異性へのワープ:座礁クルーズ船

序章 失意の果て

 私の名はモーリス・ベックマイヤー。米国企業の日本法人に勤務する三十二歳のビジネスマンだ。つい二ヶ月前に知り合った菅原ユリアという美しい日本人女性と結婚し、夢を見ている気分で豪華クルーズ船に乗って新婚旅行に出かけた。しかし、ユリアは船内で新型コロナ肺炎に感染して二十三歳の人生を終えた。その瞬間、私の夢は悪夢に変わり、失意のまま米国が手配したチャーター機に乗って帰国の途に就いた。

 チャーター機の機内サービスが開始されると、私は赤ワインを二本もらった。二本の小瓶はほんの数分で空になり、通りかかったキャビンアテンダントに声を掛けてバーボンを注文した。彼女は「ハイハイ、困った子ね」というジェスチャーをして、まもなくバーボンとアーモンドを持って来てくれた。

 ストレートで飲むバーボンが喉を通って、喉が熱く燃える。その熱さで心の痛みがぶり返す。するとユリアの顔がパッと浮かび、再び涙が流れ始める。

 十六歳の時から教会に行かなくなっていたが、自分が救われるとしたらそれは神さまにしかできないと思った。神さま、私をユリアのところに連れて行ってください。ユリアが居ない世界で生きていたくはありません……。

 絶望と恍惚と涙に包まれてスーッと意識がなくなった。


 肩をポンポンと叩かれて眠りから覚めた。何てことだ、座席の前のテーブルにうつ伏せになって眠りこけるほど酔うなんて……。CAに背中を叩いて起こされるとは恥ずかしい。コーヒーを注文して酔いを醒まそう。しかし、ユリアを失った途方もない喪失感から逃れるためには、今は眠ることだけが唯一の方法だった。私は眠ったままで居ようと思って、身体を起こさずにいた。

「起きなさい」

と私の右の方から女性の小声が聞こえた。日本語だ……。

「居眠りしていたら先生に叱られるわよ」

 私は朦朧としたまま身体を起こして目を開けた。ここはチャーター便の機中ではない……。

 ここは学校の教室だ。周囲には制服を着た生徒が座っていて、前方には男の先生が黒板に向かってチョークで漢字だらけの文章を書いていた。驚いたことに私はその日本語の文章の意味が一瞬で理解できた。私は日本語が上手なガイジンと言われていて二、三百ほどの漢字を読めるが、黒板の文章はそんなレベルの日本語ではなく、宮沢賢治の作品の一節だった。「ミヤザワケンジ」ではなく「宮沢賢治」という漢字が頭に浮かぶ。

「よかった、目が覚めて」

と私を起こしたのと同じ小声がした。それは右隣りの席に座っているぽっちゃりとした可愛い顔の女の子で、濃紺のセーラー服にプリーツスカートをはいていた。彼女の前の席に座っている男子は濃紺の学生服を着ている。制服姿の高校生はよく見かけるが、この学校はクラシックな制服のようだ。

 隣の女の子の靴は黒いペタンコの革靴だ。その時、自分の足元が目に入って私は驚嘆した。紺のプリーツスカートから白い足が出ていて、隣の女の子と同じ革靴を履いていた。

――私はスカートをはいている! 

 髭面のガイジンが日本の女子高生のコスプレでスカートを履いて教室に座っているのを見られたらアメリカ合衆国民として恥さらしになる! 思わず両手で頬を包んだ。変だ! ザラザラした髭面ではなく、ふわふわ、ぽっちゃりしていてユリアよりもすべすべした赤ん坊のような頬だった。

――コスプレではなく身体そのものが女子高生になっている!?

 手を胸に持って行くと、恐れていたものがあった。これは間違いなく女性の乳房だ。ユリアよりは小さいようだ。服の上からなのに自分の手で触られた感触が生々しい。スカートの中に手を入れて確かめるまでもない。私は若い女の子の身体になっている。ブルブルッと頭を震わせると、首筋から背中を髪の毛がはらった。ポニーテールになっていることを手で確かめた。その手は真っ白で細くて長い指をしている。本来の私が力を入れて握ったら折れそうなほど華奢な手だ。

 目が慣れて来ると、周囲の生徒たちが思っていたより更に若いことに気付いた。ここは高校ではなく中学の教室かもしれない……。ということは私は女子中学生になっているのか! どうして私が日本の女子中学生に変身するのだ? この身体は誰の身体なのだろう……。

「私は菅原ユリア」

という答えが頭に浮かんだ。私はユリアの中学時代の身体の中に居るようだ。ということはタイムトラベルしてユリアの身体に憑依したんだろうか? 

「私は北相馬中学の二年生で十四歳よ」

という答えが浮かぶ。天から答えが返ってくるというのではなく、自分の考えとして自然に答えが頭に浮かんだ。どうやってこの席に座ったのだろうかと思い起そうとすると、今朝ベッドで目が覚めてからパジャマで階段を下りてトイレに行き、顔を洗って髪をブラッシングして自分の部屋に戻り、セーラー服を着て台所に行ってトーストにマヨネーズを塗り、その上に納豆を乗せて食べた後で鞄を持って家を出て中学まで歩いて来た、女子としての半日が鮮やかに頭に浮かんだ。

 これならさほど心配は要らない。私は中学二年生だった頃のユリアに憑りついたのではなく、モーリス・ベックマイヤーとしての意識と記憶を持ったまま、ユリアの心の中で共存している状態にあるようだ。

 私を居眠りから起こしたのは親友の鷺沼さぎぬま恵子だ。恵子と私はお互いのことは何でも知っている。

 その時、三時間目の終了を示すチャイムの音が聞こえた。

 授業が終わって私は身体を恵子の方に向けた。

「居眠りしてたわね。先生は気づいていたわよ。加藤先生だったから助かったけど、女の先生ならアウトだったわ。危ない所だった」

と恵子が私を責めた。

「昨日の夜は遅くまで宿題をしていて頭が冴えていたから眠れなかったのよ」

 鈴が鳴るような声が自分の口から出て来るのが快かった。私が愛するユリアの声より少し高くてまろやかな音色だ。自分の声を録音して聞くと他人の声のように聞こえるが、それと同じ現象なのだろう。それに、若い分、さらに可愛い声になっているようだ。

「気が緩んでいるのね。まあ、金曜日だから仕方ないけど。あと三時限だけ我慢すれば週末を迎えられるわ」

 恵子と私は席を立ち、教室の後ろのドアを通ってトイレに向かった。三時間目の後の休み時間にトイレに行くのが二人の習慣になっている。四時間目は英語の授業だから気持ちが楽だ。それは私のモーリスとしての感想だ。私はどんな日本人の英語教師よりも英語力が遥かに高いと自負している。そして私は……菅原ユリアの得意科目は国語だ。日本語力を身に着けた私は、スーパー中学生として一番の成績を取れる。いや、モーリスの英語力でパワーアップした私ユリアが勉強で楽をできると言うべきかもしれない。

「今日は何日だっけ?」

と恵子が聞いた。

「十一日よ。十三日の金曜日じゃなくてよかったわね」

「三月十一日か。もう少しで二年生は終わりね。三年でも同じクラスになれるといいんだけど」

――三月十一日か……。あれっ? よく聞く数字だな……。三・一一だ……そして今年は二〇一一年! 

 二〇一一年三月十一日という日付は私が日本に赴任してから事あるごとに耳にして、心に焼き付いている。それは更に十年前にアメリカ合衆国を根幹から揺るがした同時多発テロ事件の日付である九・一一と奇妙な共通点を持っていて、私たちアメリカ人にとって覚えやすい日だった。今日の午後二時四十六分にマグニチュード九の大地震が発生し、地震によって引き起こされた津波が太平洋岸を襲い、さらに福島第一原子力発電所の爆発によって関東・東北が深刻な汚染に悩まされることになる。

 私が住んでいる北相馬は宮城県との県境に近い場所にあるが、福島第一原発からの距離は恐らく七、八十キロメートルというところだろう。私は……ユリアは福島第一原発の場所を把握しておらず、モーリスとしての私はユリアの生まれ故郷の正確な位置をつい数分前まで知らなかったが、今は放射能汚染の脅威が身近にあることがよくわかる。

 それ以前に、私は今日の津波で家族を失う。父と母と弟の蒼太は地震発生後しばらくして襲ってきた津波に飲み込まれる予定なのだ! 

 唇が震えて、手に汗が出た。

第一章 私が見つけた宝物

 人生はチョコレートの詰め合わせのようなものだ。口に入れてみないと中身に何が入っているのかは分からない。サン・デッキにある混浴露天風呂に浸かって、若く美しい妻を見ながらそんな陳腐な言い回しが頭に浮かんだ。
 私が菅原ユリアに出会ったのは会社の同僚の結婚披露宴の席だった。ユリアは女子大を卒業して一年目で、新婦の同級生として披露宴に招待されていた。新郎の友人と新婦の友人のテーブルが隣り合わせになっており、私はユリアを一目見て魅かれた。華奢な骨格で美しい髪の女性だった。しかし、私が魅かれた一番の理由は外見的な美しさではなく、彼女の大人しそうで控えめながらしっかりとした自分を持っている感じと、何か憂いを湛えているような目だった。
 私は米国企業の東京にある子会社に駐在している三十二歳のアメリカ人で、ユリアとは九歳も離れている。歳の差にもかかわらず私は本気で彼女に夢中になり、わずか二週間後に私はユリアと結婚した。大安の一月十八日の土曜日に二人だけで教会に行って永遠の愛を誓った。
 私は四年前から東京に駐在しており、大安の意味が分かるほど日本の文化に馴染んでいる。ガイジンとしては日本語が流暢なので、日本人の女性と結婚することに戸惑いはなかった。しかし、生粋の日本人女性であるユリアにとってアメリカから来たガイジンの妻になることには、それなりの勇気が必要だったかもしれない。
 ちょうど休みを取りやすい時期だったので、三週間の結婚休暇を取ることができた。私はかねてから豪華客船に乗ってみたいと思っており、ユリアも賛成したので、新婚旅行は二人でゆったりとした船旅を楽しむことにした。知り合ってから二週間しか経っておらず、船旅ならゆっくり話ができてお互いのことを深く知るためにいい機会になると思った。旅行会社の窓口で相談したところ、一月二十日に横浜港を出発して十五日間の予定で香港、ベトナム、台湾、沖縄に寄港するルナー・ヘイローという豪華クルーズ船が見つかった。プレミアム・ジュニア・スイートという高めのクラスの船室が空いており、安い船室に比べると三倍もの価格だったが思い切って予約した。
 ルナー・ヘイローは何と十四階建てで二千七百人もの乗客を収容し、乗員クルーだけでも約千人も乗っている豪華客船だ。各種レストラン、映画館、劇場、ダンスホール、スポーツジム、SPAなど、考えられる限りの施設がある、言わば海に浮かぶ豪華リゾートホテルのようなものだ。特に気に入ったのはサン・デッキに混浴露天風呂があるという点だった。私は会社では温泉好きなガイジンとして知られており、水上みなかみの宝川温泉の混浴露天風呂には何度か行ったことがある。残念ながらルナー・ヘイローの混浴露天風呂は水着着用が義務付けられているが、それでもユリアと一緒に温泉に入れるというのは大きな魅力だった。
 私たちの船室は九階の中央部分にあるD420号室で、海に面したバルコニー付きの部屋だった。
 私がユリアという人生の宝に出会えたのは、合コンとか婚活とか、女性を求めて探しに行ったのではなく、ある日ふと目の前に彼女が現れたという感じだった。単なる幸運ではなく、そうなる定めにあった気がする。
 ユリアも私を愛してくれている。彼女が私を見る時の目と表情にそれが感じられる。今、私たちは身を寄せ合って露天風呂に浸かり、一緒に居られる幸せに浸っている。
 私は生まれ故郷のことをユリアに知ってもらいたかった。私が生まれ育ったのはベツレヘムという町だ。
 仕事で自己紹介する時に「私はベツレヘムの出身です」と言うと高い確率で「中近東ですか?」という質問が返ってくる。時には「えっ、パレスチナで生まれたんですか!?」と聞かれて嬉しくなる。日本人はキリスト教徒でなくてもベツレヘムがイエス・キリストの生誕の地であることを知っている人が結構多いのだ。
「アメリカのベツレヘムです」と種明かしをすると「なあんだ」という顔をされるが、「ベツレヘム・スチールは、かつてUSスチールに次ぐ鉄鋼会社でした」と説明すると、四十代以上の管理職なら「確かにベツレヘム・スチールという名前は聞いたことがあります」と言う人が多い。日本で仕事をするガイジンにとってのネタとしては誠に都合がいい。
 初めてユリアと会った時、「実家はベツレヘムにある」と言ったところ、「ロマンチックな名前ね」と夢見るように言った。ロマンチックとは本来空想的で情熱的な事を意味する言葉だが、日本人がキリストの生誕の地についてロマンチックと形容するのは私にとって好都合だった。
「クリスマス・シーズンになるとベツレヘムの通りは美しいデコレーションで埋め尽くされるんだよ。ユリアに見せたいな」
「是非見たいわ! 連れて行って!」
 出身地名がナンパに役立つのは非常に便利だ。
 日本の会社とアメリカの会社の職場環境の違いについてもユリアに知って欲しかった。私はSYNERMIXシナミックスという米国企業の日本現地法人に勤務しており、当面転勤の予定は無いが、将来転勤を命じられたらアレンタウンの本社勤務になる可能性がある。その時にはユリアについて来てもらわなければならない。
「アレンタウンってペンシルベニア州なの?」
「ベツレヘムの隣町だよ。父は元々ベツレヘム・スチールという鉄鋼会社に勤めていたんだけど、僕が中学生の時にアレンタウンのエアープロダクツという国際的な優良企業に転職したんだ。シンシアもエアープロダクツに勤めていた。あ、シンシアというのは僕の前の奥さんの名前だ。僕は大学時代に同級生のシンシアと知り合って十年ほど付き合ってから結婚したんだけど、四年しか続かなかった。離婚で気持ちがすさんでいた時に、会社で東京駐在員の交代要員の話が出たから、それに志願したんだ。あの頃は二度と結婚なんてするものかと思っていたのに、ユリアと出会って一目で恋に落ちた。人間の心って分からないよね」
 そう言うとユリアの頬が赤く染まった。私が手を強く握りしめると、ユリアは目を上げて私をじっと見た。彼女の茶色の目には言葉に表せないほどの優しさと献身の気持ちが感じられた。
「女性をこんなに好きになったのはユリアが初めてだ」
 私はユリアの頬にキスをした。
「僕の人生の中に君が入って来てくれたことを心から感謝している」
 ユリアは何も言わなかったが、彼女の呼吸が早くなっているのが見て取れた。
 ユリアは感情を表に出さないタイプだが、豊かな感情を持った女性だということを私はよく知っている。それにしても、私は強く言いすぎたかもしれない。アメリカ人の女性が相手だとこの程度のことを言わないと満足してもらえないのだが、日本人の女性は、こんな風に告白されるのには慣れていないのだ。
「君の事も話してよ、お嬢さん」
と冗談っぽく言って気分を変えようと試みた。
「僕と会う前にはどんなことをしていたの?」
 ユリアはしばらく口をつぐんだ後で、
「前に話した通りよ」
と答えた。
「二度でも、三度でも、四度でも聞きたい!」
「モーリスったら、子供みたい」
とユリアが笑いながら言った。
「お願いだから、僕に話を合わせて」
「分かったわよ、話すわ。私は聖メアリー女子大で日本史を専攻していたんだけど、キャリア・カウンセリングの仕事に興味があったから、自分でオンラインのコースを受講して勉強したのよ。ちょうど母校で就活カウンセリングの担当者を募集していたから応募して採用されたの。そして大学の同級生の結婚披露宴でモーリスと出会った。それだけよ」
と言ってユリアは私を見上げ、微笑んだ。
 私は思わず溜息をついた。まだユリアは私に心を開いてくれない……。しかし、彼女が過去について語りたがらないことは、ある程度は仕方がないと思っていた。
 ユリアの過去は決して生易しいものではなかった。ユリアは福島県の北相馬の出身だが、本人の言葉少ない説明や共通の友人から聞いた話を総合するとユリアが住んでいた町は二〇一一年に東日本大震災に見舞われ、彼女は両親と弟を津波で失って東京の親戚の家に引き取られたそうだ。
 肉親を一挙に失った悲しみと苦しみが並大抵のものであるはずはなく、一人で苦しまずに、私にも彼女の苦悩を分かち合ってほしい。できることなら私が時空を超えて震災の日にタイムスリップして、彼女の家族が津波から逃げられるように誘導したいという気持ちだった。
 勿論、そんなことは不可能だ。やはり、異なる人生を歩んできた人間同士が本当の関係を築くのには時間と忍耐が必要なのだ。ユリアが何もかもさらけ出せるほど心を許してくれる日が一日も早く来ることを願うしかない。私には、失った家族を生き返らせることはできないが、悲しみを共有することによって彼女の気持ちを少しでも軽くしてあげたかった。
 
 それからの十二日間は飛ぶように過ぎた。
 最初の寄港地の鹿児島では薩摩藩の島津家が十七世紀に建造した庭園を手をつないで散策した。静寂に包まれた池、小川、寺社や竹林を最愛の女性と歩いていると、亡くなった両親の事や、シンシアと離婚した頃の苦い思い出がふと頭に浮かんだが、ユリアの笑顔を見ていると、遠い昔の記憶として冷静に思い出すことができた。
 香港ではまずトラムに乗ってビクトリアピークに行き、香港市街を見下ろした。アバディーンの水上マーケットをブラブラしたのも楽しい思い出だ。元々私はこまごまとした買い物をするのは億劫なタイプだが、ユリアと一緒にいると、フェイクであるのが確実な腕時計とか、安物の衣類や雑貨などのショッピングをするのが楽しくて仕方がなかった。
 香港へは仕事で何度か行ったことがあるが、ユリアと一緒に行く香港は全くの別世界に見えた。最愛の女性と一緒にいると、何かにつけて視点が異なるし、一人なら気にも留めない細々としたものが輝いて見えるのが不思議だった。
 ユリアも香港では特に目を輝かせていた。彼女は香港が気に入ったようで、次回は香港・マカオの一週間のツアーに連れてくることを約束させられた。

 ベトナムのチャン・メイ港もエキゾチックで楽しかった。グエン朝の王宮は壮大で一見の価値がある。また、数々の庭園も日本や他のアジア各国の庭園とは違った趣があって楽しめた。
 台北に寄港した際にはオプションの半日観光に加わった。台北101からの景色は見もので、台北全体が見渡せるという点では東京でスカイツリーに上るよりも価値があると思った。龍山寺と蒋介石メモリアルも印象的だったが、それまでは留意していなかった日本と台湾の歴史的な関りについて知識を深めることができた。

 寄港地での観光を含め、クルーズ船に乗ったことで知り合った友達も私たちの幸せに花を添えた。特に仲良くなったのはオーストラリア人の乗客で、中には実際に自分でワニを捕獲したことがあるという猛者も居た。他にもインド人の六人家族、それにスカーレットとテオ・グラントというイギリス人の夫婦と友達になった。折角の豪華客船での船旅でもあり、クルーズ船内の施設や催し物を彼らと一緒に楽しんだ。

 ダンス・クラブにインド人の友達と行った時にインド人がダンスの才能を生まれ持っていることを実感した。また、彼らと一緒に劇場に行った時にはオペラ座の怪人のミュージカルをやっていたが、インド人の友達は私たちが思いつかないような陽気なコメントをした。それまでインド人は自己主張が強くて苦手な人種だと思っていたが、友達として付き合うのに非常に面白い民族だと分かった。

 ルナー・ヘイローは二月一日に沖縄の那覇港に寄港した。すでに船旅は終盤に差し掛かっており、二月四日早朝の横浜到着までには丸三日間しかない。そう思うと多少の焦りを感じた。

 当日の朝、那覇港への到着は午後一時になるとのアナウンスがあった。

 その日の昼食は英国人のグラント夫妻と一緒に寿司を食べる約束をしており、寿司屋の前で落ち合った。寿司屋に入ると、オーストラリア人の友達三人が先客で来ていて、私たちの姿を見て手を振ったので、私たちも手を振り返した。

 豪華客船の寿司屋だから釣ったばかりの魚の刺身が食べられるかというと、そうでもなさそうだ。そもそも、船員が甲板から釣り糸を垂れているのは見たことがなく、横浜または途中で寄港した港で仕入れた魚が冷凍庫に入っているのだ。ユリアが一番好きな寿司はアボカド・ロールだと言ったのでアリシア、テオと私は「それでも日本人か!」とユリアをからかった。
 二時半までに寿司屋を出て、那覇の町に繰り出すつもりだった。私たちはプレミアム・クラスの乗客なので、寄港地での下船では優先レーンに並ぶことができる。午後三時までに下船すれば、午後十時の出港に余裕を持って間に合うように船に帰って来ることができる。
 午後二時には満腹になっていて、そろそろ寿司屋を出てコーヒーバーに行こうかと話していた時に、制服姿の男たちが寿司屋に入って来た。那覇港の検疫官が乗り込んできたようだ。私たちは四人とも那覇港で下船するために必要な書類とパスポートを持っていたので検疫官に手渡した。
「体調は大丈夫ですか?」
と検疫官から英語で聞かれたので、四人ともイエスと答えた。
「これまでの寄港地ではわざわざ体調が大丈夫かなんて質問されなかったよね」
とテオ・グラントが言った。
「念のために質問してるのだと思うわ」
とユリアが答えた。
「全員にそんなことを質問する? 何かあったのかな?」
とテオ。
「私たち日本人は清潔好きだから、東南アジアの寄港地で病気に感染した人が下船しないようにチェックしてるんだわ」
とユリアが冗談っぽく言って四人で笑った。
 オーストラリア人の友達にも私たちの会話が聞こえたようで、ユリアを見てクスクス笑っていた。
 検疫官たちは笑っている私たちにジロリと視線を向けたが、特に咎めるわけでもなく、事務的にかつ礼儀正しく仕事を続けた。
 非接触型の体温計で額の温度を測定されたが、四人とも三十六度前後だった。
 検疫官が私たちの検疫書類にハンコを押した。これで私たちはいつでも下船できる。
 その際、検疫官から一枚のメモを手渡された。
「中国で新型コロナ肺炎のウィルスの感染が広がっています」
とそのメモに記されていた。
 中国の武漢で新型コロナ肺炎が発生し、COVID19という名前まで与えられたことは米国のニュースメディアで読んで知っていた。私がまだ中学生だった頃、武漢海鮮市場で取引されたハクビシンとやらを食べた人が新型感染症を発症したというニュースが世界を震撼させたことがあるというのに、また同じ過ちを繰り返すのかと苦々しく思っていたところだった。しかし、その際は日本には殆ど影響がなかったと記憶している。
 今回、新型コロナ肺炎が日本に入ってくるのを阻止するために検疫に力を入れるという気持ちは理解できるが、ルナー・ヘイローは横浜発のクルーズ船であり、そこまで神経質になることもないのにと思った。
 ユリアと私が下船したのは午後四時だった。後で那覇の国際通りで出くわした顔見知りの乗客から聞いた話だと、彼らが検疫手続きを終えて下船できたのは午後五時だったとのことだった。

 那覇の市内観光は非常に楽しかった。日本に駐在に来てからの四年間、沖縄に行ってみたいと思っていたが一度も訪れる機会が無かった。沖縄には米軍兵士と日本人女性のカップルが山ほどいる。大半は駐留期間が終わると奥さんを連れてアメリカに帰るが、日本に住み着いた人も多い。私の東京駐在期間は特に定められておらず、将来アレンタウンの本社に戻る可能性も大きいし、シンガポールの子会社の要職に異動することになるかもしれないが、その際にユリアが何も言わずに私について来てくれるかどうかについて、まだ話題に出したことはない。ユリアはキャリアコンサルティングの仕事を頑張っているので私からは言い出しにくかったのだ。しかし、日本人女性は自分のキャリアにこだわるよりは夫の転勤に合わせる人が多いし、それまでにはきっと子供が出来ていて、ユリアは子育て中心のライフスタイルを選択するのではないかという気がしていた。

 ユリアはひめゆりの塔に行くのを楽しみにしていた。入場は五時二十五分までだったので急いでタクシーを飛ばし、駆け足で見学した。首里城を訪れるのは時間的に無理だと判断し、国際通りに行ってぶらぶらと観光をすることにした。
 あっと言う間に時間が過ぎて時計を見ると午後七時半になっていた。ルナー・ヘイローの出港は午後十時であり、九時までには船に帰るつもりだった。私たちは国際通りのそば屋に入って、ソーキそばと豚足のセットを食べた。
 タクシーに乗る前にユリアは土産物屋でライオンと犬を混血にしたような動物の像に見惚れていた。何かのパンフレットで見たことがある動物だった。
「カワイイ!」
とユリアが言った。
「それ、可愛くないでしょ。変な顔だけどこわいよ」
と私は日本語でコメントした。
「これはシーサーという守り神よ。悪霊や災いを追い払ってくれるだけじゃなく、家に福を連れて来てくれるのよ。私たちの新しい家にうってつけだわ!」
とユリアは目を輝かせながら言った。一点の曇りもない瞳と、底抜けに明るい笑顔だった。ユリアが私と新しい家庭を築くことを心から楽しみにしてくれていると感じて、胸が熱くなった。
 
 ルナー・ヘイローに乗船し、九階の船室へと向かった。エレベーター・ホールでオーストラリア人のリーと出くわした。寿司屋で近くの席に座っていたオーストラリア人の一人だ。
「どう、沖縄は楽しめた?」
とリーは口が裂けそうなほど大きく開けて私たちに聞いた。
「楽しかったよ。何とかひめゆりの塔に閉館前に辿り着いて、その後は国際通りをぶらぶらした」
と私は答えた。
「見て、シーサーを買ったのよ。悪霊を追い払ってくれるの!」
 ユリアはわざわざビニール袋からシーサーを取り出して、興奮した面持ちで自分の目の前に掲げた。ユリアはシーサーを買ったことがそれほど嬉しかったのだ。どちらかと言えば普段は大人っぽい表情をしているが、彼女の中身はまるで十代前半の少女のように純真なのだなと改めて思った。
 リーはシーサーを手に取って眺めてから、
「ワォ! クールなライオン・ドッグだね」
と言ってユリアの手に返した。
「我々は早めに検疫を受けることができたけど、五時までかかった人も居たらしいよ。不必要な質問をしたり一人一人の体温測定までするからあんなに時間を食ったんだ」
とリーは目をクルクル回す仕草をしながら言った。
 エレベーターでリーと別れて船室に戻り、シャワーを浴びた後でお互いの身体をじっくりと確かめ合った。
 
 翌朝は二人とも早く目が覚めて、朝のコーヒーを飲みにコーヒーバーへと向かった。私は淹れたてのコーヒーを飲まないと朝が始まらないタイプだが、ユリアもそうだった。アメリカの女性ならとにかく、日本で私と同じ習慣を持った女性と出会えたのはラッキーだった。
 ユリアはコーヒーをすすりながらスマホを開いた。彼女の表情が急に硬くなった。
「どうしたの?」
と私は心配して声を掛けた。
 ユリアは何も言わずにスマホを差し出した。それは日本語のニュースサイトだったが、グーグル翻訳で英語に翻訳された記事が表示されていた。
「一月二十日に横浜港を出港した豪華客船ルナー・ヘイローから一月二十五日に香港で家族とともに下船した八十歳の中国人がインフルエンザ様の肺炎を発症し入院したが、検査の結果新型コロナ肺炎に感染していることが二月一日に確認された」
という内容の記事だった。
 私はスマホをユリアに返した。ユリアの表情はますますこわばっている。
「モーリス、怖いわ! その中国人は二十五日に下船するまでに船内で大勢の人に接触したはずよ」
「心配しなくても大丈夫だよ。新型コロナ肺炎にはSARSほどの感染力は無いし、致死率もずっと低いと書いてあったよ。その中国人のお年寄りは気の毒だけど、僕たち若者は免疫力も強いし、仮に感染してもどうってことないさ。豪華客船の旅もあとわずかだから、残る時間を目いっぱい楽しもうよ」
 私の言葉を聞いてユリアの表情は和らいだ。
「そうよね。じゃあ朝ごはんをいっぱい食べて元気を付けましょう」
 二人でメイン・レストランに行った。メイン・レストランでの飲み食いは特別なドリンクを注文しない限りタダだ。すなわち乗船代金に含まれている。私はトーストにたっぷりとマーマレードを塗り、ベーコンとチーズを乗せて食べた。六枚目のトーストにジャムを塗っていると、ユリアにたしなめられた。
「あなた、そんなに食べても免疫力は上がらないわよ。私のセクシーな旦那様がポッコリお腹になっちゃうのはイヤ」
「いくら食べても体重は増えない性質だから心配しなくていいよ」
と私が答えて、二人で笑った。

 一旦部屋に戻ってからカジノに向かった。ユリアはカジノに行くことに気乗り薄だったが私が引っ張って行った。
「一緒にギャンブルをする夫婦は長続きするそうだよ」
と私はウィンクをしながら言った。
「長続きはしても貧乏な夫婦になるわよ。IR法案は成立してしまったけど、日本にカジノなんてできてほしくないわ」
と彼女は私の肘を腕に抱いて頭を私の肩に預けながら甘えるような声で言った。
「黙ってついて来い。二人ともお金持ちにしてやる」
「自信たっぷりなあなたは大好きよ。でも、限度を決めて、それ以上は賭けないでね」

 私はアレンタウンで勤め始めてからアトランティックシティーのカジノに行ったことがあるし、仕事関係のコンベンションでラスベガスにも二度行ったので、カジノ自体は特に珍しくはない。ルナー・ヘイローのカジノにはブラックジャックなどの伝統的なカードゲームのテーブルが並んでいたが、私は迷わずルーレットのコーナーへと進んだ。

 知り合いのカナダ人女性のジョージ―とアリスがルーレットに興じていた。彼女たちは自分の誕生日や年齢にちなんだ特定の数字のマスに一枚ずつチップを置いていたが、ツキには恵まれていないようだった。私は四つの数字のマスの角に十ドルのチップを置くことにした。ユリアは「私は見ているだけで十分胸が苦しくなるから」と言って、自分では賭けようとしなかった。
 最初から五回目まではカスリもしなかった。
「もうカジノはイヤ、デッキに行きましょうよ」
とユリアが私の手を引っ張った。
「わかったよ。じゃあ残りのチップを一度に賭けて、負けたら外に出よう」
 私は十七、十八、二十、二十一の角に残りの五枚のチップを積んだ。
 するとルーレットの玉が十七の穴に入った。
「すっごーい!」
とユリアが身を乗り出した。五十ドルが九倍になって戻って来た。私はユリアがチップを換金してカジノを出ようと言い出すだろうと予想していたが、意外なことにユリアは「もう一度運試ししましょう」と言い出した。ディーラーがルーレットを回し、ボールを投入した後で、ユリアは全部のチップを偶数の枠の中に置いた。するとボールは二十四の穴に収まり、チップが倍になった。
 ユリアは私を見上げると「次も私に任せてね」と真面目な表情で言った。
「どうぞ、お好きに」
 ユリアは再びディーラーがボールを投入した後で全部のチップを偶数に賭けた。
 結果は偶数だった! 
 ジョージ―とアリスが仰天した顔で拍手をしたが、ユリアは軽く微笑んだだけだった。
 私たちの手元には千八百ドル相当のチップがあるはずだ。
 ユリアはまだルーレットを続けるつもりのようだった。
 次は、ディーラーが「ノー・モア・ベット」を宣言する直前に、偶数の枠ではなくその隣の黒の枠に全部のチップを置いた。その瞬間、ディーラーの眉間にかすかに皺が寄ったように見えた。ボールは十一の穴に収まった。十一は黒の数字だ。
 私はユリアの冷静さと運の強さが怖くなった。ユリアはディーラーがボールを投入するまではチップを置かないし、三回続けて偶数の枠に張るとディーラーに思わせて赤・黒の黒の枠に賭けた。ユリアはディーラーとサシで勝負をしているのだ。百ドルがあっという間に三千六百ドルになった。
 ユリアはどこまで突き進むつもりだろうか? 
 その時、ユリアが大きなため息をついてから笑顔になった。
「ああ、面白かった! もう十分楽しんだわ」
 私はほっと胸をなでおろし、ジョージ―とアリスに
「カクテルをご馳走しますがいかがですか?」
と声を掛けて、四人でバーに行った。

「あれっ、変なことが書いてあるわ」
とアリスがスマホを開いて言った。
「ルナー・ヘイローの乗客は横浜港で改めて全員の体温測定をして検疫をやり直すんだって」
「それは理屈に合わないな。沖縄は日本の一部だから、那覇港で日本入国時の検疫は完了したはずだよ」
と私は苛立ちを露わにした。

 三人の女性がほぼ同時に肩をすくめる仕草をした。私たちはバーに入ってドリンクを注文した。
 

 翌日は朝からある種の焦燥感が胸に付きまとっていた。ルナー・ヘイローは明朝午前六時半に横浜港に到着する予定だ。事実上、今日が豪華クルーズ船での最後の一日になる。

 夕食は早めにメイン・レストランで食べた。最後の夜はデッキで満天の星を見たいと思っていた。ところが、翌朝八時に横浜港に到着予定だったルナー・ヘイローは船足を速めて本州の沿岸を北上していた。午後七時ごろになって船内放送があり、横浜港に着岸したら横浜の検疫官が乗船して船内で検疫を実施すると知らされた。私たちはもう旅の終わりが迫っていることを肌に感じて、一抹の寂しさを覚えた。

 サン・デッキに行くとオーストラリア人、イギリス人、インド人などの馴染みの友達も最後の夜を楽しむために来ていた。左舷に流れる日本の海岸線には工場やビル群が見えて、船が既に人口密集地に差し掛かっていることを嫌が応にも実感させる。

「もうすぐ横浜に入港ですね」
と鈴木新市 しんいち氏から話しかけられた。鈴木氏は奥さんの奈穂美さんを連れて定年退職祝いの旅行に来た六十代の紳士で、ベトナムでの半日観光の際に親しくなった。
「えっ、もう伊豆半島は過ぎましたか?」
と私は日本語で聞いた。私はそんな日常会話に支障ないほどの日本語と常識を身に着けたガイジンだ。
「伊豆半島どころか、三浦半島も通り過ぎましたよ。横浜到着は明日の朝の予定だったのを、検疫にかかる時間を見越して船を高速運航させたようですね」
「へえ、それほどスピードアップできるとは優秀な船ですね。さすがメイド・イン・ジャパン!」
と私がお世辞を言うと、
「三菱重工の長崎造船所で造った船だそうです」
と鈴木氏が自慢げに答えた。

 ルナー・ヘイローは午後八時に横浜港に着岸した。気の早い船客たちは荷物をまとめようと各々の船室へと散って行った。

 早めに船内で検疫をやってくれれば明日は予想より早い時間に下船できるかもしれない。最後の夜は甲板でゆっくりしようと思った。

 鈴木氏の奥さんの奈穂美さんはスマホをチェックしていたが、固い表情になって鈴木氏と一緒に手すりの方へと歩いて行った。しばらくして鈴木夫妻が私たちの所に戻って来た。
「地方版のニュースによると、この船には新型コロナ肺炎に感染した乗客が何人か居るとのことです。私たちも感染しないように船室で過ごした方がいいかもしれません」
「香港で下船したお年寄りからウィルスをうつされた人が発症したんでしょうか……」
とユリアが不安そうに言った。
「そうかもしれませんが、他にも感染者が乗っていた可能性もあります。那覇港で熱や咳の症状が出ていた人の喉や鼻から検体を取って、その検体に新型コロナ肺炎のウィルスが確認されたということでしょうね」
「感染した人が船内を歩き回っていないでしょうか?」
とユリアらしくない神経質な表情で聞いたのが印象的だった。
「ルナー・ヘイローの船内には立派なメディカルセンターがあるし、感染が判明した人には隔離措置が取られるはずです。まあ、過度に心配する必要は無いでしょう」
 鈴木氏が言い終わらないうちに、船内放送の女性の声が甲板に流れた。明日予定されていた下船は当面見合わせるとのことで、乗客は直ちに自分の部屋に戻るようにとの指示があった。検疫官が各船室を回って検疫手続きを行うので、私たちは検疫官が来るまで部屋に待機することになる。

「下船を当面見合わせるとはどういうことなんでしょうか?」
と鈴木奈穂美が不安を口にした。
「英語では『テンポラリリー・サスペンディッド・アンティル・ファーザー・ノーティス』と言っていましたから、検疫の結果が出るまでは何とも言えませんね」
と私は解説した。
 鈴木夫妻は船室へと立ち去り、私たちも数分後には部屋に戻った。

 私は鈴木夫妻が見た地方版のニュースとやらの信ぴょう性には懐疑的だった。
 船室に帰ると下船の準備を開始し、二時間ほどかけて衣類や身の回りの物をスーツケースに収納した。
 ドアがノックされた。出てみると検疫官だった。
 彼らはまず赤外線体温計を私たちの額に向けて体温を測った。二人とも約三十六度の平熱だった。過去の病歴、服薬状況、咳や鼻水などの症状の有無などを網羅した質問票に記入し、スタンプを押してもらった。これで私たちの検疫は完了であり、「下船の見合わせ」が解除され次第、船を降りて私のアパートでの新婚生活を開始することができる。

 しかし、いつまで経っても追加の船内放送は無かった。
「こんなのイヤだね。丸一日待てば下船できると分かっていればそれまでの時間を二人で楽しめるけど、いつまで待てばいいのかが分からないというのが一番困る」
と私が不満を述べるとユリアは何も言わずに頷いた。

 そんな彼女を見ていて、大震災で肉親を失った時にはどんな気持ちだったのだろうと思って彼女を抱きしめたくなった。下船の見通しがつかないという程度のことで苛立っている自分が恥ずかしくなった。

 しかし、私は元々イライラしやすい性格であり、鷹揚になろうと思っていても態度に出てしまう。ユリアも私の気持ちを分かっていて、私の為にルナー・ヘイローに関する最新情報を入手しようと、スマホで検索し始めた。船内放送よりもインターネットのニュースサイトの方がルナー・ヘイローに関する最新情報が得られるというのは皮肉なことだが、それが実情だった。中国での感染状況や世界各国で新型コロナ肺炎がどのように受け止められているかについては英語の方が情報が豊富だが、ルナー・ヘイローの現状については英語の情報は殆ど得られなかった。
 私は日本語でかなりのレベルの会話能力がある一方、日本語を読み書きする能力は小学生並みなので、ユリアが日本語で集める情報が頼りだった。やはりネックは漢字だった。漢字は「へん」や「つくり」などの部品でできており、象形文字よりは覚えやすいが、大人になってから何百も何千もの漢字を覚えろと言われても思い通りにはいかない。

「あなた、こんな記事が見つかったわ」
と言って、ユリアはスマホの画面を私に見せた。
「ルナー・ヘイローの乗客全員が船内で十四日間待機させられることになったんだって」
 それを聞いて私は頭に血が上った。
「ナンセンスだ! フェイクニュースじゃないのか?!」
「そうよね。あまり聞いたことがないニュースサイトだから、ちょっと疑わしいわ」
「もういい。今日はもう寝よう」
 私たちは熱いシャワーを浴びてベッドに入った。

 翌朝起きても新たな船内放送は無く、「当面下船は見合わせ」という状況に変化はなかった。
 しかし、船内の雰囲気には微妙な変化が生じていた。私たちはメイン・レストランに朝食を食べに行ったが、周囲の船客が下船のめどが立たないことに苛立っているのが見て取れた。
 ユリアと私は早々にメイン・レストランを出てミュージック・ホールに行き、クラシックのピアノリサイタルのライブ(といっても録音されたものだが)を楽しんだ。
 
 二月五日の朝、ユリアとメイン・レストランで朝食のビュッフェを食べている時に船内放送があった。その女性の声が船内を揺るがせた。
「おはようございます。横浜検疫所からの要請に基づき、全てのお客様はご自分のお部屋に留まっていただきますようお願いいたします。現在パブリック・スペースにいらっしゃるお客様はお部屋にお戻りください。お食事はサンドイッチとお飲み物をお部屋にお届けします」

 船内放送は穏やかで優しい女性の声だったが毅然とした口調だった。ユリアと私は部屋に戻った。しばらくして朝食が届き、私たちはゆったりとサンドイッチとコーヒーを楽しんだ。

 時間はゆっくりと過ぎ、午後一時過ぎには昼食が届いた。その後、私たちはベッドに入って長いシエスタを楽しんだ。

 午後六時過ぎに船内放送で目が覚めた。朝食の時と同じ女性の声だった。
「検査の結果、十人の乗客の方が陽性と判明し、病院へと搬送されました。引き続き検疫を実施いたしますのでご協力のほどをお願いいたします」
「バッド・ニュースだわ……十四日間も検疫期間が続くなんて」
とユリアが不満を露わにした。

「僕は全然平気だよ」
と言ってユリアにキスした。
「というより大歓迎さ。新婚旅行が十四日間も延長になったと考えればいいよ。どこであれ、君の居る所が僕にとってのパラダイスだ」
「まあ、あなたったら!」
と言ってユリアは私に熱いキスを返した。
「あなたの言う通りだわ。どうして私はそのことに気付かなかったのかしら」
 その夜、ユリアは今までで一番情熱的で、私にとっても過去にどの女性と過ごしたよりも情熱的な夜だった。初めてユリアと出会ってからまだ一ヶ月余りしか経っていない。そのせいか、ユリアはまだ自分の身体を私に見せることに抵抗が残っていて、服を着たまま事が始まるか、電気を消して欲しいと言うのが常だった。しかしその夜、ユリアは美しい身体のすべてを私に曝け出してくれた。
 一時間余り激しく交わった後の私は息切れするほどだった。ユリアが心の中まで私に見せてくれるのも時間の問題だと思った。
 

 その時点では、船室に留まれというのは「要請」であり、確固とした規則ではなかった。感染を恐れて完全に船室に閉じこもっている人も多かったが、従来通り船内を歩き回ることは可能だったし、エンターテインメント施設も開いていた。次の日の朝食後、ユリアと私は映画館に行って、ジム・キャリーとケイト・ウィンスレット主演のエターナル・サンシャインという映画を鑑賞した。それは記憶除去手術を受けた男女を主人公として、記憶と恋愛を扱ったアメリカ映画だ。映画館には私たち二人だけしかおらず、貸し切り状態だった。私たちはまるで寒い冬の日にもつれ合う二匹の猿のようにお互いの身体をまさぐりながら映画鑑賞に没頭した。

 鈴木夫妻と七階のレストランで昼食を共にした後、長いシエスタを取って心身をリフレッシュし、午後六時に起き出してダンス・ホールに行った。カナダ人のアリスとジョージ―が私たちを見て近寄って来た。二人は私たちの頬にチュッとキスをしてダンス・ホールの真ん中に引っ張って行った。ユリアがキスをされて戸惑っている様子が見て取れたのが面白かった。ユリアは女どうしで頬にキスし合うことに抵抗があるのではなく、伝染病のために船内に隔離されている状況でキスすることを躊躇しているのだということが私には分かっていた。私たちが挨拶としてキスやハグをするのはごく当たり前であり、ビジネスの相手と握手をしないのは失礼にあたる。日本人は性交や格闘技を別にして身体を触れ合う習慣が無いので、どうしても躊躇とまどいがちになるのだ。しかし、伝染病の拡大を防止するという観点では日本人の方が有利かもしれないと思って、一人で苦笑した。

 アリスとジョージ―は私たちにベリー・ダンスの動きを教えた。ベリー・ダンスはとても簡単で、ほどなく私とユリアは優雅に腰を振れるようになった。私たちの様子を見て他の船客もベリー・ダンスに加わった。

 新型コロナ肺炎のリスクが認識されて世の中が騒いでいるのは動かしがたい現実だが、こんな状況が長く続くはずがなく、まもなく元通りの日常が戻るだろう。私たちは孤独ではない。「団結すれば栄え、分裂すれば倒れる」という諺の通りだなと実感して心を強くした。

 私の考えはその翌日には揺らぎ始めた。二月六日にオーストラリア人のリーから聞いた話によると、船が着岸している埠頭には何台もの救急車が集まり、自衛隊の車両も来て、まるでパンデミックものの映画のように完全防備した人たちが動き回っており、物々しい雰囲気になっているとのことだった。私たちの部屋は埠頭とは反対側の海に面しているのでそれまで切迫感は伝わってこなかったのだが、リーの話を聞いて背筋が凍る気持ちになった。その時初めて、自分たちがとんでもないウィルスと向き合っているということを思い知らされた。

「心配しなくても大丈夫だよ」
と私は口に出したが、それは本心ではなかった。つい数日前に私はユリアに「新型コロナ肺炎にはSARSほどの感染力は無いし致死率もずっと低い」と言ったばかりだったが間違いだった。大間違いだったと言うべきか……。私は自分の味方が甘かったことを反省した。

 船長がムードを暗くしないように気遣っていることは私も感じていた。しかし、その試みは日ごとに失敗の色を濃くしていった。次第に重苦しい空気がルナー・ヘイローに広がり、乗客と乗員の心を支配し始めた。それはまるで太陽が月に隠れて、昼間なのに闇が訪れたかのようだった。私はその時初めてルナー・ヘイローという名前の不吉さに気付いて愕然となった。ルナー・ヘイローとは傘をかぶった月の傘の部分だから、あえて日本語に直すとすれば「月影」という感じのしゃれた響きの船名だなと思っていたのだが、今思えばルナーは月で、太陽ならソーラーだ。ソーラー・ヘイローと言えばコロナそのものではないか……。私はその新発見のことは誰にも言わないでおこうと心に決めた。

 船客同士がお互いをペストのように避け始めたのはその頃だった。露骨に嫌な表情を見せるわけではなく、従来なら少なくとも握手をしていたところを、二、三メートル離れた場所から手を振るようになった。そのうちに部屋から出ること自体を本気で避け、一日中部屋で過ごすのが当たり前になった。食事は部屋に届けられるので、生きていくのに問題は無い。また、運動を欠かすと身体によくないので、一日二回、与えられた時間割に従って甲板を歩行することができた。

「団結すれば栄え、分裂すれば倒れる」という言葉に自己満足を覚えたのはつい二、三日前だった。今はそれが逆になった。「分裂すれば栄え、団結すれば倒れる」それが現状を如実に表す新しい諺になってしまった。

 つい先日までルナー・ヘイローに立ち込めていた笑い声や陽気に騒ぐ声は、恐怖に怯える不吉な沈黙に置き換わっていた。

 他の乗客と会って言葉を交わす機会は無くなったが、LINEやワッツアップを通じた暗いつぶやきが花盛りだった。LINEが東日本大震災をきっかけに誕生したことはよく知られている。電話が通じず通信手段が限られている時でも家族、恋人、親友や仲間など、親しい人同士のコミュニケーションの手段として普及したSNSだ。今私たちが置かれている状況は災害そのものであり、LINEは船外に居る家族や友人だけでなく、乗船後に知り合って友達登録し合った友人の間での便利この上ないアプリだ。しかし、便利すぎるというか、ニュースで見たり、誰かから耳にした情報を含め、信頼度の高い情報から根も葉もない噂に至るまで、あらゆる情報を気軽に流し、それを受け取った人が結果を考えもせずに拡散する。

 暇を持て余している三千人近くの抑圧された乗客が、事実、未確認情報、噂、冗談、冗談から生まれたフェイクニュースに至るまで気軽に流し合う状況が、健康的な成果を生むはずはなかった。

 例えば「感染した人の髪の毛に触るとうつるそうだ」とか「新聞紙に触れることで感染が広がる」とか「サンドイッチの包装紙が最も危険だ」と誰かが言い出すと、真偽や程度問題には無関係に、その情報がまことしやかに広がってその日のうちに「常識」になる。頻繁に手を洗い、ドアノブを消毒し、サンドイッチの包装や食器にはウィルスが付着しているものとして気をつけ、そのうちにサンドイッチの表面にもウィルスが付いていることを恐れるようになると、食事もできなくなる。当初は咳やクシャミをしている人が近くに居なければ大丈夫だと思っていたのが、あらゆる経路で感染するとなるとどうしようもない。

 ユリアと私もノイローゼ気味になってきた。室内のものにしか触れていないのにしょっちゅう石鹸で手を洗い、ユリアはLINEに、私は主にワッツアップにくぎ付けになった。

 噂はますます奇怪になり、新型コロナウィルスが靴の中で五年間は生存するという説やら、咳によって八メートル先まで飛散するという説も広がった。

 二月九日現在で救急車が二十台、自衛隊の車両が五台、その他のトラックが四台タラップの下で待機しているというニュースがSNSで流れたが、テレビにもその映像が流れていたので、それは事実だった。そんな物々しさによって私とユリアはますます不安になった。その夜、ユリアが頻繁に手を洗いに行くのが気になっていたが、十回目に洗面所に行った時に、私はつい声を荒立てた。
「やめろよ! そんなに手を洗ったら皮脂が無くなって肌がボロボロになるぞ」

「だって、奈穂美さんから今日聞いたんだけどこのウィルスは……」
とユリアが言い始めた。
「忌々しい! 奈穂美さんも、誰もかも、くそくらえだ!」
と私は一喝した。
「頭が変になったやつらが、他にすることが無くて、一日中くだらない話を流しまくる。そいつらがパニックを拡散しているんだ!」
 頭に血が上った私はユリアの手からスマホを取り上げ、LINEとワッツアップをアンインストールした。自分のスマホからもLINEとワッツアップを削除した。後でインストールし直してもLINEのトーク履歴は復元できないと知っていたが、どうでもいいと思うほど頭に来ていた。
「どうだ、これでもう大丈夫だ!」
 私は勝利に酔った。

 ユリアは真っ青な顔になり、何も言わずに洗面所の鏡の前に行って俯いた。
 ユリアの顔が次第に悲しみに打ちひしがれた表情に変化するのを見て、私は自分がしたことを後悔した。
 私は彼女のところに行って後ろから抱きしめた。ユリアは私を振り払おうと身体を動かしたが、今腕を離すと彼女が遠くに行ってしまいそうな気がして私はますます強く抱きしめた。すると、ユリアがしくしくと泣き始めた。私の仕打ちが彼女を深く傷つけたのは確かだった。

「僕の大事な奥さん、どうか許して」
と私は彼女を抱きしめたまま心から謝った。
「どうかしていたようだ。僕はとんでもないバカだ」
 ユリアの身体から急に力が抜けたので、私も背後から抱きしめる力を弱めた。
 ユリアはゆっくりと身体を回して私を見上げた。彼女は泣きながら微笑んでいた。
「いいのよ、あなたの言う通りだわ。私はLINE中毒になっていた。コロナウィルスよりも感染力が強いみたい」
 彼女は腕を私の首に回し、私は彼女のデリケートな身体を正面から抱きしめた。そのまま長い間私たちは何も言わずに抱き合っていた。私がどれほどこの女性を愛しているか、とても言葉に表すことはできない。

第二章 ある誤算

 PCR検査は実施できる数に限りがあるらしく、当初は高熱が続く人や咳や呼吸困難などの症状が出ている人にしか実施されなかったが、二月十一日からは八十歳以上の高齢者と、糖尿病、高血圧などの持病を持っている人にまで検査対象が拡げられた。ユリアが二月十日に咳をし始めたので心配になったが、旅行に持ってきていた体温計で測ったところ平熱だったので私は安堵のため息をついた。
 しかし、ユリアは赤い顔をしていて、時々咳き込んでいた。
「私は大丈夫よ、赤毛のお兄ちゃん」
と呼ばれて私はどう反応すべきか迷った。
「鏡を見てごらんなさい、うさぎさんみたいに真っ白になってるわよ」

 ユリアのことが心配で蒼白になっていたのは確かだった。しかし赤毛のお兄ちゃんとは、可愛いニックネームをもらったものだ。私は確かに赤毛だが、人を赤毛と呼ぶ場合は茶化したり侮辱する意図が含まれる場合もあるので、かなり微妙なニックネームだ。ユリアがそこまで分かった上で言っているのかどうかが不明なので、私は思わず苦笑した。ユリアも多分別の理由で笑い出し、私たちは顔を見合わせて大笑いした。

 二月十二日の朝、ユリアは見るからに熱っぽかった。体温を測ると三十七・九度あった。私は直ちにフロントに電話してメディカルセンターに繋いでもらった。担当のスタッフに、妻が昨日から咳をし始め、今朝起きるとさらに調子が悪くなっていた事、熱を測ったら三十七・九度だったことを伝え、出来るだけ早く医師に診察に来て欲しいと訴えた。

 担当のスタッフは、「奥様の状況は確かにドクターに報告いたします」と答えた上で、「病状が変化したら再度連絡してください」と言った。どうしてすぐにドクターを派遣してくれないのかと詰め寄り、押し問答をした結果、かなりの感染者が発生したためメディカルセンターの病床も満杯であり医師と看護師が徹夜で対応しているという状況がひしひしと伝わって来た。

「分かりました。また病状を見てお電話します」
と引き下がるしかなかった。
 この船の中には新型コロナ肺炎に怯える三千人近い乗客がいる。何もしなくても病気になりそうな雰囲気で少しでも咳が出れば、もしかしたら自分も感染したのではないかと考える人が何十人、何百人といるのだろう。私はユリアの体温を正直に申告したことを後悔した。せめて三十八・五度と言えばよかった……いや、三十九度を超えないとドクターは来てくれないかもしれない。

 ユリアは私が電話する様子を見て状況を察したようだった。
「モーリス、心配しないで。ただの風邪よ」
 私はユリアに微笑みかけながら頷いた。ユリアも努めて快活に振舞っているが、一目見れば身体に力がないことが分かる。
 幸い、ユリアはそれから午後三時頃までぐっすりと眠っていた。今朝よりは顔色がずいぶんよくなったようだ。ユリアが昨日の夕食以降なにも食べていないことを思い出し、彼女の好きなタイ料理を注文した。しばらくして料理が届いた。
「ウァーッ! 美味しそうなグリーンカレーだわ」
とユリアが目を輝かせた。
「スパイシーなものが食べたかったのよ。お腹は空いているのに食欲がなかったんだけど、これなら食べられるわ」
 ユリアはライスとグリーンカレーをスプーンに乗せて口に運んだ。
「なにこれ、全然辛くない! こんなの、タイ料理とは言えないわよ。辛くない薄味のカレーなんてあり得ないわ」
 控えめなユリアがそこまで言うのは余程酷いのだろうと思って、私もスプーンでひとすくいして食べてみた。とても美味しいグリーンカレーだと感じた。
「普通の味だよ。結構うまいと思うんだけど。風邪で味覚が変になったんじゃないの?」
 ユリアは不服そうな表情で何口か食べた。ほどなくユリアは目を閉じて眠りについた。

 二月十四日になってユリアの具合は非常に悪くなった。私が話しかけると無理に微笑もうとするが、息をするのもしんどいという様子が見て取れた。体温を測ると三十九度近くあった。
 私はメディカルセンターに二度目の電話を入れた。
「妻の状態が悪化しました。熱を測ったら四十度ありました。すぐに来てください、お願いです!」
 ドクターが来て熱を測ったら嘘をついたことがバレるだろうが、そんなことはどうでもいい。とにかく医師による診察が急務だった。

 十五分後にドクターが部屋に来た。ユリアの問診と触診をして「新型コロナ肺炎の疑いが濃厚ですね」と言った。

 予想していたとはいえショックだった。
「先生、何かの間違いじゃないでしょうか? 普通のインフルエンザの症状とどう違うんですか?!」
 自分でも意識しないうちにドクターに食ってかかっていた。
 医師の名札には「田中彰」と私にも読める漢字が書かれていた。

「ベックマイヤーさん、お気持ちは分かりますが、奥様が置かれてきた状況、そして病状の経過と症状からすると新型コロナ肺炎である可能性が極めて高いと言わざるを得ません。勿論、今採取した検体をPCR検査にかけて結果が出るまで断言はできませんが、新型コロナ肺炎であるという前提で対処させてください。現在、メディカルセンターの病床には空きがありませんので、この部屋で治療を行います。本来はご主人には別の部屋に移動していただくべきなのですが、他にも同様の状況にある患者さんが大勢いるので、別室の確保は非常に困難です。後ほど防護服のセットをお届けしますので、それを着用してこの部屋でお過ごしください」

「勿論です。もし別の部屋に移れと言われていたら断固拒否するところでした」
 田中ドクターの対応は迅速だった。数分後には看護師が来てユリアの腕に点滴の針を刺した。熱を下げるための薬剤も静脈から注入するとのことだった。
 酸素マスクをして、ユリアは呼吸が幾分楽になったように見えた。
 私は防護服を手渡され、すぐに着替えた。マスクとヘッドカバーをした私を見て、ユリアは力のない笑いを浮かべた。
「赤毛のお兄さん、ヘッドカバーをしていても素敵よ」
 やっと聞き取れるほどの声で言って、ユリアは咳き込んだ。
「ユリア、何も言わないで。僕はずっとここに居るから」
 私はユリアのベッドの横に座ってしっかりと手を握った。燃えるように熱い手だった。

 田中先生は約二時間後に部屋に立ち寄り、ユリアの状況に変化がないことを確認して立ち去った。
 それから約一時間後に田中先生は伊藤先生という若い研修医を連れて立ち寄ったが、患者の状況を見て異変があれば知らせるようにと伊藤先生に指示をして、彼を残して立ち去った。私は愛想が悪い人間ではないが、伊藤先生と会話ができる気分ではなく、ユリアの手を握ったまま座っていた。

「起きろ、伊藤先生!」
と誰かが叱責する声で目が覚めた。
 ハッとして声の方向を見ると田中先生だった。伊藤先生はバネ仕掛けの人形のように飛び上がって目を擦っていた。
「呼吸困難に陥っているじゃないか。レスピが必要だ!」
 ユリアが苦しそうに息をしている……。レスピとは人工呼吸器の事を言っているのだとピンと来た。
「メディカルセンターにはレスピの予備はないはずです。残っていた二台はD738とD225でスタンバイ状況にあるはずですが……」
「ないはず? あるはず? 憶測で済む場合じゃないだろう! 伊藤先生、すぐに行って確かめて来い!」
 先生と呼びながら子供を叱りつけるような言い方だった。温厚でいて有能な感じの田中先生が乱暴な言葉で部下に命令するのに驚いた。ユリアが切迫した状況に置かれていることを実感して冷や汗が流れた。
「ハ、ハイッ」
と言って伊藤先生は部屋から飛び出した。

 田中先生は私を押しのけるようにしてユリアを触診したが、イライラしているのが見て取れた。恐らく、自分の部下が期待通りに任務を遂行するかどうか自信が持てないのだ……。
「すみません、私も行って来ます」
と言って田中先生も部屋から走り出た。

 取り残された私は不安で一杯だった。
「ユリア、ユリア、頑張って!」
 私には手を握って勇気づけることしかできない……。苦しそうに息をしているユリアを見ていると涙が出て来た。
「ダーリン!」
とユリアが私に言っている。
「無理してしゃべらないで」
と私が言うとユリアは首を左右に振って、ベッドサイドの机の方を指さした。机の上に置いてあるシーサーが目に入ったので、ユリアはシーサーを取って欲しいのだと思った。私はシーサーをユリアの手に持たせた。
「モーリス、マイダーリン」
とユリアが言っている。私はユリアの酸素マスクに覆われた口元に耳を近づけた。
「これは単なるお土産じゃなくて、私たち二人の新しい生活のシンボルよ」
 こんな時に力を振り絞って言うほどの事でもないのに……。私はユリアにしゃべって欲しくなかった。私はユリアの美しい髪を指で梳きながら、
「分かってるよ。もうすぐ下船して僕のアパートで新婚生活が始まるじゃないか」
と答えた。
「モーリス、私は両親と弟が津波で死んだ時に、自分も死にたいと思った。でも、我慢して生きてきたの。そんな私の人生がモーリスと出会ってガラリと変わった。私はあなたと会って愛し合うために生まれてきたのだと分かったの。愛してるわ、あなた」
 ユリアは乾いた熱い手を伸ばして、涙にぬれた私の頬を触った。
 彼女にこれ以上しゃべらせたら死んでしまうという気がした。私は本能的に人差し指を彼女の唇に当てて「シーッ」と言おうとしたが、彼女の唇は酸素マスクで遮られている。
「これ以上しゃべらないで。僕たち二人はこれから長い幸せな人生を一緒に送るんだから」
 ユリアは悲しそうに微笑んだ。
「そうしたいけど……でも、人には定められた運命があるの。モーリスと私が幸せに過ごせるのは短い間だという運命だったのよ。私、お父さんとお母さんと弟の蒼太が待っているところに行く時が来たみたい」
「そんなことを言わないで……お願いだから行かないで。僕はユリアが居なくなったら生きて行けない」
 涙がとめどなく流れた。
 ユリアは右手を私の胸へと伸ばし、私の左胸に手を当てた。ちょうど心臓があるところだ。
「私がどこにいても、私の心はずっとここに居るわよ」

「勿論だよ、ユリア。君はいつも僕の心の中に居たし、これからもずっとここに居る」
 私は左手でユリアの手を自分の胸にしっかりと押し当てた。
「そうよ。私たちは二人で一人。最後に誓いのキスをして」
 ユリアの命の灯は今にも消えてしまいそうだった。最後のキスという不吉な言葉を否定する時間は残っていない……。
 私はユリアの酸素マスクを外して唇を重ねた。燃えるように熱い唇だった。嗚咽を抑えるのは無理だった。私は泣きながらユリアに強くて熱いキスをした。二人の涙がユリアの頬を伝わってベッドを濡らす。
 私が唇を離した時、ユリアは幸せそうな表情で大きな吐息を洩らした。
 それがユリアの最期だった。

 

 私はユリアのベッドの横に座り茫然としてユリアを見ていた。やっと出会えた最愛の人は私を残して行ってしまった……。私には身体を動かす力が残っていないし、その必要も無かった。

 部屋に誰かが入って来たことはうっすらと意識していた。誰かが私の肩を叩いたのに気付いたが、私の身体は反応せず、ユリアの微笑んでいる顔と美しい黒髪から目を離すつもりはなかった。シーサーが彼女の胸の横に居座っているのが少し前から気になっていた。こんなものがユリアの気持ちを惹きつけていたのは許せないという思いが浮かび、ムラムラと怒りが込み上げた。私はシーサーを掴んで立ち上がり、力任せに床に叩きつけた。それは粉々に砕け散った。
「幸運をもたらすどころか、僕たちの幸せをぶち壊しに来たのか!」
 私は床に散らばった破片に向かって英語で呪いの言葉を吐いた。
 ふらふらと椅子まで歩いてドカンと腰かけた。田中先生の他にも防護服を着た人が二人部屋に入って来ていたが、私は声を上げて泣いた。
 誰かが床を掃いて片付けてくれているのは意識していた。しばらくすると誰かがストレッチャーを持って来て、ユリアをストレッチャーに乗せた。身長は日本女性としては高い方だが私にとってはいつも小さくて可愛い女性だった。ストレッチャーに乗せられた彼女は普段よりもずっと小さくて幼かった。まるで十四、五歳の少女のように見えた。
 一人がストレッチャーの端を持ち、もう一人が後ろを持って部屋から運び出そうとしていた。
「モーリス、愛してるわ」
 ユリアの声が聞こえたような気がした。私は椅子から飛び起きてストレッチャーを運び出そうとする人の前を遮った。
「待ってください。お願いですから妻を連れて行かないでください」
 彼はストレッチャーを持ったまま田中先生に救いを求める視線を送った。

 田中先生が来て私の肩に手を置き、悲しみを湛えた微笑を向けた。
「ベックマイヤーさん、残念ですが奥さんは亡くなりました。感染の拡大を防止するため、遺体は速やかに搬出しなければなりません」
「でも、私はどうしても妻が死んだとは思えないんです……」
「お察しします。実は私も三年前に妻を亡くしたんです。二十年間連れ添った妻でした」
 田中先生の気持ちが胸に響いた。

「火……火葬されるんですよね? 私はその場に立ち会えないんでしょうか?」
 火葬という言葉を口にするのに苦労した。

「残念ですが、無理です。ベックマイヤーさん、あなたは奥さんと濃厚接触状態に置かれていましたので、非常に高い確率でウィルスを保有しています。他の人への感染を防止するために隔離の必要があります。決して部屋から出ないよう、くれぐれもお願いします」
「分かりました」
と私は力なく答えた。
「本当に残念です。慰めの言葉もありません」
と言って田中先生はストレッチャーの後を追って部屋を去った。

 私は椅子に座ったまま何時間もの間じっとしていた。そう言えば今日はバレンタインデーだった。世界中の恋人たちが愛を誓う日に、私たちも永遠の愛を誓い合った……。しかし、私にとってはいつまでも消えることのない悲しみの始まりの日になった。
 

 翌日、アメリカ大使館から連絡があり、ルナー・ヘイローに乗船しているアメリカ人の船客を本国に移送することについて日本国政府の了承が得られたとのことだった。アメリカ人とその家族で希望する者は二月十六日に羽田空港を出発するチャーター機で帰国することができる。しかも無料だ。但し、アメリカ本土到着次第、隔離施設で十四日間過ごすことになるようだ。

 チャーター機に乗らない場合は、他の乗客と同様、検疫が終了するまでルナー・ヘイローに留まることになるが、既に十四日間のカウントは開始しているので、チャーター機に乗る場合より何日か早く自由の身になれる可能性が高い。ただ、乗客として最も不安なのは、今後どうしてくれるのか確信が持てないということだ。ネットではルナー・ヘイローに関する日本政府の対応に各国の批判が集まっているようでもあるし、船籍はイギリスで、運航しているのはアメリカの会社だ。申し分が無いほど立派な三つの国の組み合わせだが、実際に私たちに対して責任を持って動いてくれているのは船長と乗組員であり、外から騒ぎ立てることがどこまで私たち船客の役に立っているのか、よく分からなかった。

 私はチャーター機に乗って帰国することを選択した。もし船にとどまった場合、いずれ下船したら東京での職務に復帰しなければならない。きっと検疫期間が明けても職場の同僚は私が近寄るのを望まないだろうから、当面は自宅でテレワークすることになるだろう。直接会わないにしても私がユリアを失ったことを知っている人たちと言葉を交わさなければならない。慰めの言葉をかけられても、その瞬間にユリアがもう居ないという絶望に改めて打ちのめされるだけだ。オフィスにも、その周辺にも、ユリアと一緒に過ごした短い幸せな日々の思い出があちこちにこびりついている。やはり、東京には居られない。アメリカに帰ろう……。

 アメリカの隔離施設に到着したら、本社の部長に電話をして本社への転勤を願い出よう。いや、電話はまだ無理だ。ユリアという言葉を口にしたら涙と鼻水が溢れ出て話が続けられなくなる。何日か経って気持ちが落ち着いてからメールを出すことにしよう……。

 私はアメリカ大使館にチャーター機で帰国することを希望する旨の連絡をした。メールで送られてきた書状によると、カリフォルニア州フェアフィールドにあるトラビス空軍基地、またはテキサス州サンアントニオのラックランド空軍基地のいずれかでの十四日間の検疫期間を経て解放されることになる。もし本社への転勤命令が下りたら、一旦東京に戻って身辺整理をしてからアレンタウンに復帰することになるだろう。

 チャーター機での帰国を希望するアメリカ人にPCR検査が実施された。もし陽性だったら船に残されるのではないだろうかと心配していたが、私は陰性だった。結局、陽性と判定されたアメリカ人も咳や高熱の症状が無い限り、チャーター機の一区画に席を与えられることになったようだ。私はユリアにキスした時にコロナウィルスに感染する心配など頭の片隅にも無かったし、感染者が同じ機内に座っていると知っていても、何の懸念も感じなかった。そんなことはユリアがもうこの世に居ないということと比べたら、全く些細な事だ。

 チャーター機が離陸し、機内サービスが開始されると、私は赤ワインを二本もらった。二本の小瓶はほんの数分で空になり、通りかかったキャビンアテンダントに声を掛けてバーボンを注文した。彼女は「ハイハイ、困った子ね」というジェスチャーをして、まもなくバーボンとアーモンドを持って来てくれた。

 ストレートで飲むバーボンが喉を通って、喉が熱く燃える。その熱さで心の痛みがぶり返す。するとユリアの顔がパッと浮かび、再び涙が流れ始める。

 十六歳の時から教会に行かなくなっていたが、自分が救われるとしたらそれは神さまにしかできないと思った。神さま、私をユリアのところに連れて行ってください。ユリアが居ない世界で生きていたくはありません……。

 絶望と恍惚と涙に包まれてスーッと意識がなくなった。


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