新作「聖地巡礼」を出版しました


性転のへきれきTS文庫の新作「聖地巡礼」を出版しました。

志望の大学に合格してほっとしていた花坂歩夢は、高校の帰りに菊川祐奈に誘われて「君の名は」のBlue Ray Diskを祐奈のアパートに見に行きます。祐奈とは三年間同じクラスでしたが殆ど会話したことが無く異性として意識したことはありませんでした。「君の名は」を一緒に見たことで二人の間に予期せぬ感情が芽生え、歩夢と祐奈は飛騨古川への聖地巡礼に出かけます。三月十八日、高速バスを利用した2泊3日の短い旅行が二人の人生に衝撃的な変化をもたらすことになるとは知らずに、歩夢はバスタ新宿で祐奈と落ち合うのでした。



聖地巡礼

第一章 出会い

第一志望のL大学から合格通知が届いた。まだクラスの半分は国立大学の入試に向けて必死の形相で頑張っているが、僕の受験戦争は終結し、久々に取り戻した緊張感のない日常の中で静かに手足を伸ばしていた。そんな二月中旬のある日のことだった。

その日は短縮授業で二時半ごろ学校を出た。校門を出たところで菊川祐奈から声をかけられた。

「花坂君、『君の名は』を一緒に見ない?」

祐奈とは三年間同じクラスだったが殆ど言葉を交わしたことがなく異性として意識したこともなかった。そんな女子から突然誘いの言葉をかけられて戸惑った。

「え? まだ『君の名は』を上映している映画館があるの?」

「映画館じゃなくて、私の家で上映するのよ」

――これ、ナンパされてるんだろうか?

ほとんど話したことのない女子の家に行っていきなり二人でDVDを見るというシチュエーションには抵抗があった。

「『君の名は』は去年映画館に行って見たんだけどなあ……」
取りあえず口に出しつつ、僕は頭の中で断りの口上を探していた。

「やっぱり、私みたいなブスとは付き合いたくないわよね」

「と、とんでもない! 菊川さんは男子の間では人気があるんだよ」

それは完全な出まかせだった。祐奈は決してブスではないが、女子の人気ランキングの上位に入っているわけではない。特に可愛くも美人でもないが、女子としては平均より背が高い方だし、どちらかと言うと整った顔つきだ。

「合格祝いに『君の名は』のブルーレイディスクをもらったのよ。六十五インチのテレビの前に座ってブルーレイの画像を見ると迫力があるのよ」

「六十五インチにブルーレイか! それは確かに豪華だね」

「ピザも用意してるわよ。花坂君は国立大学は受験しないんでしょう? もう受験は終わったんだからいいじゃないの。それとも、何か他に私と付き合えない理由でもあるの?」

「無いよ、そんなの」

祐奈の巧妙で強引な誘導によって、断れない状況に追い込まれた。

「じゃあ決まりね。私の家はあっちの方向よ」

お腹も空いていたし、ピザを食べさせてくれると聞いて「ま、いいか」と観念した。一度だけ女子の家に行って映画を見ても僕が祐奈の彼氏になったということにはならない。もし友達に知られたら、六十五インチとブルーレイに魅かれて見に行ったと言えば分かってもらえるだろう。

それより、気がかりなのは祐奈の家で親に会うことだ。地味な祐奈のことだから、男子を家に連れて帰ったことは殆ど無いのではないだろうか? 祐奈の親に「彼氏」と認識されたら、後々面倒だなと心配だった。

「ここよ」

五分ほどで到着したのは五階建ての集合住宅だった。六十五インチのテレビがある家と聞いて、もっと大きな家を想像していたので意外な気がした。

祐奈は階段を三階まで上がって、左奥のつきあたりの部屋の鍵を開けた。

「さあ、入って」

そこはワンルームのアパートだった。

女子のアパートの部屋に入るのは生まれて初めてだった。カーテンや寝具の色は暖色系で統一されていて、部屋の中はきちんと整頓されていた。白のハンガーラックに色とりどりのスカートやワンピースがかかっているのを見て「今まさに僕は女子のアパートにいるのだ」と緊張した。

「菊川さんが一人でアパート暮らしをしているとは知らなかったよ」

「去年の春までは家族と一緒だったんだけどパパが福岡に転勤になったの。私は東京の大学に行くつもりだったからアパートを借りて一人で住むことになったのよ」

「食事とか、色々大変だね」

「慣れればどうってことないわ。親に干渉されずに好きなことができるから快適よ」

「僕も念願がかなって四月から親元を離れて生活することになったんだ」

「L大学なら一時間で通えるのに、よくお父さんやお母さんが許してくれたわね」

「僕がL大学に行くということをどうして知っているの?」

「花坂君のことなら大抵のことは知ってるわよ」

――やっぱり、僕はナンパされたんだ……。

祐奈が「好きだから」と言い添えるのではないかと身構えた。

「アパートを借りることは却下されたけど、寮に住むということで許してくれたんだ。L大学の寮は半分が外国人だから、寮に住めば英語が上達すると言ったら許してくれた」

「国際寮に入れるの? すごい! 私が行くV大学にも国際寮があるけど、料金表を見たら自分でアパートを借りて住むよりも高そうだったわ。花坂君の家ってお金持ちなのね」

「全然。父は普通のサラリーマンだけど、僕の進学費用は計算に入れてくれていたみたい。ひとつ下の妹が優秀で家から通える国立大学の医学部に確実に入れそうだと分かってから、僕に対して甘くなったんだよ。えへへ」

「妹さんが優秀でよかったわね」

「まあ、よくないことの方が多かった気がするけど、今回は助かった」

「花坂君が入るのは男子寮なの?」

「その寮は男女共用だよ」

「じゃあ、私も遊びに行けるわね」
祐奈が面倒なことを言い出したのでドギマギした。

「いや、外部の人は入れない規則なんだ。受付をすればラウンジに入ることはできるけど、居住棟には入寮者しか入れない。『異性は家族でも理由の如何を問わず入室を禁じる』と書いてあった」

僕は寮が厳しい規則を定めてくれたことを感謝した。

祐奈は冷蔵庫からピザの入った紙箱を取り出し、ナイフで八枚のスライスに切り分けてそのうちの四枚をオーブントースターに入れた。ポットでお湯を沸してミルクティーを用意した。手際がいいので、さすが一人暮らしをしているだけのことはあるなと思った。祐奈は小さなテーブルにピザ用の皿とミルクティーを並べた。

「先に食べようね。その椅子に座って」

祐奈は一つしかない椅子に僕を座らせ、自分は部屋の隅から丸椅子を持って来て座った。二人でピザを食べ始めた。

「食卓に椅子が一つしかないのを見て、私に友達がいないってことが分かったでしょう」

「時々お母さんが様子を見に来たりはしないの?」

「母は自分のことで忙しいし、父は私が好きじゃないから東京に出張しても私に会いに来ることはないわ」

「世の中のお父さんは誰でも娘のことが大好きだと聞いていたけど」

「そうとは限らないわ。私は父が嫌いだから、その気持ちが伝わって父も私とは会いたくないのよ」

「そうかなあ……。まあ、人それぞれ事情はあるかもしれないけど」

「花坂君は家族にいっぱい愛されて育ったタイプだものね。だから私は花坂君が好きなんだ」

ついに言われてしまった。「好きだ」という言葉を。自分の顔が火照って赤くなってきたのが分かった。僕の様子を見て祐奈も意識し始めたのか、ピザを食べ終えるまで会話が途絶えた。

「そろそろ上映開始よ」

六十五インチのテレビはベッドと反対側の壁ぎわにあるローボードの上に置かれていた。ベッドとテレビとの間は一メートル余りしか離れていない。ベッドの縁に腰かけて見るのだろうか……。

「ベッドに座って、壁にもたれて見るのよ。制服がシワになるから着替えるわね。花坂君、あっちを向いていて」

僕はベッドと反対の方向に椅子を向けて祐奈が着替えるのを待った。衣擦れの音が壁に反射して僕の耳たぶを撫で、祐奈が異性であることを思い知らされた。

「いいわよ」

祐奈の方に向いて座り直した。祐奈は足首まであるキルトのスカートにはき替えていて、制服をハンガーに吊るしているところだった。

「暖かそうだね」

「冬場の必需品。毎日家に帰ったら制服のスカートをハンガーに掛けて、このキルトのスカートに着替えるのよ」

「へえ、そうなんだ」

「花坂君もこれにはき替えて。色違いだけど同じスカートよ」
祐奈がはいているスカートを少し赤っぽくしたキルトのスカートを手渡された。

「冗談だろう?」

「出歩いていたズボンのままで私のベッドに座られるのはイヤだもの。さあ、早く」

「男がスカートをはくなんて……」

「これはスカートというよりは下半身用の防寒具なの。私があっち向いてる間に着替えて!」

祐奈は僕をベッドの方へと押しやってから、玄関のドアのところに行って僕に背を向けた。着替えないと許してもらえそうになかったので、僕は仕方なくズボンを脱いで、キルトのスカートの中に足を突っ込んだ。ウェストにはゴムが通っていて、おへそより少し上まで引き上げるとスカートの裾が足首の辺りになった。

「ズボンと上着をこのハンガーにかけなさい」
と言われて、その通りにした。

祐奈はタンスから白地にパステルカラーのボーダー柄の毛糸のセーターを二着取り出し、ブルー系の方のセーターを差し出した。

「このセーターを着て」

渋々、そのゆったりとしたセーターをカッターシャツの上に着た。

「やっぱり、丁度いい大きさね。花坂君は背の高さが私と同じだし身体つきも似ているから。この間、体育の時間に茜ちゃんから『花坂君の後姿を見て祐奈が男子の体操服を着ているのかと思った』と言われたのよ」

「冗談で言ったんだろう? 菊川さんと僕は髪の長さが全然違うから、後姿を見て間違えるはずがないよ」

「広瀬すずがテレビドラマのために髪をバッサリと切ったのを知ってるでしょう? 丁度その後だったから、茜ちゃんは花坂君の後姿を見て私が髪を切ったと思ったんだって。ほら、鏡の中を見て。私たち双子の姉妹みたいじゃない?」

並んで姿見に映った祐奈と僕は全く似ていないこともなかったが、双子というのは明らかに言い過ぎだった。同じような体格の二人が同じデザインで色違いの服を着ているから、似ているように見えるだけだ。

「全く似ていないことはないと思うけど……」

祐奈の質問をやんわりと否定しながら、促されるままにベッドの奥の壁に背をもたれてベッドの上に足を延ばした。祐奈は天井の蛍光灯のスイッチを切ってから僕の右側に座り、二人の首の高さまで掛布団を被った。

祐奈がリモコンを操作すると六十五インチ画面がパッと明るくなって、他の映画の予告編が流れ始めた。身体を少し動かすと肩が触れ合う微妙な距離だった。祐奈の横顔にチラリと目を遣った時に丁度祐奈も僕の方に視線を向けて微笑んだ。僕は急に恥ずかしさがこみ上げてきて視線をテレビの方へと戻した。

今日学校を出るまではほとんど話したこともなかった女子のアパートで二人きりになって、暗い部屋のベッドにお揃いの女子の服を着て並んで座っている……。今すぐ逃げ出したいのに金縛りに会ったように身体が動かず、顔が火照って心臓が音を立てている。

映画が始まると、少しほっとした気持ちになって映画の中の世界に没入した。

昨年の夏休みの終わりごろに映画館で『君の名は』を見た。男子高校生の立花瀧が目が覚めると宮水三葉(みつは)の身体になっていて、胸を揉むのを見て、他の観客と一緒にクスクスと笑った。今日は周囲から笑い声は聞こえない。可笑しいという気持ちが湧くどころか、思わず自分の胸を手で触ってセーターの下に膨らみが無いことを確かめてしまった。

筋は分かっていても一つ一つのエピソードが一昨年よりも鮮烈だった。前回見た時、僕は立花瀧に感情転移して、三葉の身体に乗り移った自分を体験した。今日は瀧に乗り移っていない状態の三葉自身にも同じように感情転移できた。特に妹の四葉と一緒に巫女を務めている時の三葉は自分自身のような気がした。

隕石が落ちる日の黄昏時に二人がお互いの手に名前を書こうとした時、祐奈が左手を僕の右の掌に重ねてきた。指を交互に絡ませられて、僕はしっかりと握り返した。

最後のシーンが終わった時、僕の目から熱い涙があふれていた。気がつくと祐奈の顔が目の前にあった。祐奈の唇が僕の唇に重ねられ、僕は目を閉じてキスを受け入れた。ベッドに座って半身でお互いを抱き寄せ合ったまま、長い時間が過ぎた。

祐奈が唇を離し、僕の目を見つめて聞いた。

「君の名は?」

僕は茶目っ気を出して「私は三葉」と答え、祐奈に「君の名は?」と聞いた。

「僕の名は花坂歩夢」
と祐奈が僕の名前を名乗ったので僕は微笑んだ。

「そして、君の名は菊川祐奈。僕たちは入れ替わったんだ」
と祐奈が暖かくて深い声で言って僕を強く抱きしめた。

その瞬間、僕は祐奈と恋に陥った。

***

僕たちはベッドの上で服を着たまま胸を合わせてお互いの身体の感触を確かめ合った。

しばらくすると祐奈が「あ、もうこんな時間だ」と言って体を起こし、セーターを脱いでベッドから降りた。

祐奈がベッドの横に立ってスカートを脱ぎ始めたので僕は焦った。初デートで初エッチとは……。

驚いたことに祐奈はハンガーにかかっていた僕のズボンをはいて、僕の制服の上着に袖を通した。

「遅くなると親が心配するから、今日はもう帰るよ」

それは僕自身が考え始めていたことだった。母に連絡せずに夕ご飯に遅れるのはまずい。もうそんなに長くは祐奈との入れ替わりごっこに付き合えない。

祐奈が僕のカバンを持って玄関に行ったので、僕は慌ててベッドを下りて祐奈を追った。祐奈は僕の靴を履いてドアノブに手を掛けた。

「じゃあ明日学校で会おうね、祐奈」
と祐奈は僕に成りきったまま部屋から出て行ってしまった。

ドアがカチャリと閉って、僕は思わずため息をついた。肩まである長い髪で男子の制服を着て出歩いたら、不審な目で見られる。僕に迷惑が及ぶわけではないが、この近所には祐奈の顔を知っている人もいることだろう。女子高生が、変人と思われるリスクを冒してまで入れ替わりごっこをするなんて信じられない。

すぐに帰って来るだろうと待っていたが、五分、十分と過ぎても戻る気配がないので心配になってきた。探しに行こうかと思ったが、この恰好で外に出て、もし知っている人に会ったら、それこそ大変だ。

――どうしよう……。三十分経っても祐奈は戻ってこなかった。そうだ! 体操服があるはずだ。女子の体操服はえんじ色だが、男子が着ても不自然ではない。走って帰ればいいんだ。いや、僕の家ではもうすぐ夕飯が始まる時間だ。母に連絡を入れておかないと面倒な質問を浴びせられるかもしれない。でも、スマホはカバンの中で、祐奈が持って行ってしまった。僕は祐奈のカバンを開けてスマホを取り出した。家の電話番号をダイヤルすると母が出てきた。

「あ、母さん。今、菊川君の家に来ていて、少し遅くなるけど心配しないで」
と早口で言って、母の質問が聞こえないふりをして電話を切った。祐奈のことを菊川さんと言わずに菊川君と言っただけであり、基本的にひと言もウソは言っていない。

タンスを開けて祐奈の体操服を探した。一段目と二段目の引き出しには下着が詰まっていた。さっき胸を寄せて抱いた時に思ったが、祐奈は貧乳の部類だ。引き出しにはかなり大きそうなカップのブラジャーも入っていて、丸いパッドが幾つか重ねて置かれていたので思わずニヤリとしてしまった。

タンスとハンガーラックをくまなく探したが体操服は見つからなかった。一見スカートのような赤い短パンとか、ロングドレスのようなズボンはあったが、男子がはいても女装とは思われないズボンはひつともなかった。

――困った……。僕は絶望のため息をついた。

その時、玄関のドアが開いて祐奈が帰って来た。

「お邪魔します」
と言って祐奈は靴を脱いだ。

「ひどいよ、菊川さん!」

「違うだろう。僕は花坂歩夢。君が菊川さんだ」

「もう入れ替わりごっこはやめようよ。早く帰らないと親に怪しまれるから、制服を返して」

「『入れ替わりごっこ』じゃなくて、僕たちはもう入れ替わったんだ。制服は返すんじゃなくて、貸してあげてもいいけど」

「分かったよ。じゃあ、花坂君が着ている制服を私に貸して」
僕は祐奈を平気で花坂君と呼ぶ自分の神経に呆れた。しかし、今は服を取り返すことが何よりも大事だった。

「うーん。条件がある。まず、菊川さんも自分の制服を着て、僕たちが入れ替わったということをお互いにちゃんと確認したい。そうしたら僕の服を貸してやろう」

「分かった」

メチャクチャな要求だったが応じることにした。僕はもうスカートをはいてしまっているのだから、制服のスカートにはき替えたところで罪が重くなるということはないだろう。

僕は祐奈の制服のスカートをハンガーから外して足を突っ込んだ。左のホックを留めて、上着に袖を通した。

「ほら、リボンタイも着けろよ。ブラウスじゃなくて男物のカッターシャツを着ているけど、まあ許してやるよ」

女子の制服を着て男子の制服姿の祐奈と向き合うのはとても妙な気持ちだった。祐奈は僕の肩に腕を回して姿見の前に立ち、僕のスマホで姿見の中の二人を撮った。続いて何枚もツーショットの自撮りをした。祐奈はしばらくスマホを操作してから僕のカバンの中にスマホを戻した。

「祐奈は僕が花坂歩夢で自分が菊川祐奈だということを認めるんだな?」
と真面目な顔をして祐奈から聞かれた。

「うん、認めたわよ、花坂君」
とウィンクしながら女言葉で答えた。

「約束通り僕の制服を貸してあげよう」
と言って服を脱ぎ始めた。

僕は特に視線も逸らさずにリボンタイを外して上着とスカートを脱ぎ、祐奈の気が変わらないうちに祐奈が脱いだ僕の制服を着てカバンを引っつかんだ。

「じゃあ帰るね。今日は楽しかった」
玄関で靴を履きながら言うと祐奈に間違いを正された。

「『帰るね』じゃなくて『行ってくるね』だろう? まあ、いいけど。とにかく忘れないでくれ。もう僕たちは入れ替わったんだ。当分の間、君は花坂歩夢のフリをして、僕は菊川祐奈のフリをして暮らすということだ」

「当分の間って、いつまで?」

「祐奈が僕のフリをするのが面倒なら今すぐストップしてもいいけど」

「面倒じゃないから、当分続けようね。じゃあ明日学校で!」
と言って逃げるようにドアを閉め、祐奈のアパートを出て家まで走って帰った。

***

父の帰宅が普段より遅かったお陰で僕は夕飯に間に合い、母から色々詮索されることも無かった。夕食の時に妹の啓子が僕の顔をジロジロ見ながら聞いた。

「お兄ちゃん、今日何かあったの?」

「な、なにも無いけど……。どうして?」

「いや、何かちょっと雰囲気が違う気がしたのよね」

僕は啓子の指摘にドキリとした。一才年下の妹は勉強が出来るだけでなく、頭がよくて勘も鋭い。「お兄ちゃん」と呼んではくれるが、中学一年の春に僕の身長を追い越してからは、頭が上がらなかった。

祐奈と初めて「デート」して、女子の恰好でベッドに座って、キスして、入れ替わって……。幾つもの初体験があったのだから僕の雰囲気が変わらないはずがない。もしかしたらスカートをはいたことが啓子に見透かされたのではないかと不安を覚えた。

「受験が終わって気持ちに余裕が出たからそう見えるんじゃないかな」
と言ってごまかした。

「ふうん、そうかなあ」
啓子は薄ら笑いを浮かべて僕の目をのぞきこんだ。

逃げるように自分の部屋に行ってドアを閉めた。

恋とは不思議なものだ。僕は祐奈のアパートに行くまで、全く祐奈を好きだとは思っていなかった。それなのに、祐奈に「僕たちは入れ替わった」と宣言されて抱きしめられた時、祐奈が世界で一人の恋人だという錯覚に陥った。祐奈の服を着て一緒に映画を見たり、隕石が落ちる日の黄昏時のシーンで手を絡ませ合ったり、最後のシーンの後で泣いて抱き合ったり、色んな伏線が重なった結果、あんな気持ちになったのだ。

祐奈の顔を頭に浮かべると胸が熱くなった。

それにしても「入れ替わりごっこ」についての祐奈の真剣モードは度が過ぎていた。僕の制服でアパートから出て行って半時間も外を歩き回るなんて、勇気があるというか、女子の冗談としては行きすぎだ。

それに、もう少しで祐奈に弱みを握られるところだった。二人がお互いの制服を着た姿を写真に撮られたからだ。あの写真を人に見せると言って脅されたら一大事だ。ところが祐奈は僕のスマホで写真を撮って、そのまま僕のカバンにスマホを突っ込んだ。もし祐奈のスマホで写真を撮られていたら、と思うとぞっとする。

――何かの間違いで人に見られないうちにスマホから写真を削除しておこう。

そう思ってスマホを開いたら、祐奈からメールが入っていた。

「祐奈、
写真を送ってくれてありがとう。
今日は楽しかったよ。
歩夢」

――まさか!

メールの送信履歴をチェックしたところ、祐奈が撮影したツーショットの写真を全部その場で祐奈あてに送ったことが分かった。もし祐奈が僕の女子高生姿の写真を誰かに見せたら、と思うと冷汗が出た。

このことだけは祐奈に念を押さなければ。僕は深呼吸してから返信を書いた。
「菊川祐奈様
今日はピザをご馳走になったり、大画面で映画を見せてもらったり、本当にありがとう。今日の僕の写真は他の人に見られないようにくれぐれもよろしくお願いします。
花坂歩夢」

数分後に祐奈から返信があった。

「祐奈、
そんな心配はせずに僕を信じてついてきてくれ。僕が自分の彼女を困らせることをするはずがない。
それから、君と僕の間では、お互いを本当の名前で呼ぶようにしてほしい。今後はメールを書く時も含めて、僕の事は花坂君または歩夢さんと呼んでくれ。
歩夢」

裏を返すと、もし逆らえば僕を困らせることをするかもしれないという脅しのように読み取れた。祐奈が写真を持っている限り、僕は言われた通りにするしかない。

そのメールのすぐ後で祐奈が僕を友達に追加したというLINEのメッセージが入り、僕も仕方なく祐奈を友達に加えた。

「分かりました。歩夢さんを信じてついていきますのでよろしくお願いします。おやすみなさい。祐奈」

祐奈を歩夢さんと呼び、自分が祐奈としてLINEのトークを書き、エンター・キーをクリックすると、悪いことをしているような気持になった。

明日学校で祐奈と会ったら、どんな顔で接したらいいのだろう? もし祐奈から、他の友達がいる場所で「祐奈」と呼ばれて、僕がシカトしたら仕返しに写真をバラまかれるのではないだろうか? 僕は祐奈を「花坂君」と呼ばなければならないのだろうか? 祐奈は入れ替わりごっこをいつまで続けるつもりなのだろう……。そんな不安が繰り返し僕の心に押し寄せた。


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