何もかも驚きだ。
MARWAREXの社長とJODHPLANTの社長は仲の良い友人らしく、MARWAREXがホスト役の昼食にはJODHPLANTの社長も参加した。
それまでJODHPLANTの社長は僕たちと食事する際にはナイフとフォークを使って食べていたが、今日の昼食では2人の社長とも手を使って食べるのを見て唖然としてしまった。金属製のお盆のような食器の上に、給仕が様々なカレーやナンやライスを乗せてくれるのだが、ナンはとにかく、ライスをカレーと指で混ぜて口に運ぶのだ。食事の前に手を洗っている所は見たが、黒い毛だらけの指で白いお米とドロッしたカレーを混ぜるのを見ると気持ちが悪くなった。
その昼食の後
「彼らはうちの会社向けの価格について情報交換しているはずだから、もう1、2社サプライヤーを増やした方が良いだろうな。」
と山賀課長代理が状況分析していた。さすがベテラン商社マンは目の付けどころが違うな、と僕は感心した。
どの日の午後、インド出張前にメールで会う約束をしていた第3のメーカーを訪問した。JODHPLANTの社長は僕たちがそのメーカーを訪問することに難色を示したが、山賀課長代理の要請を断るわけにはいかなかった。
工場を見学したところ見るからに旧式の機器を使った小さな工場で、我が社としては付き合う価値がないことは僕の目にも一目瞭然だった。見学後のオフィスでの面談の際に、そのメーカーの社長から僕たちを仰天させる提案があった。
「ご購入頂いた額の3%を、次回ご出張時に米ドル札でお支払いします。」
彼らは当然のようにキックバックを提案したのだった。山賀課長代理は即座に
「日本のビジネスマンは個人的なお金は一切受け取りません。3%は取引価格に反映してください。」
と返事した。
「こいつらから買い付けている欧米のバイヤーが賄賂を取っていて、こいつらもバイヤーに賄賂を渡すのを当然と思っているんだろうな。」
山賀課長代理は呆れた口調で僕に日本語で言った。
その日の夕食はJODHPLANTの社長宅に招かれた。ジョドプール市内で豪邸が立ち並ぶ区画の真ん中にある、総石造りの邸宅で、床は大理石でできていた。
広い居間に通されて、彼らがマッサーラ・チャイと呼んでいる香辛料の入った濃くて甘いミルクティーを出してくれた。JODPHPLANTのオフィスでも同じマッサーラ・チャイを出してくれたが、僕はその時からマッサーラ・チャイが好きになり、他のメーカーを訪問した時も「お飲み物は何になさいますか」と聞かれるたびに「マッサーラ・チャイ、プリーズ」と言うのが習慣になった。
居間で社長と話していて驚いたのは、次から次へと子供たちが入って来て「アンクル達に挨拶しなさい」と社長が言うと、恥ずかしそうに挨拶をしてくれたことだ。上は小学校低学年から、下はよちよち歩きまで、少なくとも10人は見た。
「全部あなたのお子さんですか?」
僕が失礼を顧みず社長に聞くと、社長と山賀課長代理が声を立てて笑った。
「自分の子供は3人で、それ以外は弟の子と従弟たちの子ですよ。」
と社長が答えた。
「なるほど、遊びに来ているわけですね。」
「いいえ、ここに住んでいますよ。」
社長の答えにビックリした。
「この隣に弟や従弟たちの家が連なってるんですよ。同じ家のようなものですから、自分の子供と同じに扱っていますがね。」
昔の日本にもあった大家族主義的なものらしい。
「前回の出張の際は、日曜日にこの家にお邪魔した後、車で5分のところにある、社長の叔父さんの家で昼食をご馳走になったんだが、ここで走り回ってた子供たちのうち半分ぐらいが、叔父さんのうちでも遊んでいたんだ。あれには驚いたね。テレポートしたのかと思ったが、よく聞いてみると、別の車で子供たちも叔父さんの家に行ったらしいんだ。海外からお客さんが来たのが嬉しいから、ついてきたがるらしいんだな。」
山賀課長代理が自分の経験を僕に語った。インドに慣れた彼にとっても次から次へと驚くことが尽きないとのことだ。
夕食は勿論ベジタリアンだ。インドに来るまでベジタリアンの正確な意味は分かっていなかったのだが、要するに動物性のものは一切口にしてはいけないのだ。唯一の例外がミルクだ。牛やヤギなどの乳を飲んだりヨーグルトにして食べる他、さまざまな料理やお菓子に使われている。
ミルク以外は植物だけといっても、野菜、穀類、イモ類、木の実、果物などを多種多様な香辛料と組み合わせて調理するので、食事は変化に富んでいる。パンもナンだけではなく、色んな穀類を組み合わせて作った生地を、フライパンで焼いたり、タンドーリと呼ばれる大きな壺釜の中で焼いたり、油を使ったり使わなかったりと、選択肢が多い。
ライスは社長宅で食べているようなバスマティ米と呼ばれる高級なお米から、その数分の一の値段で買える庶民の米まで様々な種類の稲と等級があるそうだ。バスマティ米はふんわりとした炊き上がりで、粘り気が無く、口にいると溶けるような食感だ。日本の高級米とは全く異なるが、カレーと一緒に食べ比べれば間違いなくバスマティ米に軍配が上がると思った。
美味しいのでどんどん食べたが、皿の残りが少なくなると、注ぎ足してくれる。山賀課長代理が「もう要りませんという意思表示をしないと、いつまでも食べ続けることになるぞ」と言って、もう結構という意味の品の良い意思表示を手でする方法を教えてくれた。
最後にラスマライという名前の、スポンジ状のピンポン玉を濃厚な砂糖シロップに浸けたデザートが出てきた。ミルクでできた高野豆腐のようなものらしい。こんな食事を毎日食べていたら、社長さんのようなお腹になるのは当然だと思った。
食事が終わると、居間に戻ってお茶を飲みながら談笑した。社長の親族に加えて社長の友人らしい人物もいて、テレビを見ながら政治の話に花を咲かせているようだった。インド人は政治談議が好きらしい。
政治の話から派生して、テレビの登場人物のカーストに話題が及んだ。低いカーストの女性が、市長に立候補したことが話題になっているらしい。僕が子供のころカーストについて学校で習った事は、インドにはバラモン・クシャトリア・バイシャ・シュードラという4つのカーストによる差別が残っている、ということだった。ここにいるインド人たちは今でもカーストを公言して差別しているのだろうか、と疑念を抱いた。しかし、さらに彼らの話を聞いていると差別しているという感じではなく、どこの出身かを正確に表すためにカーストという用語を使っているようでもあった。
僕がカーストの話に引っかかっているのに気づいて、「自分はコマーシャル・カーストだ」と社長が言った。先ほどから同席している友人は、ブラーミン(バラモン)のカーストとのことだ。社長の話を聞くと、カーストは4つではなく、何百にも細分化されていて、元々職業を表すものだという。社長はいわゆる商人のカーストとのことだった。
今日訪問した他のメーカーの社長たちが、どのカーストでどこのコミュニティーの出身であるかについても詳しく教えてくれた。
「カーストが分からないと、結婚相手を探すのに困るじゃないか。差別じゃないよ。」
と社長の弟が僕に言い、同席していたブラーミンの友人が相槌を打った。
例えば社長の兄弟や子供たちの結婚相手を探す場合は、当然コマーシャル・カーストの中で見合いをさせる、とのこと。他のカーストの人では生活習慣自体が異なるから、結婚することは考えられないという。
同席していた社長の叔父さんが、最近自分の息子のために嫁を探した経験を詳しく話してくれた。息子の好みは背の高い教養のある美人で、その条件に会う年頃の女性を同じカーストの中で手を尽くして探したところ、ジャイプールに候補者が見つかったので、自分の娘(息子の姉)と一緒に会いに行ったとのことだった。その結果、立派な家庭であり、本人も聞いていたほどではないが美人だったので、結婚を決めてきた、とのことだった。
「息子さんは行かずにお父さんが決めたんですか?」
僕が驚いて聞くと、
「女として見定めるために娘を連れて行ったのだ。それで十分だ。」
との答えだった。
「その後、本人どうしも婚約者として何度か会って気に入っているようだ。私の場合は結婚式の日に初めて嫁さんを見た。昔はそれが当たり前だったんだが。」
という。
「私は結婚式の前に一度だけ会う機会があった。」
と社長が言った。
次に、宗教の話になった。
社長が
「日本人は仏教徒だからヒンズー教の兄弟だ。」
というので驚いた。
「釈迦もヒンズー教から派生したものであり、仏教はヒンズー教の分派だ。日本人はインド人の弟のようなものであり、だからインド人は日本人に好意を持っている。」
とのことだった。
「それよりも、神道の方がヒンズー教と似ていますよ。日本には八百万の神といって、ヒンズー教と同じように沢山の神様や女神がいるんです。僕の実家にも神道の神棚と仏壇の両方があります。」
と僕が言うとその場にいたインド人全員が強い興味を示した。日本人が仏教徒であるということは誰でも知っているが、神道のことはあまり知られていないようだ。
社長の家からホテルまで車で送ってもらった。今回出張に来るまで、自分はインドについて何も知らなかったのだな、と実感した。
デリーから帰国するフライトまで丸二日間の余裕があり、翌日は早朝に車でホテルを出発し、ウダイプールという数時間離れた観光都市に行った。大きな湖の真ん中にレイク・パレスと呼ばれる宮殿ホテルがあることで有名な街で、007の舞台にもなったことがあるそうだ。僕たちはレイク・パレスに宿泊し、王様のような気分を味わった。
社長は「友人の家に泊まる」とのことで、レイク・パレスに泊まったのは山賀課長代理と僕の二人だけだった。
社長が去った後、僕たちは湖を見下ろすカフェテラスでマッサーラ・チャイを飲みながら話した。
「社長は多分安いホテルに泊まりに行ったんだ。このホテルは高いからね。ここに泊まっているのは外人が殆どだよ。」
「でも、こんな接待攻勢を受けて良いんでしょうか?僕たち、3社を訪問しただけで、後は食べたり観光したりばかりでしたよね。」
「わっはっは。これが商売というものなんだ。彼らの懐に奥深く飛び込むことが関係づくりの基礎だよ。この関係があるから、原料不足の状況でも彼らは我が社向けには商品を切らさないし、いつもベストプライスをオファーしてくれるんだ。接待を受けているから商売でも無理を頼めるんだから、接待を受けることが重要な仕事だと思っていいよ。勿論、金品は絶対にもらっちゃいけないが、観光や食事に連れて行ってもらったり、自宅に呼ばれたりすることで親密度を深めればいい。」
山賀課長代理の教えが全てではないかも知れないが、自分が知らなかった世界のことを学んでもう一歩大人になれた気がした。
翌日、僕たちはウダイプール空港発デリー行きのフライトにチェックインして、空港で社長と別れ、デリーで成田行きのフライトに乗り帰国した。
帰国翌日に出社して、山賀課長代理の人事異動に関するニュースを聞いた。営業1課の課長がニューヨークの部長として転勤することになり、山賀課長代理がその後任の課長になるとのことだった。
山賀さんは、インド出張前に内示を受けていたようだが、出張中には全くそのような素振りを見せなかった。山賀さんが担当していたビジネスを僕に引き継がせるため、普通より早い時期に僕に海外出張が命じられたというわけだ。
「山賀君、インドはどうだった。鈴木君はちゃんと引き継げそうかね。」
課長が山賀課長代理に声をかけるのが聞こえた。
「大丈夫です。これはインドに馴染めなければ出来ない商売なんですが、すぐに仲良くなって、インド人からも好かれていたようですよ。」
と山賀課長代理が答えていた。
「ベテランの山賀さんがやっていた大人のビジネスが、僕にできるんだろうか。」
不安で一杯になった。
「鈴木君、若いのに大事な仕事を任されるなんて凄いじゃない。これで一割引秘書とは呼ばれなくなるわ。サポートしてあげるから頑張ってね。」
西田さんにそう言われて、僕は一回り大きい男性に生まれ変わったような気持ちになった。
第3章 魅惑の踊り子
それから約1ヶ月後、僕は一人前の担当者として一人でインドに出張することになった。原料となる植物が予想以上の豊作になったという情報が入り、商品の国際市場価格の低下に備えて、情報収集を行う必要が出てきたのだ。
今回の出張は成田からデリーに到着後、直接空路でジョドプールに入った。
ジョドプール空港に到着すると、JODHPLANTの社長が出迎えてくれた。僕のスーツケースをさっとポーターに運ばせ、僕の首にオレンジ色のずっしり重い花飾りを掛けてくれた。甘い香りで、しっとりとした花びらが僕の首に密着する感覚が新鮮だった。こんなリッチな花束は日本なら非常に高価だろうなと思った。
「ウェルカム・バック・ミスター・スズキ。」
JODHPLANTの社長が僕に握手を求め、握った手の上に左手を添えた。黒い毛むくじゃらの巨大な手で、僕の小ぶりな白い手が覆い隠された。
前回の出張の際はずっと山賀さんの後ろに隠れるようについて歩いたので実感しなかったが、一対一で相対する社長は巨大なゴリラのようだった。もし彼らが僕を力づくで拉致しようとしたら、ひとたまりもないだろうと怖くなった。
出口には前回とは違う新車が待っていた。
「鈴木さんという最重要人物をお迎えしようと、ベンツを買ったのです。」
と言って、社長は購入したばかりの自動車を自慢した。
車はウマイド宮殿の門を通過し、しばらく走って宮殿に横付けした。ターバンを巻いて正装した兵士のような門番が左右に立っていて、僕たちに敬礼のポーズをしている。二人とも髭を生やした2メートル近くありそうな巨人だ。
「ウマイド宮殿はウマイドというマハラジャの宮殿で、今はタージグループの豪華ホテルになっています。300室以上ありますが、マハラジャは最盛期には80人の妾をこの宮殿に住ませていたのです。その妾の部屋が豪華な客室になっていて、鈴木さんのために一部屋確保できました。鈴木さんはマハラジャの妾になった気分を味わってください、わっはっは。」
と社長が言った。
宮殿は勿論全部が石造りで、ロビーから客室に行くには、豪華な装飾の施された区画や回廊を通ることになった。妾の部屋と聞いて大きなベッドのあるエッチな部屋を想像していたが、入ってみると、部屋というよりは一軒家並の広さで4人家族が泊っても広すぎるだろうと思った。宮殿は小高い丘の上に建てられており部屋の窓からはジョドプールの街が遠望できる。
「シャワーでも浴びて、おくつろぎください。夕方、お迎えに上がります。」
と言って社長は去った。
僕は今日JODHPLANTのオフィスで第1回目のミーティングを持つことをイメージしていたので拍子抜けの気分だったが、山賀さんに言われた通り、彼らと心を通わせることが最も重要なのだから、焦らないでおこう、ミーティングは明日でも大丈夫だ、と考えた。
スーツケースの衣類を部屋のタンスに区分して入れた。今日からこのホテルで4泊することになる。
それにしてもマハラジャの妾になった若くて美しい娘は、こんなに広い石造の部屋に一人で押し込められ、どんな気持ちで毎日を過ごしたのだろうか。
80人もの妾以外に正妻もいるわけだから、仮に10日に一度正妻と関係を持ったとしても、それぞれの妾がマハラジャに抱かれる機会は年4回という計算になる。マハラジャは戦に出て宮殿を留守にすることも多いだろうし、余程絶倫な男性でない限り、年間365日正妻か妾を相手にしていては体が持たないのではないだろうか。美しい娘を80人集めて、その中でも特に美しく魅力のある妾の部屋に何度も足を運ぶだろうから、もし自分がそこそこの美しさの妾だったとしたら、一年にせいぜい1日か2日だけマハラジャの相手をして、それ以外の夜はこの途方もなく大きい牢屋で一人寂しく過ごすのだろうか。
何かの本で読んだと思うが、インドの王様が死ぬと、妃や妾は生きたまま一緒に埋葬されるのが習わしだったと聞いたことがある。正妻はある程度やむを得ないかも知れないが、この部屋に幽閉された美しい娘が、ほんの数回抱かれただけなのに、マハラジャが戦死したら一緒に埋葬される運命にあることを認識したうえで過ごす毎日とは一体どのようなものだったのだろう。
マハラジャが戦いに出向く朝、この部屋にいた美しい娘は、マハラジャの後姿を見て、もう一度抱いてほしかったと願い、二度と帰らないかもしれないマハラジャと、生きたまま埋葬される自分の姿を重ねて、美しい絶望に身を任せていたに違いない。そんな悲痛な別れがこの世にあるのだろうか。
僕は、日本航空のマークの付いた買い物袋から、一番大きい菓子箱をきれいな紙袋に入れた。今晩JODHPLANTの社長に渡すお土産だ。このお菓子を選ぶのにはかなり手間取った。日本のお菓子は、動物性の原料は使われてなさそうに思えるが、実はゼラチンや卵が入っているものが圧倒的に多い。ゼラチンは動物の皮や骨が原料だし、卵はベジタリアンの人たちにとって生命そのものであり本来絶対に食べてはいけないものだ。卵白はゲル化剤、乳化剤、コーティング剤など、お菓子の色々な用途に使われるので、お菓子の箱の原料表示に卵という文字が無いものを選ぶのに手間取ったのだった。
シャワーを浴びて、ベッドに横になったが眠る気にはなれず、昔この部屋にいた美しい娘の気持ちを考えながらぼんやりしていると、いつしか日が落ちそうになっていて、窓から遠望できるジョドプールの街が夕日で輝いていた。ほんの百年か2百年前にこの窓から美しい娘が同じ景色を見ていたのだ。
着替えをして髪を整えていた時、フロントから電話があった。客人がロビーで待っているとのことだった。僕はお土産の袋だけ持って長い回廊をロビーへと向かった。
ロビーに行くとJODHPLANTの社長と輸出部長の二人が待っていて、僕たちはホテルの中のレストランに行った。ピラーズという名前で、宮殿の中の高い柱(ピラー)をモチーフにしたラジャスタン料理のレストランだ。ジョドプールの夕暮の光景が見渡せることで有名だそうだ。席に通された時、丁度夕日の最後の輝きが闇に溶け込む光景が見えて、僕は「ああ、インドに来たんだな」と改めて感じた。
社長はタリ(THALI)という古式のインド料理を注文した。THALIとは直径約30センチのステンレスのお盆で、その内周に直径数センチのステンレスの小皿が6個ほど置かれており、その小皿は、数種類のカレーやヨーグルトで満たされていて、色々なカレーを味わうことができるのだ。小皿が空になると給仕がどんどん注いでくれる。お盆の上の大きなスペースにナンやチャパティなどのパンやライスを入れてくれて、お盆の上でカレーとライスを混ぜて食べるようになっている。
お盆の上に直接ライスやカレーを乗せることに当初は抵抗を感じたが、それはお盆ではなく大皿であり大皿の上に小皿が乗っているのだと思うと、しっくりくるようになった。日本食に例えると幕の内御前とでも言えるだろうか。言わばオール・イン・ワンの簡易弁当のようなものか、と思ったのだが、実はTHALIはインドの正餐なのだ。
毎日食卓でTHALIを食べることが、貧しいインド人にとって夢のまた夢であることを思い知らされることになるとは、その時の僕は想像もしなかった。
ピラーズでの食事の後、社長は僕を中庭の一角にあるテーブルに連れて行ってくれた。中庭の端にシンプルなステージが設けられていて、民族音楽の楽団らしい一行が見慣れない楽器を準備しているところだった。
「ジプシーの楽団ですよ。」
と輸出部長が言った。
「ジプシーというのは元々ラジャスタンが起源のロマ民族が東欧からヨーロッパ各地に放浪していったのです。本家本元のロマ音楽は、ここラジャスタンでしかお目にかかれません。」
と社長が言いなおした。
同じ楽団を紹介するのでも、説明の言葉によって天と地ほどの違いがある。とても貴重なものを見せてもらうのだという気持ちになった。
「彼らは旅芸人の一座であり、サービスに携わるカーストに属する卑しい人たちです。しかし、このような高級ホテルで演奏を許されるのはトップクラスの楽団だけなのです。」
社長が解説してくれた。
楽団の演奏が始まった。哀愁のある独特の音階の管楽器、弦楽器と、打楽器が語り合うように音楽を奏で始める。静かに、自然に始まったが、途中で知らぬ間に火が着いたような流れになって聞く者の五感を襲い始める。
「ロマ音楽には楽譜が無く、全てが即興なのです。」
その時、土色に赤の映える民族衣装を身にまとい、とび色の肌をした細長いシルエットの美しい女性が楽団のバックからステージに躍り出て、ダンスを舞い始めた。音楽に合わせて長い身体をしならせ、繊細で細長い指先を自由自在に動かして、演奏者たちの感性と呼応するかのように一体化する。小さな頭部を彩るヴェールが彼女の動きに合わせて美しく揺れる。踊り子が楽隊から燃えるような激しい即興演奏を引き出し、激しい回転を見せると、スカートとヴェールが翼のように広がった。
踊り子は西洋人のモデルのようなシャープなアイメイクをしていて、心の奥底を揺さぶる鋭いまなざしを、観客の男性ひとりひとりに投げ、回転する度にしなやかな指を使って僕たちの心臓を掴んだ。
ダンスを終えてステージを降りるとき、彼女が挑発するような視線を僕だけに投げかけてきた。男性客の多くが同じ印象を抱いたのかも知れない。演奏が終ったときには、僕の心はロマ音楽に浸食されてしまっていた。
「そろそろお疲れでしょう。」
社長が放心した僕を気遣い、部屋まで送ってくれた。
かつて美しい娘が住まわされていた部屋に戻って、目を閉じて踊り子のことを想った。昔この部屋にいた美しい娘と、あの踊り子と、僕の3人が混然と一体になったかのような錯覚に陥っていた。僕はあの踊り子と激しい片思いの恋に落ちてしまったのだった。
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