ユキの場合 第8章 | 性転のへきれき

ユキの場合 第8章

第8章

 

冷蔵庫の中にある材料を使って朝食をこしらえた。

炊飯をしていると時間がかかるが、冷凍庫に叔父が冷凍しておいたらしいおむすびが3個見つかったので、それを利用して粥をつくった。インスタント味噌汁にキュウリの漬け物を添えてできあがりだ。

「普段自分で食べているものと似てるが、おいしさが全然違う。」
叔父はにこやかに褒め言葉をくれた。

私はまた下痢をするのが怖いので、お茶碗に半分だけ食べた。

その時、居間の電話が鳴った。

叔父は数分間話していたが、食卓に戻って言った。
「島津の爺さんが未明に亡くなったらしい。」

「島津のお爺さんってどなたですか。」

「わしの従兄弟だ。保さんはよく知っているはずだが、裕貴は会ったことがないかも知れないな。従兄弟といっても随分年上で、92才だから大往生だ。」

「じゃあ、お葬式にいらっしゃるんですね。」

「今夜が通夜で、葬式は明日だ。場所は高松のセレモニーホールだ。」

「遠方、大変ですね。」

「お前も一緒だ。」

「坂出から高松高校に通っていた友達もいますし、高松に行くのは勘弁してください。」
万一、中高校時代の友人にスカート姿を見られたら一巻の終わりだ。

「車で葬式に行って帰るだけだから友達に見られる恐れはないよ。保さんは親戚付き合いが悪かったし、特に美津子さんが亡くなってからは、付き合いのあったのはわしぐらいだ。親戚筋で裕貴のことを知ってる人なんか居ないよ。わしとしては若い嫁をもらったことを証明するのに良い機会だから、どうしても連れて行きたい。」
叔父は強引だった。

「でも、着るものもありませんし。」
縋り付くように抵抗したが無駄だった。

「勿論買ってやるよ。それに、お前は今着てるのと、昨日着ていた赤いのと2着しか持ってないだろう。まだ何日かはここに居るんだから、格好がつかないだろう。せっかく高松に行くんだから色々買ってやろう。」

「服なんか買ってもらっても、1、2回しか着ずに捨ててしまうことになるからもったいないです。」

「気にするな。それじゃ、1時間ほどしたら出発するから用意しなさい。」

叔父はタンスから喪服とネクタイを取り出し、着替えをカバンに入れた。

叔父が電話でホテルの予約を取った。

「ホテルは高松三越のすぐ近くだから色々買い物しても便利だからな。それにセレモニーホールにも歩いていける。」
叔父は高松市の地理に詳しいようだった。

叔父の運転する車で出発した。叔父の家から高速のインターまでは2kmほどしかなく、2時間で高松のホテルの駐車場に着いた。

「先に三越で買い物をしよう。」

まず3階の婦人用フォーマルドレスの売り場に行った。

私はおびただしい種類の婦人用喪服を目の前にして途方に暮れた。そもそも婦人服を選んだ経験が無いし、通夜や葬式に相応しい服がどんなものか、全く知らない。

「今晩の通夜と明日の葬式に着る服を選んでくれませんか。」
叔父が店員をつかまえて言った。

「こちらのお嬢様でしたら、このシンプルフレアーのワンピースのアンサンブルがお似合いと思いますよ。これならご結婚なさってからでも大丈夫ですし。」

「わしの家内ですが。」

「大変失礼いたしました。」

「いやいや、そう見えても仕方ないですから。」

店員は私を2秒で目測して合いそうなサイズのものを選び出し、私を試着室に連れて行った。

背中のジッパーを下ろすのも慣れてきていた。着ていた紺のワンピースはスルリと試着室の床に滑り落ち、店員から受け取った黒のワンピースをハンガーから外して着た。それは意外なほど私にフィットした。カーテンを開けると叔父がこちらを向いて立っていた。

「美しいのう。喪服は女を綺麗にすると言うが、ほんまやなあ。」
叔父は心から感心したように言った。

「ほな、これ下さい。それから、この服に合うバッグとか数珠も見繕ってください。」
叔父が店員に言った。

私はカーテンを閉めて喪服を脱ぎ、急いで紺のワンピースを着た。

「あなた、一回しか使わないものですから、無駄づかいしないでくださいね。」

「言うとるだろう。嫁さんに貧相な格好をさせたら、わしが恥をかくんだから。」

「黒の靴も必要だな。」
2階の婦人靴売り場で7センチ程度のヒールのエレガントなパンプスを買った。これなら普段でもはけそうだ。

「葬式の用意はこれで十分だな。次は普通の服を買いに行こう。」

デパートのロゴの入った大きな紙袋を両手に持って叔父はエスカレーターに乗り、ブランドものの婦人服が並ぶ3階に行った。

「大人っぽい服がひとつはあってもいいと思うな。」
と言いながら叔父は左右に展示された色とりどりの服を見ながらフロアをどんどん前に進んだ。

「これがいい。これにしなさい。」

叔父が指さしたのはグレーのツーピーススーツで、飾り気のないエレガントなブランドものだった。

「に、にじゅうごまんえん。」
私は値札を見てあきれかえった。

「気にするな。これにしよう。」

「やめてください。ドブに捨てるようなものです。一回も着ないかもしれませんよ。25万円もあったら最新の高級ノートパソコンが買えるのに。」

「それも買ってやる。両方買ってやる。」
と言って店員を呼んだ。

試着室は先ほどの喪服の試着室よりも広かった。試着すると、不思議なことに、ウェストはより細く、ヒップとバストは実際より豊かに見えた。不自然さが全くなく、全体として女らしく上品に見える。高いだけのことはある。

「まるで裕貴のために作られた服のようだ。最高だよ。」

叔父の絶賛を聞いて悪い気はしない。

結局叔父は大枚を払ってそのスーツを買ってくれた。

「ありがとうございました。でも、本当に一回かそこらしか着られないのに、もったいないです。」

「気にするなって。お前を嫁にもらってから始めての買い物なんだから。」

「こんなに何でも買ってくれるのなら、ずっと奥様のままでいようかしら。」
いたずらっぽく言うと叔父は冗談と知りながら嬉しそうにしていた。

「昨夜のお礼だよ。シャワーをして、わざとノーパンで来て、わしに抱きついてくれたから。」
叔父が私の耳元でささやいた。

「そ、そんなんじゃないんです。」

それは大変な誤解だ。私は下痢で汚れた体を洗うためにシャワーを浴びて、一着しかない下着を洗っている間、仕方なく素肌にワンピースを着ていただけだ。それに私から叔父に抱きついたわけではなく、泣いているうちにそうなってしまったのだ。

私が挑発したように思われているのだろうか。

恥ずかしさで顔が真っ赤になるのが分かった。

「違うんです。誤解です。」
私は周囲の目を気にしながらも、叔父に詰め寄った。

「すまん、すまん。お前に恥をかかせるつもりは無かったんだ。全部わしが悪かった。もう、この話は忘れよう。」
と、叔父は逃げた。

私が挑発したと本当に叔父が思っているのか、からかうつもりで言っていたのかは分からない。

荷物が増えたので、駐車場に戻って車のトランクに入れた。

もう一度デパートの売り場に行って、喪服の下に着るブラウスと、普段着や下着を買った。普段着はカジュアルウェアのコーナーでマネキンに着せられていたスカートとキャミソールとカーディガンのセットを叔父が気に入って「これを買いなさい」と半ば強制的に買ってくれたものだ。

次に、腕時計と、プラチナの結婚指輪と、真珠のネックレスを買ってくれた。

「女を一人作るのには大変なお金がかかるんですね。」

叔父が気前よく次々と買ってくれるので、金銭感覚が麻痺しかかっていたが、単にスカートをはけば女になるというわけではなく、女として必要最小限のものをワンセット取りそろえることが如何に大事業であるか、あきれるばかりだ。

地下の喫茶店で昼食を取ってから、隣接するビルの2階にある美容院に行った。

ずっとウィッグをしていたが、ちゃらちゃらしていて、少なくとも葬祭には合わない。私の髪は十分長いので、上手くカットすれば、お通夜に出ても不自然でない髪型にできそうだ。トイレでウィッグを外し、手櫛で女性的な髪型にしようとしたが、髪に癖がついていて、なかなか思い通りにならなかった。手に水をつけて髪全体をかき上げ、もう一度手櫛を入れると男性的な感じはなくなったが、見るも無惨な茫々の髪だった。

それ以上どうにもならないので、意を決して美容院に向かった。美容院といっても、ホテルにある結婚式場の専属のようなものらしい。日取りが悪いのか、今日は結婚式は入っておらず、美容院にも殆ど先客がいなかった。

「いらっしゃいませ。」

「今夜お通夜に行くんですが、それに合う髪型にしてください。」
と私は髪を気にしながら店員に言った。

スタイルブックを渡された。

「この髪型が良いな。」
叔父が一目で気に入った写真を指さした。それは、無くなった母の若いときの写真と似た髪型だった。

「お客様の髪では少し長さが足りませんが、そんなイメージで、ということでよろしいですか。」

「ええ、お任せしますのでお願いします。」
叔父が変なことを言い出さないうちに、私が急いで答えた。

「髪に癖がありますので、ストレートパーマもされたほうがよろしいかと。」
店員が言うと、間髪入れず叔父が答えた。

「フルコースはありますか。全部お願いします。」

「フェイシャルエステ、眉毛のお手入れにネールケアも含めたブライズドリームというコースがございますが、お時間は大丈夫ですか。料金は税込みで7万円です。」

この美容院で一番高いメニューを示され、カモにされているような気がして少し腹が立った。

「それでお願いします。何時ごろまでかかりますか。」

「5時ごろになると思います。」

「それじゃあ、先に料金を払いますから、お願いします。裕貴、わしは5時頃までにチェックインして部屋で待ってるから。」
叔父は料金を払って出て行った。

 

「気前の良いお父様をお持ちでうらやましいですわ。」
私をチェアに座らせながら美容師が言った。

「普段は美容院には、いらっしゃらないのですね。」
全く手入れをしていない髪について上手に批評しているようだ。

「二、三日前まではお化粧や美容院には無縁だったんです。何にもわかりませんから、全てお任せします。わたしは寝てますので。」

こんな美容師に話しかけられると、いつボロが出るか心配なので、それ以上話しかけられないように先手を打った。

「かしこまりました。じゃあ、おくつろぎになってらしてください。」

シャンプーを手始めに長い長いコースが開始された。私は予告通りに出来る限り目を閉じて、他のことを考えていた。終始、鏡を見ないようにしていた。フェイシャルパックの時には本当に眠ってしまったようだ。しばらくして、足の爪の手入れのためにパンティーストッキングを脱ぐように、と起こされた。

「お嬢様、お待たせいたしました。」
うとうとしていた私は美容師の声で我に返った。

私は鏡の中の自分を見てハッとした。それは母そっくりの可憐な女性で、ただ、自分の記憶にある母よりずっと若く、少女の面影が残っている。

眉の下手側の約半分が見る影もないほど細くされてしまっており、存在を確かめようと、眉を指先で触診してしまった。

「眠ってらっしゃったので、おまかせいただきました。ペンを使う必要もないぐらい理想的な眉をされてますね。毛抜きで処理しましたので、二週間はお手入れが不要です。」

髪型と眉が変わって、自分の見るところでは別人のようになってしまった。化粧を落としたら元の自分の顔に戻るだろうか。こんな顔だと、背広を着てネクタイをしても男性に見えないんじゃないだろうか。不安が頭をよぎる。

当惑したまま、そそくさと美容院を出た。

ホテルのフロントに向かう私は、すれ違う男性の視線が、まるで全身をスキャナーにかけるかのように、なめ回していくことに、恐怖と嫌悪感を覚えた。見も知らない人間の顔をマジマジと覗き込むなんて失礼と思わないのだろうか。

フロントの横の館内電話の受話器を取り、
「高橋義弘さんをお願いします。」
とオペレータに言うと叔父が電話に出た。

「今、終わりました。」

「そうかそうか。じゃあ516号室まで上がってきなさい。」

部屋のチャイムを鳴らすと叔父がドアを開けた。

「裕貴か。ほんまにべっぴんやな。こんな美人、実物で見るのは初めてや。」
叔父は半分放心したような目で絶賛してくれた。

「ますます美津子さんに似てきたな。美津子さんも群を抜いて美人だったが、お前は更に綺麗や。こんな女を一晩抱けたら死んでもええ。」

「もう、人前ではそんなこと言わないでくださいね。」

好色な冗談のネタにされるのはご免だが、そこまで綺麗だと言われると嫌な気持ちはしない。

「通夜は7時からだが、早すぎるのもよくないので、6時半ごろここを出て、そばでも食ってから行こう。それまでに喪服に着替えなさい。」

ベッドの上には先ほどの買い物が積まれていた。早速、喪服に着替えた。鏡を見ると、今朝方のウィッグの時とはがらりと変わって、憂いを含む表情が黒のワンピースにマッチしている。実際より2、3才年上に見られるかも知れない。

年の割に未発達な腰回りが、壊れそうな感じを醸し出して、却って女らしさを強調するかのようだ。喪服は女を美しくするといわれるがあるが、それを身をもって実感していた。


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