ユキの場合 第12章 | 性転のへきれき

ユキの場合 第12章

第12章 一生の親友美沙へのカミングアウト

美沙にメールを出した。
「日曜の夜の高速バスで東京に帰ります。月曜日に会えるかな?正午@サイゼリアでいかが?」

すぐに返事が来た。
「了解!月曜日の正午サイゼリアで!」
美沙らしいメールだ。

早朝に新宿のバスターミナルに到着し、アパートに戻った。午前8時。ドアを開けて、久々に自分のアパートに一歩を踏み入れる。カーテンを閉めた暗い部屋に、微かに鰯の干物のような臭いが立ち込めていた。私は息を止めてカーテンを左右に開き、両側の窓を開けて空気を通した。

それは男の部屋の臭いだった。

部屋を風が通って、スカートが揺れる。スカートの裏地がストッキングをキュッキュッと左右に撫でる。ひんやりとした空気が腰まで上がってくる。

急にこの部屋がとても異質に感じられ、考える間もなく大掃除に取り掛かった。まず、衣服を全部床に並べて、取っておきたいものを選り分けた。

スーツ、ズボン、ジーンズ、セーター、下着、靴下、帽子、シューズ、分類してアパートの床に重ねていった。

スカートで暮らしたのはわずか一週間だが、先日の手術で、実は10年近く前に男でなくなっていたことを知らずに男のように暮らしてきたということに対する恥ずかしさが怒涛のように襲ってきて、男物の衣服を自分の部屋で目にすることが耐えられなかった。

結局、キープしたのはスカートに合いそうなティーシャツが2枚と、去年のクリスマスに美沙からプレゼントされた毛糸の手袋だけだった。叔父に買ってもらった服が、私にふさわしい衣服の全てだった。

床に広げた衣類を片っ端からゴミ袋に突っ込んだ。黒い大型のゴミ袋が4袋分になった。丁度、ゴミの日なので、外に出した。

壁に貼ってあった佐々木希のポスター2枚を剥がして、丸めた。自分が女子になっても佐々木希が素敵なことに変わりはないが、自分より美しい女性が壁から自分を見下ろしていることに違和感を感じたからだ。
3時間ほど汗だくになって掃除すると、アパートの部屋から男性が住んでいた痕跡はすっかり消え去り、何も無いガランとした中性的な空間になった。

美沙との約束の時間は1時間後だ。私はシャワーを浴びて、入念に化粧し、高松三越で買ってもらったスカートとキャミソールとカーディガンを着た。

12時にサイゼリアに着いたとき、美沙はもう窓際の席に陣取っていた。私は美沙の前に座った。

「すみません、その席ふさがってるんですが。」
美沙は私を直視せずにいやみの無い口調でさらりと言った。私に気付いてない。

「久しぶりね、美沙。」

私の顔を見て一瞬焦点を失った美沙の目は、数秒後に驚きでまん丸になった。
「裕貴、裕貴なのね。どうしてまた、そんな格好で。池田の山奥ならとにかく、東京でそんな格好をして人に見られたらどうするの。」

「いいの。もう。」

「いいのって、離婚届を出してきたんじゃないの?」

「離婚届はまだ叔父さんの金庫の中。」

「叔父さんに騙されたのね。それにしてもそんな恰好でよく東京に帰ってこられたわね。きれいにお化粧までして。」

「部屋にあった男物の衣類はさっき全部ゴミに出したの。今日からはずっとこんな恰好よ。」

「なにわからないことを言ってるの。ちゃんと説明しなさいよ。」

私は一部始終を話した。

父からの手紙について話すのはつらかった。特に10年近く前に去勢されていたというくだりでは嗚咽がこみあげてきて声にならなかったので、スマホに保存していた手紙を美沙に読んでもらった。
話し終わって、しばらく沈黙の時間が続いた。

口を開いたのは美沙だった。
「あんたが気の毒な目にあったのは分かるけど、わたしの身にもなってよ。結婚するつもりだった彼氏がデートの場所に突然スカートで現れるなんて、しゃれにならないわ。」
美沙は同情してくれてはいたが憤懣をどこにぶつけてよいかわからない様子だった。、

「ごめん。それどころじゃなかったの。ほんとうに。」

「そりゃあそうでしょうけどね。」

私と美沙は目を見つめあって沈黙していた。美沙の怒りがだんだん和らいでくるのが分かった。
「ぷふっ」と美沙が急に吹き出した。

「この、パンダたぬき。」

スマホのアプリでメイク画面を私に見せた。

マスカラが涙で落ちて、文字通りパンダ目になってしまっていた。

「なおしなよ、すぐ。」

「トイレで直してくる。」

立ちあがろうとする私を美沙が止めた。
「あんたみたいのが一つしかないトイレを占領してぐずぐず化粧してたら迷惑なんだから。どうせわたししか見てないんだからここで直しなさい。」

私はティシューに水を付けて目のまわりを拭こうとした。

「バカねえ、そんなことをしたら手の施しようがなくなるわよ。まず、これを使ってマスカラを落としなさい。」

バッグからクレンジングシートを出して私にくれた。私が使い方がわからずにオロオロしていると、美沙が手伝ってくれた。

「バッグの中に入ってる化粧品を全部出しなさい。」

私は言われるとおりにした。

「これじゃあ、もしもの時に足りないでしょう。」
美沙は自分のバッグから取り出した化粧品も使いながら手際よく化粧を直してくれた。

「初めて見たときはバッチリメークした女性に見えたけど、まだまだね。泣くときのティッシュの使い方から始まって、勉強することが山ほどあるわよ。それにあんた、毛穴が黒ずんでるところがあるわ。ちゃんとクレンジングしてないんじゃないの。」

「わたしがお風呂好きなことは知ってるよね。毎日石鹸を付けたタオルで汚れが付かなくなるまでゴシゴシ洗ってるよ。」

「最悪。肌がごわごわになって、そのうち池田の木こりみたいな肌になるわよ。」
美沙がさも軽蔑したように言う。

「まあ、これからじっくり教えてあげるわ。」

「じゃあ、これからも友達でいてくれるの。」

「仕方ないでしょう。女友達以外の選択肢がなくなったんなら。」

「ありがとう。」

「あ~あ。今日から彼氏なしか。4年間も引っ張られて卒業間際にドタキャンされるなんて最悪よね。」
「わたしなんかそれどころじゃないのよ。わかるでしょ。」

「そうかなあ。彼氏を通り越してご主人までゲットしたんだから、ずるいよ。」
「いじわる言わないで。」

「大学には届け出るの?」

「戸籍通りの性別で卒業証書をもらいたい。皆に知られるのは恥ずかしいけれど、卒業後も堂々と会いたいから、この格好で大学に行くわ。後期試験が終わったから皆と顔を合わせる機会は少ないけどね。」

「学生課に届けを出す必要があるわね。」

「美沙と一緒に取った戸籍謄本があるから大丈夫よ。」

「じゃあ、叔父さんとは離婚せずに、卒業したら、池田町に帰って主婦するつもりなのね。」

「それはいや。叔父さんのことは嫌いじゃないけど、まずは自立して、その後で将来どうするかを考えたいわ。どこか勤め先を見つけなくっちゃ。」

「4月からの就職先を今から見つけるのは難しいでしょうね。」

「女子の場合特に難しいわ。とにかく学生課に行ってみる。」

「あんたの場合、チビで押しも弱いし成績も悪いから男子としてまともな就職口を見つけるのは難しかったけど、逆に女子としてなら見かけもまあまあだし幾らでも就職口はあるんじゃないかな。勿論総合職は無理だけど。」

「ひどい言い方ね。あたってないわけじゃないけど。」

「女どうしで親友だから、つらいけど分かるように言ってあげてるのよ。それにしても新卒の就職活動で既婚っていうのは決定的な弱みね。」

「叔父さんに言って席を抜いてもらった方がいいかな。」

「その年でバツイチと既婚が就職活動にどちらがマシかといわれると、難しいところね。あんたの場合は男子として暮らしたという過去の汚点があるから、主婦ですって言いきれる方が世間的には受けが柔らかいと思うな。」

「なるほど。じゃあ、知らないうちに去勢されたとかは言わない方がいいのね。」

「バカじゃないの。そんなこと、叔父さんとわたし以外には口が裂けても秘密にするのよ。叔父さんがお葬式でしゃべってあんたの高校時代の同級生が言いふらしたという説明が一番無難だわ。あんたは女なのに性器の形に異常があって男子として育てられた。高校入学のころに初潮があって女性半陰陽とわかった。高校時代は男子のふりをしていたけど、大学入学で東京に出てくる機会に戸籍を女に訂正した。2年前に四国で結婚したけど、ご主人が心の広い人で卒業するまで東京で学生を続けることを許してくれた。」

「結婚後も男子学生のフリをしていた理由はどう説明すればいいの?」

「自分のことでしょ、自分で考えなさい。ご主人が妻に男が言い寄らないように男のフリをさせたとか。」

「それいいわね。」

「バカ、冗談よ。そんな異常亭主がいたら白い目で見られるわよ。あんたの場合、優柔不断だから言いづらくて東京ではズルズルと男装を続けたけど、高校までの友人はあんたが結婚したことを知っているし、男女のつじつまが合わなくなって、にっちもさっちもいかなくなったのでカミングアウトしたっていう感じかな。」

「美沙も知らなかったことにした方がいいの?」

「大学に入ってすぐ、わたしにだけは打ち明けたことにしといて。肉体関係ゼロで4年近く付き合ってきて、卒業間近に実は女だと打ち明けられたりしたら、超恥さらしで人前に顔も出せないわ。」

「本当にごめんなさい。わたし以上に大変な目にあわせてしまって。」

「まあ、男は捕まえられなかったけど、一生の親友を作れたから良しとしておこう。」

一生の親友という言葉を聞いて涙が出始めた私の目を見て、美沙がパンダ目防止のためのティッシュの当て方を教えてくれた。


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カテゴリー: ユキの場合
ユキの場合 第12章” への1件のコメント
  1. s.s より:

    本当の女性への道は第?章から’!

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