
禁断のインスピレーション
今日から私の妻になりなさい
原作:Feminized for Inspiration
著者:Yu Sakurazawa
日本語版作者:桜沢ゆう
第一章 受賞と結婚
彼氏いない歴三十四年の私の人生にテオが入り込んできたのはつい最近のことだ。
私は十七歳の時に書いた短編小説がマイナーなミステリー小説のコンテストで銅賞を受賞してから、大学時代、そして就職後も創作活動を続けている小説家だ。昨年、大手文芸誌のコンテストで大賞を受賞したことで新進気鋭の女流作家として注目されるようになった。大賞作品の印税だけでなく、過去に出版済みの小説十数作品の売上も急激に伸びたので、それまで勤めていた会社を退職し、女流作家として生計を立てるようになった。
アリシア・ティンリーというペンネームは私の本名だが、知名度が一気に高まったのは、今年出版した小説「失われた冒涜」が著名な文学賞であるブルックナー賞の候補作品にノミネートされてからだった。昨年の文芸誌のコンテストで大賞を受賞した作家がブルックナー賞の候補に挙がったことで、新聞や雑誌から取材を受け、活躍する女性に関するテレビのノンフィクション番組で私の姿がたった二、三分だが放映された。
最終的に三月末にブルックナー賞の発表があり、私の「失われた冒涜」が受賞の栄誉に輝いた。それから二週間ほどは新聞雑誌の取材やテレビの出演依頼が相次いで目の回るような忙しさだった。
テオと出会ったのは四月十五日にミラノのホテルで開催されたブルックナー賞の受賞記念パーティーの会場だった。そのパーティーには十人の一般参加者枠があり、ネットで受け付けた千人を超える応募者の中から抽選で十名が選ばれ、テオもその一人だった。
「僕、先生の小説は全部読みました」
グレーのスーツにネクタイ姿で、赤みがかった金髪をした美しい少年がグリーンの目をキラキラと輝かせながら私を見上げて、よどみのないイギリス英語で言った。
「君に先生なんて呼ばれるとオバサンになった気がするから、アリシアと呼んで」
「えっ、そんな……。じゃあ心の中で『先生』と付け加えながらアリシアと呼ばせていただきますね。僕は十七歳ですから、アリシアの丁度半分です。七月に十八歳になりますけど」
十五歳ぐらいかと思ったのに大人の入り口の年齢だと聞いて意外な気がした。飾り気がなく、優しくて甘い声だった。男性の声を聞いてそのような安らぎを感じたのは初めてだった。杏仁豆腐を連想させる白い肌と小さな赤い唇が私の目からたった数十センチ先にある……。
「僕の名前はセオドア・ウィズリーです」
「テオと呼んでいいかしら?」
「はい、先生。じゃなかった、アリシア。友達からもテオと呼ばれています」
「テオはミラノの高校生なの?」
「いえ、シルミオーネの高校です」
「イタリア人じゃないわよね?」
「イギリス人です。五年前にイタリアに渡って来てシルミオーネに住んでいるんですけど、去年父がロンドンの本社に転勤になったので、僕を残して家族は帰国しました。僕は来年の四月にはイギリスの大学に進むつもりなので、それまでに帰国します」
イタリアの年度は九月に始まるが、イギリスは四月からなので、半年の空白があるのだ。
「イギリス人にしては小柄ね」
私は女性としては長身で百七十六センチあるが、今日は九センチのハイヒールを履いてきたので普段より背が高い。テオは私の目の高さしかなかった。
「平均よりは少し低いですけど、そんなに小さくはないです」
とテオはムキになった表情で言った。紅潮した頬はまるで桃のようで、食べてしまいたい衝動に駆られた。
「百六十七センチです。やっぱり小さいのはお嫌いですか……」
「私の昔の恋人も百六十七センチだったわ」
そう言うとテオはパッと顔を輝かせた。
「テオのメールアドレスを教えてくれる?」
「はい、先生。電話番号とメールアドレスとワッツアップのIDを今すぐ送ります」
私がワッツアップのIDを教えるとテオはあっという間にワッツアップで連絡先を送ってくれた。
「じゃあ、また連絡するかも」
と、思わせぶりに言ってその場は別れた。
ほんの二、三分間の会話だったが、それは心躍る時間だった。テオは私がこの人生で手に入れることをほぼ諦めていたものをすべて持っていた。美しさ、優しさ、そしてそばにいるだけで得られる安らぎ。私に話しかけてきた時のキラキラと輝く目、ムキになった時の表情、自分が私の昔の恋人と同身長と知った時のうれしそうな顔……。地球上にそんな男性が何人も存在するとは思えない。そのうちのひとりが私の手の届く距離に来たのは奇跡だと思った。
きっとテオと結婚することになるという予感がした。三十四歳の名の知られた作家が十七歳の高校生との結婚を意識することが不自然だということはよく分かっていた。
テオには私の昔の恋人と似ている点が沢山あった。周囲から妨害されなければ今も一緒に人生を送っているはずの恋人だった……。
その時司会者から呼び出され、私は壇上で記者たちからインタビューを受けた。テレビ局の記者から「ご両親にひと言」と聞かれて私はカメラのレンズを見ながらこう答えた。
「私がブルックナー賞を取れたのはお父さんのお陰です。お父さん、あなたがいなければこの小説は書けませんでした」
***
私は子供の頃から男性が苦手だった。
初経があるまで性別というものを意識していなかった。学校でも、下校してからも、男の子と一緒に遊んでいたが、男の子が好きだったからではなく、彼らがしたいことと私がしたいことが一致していたからだ。私と同程度にサッカーが上手な子は一人か二人いたが、私は常にスターだった。
第二次性徴が始まった時に、特に絶望を感じたわけではない。私は母と似ていたので大人になったら母のような外見になるのが当然と思っていたし、毛むくじゃらで腹がポッコリと出た父の裸を見ると身震いするほどの嫌悪感を感じた。それまで遊び仲間だった男の子たちの身体の変化は、彼らが将来私の父と同じような身体に向かうことを示唆していて、とても気の毒だと思ったし、かかわりたくない気がした。
そして、私は十三歳の時に恋をした。相手はリア・コスタという同級生の女の子で、赤みがかった金髪とグリーンの目をした、繊細な造りの美しい顔立ちの少女だった。学校では休み時間も昼食もトイレに行くのもいつも一緒で、二人で下校するとお互いの部屋に入り浸った。
ある日、彼女の家でベッドの縁に座っておしゃべりをしていたらうとうととしてしまい、目が覚めるとリアの唇が私の口をふさいでいた。それが私のファースト・キスで、頬から太ももまでジンジンして戸惑ったのを覚えている。それから私たちは会うたびにお互いを求め合う関係になった。
やがて母に現場を見つかり、こっぴどく叱られた。母が父に告げ口をして、父は私にびんたを食らわせた後で髪を掴んで引っ張り倒して足で踏みつけた。二度と同じことをしたら髪を剃って丸坊主にすると脅された。保守的なクリスチャンの家だったので、両親にとってショックだったということは理解できる。父は私が十三歳という若さで肉体関係を持ったことと、その相手が女性だったという二つの点に(多分後者をより強く)激怒したのだった。
私のリアに対する気持ちは父の叱責と脅しの結果、却って強くなった。父のお陰でリアと私はより慎重かつ巧妙に逢瀬を重ねるようになり、高校を卒業するまでの四年間、私たちは密かに絆を深め合った。
あの事件が起きたのは卒業式の日の午後、二人が時々デートに使っていた廃工場の事務室だった。私がリアにキスをしながらリアの制服のスカートのホックを外してスカートがするりと床に落ちた時、黒い目出し帽をかぶった若い男がナイフを左手に部屋に入ってきた。私は同級生の男子ならある程度対等に渡り合える自信があったが、その男の体格は規格外で、ナイフを見て、刃向かえば殺されると直感した。男は私たちの足をはらって床に転がしてから、私を後ろ手に縛りあげて口にタオルを押し込み、私が見ている前でリアを犯した。リアは泣きながら抵抗したが全く歯が立たず、男のおぞましいものを奥底まで突き立てられた。
私は自分の無力さに絶望した。男が入ってきた時に敵わないと思っても椅子でも棒でも振り上げて立ち向かうべきだった。そうしなかった自分に腹が立った。目の前でリアを犯されるぐらいなら、立ち向かって殺された方がマシだった。
リアが犯された後、更に恐ろしいことが起きた。その男はリアが見ている前で私を犯したのだった。私はリアに対して彼氏のような立場で、リアを一生守る覚悟でいたし、リアもそのつもりだったと思う。自分が男性に対してこんな形で力なく屈服する時が来るとは考えたことが無く、無残な敗北の姿をリアに晒している自分が耐えられなかった。
男は高笑いを残して立ち去り、リアは私を後ろ手に縛っていたロープを解いた。私とリアはお互いの股間からこぼれ出る粘液を見て、抱き合って泣いた。警察に届けることはできなかった。警察に届ければ必ず両親が呼ばれて、私とリアが廃工場の事務室で逢瀬を重ねていたことが露見してしまう。私たちは一刻も早くあの男の体液を身体から洗い流したくて各々の家に帰った。
帰宅すると廃工場で経験したのとは別の種類の、更にショッキングな事態が私を待っていた。私は自分の部屋に戻る前に浴室に入って身体のあらゆる隙間まで汚れを完全に洗い流したが、夕食は殆ど喉を通らず、誰とも口を聞かずに自分の部屋に戻った。しばらくして父がノックもせずに私の部屋に入ってきて私に言った。
「お前が女だということは、今日よく分かったはずだ。大学に行ったら色々な男性と友達になって視野を広げて将来の伴侶を探しなさい」
それを聞いて、一瞬、父が何を言いたいのか理解できなかったが、まもなく恐ろしいことに気付いた。父は私がレイプされたことを知っている……。
その点について確認するため、私は可能な限り平静を装い、声を震わせないように言った。
「よく分かったわ。今日のは教育的指導だったということね」
父は痴呆めいた微笑を浮かべて「分かればいい」と言ってうなずいた。これでリアと私を犯したのは父が雇った男だったと分かった。なんと、父は娘に自分が女であることを分からせるためには、チンピラの精液を自分の娘の身体の中に注入させることさえ厭わなかったのだった。父にとって女同士が交わるというのはそれほどの悪行だったということだろう。
父に犯されたのと同じだと思うと、私の愛するリアを犯させた父に対する殺意が湧いてきた。私は立ち上がって父に体当たりして部屋の外へと突き飛ばし、中から鍵を締めた。
***
翌日から父とは一切口を聞かなくなった。父がしたことを母が知っているのかどうかはその時は判断できなかったが、少なくとも私たちをレイプさせることを事前に承知していたわけではないのは確かだと思った。母は明らかに抑うつ状態にあった私に対して、問い詰めることなく何かにつけて気遣ってくれた。母親が自分のお腹から生まれた娘が暴漢にレイプされることを事前に容認するはずがない。もし後で父から聞かされていたとしたら、そんな男性を夫として寄り添わなければならない母は気の毒だとしか言いようがない。
四月から私は大学に進学し、アルバイトをするようになった。すぐにでも家を出て一人で住みたかったが、経済的に無理なので家で寝起きしたが、父とは視線を合わせず会話もしなかった。
リアに会いに行きたかったが、なかなかその勇気が出なかった。リアと私をレイプさせた真犯人が自分の父であることをリアに言うべきかどうか判断できず、犯人の家族である私はリアに顔を合わせる勇気が無かった。リアに会って全てを話そうと決心したのは大学が始まって最初の土曜日の朝だった。
リアに連絡を取ろうとしたが、電話に出ず、ワッツアップにもメールにも応答が無かった。リアの家に電話をするとお母さんが電話に出た。
「リアは昨日の夜亡くなったの。寝る前にお風呂に入ったのに出てきた気配が無かったから私が気になって見に行ったら手首を切って死んでいた。アリシア、どうしてもっと早く会いに来てくれなかったの?!」
と言って電話の向こうでリアのお母さんが泣きじゃくった。
レイプされたことのトラウマで自殺したのか、私が疎遠になったことを苦にして自殺したのかは分からなかった。
葬儀の日に見た棺の中のリアの顔は不自然なほど安らかで微笑んでいるようにさえ思えた。
それから何日も眠れない夜が続いた。リアをレイプした真犯人は私の父だったが、リアを自殺に追いやったのはすぐにでも慰めに行くことを怠ったこの私かもしれないという思いが私を責め続けた。
人間とは強いもので、二ヶ月もすると私は普通に大学に通ってまるで何事もなかったかのように生活が送れるようになった。男女とも友達はできたが、誰とも深い付き合いはしなかった。
私をデートに誘う男友達も何人か現れた。私のように背が高くボーイッシュな体格で性格も男っぽい女性に魅力を感じる男性は意外に多いのだ。
そんな時には、
「ごめん、他に好きな人がいるから」
と言って断るのが最も手間がかからない撃退方法だった。そうすれば私がその男性を好ましいかどうかを評価する立場にないことが相手にも理解できるので無難だし、浅い友達のままでいることができる。
それに、好きな人がいるというのはウソではなかった。リアが死んでから何年間もの間、私は自分の恋人はリアだけだと本気で思っていたからだ。
口には出さなかったが、男性と友達以上の関係になる気はなかった。父やあのレイプ犯人と同じ性器を股間にぶら下げているということが「男性」の定義であり、そのカテゴリーの生き物と裸で身体を合わせることは一生あり得ないというのが正直な気持ちだった。
大学の女友達の中にはリアに負けないほどの美人や、リアと同じように透き通っているふわふわした肌を持った女性や、優しかったり話していて面白い人もいたが、全てを兼ね備えている人はいなかった。仮にいたにしても、その人が女同士の愛を受け入れる可能性は低いはずだった。
私の体格や性格のせいで、そして気づかないうちに放つオーラがあるのかもしれないが、私に抱かれたくて近づいて来る女性は何人も居た。大学四年の時に一度だけそんな女性を抱いたことがある。真っ白な肌、髪は赤みがかったブロンドでグリーンの目をした新入生で、一瞬リアが生き返ったかのような錯覚を覚えた。でも、ベッドの中で私は失望した。リアと似ていたのは外観だけで、何の安らぎも感じさせない薄っぺらな女性だった。リアのような人はこの世界には居ないし、リアは二度と帰ってこないのだと思い知らされた夜だった。
そんなことがあってから、私は自分が一生伴侶を得られない運命にあると自覚するようになった。
***
ブルックナー賞の受賞記念パーティーの翌日、テオにワッツアップでメッセージを送り、金曜の夜にシルミオーネで一緒に食事をすることを提案した。テオが住むシルミオーネはミラノから車で約一時間半ほどの距離なので夕食を終えてから家まで帰れないこともないが私はホテルを予約した。シルミオーネはテルメ(温泉)で有名なローマ時代からの保養地で、ガルダ湖に突き出た半島にある旧市街は私が好きな場所のひとつだった。
金曜日の午後、湖畔に面したホテルにチェックインして、テオが来るのを待った。彼は黒のタイトパンツにゆったりとしたストライプのシャツという姿でホテルのロビーに現れた。受賞記念パーティーで会った時には髪をハードジェルでバック気味に決めてスーツにネクタイという姿だったが、今日は長めのボブをパウダーワックスでふわっとさせたヘアスタイルだった。赤みがかったブロンドの髪がテオの笑顔のはにかみを更に魅力的に見せていた。
「すみません、遅くなっちゃって」
私を見上げるテオの瞳は澄みきっていた。微かな若い男性特有の汗の臭いがボディーソープの香りと混じって私の胸をときめかせた。テオは高校の授業が終わってから自分のアパートに帰って、私と会うためにシャワーを浴びてきたのだろう。
――テオは私に抱かれるつもりで来てくれた……。
ホテルのレストランで食事をして、そのまま部屋に連れて行った。三十四歳の女が男子高校生を一対一で夕食に誘うこと自体が軽率であり、部屋に連れて行くのは犯罪的と言われても仕方がないことは自分でも認識していた。でも私は倫理的な行動基準を失うほどテオに魅かれていた。
テオは何の抵抗もせず、さりげなく自然に身をゆだねてくれた。テオは男性であり解剖学的には父やあの男と同じものを持っていたが、それは本質的に異なるものだった。それが女に挿入することにより支配権を確立するための道具だと認識している男性は多い。でもテオのそれは私から喜びを与えられ支配されるために存在していた。
テオは男性でありながら男性ではなかった。テオの心と魂はリアと同じぐらい女性だった。彼は自己本位ではなく、私の微かな感情の変化、衝動、私自身でも気付かないレベルの恐怖の芽生えを理解することができた。独占欲を出さずに人を愛する能力を持っていた。
彼はベッドの上で恐れることなく私に身を預け、私はリアの時と同じように持って生まれた支配欲を気兼ねなく発揮することができた。私に言われた通り後ろ手に緊縛されたり、お尻をベルトでしばかれたり、言葉で奴隷扱いされることも厭わなかった。
テオが生まれつきマゾヒスティックで被支配欲が強いのか、作家としての私を崇拝しているから言う通りにしてくれたのかは定かではない。ただ、テオにとって大事なのは自分がどうされたいかということより、私が何をしたいかということなのだと感じられた。
私は土曜日の朝テオにプロポーズした。
「本当に僕なんかでいいんですか? 僕はアリシアが少しでも気持ちよく感じられるためなら何でもします。一生そばにいられるだけで幸せです」
テオはまだ十七歳なので入籍するには親の承諾が必要だった。しかし、年齢が倍の私としてはテオの両親の承認を得る自信は無かった。テオは七月十日の誕生日に自分の意志で結婚できる年齢に達するので、その日を待って入籍することにした。
私はミラノのアパートを引き払い、シルミオーネにある小さなヴィラを購入して移り住んだ。
二人のママゴトのような同居生活がスタートした。
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