新作「ポケモンGO・私はこれで会社を辞めました」

pokemon_go_quit_jobお待たせいたしました。性転のへきれき新作「ポケモンGO・私はこれで会社を辞めました」を出版しました。

飯田橋にある大手企業の営業部門に勤務する四年目社員の七田航平は、外回りの移動中や客先とのアポの時間待ちにポケモンGOをするのが癖になっていました。

会社側は従業員の執務時間中のポケモンGOを禁止したいと考えていました。ある日、抜き打ち調査が行われ、運悪く、七田航平は同期の友人の龍崎賢人や先輩の涼本と一緒に調査に引っかかってしまい、厳重処分に処せられます。

処分に嫌気がさした七田航平は、退職届を出して、小説家として生きていくことを決意します。七月にポケモンGOが日本に上陸した際に「ポケモンGOに気を付けて」というラブストーリーを電子出版し、いくらか売り上げが上がり始めていたので、自分をサラリーマンのしがらみから解放して作家として自由に生きていこうと思ったのです。

七田航平はポケモンGO作家として食べていくことを決意し、新たな一歩を踏み出します。そんな七田航平に数々の逆境が次から次へと怒涛のように襲いかかるのでした。これは、ラノベ・BLの枠に収まりきらない長編ラブストーリーです。



ポケモンGO

私はこれで会社を辞めました

 桜沢ゆう

第一章 ポケモンGOの誘惑

 僕のペンネームはナナピー。しがない物書きだ。
 物書きとは、文章を書くことで生計を立てる人の事を言う。小説、ノンフィクション、評論、随筆、その他、何を書いていても物書きだ。本を出版したり、新聞、雑誌などに寄稿しなくても、例えば自分の趣味に関するブログを書いてアクセスを集め、アドセンスなどの広告料を食い扶持にしている人も物書きと言えなくはない。
 ポケモンGOに関するブログで毎月二、三万円の広告料収入を得ている人が「私の職業は物書きです」と言うことには少し語弊がある。「趣味でブログを書いて小遣い稼ぎをしています」との表現が妥当だろう。金額だけの問題ではなく、仮にポケモンGOに関する人気ブログを持っていて毎月二、三十万円の広告料収入がある人なら、「私はポケモンGOのサイト運営を職業としています」と言うべきではないだろうか。
 一方、ポケモンGOを題材としたライトノベルを電子出版し、アマゾンから数万円の印税を入金した人なら「私は物書きのはしくれとして、こう考えています」などと発言する資格がある、というのが僕の意見だ。但し、もしサラリーマンがラノベを一作だけ趣味で書いたのだったら「私は趣味で物書きをやっているのですが」程度の表現にとどめるのが奥ゆかしいと思う。
 僕も以前は趣味でラノベを書くサラリーマンに過ぎなかったが、今は胸を張って「私は物書きです」と言うことができる。「作家 ナナピー」と書いた名刺を持っているほどだ。但し、百均で名刺用紙を買ってきて、自分で印刷したものだが。
 偉そうに言っているが、出版済みの書籍数はわずか三作で、今月の印税収入は約十二万円の見込みだ。三作ともポケモンGOを題材とした小説だが、一作目を七月に出版し、九月に二作目と三作目を出版した。十、十一月は諸事情があって創作活動を休止したが十二月に再開した。
 ポケモンGOの日本での配信が開始されたのは七月二十二日だった。僕は海外でポケモンGOというゲームが始まって社会現象になりつつあるというニュースを七月中旬にネットで見た。「これはすごい」と驚いてネット上の記事を調べまくり、まさに七月二十二日に「ポケモンGOには気をつけて」という恋愛小説を電子出版した。
 丁度日本中の人たちが「ポケモンGO」というキーワードで情報を求めている時期だったので「ポケモンGOには気をつけて」は五日間で千冊を超えるダウンロードがあった。僕のマーケティング戦略が正しかったかどうか自信はないが、発売後五日間の無料キャンペーンを打ったため、「千冊を超えるダウンロード」による収入はゼロだった。その代り「ポケモンGOには気をつけて」はアマゾンのランキングでトップページに表示されるようになった。結局、「ポケモンGOには気を付けて」の有料での販売額は発売後四カ月間の合計で十万円に過ぎないが、僕はある意味でラノベ作家として華々しいデビューを果たしたのだった。
 僕がサラリーマンを辞めて物書きとして食べていこうと決心したのは、忘れもしない九月一日のことだった。事情を知らない人にそう言うと「思いきりが良いですね」との賛辞をもらうが、実はサラリーマンを辞めようと思ったのは物書きになるためではなく、ポケモンGOが直接の原因だった。
 僕の本名は七田航平、飯田橋に本社がある大手企業の営業部で外回り中心の仕事を担当していた。八月下旬のある日、午後三時からの営業会議の席で、ポケモンGOのトレーナー・レベルを自己申告させられた。当時は日本でのポケモンGOの配信が始まって一ヶ月あまりしか経っていなかったので、レベル二十を超えていれば周囲からそこそこの敬意を得ることができた。自己申告の結果、レベル二十以上の部員は五名だったが、会議終了後、その五名が部屋に残された。僕はレベル二十七で、五人の中でトップだった。「どんなもんだい」という気持ちで、表彰でもしてくれるのかなと思っていたところ、部長と課長の表情に僕を賞賛しそうな気配は全くなかったので、不安が頭をよぎった。
 部長から「スマホでポケモンGOを起動しなさい」と言われた。部長席の女性が五人のスマホの「ぼうけんノート」をチェックして回った。その結果、僕が午後一時から三時までの外出中にポケモンGOをしていたことがバレてしまった。
「ぼうけんノート」にはポケストップへの立ち寄り、ポケモンの捕獲、卵の孵化に関する正確な時刻が記されている。
 結局、その抜き打ち検査によって、五名のうち三名が勤務時間中にポケモンGOをしており、そのうちの一名が外出中にポケモンGOに熱中していたことが判明した。
 勤務中にプレイしていたのは、僕と、同期入社の龍崎と、二年先輩の涼本だった。龍崎と涼本は普段外回りに出る時にはいつもポケモンGOをしているが、その日は営業会議の準備があったため社内で仕事をしていたので、トイレに行った時にポケモンを一匹捕まえただけだったようだ。僕は会社から徒歩圏内の二社の客先と一時半、二時半に短い面談があり、早めに着いて受付の前のロビーでポケモンGOをしながら時間待ちをしたので、「ぼうけんノート」だけを見ると、一時から三時までずっとポケモンGOをしていたと誤解されても仕方ない状況だった。涼本、龍崎と僕の三人はその場で始末書を書かされて仕事に戻った。
「俺たち、運が悪かったよな」
と涼本がため息をついた。
「僕なんて最悪ですよ。部長からは、ポケモンGOをするために外出しただろう、みたいに言われちゃいました」
「俺たち営業マンがアポを取って時間に遅れないように早めに行動していることを分かってほしいですよね。部長は経営企画出身だから営業マンの実態を知らなんでしょうね。でも七田、早めに行ってロビーで待っていたということを、どうして部長に対して釈明しなかったんだ?」
「言い訳なんて男らしくないよ。理由はどうあれ勤務時間中にポケモンGOをしていたことには変わりはないんだから」
「男らしさという美学を選んだわけだな。しかし、ちょっと甘いんじゃないか? 会社としては従業員が執務中にポケGOをしないように、見せしめ的な処分をする可能性があるよ。まさか減給処分ってことはないだろうが、冬のボーナスの査定で減点されるかもしれないな。特に七田はポケGOをしていた時間が長い分、龍崎や俺よりは処分が重いかもしれない」
「ひぇーっ、ボーナスを減らされるんですか! それは勘弁してほしいですね。今から部長に言い訳しに行ってきた方がいいっすか?」
「七田、それはちょっと女々しすぎるんじゃないか? ボーナスが減るといっても数千円のことだろう」
「なあんだ。僕、一万円までなら我慢しますよ」
 三人でアッハッハと笑いながら席に戻った。
 事態は予想外に早く展開した。翌朝、涼本、龍崎と僕に人事部から会議招集通知が届いた。会議室に行くと、人事部長と営業部長が座っていたので、僕たち三人は、これは只事ではないとビビった。
 まず最年長の涼本が起立させられ、部長から「戒告処分に処する」との通知を渡された。涼本が落胆した様子を見て気の毒だと思った。涼本は主任になる一歩手前だ。戒告処分を受けると、主任昇進が同期より一年遅れる可能性が否定できない。
 次に龍崎にも同じ戒告処分が下された。僕たちの年令だと上の級への昇進が遅れることはないだろうが、冬のボーナスへの影響は避けられない。
「七田航平、前へ」と言われて、僕は龍崎より重い戒告処分を覚悟して立ち上がった。重い戒告処分のことは「厳重戒告処分」とでも言うのだろうか? いや、通知書には戒告処分と書いてあるだけで、ボーナスの減額度合いが異なるのかもしれない。もし一万円の減額で済まなかったら嫌だなあ……。
「七田航平を厳重戒告の上、三期降格処分とし、総務部長付けとする」
「こ、こ、こ、降格!」
 部長から申し渡されて頭の中が真っ白になった。ボーナスが減るどころの騒ぎではない。給料のベースを後輩社員並みに下げられるという意味だ。僕は入社四年目だから三期降格ということは新入社員と同じ等級になる……。
 気が遠くなりそうだった。新入社員と同じ等級ということは、二年下の後輩にも追い越されるということじゃないか。同期入社の友達相手に敬語でしゃべれと言うのか? クビになった方がマシだ……。
 前代未聞の厳しい処分だった。もし僕が優秀な営業マンだったら、最悪の場合でも減給処分で済んでいたかもしれない。きっとそうだ。上からの受けの良い龍崎だったら、二時間ポケモンGOをしても、厳重戒告処分で済んだはずだ。きっと部長が僕を厄介払いする好機と思ったのに違いない。
 翌朝から総務部に異動となり、社内最強の意地悪課長と噂されている柳原課長の部下になった。柳原課長は五十前後のガリガリに痩せた大柄な女性だ。
 着任早々、午前十時からの管理部門と営業部門の連絡会議のお茶出しを命じられた。総合職だけの課なので、最年少の僕が雑用をさせられるのは仕方がないと観念した。
 会議室にお茶を持っていくと、営業部の後輩も会議に出席していた。僕が湯呑みを差し出すとニヤッとした表情で「大変っすね、七田さん」と言われた。恥ずかしさのあまり、顔から火が出そうだった。
 いきなり、降格の悲哀が身に染みる出来事だった。
 会議が終わって戻って来た柳原課長から「七田君、ちょっと」と呼ばれた。
「さっきは私に恥をかかせてくれたわね」
 僕には課長に恥をかかせた心当たりなど無かった。
「まず、お茶が薄すぎた。まずいお茶のお陰で会議が白けたわ」
「でも、皆さんまずそうな顔はしてなかったと思いますけど」
「それに、お茶を出す際の順番がメチャクチャだった。他部門の偉い人から先に出すべきところを、私に一番最初に出したわよね。冷汗が出たわ」
「すみません、つい一番怖い人から出してしまいました」
 僕たちの会話に聞き耳を立てていた総務部員たちから苦笑が湧いた。柳原課長の顔が真っ赤になった。そんなブラックジョークを言えるシチュエーションではないのに、うかつだった。
「お茶を出す時の作法も最悪だった。一人一人に『失礼いたします』とお辞儀をしてからお茶を出すべきよ。それから、お茶を出し終えて会議室から出て行く時にはドアのところで一礼をして『失礼いたしました』と言わなきゃ」
「でも……」
「接客の基本が全くできていない人間が営業マンとして役に立つはずがないわ。無能だから飛ばされたのね。そんなクズの指導を押し付けられて、非常に迷惑だわ」
「ひどい、言い過ぎです」
「ちゃんと反省できない人間には身体で覚えさせるしかない。七田君は、しばらくお茶出しだけをさせることにするわ。今教えた点に注意しながら、うちの課の五人にお茶を出しなさい」
「そんな、何か仕事をさせてくださいよ……」
「お茶出しも立派な仕事よ。というか、上司としては、今の七田君に雑用以外の仕事を担当させる気にはなれないわ。さあ、早くやりなさい」
 僕が何も言い返せずに立っていると「それは命令に従えないという意思表示なの?」と聞かれた。僕はやむなくその場を離れ、給湯室に行った。
 悔し涙が目に滲んだ。でも、給料をもらっている以上は仕方ない。敵は僕を退職に追い込もうとして虐めているのかもしれないから、表面上は言うことを聞くのが賢明だ。もしかしたらポケモンGOのスマホ検査は僕を狙い撃ちにしたものだったのではないだろうか? 上司に恨まれる覚えはないのだが……。
 少し濃い目にして五人分のお茶を入れた。部屋に戻り、課長から始めて推定年令順に「失礼します」と言いながらお茶を出した。
「不味い。七田君には味覚というものが無いの? 出す順番も間違えていたし、『失礼します』が口先だけだから、とても不愉快な響きだった。もう一度、やり直し」
 僕は、一人一人に「大変失礼いたしました」と謝ってお茶を下げるように命令され、「すぐに入れ直してきなさい」と言われた。
 給湯室に行くと、我慢しようとしても涙が出て来た。入社以来、これほどの屈辱を受けたのは初めてだった。
 もう一度お茶を入れて味見をしてから、布巾で涙を拭いて総務部の部屋にお茶を持って行った。
「何これ? 濡れたままの湯呑みを使ったのね。何だと思ってるの?」
「でも、乾いた湯呑みは残ってなかったし……」
「言い訳だけの人間なの? 私に対する敬語の使い方も小学生並みね」
 部屋の空気が張りつめていて、皆の視線が僕に集まっている。人前だったが涙が溢れてきた。
「完全にできるようになるまで、何十回でもやり直しよ。さあ、お茶を下げて、もう一度入れ直しなさい」
 泣きながら一人一人に「申し訳ございませんでした」とお辞儀しながらお茶を下げた。
 給湯室に向かう廊下で、営業部の後輩の笹田美保とすれ違った。美保は僕を見るとニヤニヤしながら近づいてきた。
「あらあら、今日の会議でお茶を出しに来たと増田さんから聞いたけど、本当だったのね。男が泣きながらお茶を運んでるだなんて、超ウケル!」
 昨日までとは打って変わって馴れ馴れしい口調だった。
「うちの課は年配の総合職ばかりで、僕が一番年下だから……」
「年令だけの問題じゃないわよ。お茶出しをさせられているということは、事実上の一般職としての増員なんだわ」
 バカにしたような様子で言われた。僕は美保の態度に腹が立ち、つい声を荒げてしまった。
「バカヤロウ、いい加減なことを言うな!」
「何よ、その口のきき方は。私より下になったんだから敬語でしゃべりなさい、七田君」
「ぐぐっ……」
「それにしても、あの柳原課長の下で毎日実質一般職の仕事とは地獄よね、うふふ」
 美保は勝ち誇った視線を僕に向けて立ち去った。
 美保は僕の二年下の総合職だが、新入社員の時に僕が美保の指導員に指名されたこともあって部下のような存在と思っていた。その美保から突然タメ口で話しかけられたことはショックだった。降格になったからといって、掌を返したように目下扱いするとは……。僕は今まで美保を可愛がっていたつもりだったのに、自分で気がつかないうちに横暴な態度で美保に接していたのだろうか。そのしっぺ返しなのかもしれない。
 声を出して泣きながらお茶を入れ直した。湯呑みの外側を乾いた布巾で拭いてからお盆に乗せて総務部に戻った。
 柳原課長は人の欠点を掘り起こす天才だった。お茶を出すたびに、新しいダメ出しをされて、前回よりさらに酷い言葉で責められた。何度出し直しても、周囲に聞こえる声で無能呼ばわりされて、僕は本当に自分が存在する価値のない人間のように思えてきた。
「今の七田君だとこれ以上の改善は望めそうもないわね」
 二十三回目に出し直したときに丁度昼休みのチャイムが鳴って、やっと許してもらえた。自分で回数を数えたわけではなく、柳原課長から二十三回目ねと言われなければ二十回以上だとは分からなかったと思う。
 僕の頭は数を数えることすら覚束ないほど疲弊していた。お腹が空いていたが人と顔を合わせるのが怖くて総務部の部屋から出られなかった。もし社食に行ったら、美保が同期の友達と一緒に近寄って来て虐められるような予感がした。美保だけではない。営業部の後輩全員が「今日からは目下なんだから敬語でしゃべれ」と言いに来るのではないかと思った。同期の友人と顔を合わせたら、僕はどんな態度で接すればいいのだろうか……。
 清掃用の階段から裏口に降りてコンビニに弁当を買いに行こうかとも思ったが、立ち上がる気力が湧かなかった。僕は机に置いた腕に顔を埋めてじっとしていた。この姿勢なら総務部の人たちに涙を見られずに済む。
 昼休みが終わると、コピーと書類整理を命じられた。書類整理とは社則集の古いコピーにページ番号を記入するという、どう考えても必要だとは思えない作業だった。僕はその種の定型作業に向いた人間ではなく、柳原課長にとって何かしら欠点を見出してダメ出しをすることは容易だった。
「まったく、使えない子だわ」
 総務部の部屋中に聞こえる声でそう言われると、虐めだと分かっていても、恥ずかしく、悲しくなる。
 午後四時に来客があり、柳原課長から「第二応接室にお茶を三つ」と電話があった。僕は特別な注意を払って美味しいお茶を入れて応接室に持っていき、午前中に叩き込まれた通りの順番と作法でお茶出しをした。
 来客が帰った後、席に戻った柳原課長に「七田君、ちょっと」と呼ばれた。きっと先ほどのお茶出しについてダメ出しされるのだろうと覚悟して課長の席に行った。
「お客様が感心していたわよ。まるで女性のような細やかな所作で、非常に美味しいお茶を出してくれた、と感謝の言葉をいただいた」
 本来ならお茶出しなんかのことを褒められても嬉しくないはずだが、総務部全体に聞こえる声でそう言われて、今日初めて明るい気持ちになった。
「ありがとうございます。課長のお教えのおかげです」
 柳原課長は厳しいけれど、悪人ではないということが分かった。
「でも、その感謝の言葉を、何だか気持ち悪そうに言われたのよね。エレベーターまでお送りする時に理由を聞いたら『やっぱりお茶は女性が出してくれた方が……』と、言いにくそうに教えてくれたわ」
「そりゃそうですよね。来客時のお茶出しは、僕には無理ですね」
「その姿じゃ無理ね。でもお茶出しは七田君の仕事だから、無理では済まされないわ」
「じゃあどうすれば……」
「七田君なら一般職の制服を着て少しお化粧をするだけで問題は解決するんじゃないかしら」
「じょ、冗談はやめてください! 僕は総合職ですよ」
「そうか、総合職だから一般職の制服を着ることはできないという理屈ね。ということは、七田君に一般職の辞令を出せば問題が解決するわけね」
「僕は男です」
「残念ながら一般職の制服には男物と女物の区別がないのよ。ピンクのスカートスーツで統一されているから、仕方ないわね」
「一般職は全員が女性だからそうなっているだけじゃないですか。お願いです、虐めないでください」
「虐めるだなんて、人聞きが悪い。辞令についてはちょっと考えてみるけど、七田君本人の意向を考慮してあげましょう。七田君は一般職の辞令が出てから制服を着用するのと、総合職のままで特例として制服支給を願い出るのとどちらがいいかな? 二択しかないけど、総合職のまま制服を着たい場合は明日中に制服支給願を提出しなさい。一般職の辞令が出てしまったら給与体系も変わるから、総合職として制服を着用する方が賢明だと思うけど」
「明日中に制服支給願いを提出しない場合は一般職に転換させられるという意味ですか? ひどい、ひどすぎる」
「よく考えてどうするか決めなさい。ええと、七田君が入れてくれるお茶を飲みたくなったな。すぐにお願い」
 丁度その時に終業のメロディーが流れ始めた。
「もうこんな時間か。お茶は入れなくていいわよ。早く帰りなさい」
 僕は憤懣やるかたなく部屋を出て帰路に就いた。

 営業部との会議が始まり、僕が会議室にお茶を出しに行くと、営業部の人たちからの嘲笑を帯びた視線が僕に集まる。僕は一人一人に「失礼いたします」と言ってお辞儀しながらお茶を出す。笹田美保の席に湯呑みを置くと、美保は小声で「ピンクのスカート姿がとてもよく似合っているわ」と僕に言う。僕は恥ずかしさで顔を真っ赤にしながらお茶を配り終えて、ドアのところで「失礼いたしました」と一礼する。その時、営業部長が僕を見て「きれいな足をしているね」と言う。美保が「部長、セクハラですよ」と言って、会議室全体にどっと笑いが湧き上がる。

 僕は汗びっしょりになって目が覚めた。
 夢だった……。でも、単なる悪夢とは言いきれない。このままだと、正夢になるのが確実だった。きっと柳原課長は本気だ。加虐趣味で僕を虐めて楽しんでいるという可能性よりも、上からの指示によって僕を辞めさせようとしている可能性の方が高い。僕は制服支給願を明日中に提出するか、そうでなければ一般職の辞令と一緒に制服が支給されるのを待つことになる。どちらを選択してもピンクのスカートスーツを着用して、仕事をさせられる。
 僕にはもう選択の余地はなかった。
 間もなく夜が明けて、自分でも驚くほど晴れやかな気持ちで出社した。
「七田君、お茶」
 柳原課長に言われて、僕は立ち上がった。
「うっせえな、ババア。自分で入れろ」
 僕はそのまま人事部に行って退職届を出した。


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