ユキの場合 第3章 | 性転のへきれき

ユキの場合 第3章

第3章

 

「さあ、叔父さんの家に行くわよ。」
美沙は市役所の駐車場に立っていた係員に住所を示して道を聞いた。歩ける距離ではなくタクシーで千円ちょっとだろう、と言われたので、タクシーに乗った。叔父は坂出の私の家にちょくちょく来ていたが、私は叔父の家に行ったことはなかった。

タクシーが止まったのは、川の近くの道路沿いに古い家屋が数軒ならんでいる中の一軒で、何十年か前に建築された時点では結構立派だったかも知れないと思わせる家造りだった。
「裕貴、ここのお嫁さんなのね。お気の毒。」
「怒るぞ。とにかく化粧を落とさないと叔父さんに会えないよ。」
「すぐに離婚届を出しに行きたくないの。そうならそのままにしなさい。」
美沙は戸を開けて、
「ごめんください。」
と言った。
しばらくしても応答が無いので、もう一度大きな声で、
「ごめんください。」
と繰り返した。
それでも誰も出てくる気配はなかったので、私は外に出て、ドアをドンドンとたたいた。
すると、隣の家から90才以上と言ってもおかしくない老婆が出てきた。
「高原さんのお知り合いかいの。」
「はい、親戚の者ですが。」
と美沙が答えた。
「義弘さんは定期健診に行っとって昼過ぎまで留守なんよ。お嬢さんたちはどこから来なさったんかいな。」
「東京からです。」
「東京の甥御さんの娘さんで?」
「いえ、親戚というより、ここの家族なんですけど。」
「家族って、ほな、東京の大学に行っとりなさる若奥さんてあんたかいな。」
「わたしじゃなくって、こちらです。」
と私のお尻を押した。
「ほんまじゃ、若奥さんじゃ。写真はしょっちゅう見とるけんど、本物は初めてじゃ。」
老婆は高原の家に入って靴を脱ぎ、玄関口の居間に上がった。
「ほれ、この写真でよ。確かにこのお方じゃ。ほうかい、ほうかい。義弘さんが坂出の甥の家から若い娘さんを嫁にもろうたと聞かされとったけんど、結婚式にも呼ばれてないし、式の写真も無いし、いっぺんも実物を見かけたことないし、近所でもウソでないかいなと言うとったんよ。これは義弘さんには内緒でよ。」
「大学の方が忙しくて、たまに帰っても一泊するだけだったんですよ。」
美沙が出まかせを行って調子を合わせた。
「ほな、まあ、お邪魔してもいかんけん、ゆっくりテレビでも見ながら待っとってください。」
老婆は私を何度も見ながら去っていった。
「いい加減なことを言うなよ。どこかで時間をつぶして夕方来ればよかったのに。」
「ここじゃあタクシーも拾えないし。それにわたし、顔も洗ってないから、ゆっくりできるところが欲しかったのよ。ちょっと探検してくるわ。」
と言って家中の部屋を見て回った。
「外観よりは立派な家よ。部屋数も多いわ。お風呂も改装されててきれいだわ。」
美沙は早速シャワーを浴びに行った。
「人の家だから好き勝手なことするなよ。」
「ばかねえ。裕貴はここの奥さんなのよ。」
美沙は勝手に見つけたバスタオルを胸に巻いて、自分のバッグから取り出した化粧水をつけながら言った。
「裕貴もシャワーを浴びてきなさい。」
私も化粧を洗い流したかったので、シャワーを浴びることにした。石けんで顔を洗ったが、タオルでこすると口紅の色がうっすらとタオルについた。今度はタオルに十分石けんをつけて、顔全体をゴシゴシ洗った。化粧の匂いが髪にも残っているような気がして、二回シャンプーをして、リンスをした。
何度かタオルを絞って髪と身体を拭いた。
「美沙、ごめん、僕のバッグを取ってくれる。」
と風呂場から叫んだ。
「隣に聞こえたらどうするの。小さい声でしゃべってよ。」
と言いながら、美沙は風呂のドアを半分開けて、さっき美沙が使っていたバスタオルを私にトスした。
「これに着替えなさい。」
と言って、美沙は自分のバッグから出した女物の下着とワンピースを指さした。
「バカ言うなよ。こんなもの着られるかよ。」
「裕貴はここのお嫁さんって想定なんだから、今度お婆さんが来た時に女に見えないとまずいでしょう。わたしの言うことを聞くのが嫌なら勝手にしなさい。わたし、帰るから。」
美沙は鞄を持って立ち上がろうとした。
「ちょっと待ってよ。」
「一分待つわ。」
美沙は思い通りにならないと、期限付きの最後通告をする悪癖がある。一人娘でわがままに育てられたせいだ。私は美沙が一分待つわというと、一分以上は待たないことを知っていたので、とにかく嫌々下着をつけた。ブラジャーを指でつまんで困惑していると、美沙が取り上げて無理矢理私の腕にブラジャーを通させ、背中のホックを留めると、ソックスをブラジャーの中に押し込んだ。
その時、玄関のドアが開く音がして、さっきの老婆の声がした。
「ごめんなして。」
「はあい。」
美沙が答え、私は急いでワンピースを着て、洗面所で髪をとかした。
「すみません、シャワーを浴びてましたので。」
美沙が老婆に言う声が聞こえる。
「草餅を作ったけん、食べてもらおうと思うて持ってきたんよ、」
「ありがとうございます。お気遣いなさらないでください。」
「若奥さんは、まだお風呂かいな。」
と言いながら老婆は風呂の方をのぞきに来たので、私とばったり顔をつきあわせる結果になった。
「あ、どうも。」
私はできるだけ細い声で言ってお辞儀した。
「奥さんと言うてもまだ娘さんやなあ。すらりとしたべっぴんさんじゃ。義弘さんもほんまに罪なことじゃ。」
老婆は顔をくしゃくしゃにして笑った。
「まあ、奥さん、座りなはれ。お茶入れるけん。」
老婆には帰る兆しは全く無く、台所でお湯を沸かし始めた。

その時、玄関のドアが開く音が聞こえた。
「誰が来てくれたんかいな。」
叔父の高原義弘が入ってきた。一昨年、父の葬式の際に見た時と変わらなかった。180センチ近くある長身で、背筋もピンと伸びているので60才といっても通るだろう。
「義弘さん、奥さんとお客さんがお待ちですよ。」
叔父は顔をこわばらせて私の方を向いた。
「ゆ、裕貴さんかいな。」
私は発するべき言葉が浮かばず、叔父の目を見てアゴが震えた。
「高原義弘さんですね。ちゃんと説明してください。」
美沙が厳しい口調で言った。
「ほな、わたしは失礼するけん。水入らずで仲良うしてや。」
老婆はこう言って、あたふたと家を出て行った。
叔父は老婆が玄関のドアを閉めて出ていったことを確かめてから言った。
「待ってくれ。わしはあんたのお父さんに言われたとおりにしただけじゃ。悪気は無かったんじゃ。」

「なぜこうなったのか、分かるように説明してください。」
美沙が代弁してくれた。

「あんたはどちらさんですか。」
「わたしは裕貴のガールフレンドです。結婚するつもりでした。」
と、美沙が「結婚するつもり」を過去形で言ったのが引っかかったが、今はそれどころではない。

「ほなけど、裕貴さんはスカートはいとるし、女同士で結婚やなんて。裕貴さんはやっぱり女になってたんかいな。おかしいな、混乱してきたわ。」

「それはこちらが聞きたいことです。どうして戸籍がこんな風になっているのか、ちゃんと説明してください。」

「わたしがこんな格好をしているのは、ご近所の方への用心のためだけで、いつもは普通の男子学生です。」
小さい声で私は始めて叔父に対して発言した。

「そうですか。まあ、座ってください。」
叔父は私たちに座布団をすすめて、自分もあぐらをかいて座り、しゃべり始めた。

「わしはただ、保さん、つまりあんたのお父さんに言われたとおりにしたたけじゃ。保さんはわしの死んだ兄貴の一人息子じゃが、医者で、ずっと羽振りが良かった。はじめの奥さんが病気で亡くなってからしばらくは沈み込んでいたが、あんたの美人のお母さんがあんたを連れて後妻に入って、それはそれは幸せそうじゃった。あんたのお母さんにベタ惚れじゃったからのう。

ところがあんたのお母さんが交通事故で突然亡くなってから、保さんは別人のようになってしもうた。酒を飲んで荒れて、たまに叔父のわしが坂出に会いに行っても、殆ど口も聞いてくれんかった。あのころ、あんたはお母さんに生き写しで、男の子にしとくのはもったいないほど綺麗な子じゃった。普通、惚れた女房にそっくりの子だったら、可愛がるところが、逆目に出てしもうた。あんたは、保さんの家に入ってからずっと、保さんになつかんかった。保さんは初めからあんたが嫌いで、お母さんが死んでからは、憎しみがつのったようじゃ。

保さんが死ぬ少し前にびっくりするようなことを頼まれたんじゃ。保さんが言うのには、あんたは初めから半陰陽だったので、家を出る機会に手続きをして戸籍を女に変更したとのことじゃった。男から女になった人間を世間はまともに扱ってくれるはずがないから、わしの嫁として籍に入れてやってくれ、そのかわり、借金を帳消しにした上で、大学を出すのに十分な金をやる、と言われた。

わしは以前あちこちに借金があったのを保さんが肩代わりして助けてくれたことがあるが、その後も仕事がうまいこといかず、首が回らんかった。だから、常識で考えると変なことを頼まれても、断るわけにはいかんかったんじゃ。「裕貴くんは了解しとるんか」と聞いた。保さんは、「当然裕貴も了解しとるから心配するな」と言うとった。入籍などの手続きは全部保さんがやって、入籍後の戸籍謄本を持ってきてくれた。その時にお礼に大金をもろうた。

ところがじゃ。ひと月ほどして、保さんが倒れたという連絡が入った。わしが駆けつけた時にはガリガリにやせ細って、それこそ死相がありありと見えとった。その時わしは始めて保さんから聞かされたんじゃ。

保さんは鬼のような顔で言うた、裕貴が憎かったと。裕貴が死ぬべきところを神様が間違えて美津子を死なせた、美津子そっくりの顔をしてチンチンをつけた出来損ないの裕貴が生き残った、それが許せん、と言うた。仕返しに、裕貴の戸籍を女に変更して、叔父さんの嫁として入籍させた。わしはもうすぐ死ぬが、葬儀は密葬にして誰にも知らせないでくれ、全財産は叔父さんが相続するように公正証書を作ってあるから、裕貴は叔父さんの養子になったと思わせて仕送りしてくれ。

そのうち、本人が知ったらびっくりするだろう、私の憤りを踏みしめつつ一生かけて美津子を弔わせてやってくれ、それがせめてもの仕返しだと、鬼のような顔をして言うた。自分は証拠も全部消してあの世に行って裕貴が困る様子を見てやる、と不気味に笑うとった。わしは、大変なことに巻き込まれてしもうたことに気づいて、震えがきた。」

「でも、本人に知らせもせずに戸籍を女に変更するなんて出来るんですか。」

「保さんは医者じゃから、色々出来たんだろう。替え玉を使って手続きしたとか言うとったが、わしは聞きとうないけん、耳をふさいでいた。それから一週間もしないうちに、日曜日の夜、保さんの医院が火事で焼けた。丸焼けで、何も残らんかった。保さんが証拠を消すと言ったのはこれだったのか、と気づいた。保さんが生まれてからその時までの全ての証拠が完全に消える、まさに完焼じゃった。ほなけんど、放火と断定できる証拠も見つからんかった。」

「あんたも犯罪の片棒をかついだわけだから、ただじゃすまされないわ。」
美沙が威嚇するように言った。

「叔父ちゃん、とにかく戸籍が元通りになるように協力して。そしたら犯罪とか言わないから。」

「犯罪の片棒を担いだなんて、とんだ言いがかりじゃ。わしは被害者じゃ。甥から頼まれて甥の子供と結婚してやったのに、なんと、女ではないことが分かったと申し立てたら、結婚詐欺事件になる。その場合犯罪人は裕貴ということになるな。訴えるのはわしの方じゃ。」
と居直った。

美沙は一瞬ひるんだが、反撃した。
「結婚して2年間も、妻が男だったと気づかなかったと言うの。裕貴にはチンチンがちゃんとついてるわよ。あんたが偽装結婚をしたことになるわね。」

「結婚したのに性行を拒んで、すぐに家を飛び出した。2年ぶりで帰ってきて抱いたらチンチンがついとった、と警察に言うけんど、どっちを信じるかな。」
義弘は更に居直り、美沙の形勢が不利になった。

「ちょっと待って。犯罪とか、訴えるとか、叔父ちゃんにそんなこと言うつもりないから。とにかく戸籍を元通りにするのに協力して。」
と、私は懇願した。

「そういう風にしおらしく頼まれたら、穏便にしてもええ。離婚届を出すことには協力しよう。ほなけんど、女の戸籍を男に戻すとかは、わしの預かり知らんことじゃけん、自分で勝手に手続きしてくれ。」

「わかったわ。じゃあ、早速明日籍を抜く手続きしましょう。」
と、美沙が応じた。

「ひとつだけ条件がある。わしが保さんの娘を嫁にもろうたことは、近所に知れ渡っとる。ほなけんど、肝心の嫁が姿を見せたこと無いし、若い嫁をもろうたというのは嘘でないか、と噂されとる。それが今日突然嫁が帰ってきたのを、隣の婆さんにも見られたし、明日から居らんようになったら、やっぱり嫁をとったというのは嘘か、逃げられたかのどちらかだった、と噂されるのが目に見えとる。わしもこの年でそんな噂をされるのは嫌じゃ。悪いけんど、近所の人の前で、わしの嫁のふりをしてくれ。一週間でええ。その後、東京で勉強を続けるとか言うといてくれたら、近所の人は、義弘はんは嘘をついてなかった、ほんまに若い嫁はんをもろとった、と思うてくれる。戸籍を抜いても近所の人には分からんことやし、わしも格好がつく。頼む、一週間だけ、嫁のフリをしてくれ。」

「それで本当に全面的に協力することを約束するんだったら、その条件は飲むわ。」
美沙は私の意見も聞かずに叔父の出した条件に同意した。

「いやだよ。近所の人の前で女装して叔父ちゃんのお嫁さんのフリをするなんて。絶対に嫌だ。」

「嫌なら、法廷で争うまでじゃ。」
と叔父が強気に言った。

「バカね。たった一週間演技すればいいのよ。性別詐称で結婚詐欺として訴えられたらどうするの。週刊誌が書き立てて、結婚詐欺のオカマとして日本中で有名になるわよ。わたしのやり方に文句があるなら、勝手にしなさい。わたし、帰るから。」

「ま、待って、言うとおりにするよ。」
美沙が帰ると言うと、本当に必ず帰るタイプの人間であることを知っている私は、叔父の出した条件を飲むしかなかった。

今朝市役所でもらった離婚届に叔父と私が記入して捺印した。同じ高原姓なのでハンコを貸してもらえて便利だ。

「ほな、来週の金曜の朝まで、しっかりわしの嫁を演じてくれたら、きれいさっぱり縁を切ろう。途中で逃げ出したり、女でないことがバレるとか、わしに恥をかかせたら、結婚詐欺じゃ。ええな。そちらが約束を果したらこの離婚届を渡すから、金曜日に市役所に出して帰ればいい。それまでこの金庫にしまっておく。」
と叔父は言って結婚届を金庫にしまい、鍵をかけた。

「一週間、きっちりあんたの嫁さんの役割を果たさせるわ。万一、裕貴が言うことを聞かなかったら、この電話番号に連絡してちょうだい。その場合は、わたしも二度と裕貴と口を聞くつもりはないから。」
と、美沙は私の目を見ながら叔父に言った。

「じゃあ、わたしは今日の夜行バスで帰るから、来週刑期を終えたら東京で会おうね。」
「待ってよ。僕一人置いていかないで。相談相手がいなかったら、どうしていいか分からないよ。」
「裕貴、あんた大人でしょ。自分に降りかかった災難に立ち向かえないようでは、結婚してからもわたしを守ってくれることもできないわ。たった一週間だからベストを尽くすのよ。それに、僕というのはやめなさい。今から一週間アタシで通すのよ。」

美沙は私の靴を履き、私のコートをひっかけて東京行きの夜行バスに乗り、ワンピース姿の私は叔父の家にに取り残されたのだった。

その夜、私は客間に布団を敷いて早々に床に就いた。

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