香港の娼婦 「性転のへきれき」 洋子の場合

04_洋子の場合東京に住む大学生の僕は香港旅行中にマフィアのワナにはまって、 売春クラブでの仕事を強制されることになってしまった。

(同人評) 香 港、日本、中近東、中央アジアを舞台とする激動の2年余りを描いた性転換大作。主人公が一体どうなるのか最後までがハラハラ させられるが、性を超越した「幸福さがし」の旅はついに究極の答えに到達する。

 



第1章 明峰美容外科クリニック

「ミスター ヨコオ !」

すらりとしたミニスカートの看護婦がひびきのよい声でアナウンスした。

「イエース。」

私は待合室のソファーから立ち上がって看護婦のところまで歩いていった。

ここは香港の明峰美容外科クリニックの待合室だ。ツィムシャツイの一角にある小汚い雑居ビルの三階が玄関になっているが、ひとたび入り口のドアを入ると銀座のエステさながらの豪華さだ。

日本からインターネットで午後三時半のアポイントメントを確認済みだったが、十五分ほど早めに到着して受付を済ませ、無料ドリンクコーナーで缶入りウーロン茶を取ってテレビの前で待つこと二十分間。

「フォローミー、プリーズ。」

私を先導して目の前を歩く看護婦のうなじの白さと、長身でバランスのとれたボディーが、私の胸を期待でドキドキさせていた。

私は隅に小さな診察用ベッドのある、無人の小部屋に通された。

「プリーズ ゲット アンドレスト。ハダカニ ナッテ コレ キルネ。」

片言の日本語交じりでしゃべりつつ、看護婦が差し出したのはピンク色の無地の浴衣のようなものだった。

「オーケイ。」

私はそれがピンク色であることに当惑しながら、服を脱いでベッドの横のカゴに入れ、パンツ一丁になって浴衣を着た。浴衣は膝丈より少し短く、胸元とへその下の二カ所のボタンでとめるようになっていた。

診察机の前の回転式の丸イスに座って、自分の毛ずねをつくづくと眺め、グロッシーなピンクの布地と毛むくじゃらの白い二本の足が不似合いなことに我ながら呆れつつ医者の来るのを待った。

しばらくすると先ほどの看護婦と一緒に、三十がらみの女医が入ってきた。

私はイスから立ち上がった。

「ハロー。」

医者に握手を求めるのが尋常ではないことは承知していたが、女医の魅力的な顔立ちと、凛とした立ち居振舞いに体が自動的に反応して、つい右手を差し出してしまったのだ。

女医は笑いながら握手に応じた。

「こんにちわ。どうぞ、かけてください。」

それは、思いがけずほとんど訛のない日本語だったので、緊張の糸がほどけるきっかけとなった。

「太ももから下の脱毛ですね。」

女医は私が受付で記入した問診票に目を走らせながら言った。

「レーザー脱毛の経験はあるんですね。」

女医は顔立ちとは不似合いな精密加工機械のような左手で私の顎を持ち上げるように支え、右手を私の頬から首にかけて走らせた。次に両手で両頬からのどを包むようにしながら、目を私の顔に近づけ、喉仏から上を観察した。

「鼻の下と顎に少しヒゲが残っていますが、それ以外は殆ど完璧に脱毛できていますね。どこでやりましたか。」

「東京のK美容外科クリニックです。レーザー治療を2週間おきに6回受けました。」

「じゃあ、脱毛に関する基本的な事については理解されていると思いますが、一応説明します。当クリニックでは最新のダイオードレーザーを使用して脱毛を実施しています。このレーザーは黒い毛に吸収される波長のレーザー光を照射します。レーザー光が毛に吸収されて熱となり毛根を焼いて破壊するので永久脱毛が可能なのです。毛は一定の周期で生え替わっているので、毛が皮膚に届くまで生えていない毛根は破壊されません。二週間以上の間隔をあけて数回レーザー照射すると、ほぼ完璧な脱毛ができます。このレーザーは皮膚のメラニンにも吸収されるので、日焼けしている時はレーザー治療はできません。また、レーザー治療後1週間は日焼けしないようにしてください。いいですね。」

東京のK美容外科クリニックに初めて行った時にも毛の断面図を見ながら詳しい説明を受けたので、聞く必要も無いぐらいだった。

「それではガウンを脱いで、ベッドに寝てください。」

脱毛するのは太ももから下なのに、何故ガウンを脱がなければいけないのだろう、と考えながら、私は言われたとおりにガウンを脱いでベッドに横になった。

「ノー パンツ。ハダカニ ナッテ。」

私がパンツを履いたままなのを見て、看護婦がパンツを引き下ろした。私は素っ裸でベッドに仰向けになり、看護婦は勝ち誇ったように私を見下ろした。

「パンツはいてちゃ駄目なんですか。」

私は女医に助けを求めた。

「毛の生え際を見る必要がありますから。」

女医は言って、手に持ったペンシルで私の陰部と足の付け根の間に線を引いた。

「レーザー照射の範囲を描くだけです。後できれいに消しますから心配しないでください。」

太ももの上から足の付け根にかけての毛のまばらなところは、毛の生え際を囲む丸印を描いた。線を引き終わると、今度はうつぶせに寝るように言われ、その通りにした。太ももの裏側にも同じような線や丸が描かれた。

次に膝を立てて四つん這いになるように言われた。

「肛門の周りに印を付けますから、肛門がよく見えるように足を開いてください。」

私は恥ずかしい格好で四つん這いにならなければならなかった。お尻の周りにチョークが走ると神経をなでられるようで、胸の筋肉がピクピクした。

「はい、これでおしまいです。一時間後にレーザー室で脱毛しますから、ここで毛を剃った後、レーザー室の横のベンチで名前が呼ばれるまで待ってください。」

女医が出て行った後、看護婦が電気かみそりで毛を剃り始めた。看護婦は楽しむかのように電気かみそりを使い、私の体の感じやすい部分にひんやりとした電気かみそりが走って体がピクリとすると、微笑を浮かべてわざと同じところに何度もかみそりを走らせた。

四つん這いで肛門の周りの毛を剃るのには特に念を入れて、わざと時間をかけているようだった。看護婦が美人なだけに私の性器はいやおうなしに硬く立ってしまった。

やっと毛剃りが終わった。私はピンクの浴衣を着て、自分の服を抱えて看護婦の後を追った。途中のロッカールームで服をロッカーに入れた。上の階のレーザー治療室の前のベンチまで来ると、呼ばれるまで待つように、と言って看護婦は立ち去った。

レーザー治療室は3部屋あり、A、B、Cと札がかかっていた。ベンチには二人の先客が待っていた。二人とも二十代前半の日本人と思われる女性で、私と同じピンクの浴衣を着ていた。二人とも面白そうに私を見て、私はその時初めて自分の着ているピンクの浴衣が、膝上数センチのピンクのワンピースと言われても仕方のない服装であることに気づき、顔面が紅潮するのを感じた。ワンピースの裾から伸びている二本の素足は毛を剃られて彼女たちの足と同じように、臆面も無くあらわに伸びていた。五分もしないうちに相次いで二人の女性の順番が来て、治療室の中に消えていった。しばらくすると別の女性が待合室に入ってきて、私はいつ呼ばれるかとやきもきしながら待った。

「ミス ヨコオ!」

ついに私の名前が呼ばれた。

「ノー、アイム ミスター ヨコオ。」

横の席に座っていた女性が私の素足と顔を交互に見ながら笑いを隠そうと懸命な様子だ。

だからこんなワンピースのような浴衣を着るのは嫌だったのだ。

私は人気タレントのKに似せた長髪にしているが、これはファッションであって女性的な外見を好んでいるわけではない。私は確かに男性としては小柄で骨格も小さいが、どちらかというとクールな細面であり、こんな格好をしていても正面から見れば女に見間違えられる可能性はない。

隣の女性は、美容クリニックでピンクのワンピースを来てミスだのミスターだのと言っている私を見て、ニューハーフ志望か、その筋の水商売の人間の類と思っているに違いない。私は恥ずかしくて顔から火が出そうだった。

治療室に入ると、中はせいぜい二畳しかない小部屋で、ドアの反対側の壁は白いカーテンになっていた。中央に手術台のような細いベッドがあり、私はそこに仰向けに寝た。

三十代後半の神経質そうな白衣の男性が入ってきて、私の両目をスキーのゴーグルのような形の目隠しで覆った。私の太ももとスネの六ヶ所にチョークのようなもので丸がつけられ、字が描かれた。

「テスト照射、三段階で実施します。」

男はたどたどしい日本語で言った。

先ほどからカーテンの向こうでゴーという機械音がしていたが、その音が近づき、太ももの一部にひんやりとしたジェルが塗られた。そしてバシッという音と、強烈な電気ショックというか、ビンタのような衝撃が走って、毛が焼ける臭いがした。あまりの衝撃に私は思わずアッと声を出してしまった。顔面のレーザー脱毛は6回も経験しているので目新しいことではなかったが、太ももの方が顔面より敏感なのだろうか。ただ、衝撃の割りには特に肌に痛みが残ることはなかった。

三段階の強度のレーザーを二箇所ずつ、合計六ヶ所にテスト照射された。

目隠しが外された時、レーザーの機械は既にカーテンの向こう側に戻されてしまった後らしく、部屋には何もなかった。

「しばらくお待ち下さい。」

と、男は表情のない日本語で言って出ていった。

人によって、また肌の状態によってレーザーの感受性に差があり、強過ぎるレーザーを照射すると赤く腫れたり、やけどのようになったりするし、逆に弱すぎると脱毛が不完全になるので丁度良い照射強度を確かめるためにテスト照射するのだ。

二十分もすると男が再びカーテンの奥から入ってきて、テスト照射の跡を観察した。もう一人、アシスタントらしい若い女性も入ってきた。

「全部、ノープロブレム。」

私は再びレーザー光線から目を守るための目隠しをされた。次に女性が私の太もも全体ににジェルを塗り始めた。冷却効果を増す為のジェルだ。右膝から上に向かってレーザーのスポット照射が始まった。ピストルを発射するような感じで、1センチ程度の間隔でスポット照射を当てていくのだ。足の付け根に近づくほどレーザー照射の痛みは増して、私は声を出さないように息を押し殺して我慢した。右太股が終わると、左太股に移った。そのころには、痛みに慣れて、毛の焼ける臭いが心地よく感じられるようになっていた。さらに右の膝からつま先にかけて、次に左の膝からつま先にかけて照射し、今度はうつぶせに寝ると太股とスネの裏側を照射した。最後にうつぶせになったまま、お尻にガムテープのようなものを貼りまくられて、肛門の部分が露出するような状態で肛門の周りに照射されたが、これは文字どおり涙が出るほど痛く、照射されるたびに声が出てしまった。長い時間が経過し、ジェルがぬぐい取られて目隠しが外されたとき、私はやっと終わった解放感にあふれた。最後にアシスタントの女性が消炎剤のクリームを塗ってくれて、治療が終わった。

肛門の周りと足の甲の部分がヒリヒリしていたが、痛いと言うほどではなかった。

私はベッドから降りてスリッパをはき、ドアから出ていこうと歩き出した。

その時、

「そちらじゃありません。カーテンの奥に入ってください。」

と言われ、カーテンをくぐって奥に進み、レーザー機械のある小部屋の奥のドアを開けて壁と床が青いガランとした部屋に入った。裸で、血圧と身長・体重のほか、巻尺で身体の数ヶ所の寸法を測定された。さらに前後左右から写真を撮られたのには当惑したが、

「ジャスト フォア レコード。外には出さないから心配しないで。」

と言うし、仮に私の裸の写真が外に出ても男性の身としては特に深刻な問題でもないのでそれ以上抗議はしなかった。

「これで終わりです。」

ピンクの浴衣を着てロッカールームに引き返し、自分の服に着替えた。ジーパンに突っ込む足があまりに白くすべすべで、自分の足としては不似合いな感じだが、予想以上の出来ばえにうれしさがこみ上げてきた。

待合室に戻って、無料のウーロン茶をもう一缶もらって待っているうちに、会計の女性から、

「ミスター ヨコオ。」

と声がかかった。

「セブンハンドレッドダラーズ。」

日本円にしてわずか一万円程度だ。日本のクリニックなら十万円ではおさまらないだろう。香港まで来た甲斐があったというものだ。

明峰美容外科クリニックのことはインターネットで偶然見つけた。

去年の夏休み、料理旅館で二ヶ月間住み込みのアルバイトで稼いだ金は顔面のレーザー脱毛にあらかた消えてしまったが、冬休みのバイト代とお年玉収入で十五万円ほどの軍資金があったので、インターネットでサーフィンしながら夢を膨らませていたのだ。顔面のレーザー脱毛は予想通りの効果を発揮し、殆どヒゲを剃る必要が無いほど、ツルツルの肌になっていた。高校三年ごろから毛を剃り始めたが、私は自分の顔から生えているヒゲを見るのが大嫌いだった。特に理由は無かったが、とにかく、ひどく似つかわしくない気がしたのだ。大学に入って一人アパート住まいを始めてからは、ニ、三日おきに毛抜きでヒゲを抜いていたが、インターネットでレーザー脱毛の事を知り、アルバイトでお金を貯めて脱毛を決行したのだ。スネ毛も気になっていたが、同じクリニックの料金表によると両足の付け根から下を数回かけてレーザー脱毛するには六、七十万円もかかり、学生の身には絶望的だった。

インターネットの検索エンジンで「脱毛」をキーワードとして数百ヶ所のサイトをサーフしているうちに、明峰美容外科クリニックのホームページにたどり着いた。ピンクで統一された可愛らしいデザインのホームページで、ごちゃごちゃしたバナーや冗長なアニメーションは一切無く、分かりやすくて内容の詰まった好感の持てるホームページだった。香港のサイトなのに全文日本語だった。

「最新のレーザー脱毛を香港プライスで!」

というキャッチフレーズが前面に出ている.

「学割あります。男性も歓迎!」

「さらに、選ばれた貴男だけに捧げる特別割引も!」

と書いてあり、つい、その「選ばれた貴男」というフレーズをクリックしてしまった。

すると「貴男は選ばれたラッキーな男か?」と題したアンケートページにリンクし、身長、体重、年齢の三つの空欄を埋めるようになっていた。送信ボタンを押すと、「おめでとう!」というタイトルのページが現れた。

「身長162センチから167センチ、身長と体重の差が107以上、年齢18才から22才の貴男は特別割引プログラムの適用を受ける資格があります。」

と書いてある。私は163センチ53キロの19才なので、合格圏内に入っていることになる。

「どうせ、170センチ70キロと書けば、身長168センチから172センチで75キロ以下、とか書いた画面が現れて、結局誰でも合格するようになっているんじゃないかな。」

と、意地悪い考えが頭に浮かんだが、面白い趣向なのでしばらく付き合って見よう、と読み進んだ。

「両足の付け根から指先まで、丁寧な完全脱毛。三回のレーザー照射で完璧な永久脱毛が可能です。一回目の照射だけでも劇的な効果があり、一年以内に合計三回の照射を受けることができます。わずか7百香港ドル!更に、美男テストに合格すればエステ無料券がもらえます。」

七百香港ドルというと日本円でいうとわずか一万円程度だ。香港に三往復する航空切符代金を含めても十分に安い。まず一度香港に行ってレーザー照射を受けてみて、結果が良ければバイトをしてお金を貯めて、一年以内にもう二回行けばよいのだ。香港には一度行ってみたいと思っていたし、丁度良い。

私は早速、申し込みページに飛んで、住所氏名等のデータと、三月末の希望日をインプットした。春休みに入ったら、出発前にニ、三週間バイトしておけば、二回目以降の渡航の準備にもなる。

送信ボタンを押して、三十分後にメールをチェックすると、早速明峰美容外科クリニックから予約確認のメールが入っていた。私はインターネットで香港行きの安い切符を必死で探した。結局、ユナイテッド航空の便を使った三泊四日の格安ツアーが見つかったので申し込んだ。三泊四日と言っても、初日の夜遅く香港に到着し、四日目の朝の便で帰るので、香港での滞在期間は正味丸二日しかない。ホテル三泊と朝食三回分を含めてわずか五万円という低料金だ。

翌日パスポートの申し込みに行って準備を進めた。

昨夜、九龍のYMCAホテルに到着したのは午後十時半。ツアー料金は二人一部屋が基本になっていて、私は不愛想な中年男性と相部屋になった。中年男性は奥さんと、奥さんの妹との三人でツアーに参加しているらしかった。私はホテルのレストランで朝食を取り、その足でウィンドウショッピングをしつつ、ツィムシャツイからウォンコックまで歩いた。ウォンコックの電脳中心で二時まで過ごした後、地下鉄でツィムシャツイに引き返し、明峰美容外科クリニックの門をくぐったのだ。

第2章 ただより高いものはない

七百ドルを払い終わると、一年間にもう二回レーザー治療が受けられることを記した診察券と、エステの無料券をくれた。エステには私の名前とツィムシャツイの住所が示されており、明峰美容外科クリニックの診察券とパスポートを一緒に提示した場合に無料になる、と日本語で書かれていた。

「ユーキャン メイク リザベーション ヒア。」

会計の女性が言った。この場でエステの予約をしてもらえるようだ。

「トゥナイト、プリーズ。」

今晩か明日しか香港にいないので、早い方が良い。

会計の女性はその場で電話をかけてくれて、今晩午後8時の予約を取ってくれた。

確か、ホームページには「美男テストに合格すればエステ無料券がもらえます。」と書いてあったが、私はその美男テストに合格したのだろうか。私は身体は小さいし、顔も、その延長で「可愛い」という程度に言われたことはあっても、美男などとはお世辞にも言われたことは無いし、自分でも思ったことがなかった。どうせ、これも実は男性全員にくれるに違いない。

なにはともあれ、エステの無料券をもらったのは事実なのだから、ここは素直に喜ぶことにした。もう午後七時前なので、エステの予約まで後一時間しかない。そろそろお腹もすいてきたので、私はマクドナルドを見つけて、ビッグマックとフレンチフライのセットを食べた。

エステの無料券に書かれた住所は、簡単には見つからなかった。二回道を聞いて、結局、明峰美容外科クリニックのある通りの裏側の通りにあることがわかり、エステにたどり着いたのは午後八時五分前だった。

エステは雑居ビルの七階にあり、エレベーターを降りると岳楽電業と書かれた小さな入り口があった。エステの無料券に記された社名と同じだ。エステが「電業」というのも変だが、多分最新の電子機器を使ったエステなのだろう。

まるで愛想の無い、事務所風の受け付けには誰も人がおらず、机の上にあるベルを叩いて人を呼ぶようになっているらしかった。ベルを鳴らすと、普段着を着た五十がらみの女性が出てきたので、エステの無料券と、明峰美容外科クリニックの診察券とパスポートを渡した。女性はそれらを受付の机の引き出しに入れて鍵をかけた後、私を先導してエレベーターに乗った。エレベーターで地下一階まで降り、迷路のような通路を歩いてドアをニ、三戸通りぬけると、真中に金属製のベッドのある古ぼけた小部屋に到着した。

その女性は、私に浴衣を手渡して着替えるように言った。

「言った。」

というより、

「言ったと思われる。」

というべきだった。

というのは、その女性は中国語しかしゃべれず、私が下手な英語でしゃべっても、理解しようとすらしなかったからだ。

浴衣はピンク色で、着てみると、明峰美容外科クリニックの浴衣と全く同じものだった。

「香港では浴衣は全部これと同じなんだろうか。」

一瞬、何となく変だな、という小さな疑惑が頭をかすめた。ここは余りにもエステらしくないし、このおばさんも何となくうさんくさい。何故、こんな地下室にある牢獄のような部屋でエステをやるんだろうか。まあ、ここは異国だし、日本とは違うんだ、ということで、それ以上は詮索しないことにした。

その疑惑が、実は重大な意味を持っていたことがわかるのに、そんなに時間はかからなかった。

私がベッドに横たわると、女性は部屋から出ていき、二分もしないうちに右手に小さなタオルを持って入ってきた。

「へんな臭いのするタオルだな。」

と思う間もなく、女性はそのタオルで私の顔を拭こうとしたので、私は身をまかせた。タオルは顔を拭くのには使われず、私の口と鼻を覆うように押しあてられた。

「あっ、しまった!」

と思った時には手遅れで、私の意識はふわーっと消えていった。

第3章 とらわれの身

目が覚めたとき、私は身体の自由がきかないことに気がついた。両手両足が手錠のように鍵のついた鎖でベッドの四隅につながれていた。おまけに身体中に脱力感が蔓延して軽い吐き気がする。

「ここはどこだろう。」

小さい窓はスリガラスになっていて、外の光景は見えない。

私はもやもやする頭で昨日のレーザー脱毛のことを思いだそうとした。そうだ、夜エステに来て、ベッドに横になった後で、あのおばさんが、薬品臭のするおしぼりを私の口に押し当てたのだ。でも、私を捕まえて何になるんだろう。誘拐して身代金でも取ろうとしているのだろうか。

「おーい、だれか!」

声を出してみたが誰もこない。

「ヘールプ!」

今度は大声で叫んでみた。十秒もしないうちに人相の悪い男が入ってきて、あのおしぼりと同じ臭いのする布で私の口を押さえつけた。ふわっ、という感じで意識を失った。

次に目が覚めたときは夜になっていた。強い尿意で目が覚めたのだ。左腕に針が刺され、点滴されていた。

「ヘールプ!」

叫ぶとすぐに、あの臭いの布を持ってさっきと同じ人相の悪い男が入ってきた。

「おしっこしたいんです。」

男が布を口に当てる前に言った。

「紙オムツしてるからそのままやれよ。」

流暢な、しかし下品な日本語で男は言った.

私は物心ついてからオムツで小便をした経験はないので躊躇していたが、男が改めて布を口に押し当てようと近寄ってきた時、怖さも手伝って小便が出てしまった。一度出ると放心したような感じで溢れだし、その最中に布が口に押し当てられて私は気を失った。

翌朝も同じ状態で目が覚めた。声を出しても、すぐに眠らされるだけなので、騒がずに部屋の中を観察した。

光線の感じからして、スリガラスの小窓の外は、隣のビルの壁面が迫っていると思われる。窓からそう遠くないところでかすかにエアコンの室外機の音がしている。自動車の音や街路の騒音は殆ど聞こえない。かなり防音度の高い部屋といえる。中で騒いでも、まずビルの外には聞こえないだろう。

部屋の中は私の右足の方向に金属製のドアがある。男がドアを開けて入ってきたとき、ゴーッというボイラーのような機械音がして、ドアが閉まると殆ど聞こえなくなった。ドアの方も防音性が高く、外に機械音がしている場合、いくら大声を出しても聞きつけてもらえる可能性はない。

声を出しても眠らされるだけで危害を加えられる気配はない。ということは、殺される可能性も小さそうだ。いったい何のために、いつまでベッドに繋がれるのだろうか。昨日と違って、脱力感や吐き気はなく、その点も安心につながった。しばらくして男が入ってきた。

「おはようございます。」

私はできるだけ明るく恭順に話しかけた。

「ここはどこなんですか。」

「いいから、黙って寝てろ。」

「いつごろ、鎖を外して頂けるんでしょうか。」

「明日かな。とにかく黙って寝てろ。これ以上しゃべると、また眠らせることになるぜ。」

明日になったら鎖を外してもらえるんだろうか。帰っていいんだろうか。でも、私を解放すると、警察に駆け込んでクリニックやエステのことをしゃべるのは目に見えているから、簡単に帰してくれるはずがない。

これ以上事態が悪化する雰囲気ではないので、私は黙って寝ていることにした。楽しいことを考えようとしたが、寝返りもうてないので身体のふしぶしが痛くなってきており、それどころではなかった。二時間ほどしてドアの外の機械音が止まった。外から聞いてもらうのに絶好のチャンスだ。

「ヘルプ。」

と叫んで男がドアを開けるところを見計らって、あらん限りの大声で

「ヘールプ!」

と叫んだ。

次の瞬間、私は眠らされていた.

翌朝目が覚めて、オムツの中で小便をした。変な気分だったが、小便はすぐにオムツに吸収され、ベトベトした感じはなかった.

そこに男と、もう一人の女性が入ってきた。それは明峰美容外科クリニックで、レーザー照射の前に検診してくれた女医だった。男は鍵で私の手足を固定した手錠を解いた。私は掛け布団をはねのけて、ベッドの上に座った。

「なんでこんなことをするんですか。」

私は女医に向かって叫んだ。

「まず診察するから横になりなさい。」

女医の断固とした態度に、私は言われた通り横になった.

女医は私の浴衣を解いて、ペニスを持ち上げた。

「何をするんですか。」

男が私の肩を押さえつけた。

「上々ね。もう歩いていいわ。入浴は明日から大丈夫です。」

女医はペニスの裏側を指で触りながら言った.

男が手を離したので私はベッドに起きあがった。ペニスを見て、いつもより少し小さいような気もしたが、二、三秒して重大な変化に気がついた。ペニスの下に見えるはずの睾丸の膨らみが見当たらず、ガーゼが当ててあるのだ。

「タ、タマがない!」

私の背筋を寒いものが走った。

「大丈夫、傷口は塞がってるし、生活に支障はないわ。」

女医が当然のように言った。

「じゃあ、着替えて七階に行きなさい。」

手渡されたのは黒に抜染の小さな花柄の膝丈のワンピースと、パンティー、ガードルとバストの位置に布のかたまりを縫いつけたブラジャーだった。

「着替え終わったら呼べ。」

男が言い残して、女医と一緒に出ていった。

私は何が何だかわからず、睾丸を失ったショックで気が狂いそうだった。とにかく渡された服を着る事にした。意外なことに服は私の為にあつらえられたかのように完璧にフィットしていた。一緒に渡された細いヒールのパンプスも足にピタリと合っていた。

「着替えました。」

私が声を出すと男が入ってきて、「ほおー」というように頭の先からつま先まで眺めた。

「さすがだなあ。」

「何がさすがなんですか。」

「うるさい。黙ってついて来るんだ。逃げようなんて思うなよ。国境は絶対に超えられないように手配済みだからな。それに、いったん逃げたら、帰ってくるときは死体だ。」

男の声には凍りつくような凄みと真実みが感じられたので、軽率な逃亡はしないほうが身のためだと悟った。

男についてボイラー室を通って階段室に入った。確かに今居たのは地下室だった。階段は通用階段というか、普段普通の人には決して使われないような隔離された階段だった。三日近く寝ていたので七階に着いた時には膝ががくがくしていた。

男は私を両側に二段ベッドの並んだ部屋に通した。部屋の真中に四脚の円いテーブルがあり、ベッドの手前は両側とも上段がクローゼット、下段がタンスになっている。若い女が三人居て、一人はスリップ姿でベッドの上段に寝転がって天井を見ていた。もう一人はそのベッドの下段に半分腰をかけてマニキュアを塗る作業に専念していた。残りの一人は食卓でファッション雑誌のようなものを読んでいた。

「新入りだ。仲良くしな。」

男は言い放つと、私を部屋に押しこむようにしてバタンとドアを閉めて出ていった。

「よろしくー。」

マニキュアを塗っている女が作業を続けながら真心の入らない挨拶をした。

「アユミよ。よろしくね。」

雑誌を読んでいた女が私に目を向けて愛想よく言った。

ベッドに寝て天井を見ている女は何も言わなかった。

「よ、よろしくお願いします。でも、僕、男なんです。ここ、どこなんですか。」

「あ、本当に全くの新人なんだあ。なつかしいわ。」

アユミと名乗った女が言った。

「名前は何ていうの。」

「け、健一郎ですけど。」

「ばかねえ。その格好で健一郎はないでしょ。そのうち名前をつけてくれるから、焦らなくてもいいけど。」

その時初めて、私はアユミの声が女性にしては低いことに気づいた。そういえばマニキュアの女の声も太めだった。

「ドアのそばに立ってごちゃごちゃ言うのは目ざわりだからやめてくれる。」

突然、天井を見ていた女が男のように太い声で言った。

この時点で、私はこの女たちが本物の女ではないと直感した。

私は卒倒しそうになるのをこらえながら、テーブルまで行ってアユミの向かい側に腰かけた。

「タマ抜きしたばかりなのね。オッパイはまだ本物じゃないのね。」

「そうです。でも、頼んでしてもらったんじゃなくて、眠らされて、起きてみたら手術されてしまってたんです。本当です。」

「自分の意思で抜いても、勝手に抜かれても、結果は同じじゃない。どっちにしても、タマタマちゃんは無いんだから。無い方がせいせいするし、ずっといいわよ。すぐにわかるわ。」

「アユミさんも無理やりタマ抜きされたんですか。」

「どうかしら、忘れちゃった。さや抜きする前の過去のことは完全に忘れちゃったわ。」

「さや抜きって何ですか。」

「ばかねえ。ペニスをさやって言うこと知らないの。あんたも早くお金をためてさや抜きしないと、水着も着られないわよ。」

「ペニスを手術で抜くんですか。」

「膣形成の手術よ。ここの先生は腕がいいから、興奮すると膣の中も濡れるし、オーガズムも感じられるわ。日本は下手な医者が多いから、さや抜きしたあと、セックスもできないことがあるらしいわよ。私たちはラッキーね。」

「セックスって、手術で作った膣に男がペニスを突っ込むんですか。そんなばかな。」

「今はそんなこと言ってても、そのうち泣いて欲しがるようになるわよ。あんたも、タマ抜きしたんだから、一生女とはセックスはできないのよ。早くまともなからだにしてもらった方が良いって。」

「さっき、お金をためて手術をしてもらうって言いましたよね。どうやって貯めるんですか。」

「知らないの。ここでお仕事に精を出して沢山の男の人を喜ばせて稼ぐのよ。」

「わかりやすく言うと、ここはニューハーフ専門のヤリ屋なのさ。」

天井を見ている女が太い声で話に参加した。

私は、自分が大変な状況に置かれていることを実感した。

「ミスズ、そんな下品な言い方してたら、すぐにオバサンになっちゃうわよ。」

その無愛想な女はミスズという名前であることが判明した。

「逃げましょう。このビルの出口はどこなんですか。」

「言っとくけど、その考えは捨てた方が良いわよ。香港マフィアは日本にも組織の根を張っているから、逃げてもすぐに見つけだされるわ。現に、あんたの前にそこに居た洋子も、逃げた夜から数えて三日目の朝刊に出たもの。ひと月前の話よ。」

「逃げると新聞に出るんですか。」

「ばかねえ。逃げた翌日に死体が埠頭に上がったから、翌々日の朝刊に出たのよ。」

「それって、殺されたんですか。」

「あたりまえじゃない。スピード処刑って感じ。まあ、つまらないことは考えずに真面目に働くことね。」

私は背筋が文字通り凍りつくのを感じた。

「それじゃあ死ぬまで奴隷でいなければならないんですか。」

「この世界は競争が厳しいのよ。わたしみたいに二十代後半になると、いくら身体を磨きあげても、あんたみたいな即席の小娘に客を取られるようになるのよ。なんたって肌の張りが違うからね。三十過ぎてやっていける人は稀よ。」

「ま、まさか、客が取れなくなったら殺されるってことですか。」

私は泣くように聞いた。

「いいえ。それまでちゃんと働いて組織を儲けさせたら、卒業させてくれるのよ。ここは客筋が高級だし日本人が多いからわたしたち身体を売って生きてる人間にとっては最高の職場なの。だから、できれば三十五でも四十でも働き続けたいんだけど、稼ぎが落ちると退職勧告されるってわけよ。」

「退職したらどうなるんですか。」

「日本に帰って自分のお店を持つのが理想かな。赤坂にお店を持っている先輩もいるわよ。あんた、いくつ。」

「三月六日に十九才になりました。」

「若くていいわね。あんたなら、頑張れば二十六、七ぐらいに自分のお店が持てるようになるかもしれないわよ。希望を持ってがんばりなさい。」

アユミのやさしさには感謝したが、私としては素直にありがとうと言う気にはなれなかった。男に身体を売って生きていかなければならない人生なんて想像もできない。

「でも、そんなに恵まれた職場なら、普通に募集すれば働きたい人は沢山集まるんじゃないですか。日本にもゲイバーとかニューハーフとか何千人もいるってテレビとか雑誌で見ましたよ。どうして僕を眠らせてタマ抜きしたり、不法な方法を使うんですか。」

「テレビに出てくるニューハーフなんかで、本当にきれいな人を見たことある?」

「ありますよ。女にしか見えない人とか、ドキッとするほどの美人とか。」

「わたしは何人もそばで見たけど、本当にきれいな人って滅多にいないのよ。一見きれいな感じでも、よく見ると肌がきたなかったり、化粧をした状態で一見ドキッとするほどきれいでも実は顔が大きすぎたり、骨格が大きすぎたり、何かアンバランスなところがあるのよ。けど、この部屋の女の子たちをごらんなさい、あなたを含めて。みんな体つきや顔の大きさも女性として不自然じゃないし、相当きれいでしょう。」

「ぼ、僕は別にして、みなさん本当に美人で、声さえださなければ、どうみても正真正銘の女性にしか見えません。」

これはお世辞ではなく、本心だった。

「そうなの。普通に募集しても、この部屋の子に並んで恥ずかしくないような子は年に一人とれるかどうか、ってところじゃないかな。ここでは私たちレベルの女の子が何十人もいるのよ。というか、私たちは並のレベルで、声も含めて女の私から見てもうっとりするような子が何人かいるわ。」

確かにアユミは、「女の私」という言葉が滑稽に感じられないほどの美人だ。

「すごいんですね。」

「だから、美容クリニックで、若い男性を特別割引して集めて、素地の良い子が見つかれば無理やり引っ張りこむという手法で可愛い子を集めているわけよ。組織のお医者さんが審査員の立場で、どこをどう整形手術すればどんな顔かたちになるか、とか裸のからだつきからホルモン投与後のからだつきの変化を予想したりして、素地の良い子を選ぶわけね。普通のニューハーフのお店なんかは化粧してドレスを着た状態で面接して選ぶから、いわば最高に着飾った状態でなんとか女に見えるような子を選ぶ結果になるわけだけど、ここの場合は素地だけを規準として選ぶから、入った後でどんどんきれいになっていくという違いがあるのよ。あんたは声もかなり高いほうだし、自分でも驚くぐらいどんどんきれいになるわよ、きっと。」

そう言われるとまんざらではなかったが、喜ぶべきところではない。

「じゃあ、美容クリニックに来る女性も、とびきりの美人がいれば神かくしして売春宿で働かせたりするんですか。」

「それはしないみたいよ。女性の場合、すぐ自暴自棄になったり、意外と勇気があったりして逃げる人が多いし、逃げ切れば元の生活に戻れるから、逃げがいがあるでしょう。男性の場合はその場でタマ抜きしちゃうから、逃げても元には戻れないじゃない。だから結局、逃げないんじゃないかしら。それに、きれいな女性っていくらでもいるし、こんな商売ではきれいでさえあれば良いってわけじゃないからね。ねえ、サヤカ。」

マニキュアに専念していた女が、サヤカと呼ばれて顔を上げた。

「それ、あたしが美人だけど性格が悪いって意味?」

「性格が悪いというのは当たってるけど、美人とは言ってないわ。」

「まあ、愛嬌で生きてる女にはあたしの気持ちはわからないわよ。」

二人の軽妙な会話を聞いて、私の気持ちはいくらかほぐされたが、自分を同じ境遇に置こうという気持ちにはなれなかった。何ヶ月か経てば私もこんな会話をするようになるんだろうか、と思うと悲愴感が込み上げてきた。

その時、また人相の悪い男がノックもせずに部屋に入ってきた。

「おい、新入り、ついて来い。」

アユミが目で、「行きなさい」と促したのを見て、私は何も言わずに男について行くことにした。


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