「スカートの男たち」性転のへきれき(ある地方都市の社会実験)

スカートの男たち

新作「スカートの男たち」(ある地方都市の社会実験)が性転のへきれき第13弾として7月25日にAmazonで出版されました。

 題名から推察される通り、ある地方都市の市役所で男子職員のスカート着用を推進するプロジェクト「スカート男子プロジェクト」をスタートさせます。主人公は東京の会社を辞めてU-ターンし市役所に臨時職員として勤め始めますが、そのプロジェクトの担当者に指名され、奮闘します。

性転のへきれきシリーズはこのところ「男が妊娠する世界」、「危険な誘惑MTF版(犬になった女)」と、現実世界から乖離した設定のお話しが続きましたが、今回の「スカートの男たち」は、「日本で同性婚が許可になった日」と同程度に現実的な小説になっています。

「スカートの男たち」は日本のどこかの地方都市で明日起きてもおかしくない設定です。物理的には十分に起こり得ることです。一方、社会的にはそう簡単に起こりそうにはありません。

問題は「男性がスカートをはく」というポイントにあります。Googleで「スカート」と入れると4000万件の記事がヒットします。英語でSkirtと入れると1億5600万件でした。Wikipediaには「スカートは、腰より下を覆う筒状の衣服である。単にスカートと言うと女性用のスカートをさすことが多い。ズボンと異なり、筒が股の所で分かれておらず、両脚が1つの筒に包まれる(ただし、股の所で分かれているキュロットをスカートに入れることがある)。」と書かれています。

ご存知の通り男性も「股のところで分かれていない筒状の衣服」を着ることがあり、ご存知の通りその代表がスコットランドの民族衣装です。

しかし、日本を含むほとんどの国でスカートは女性の「特権」であり、男性がスカートで外出すると「オカマ」「オンナ男」「女装者」「ニューハーフ志望」などと、「男なのに女の真似をしている」ように言われます。スカートは「男らしさ」と「女らしさ」、というよりは「男であること」、「女であること」を判別するための最も確かな基準と認識されているのです。

男性読者の方で、スカートをはいた経験のある方はどのくらいいらっしゃるでしょうか。仮装大会とか飲み会の芸ではなく、生活者としてスカートで外出したことのある方、という意味での質問です。答えは限りなくゼロに近いと思います。子供のころにお姉さんからスカートをはかされた経験のある方は結構いるのではないでしょうか。ノーマルな男性なのにそれがトラウマになった結果、性転のへきれきシリーズの本を読むようになった方も多いかも知れません。

問題は、「男性は絶対にスカートをはいてはいけない」という、最も厳しい社会的戒律に生まれた時から束縛されてきた男性にとって、一度でも「境界線を越える」と、取り返しがつかないということだと思います。「男性は絶対にスカートをはいてはいけない」という社会的戒律は、「不倫をしてはいけない」という戒律よりも遥かに厳しく、恐らく「人を殺してはいけない」と同程度に破ってはならない戒律として位置づけられているのでしょう。

スカートはズボンと違って非常に大きなバラエティがあります。長さだけでもミニ、ミディ、マキシ、ミモレ、ロングなどと様々な用語があり、ポピュラーな種類だけを取ってみてもプリーツ、ギャザー、バルーン、ティアード、フレアー、サーキュラー、コクーン、タイト、ペンシルとか、更にスカートの延長であるワンピースを含めると想像力次第でいくらでもバラエティーが広がります。単色が殆どの男性用ズボンと違って、素材や色づかいも千変万化です。女性はスカートのことを考えるだけでも楽しみと喜びがあるのです。「男性は絶対にスカートをはいてはいけない。」というのは、「男性には衣服の自由を与えない。」と同義であることに誰も気づかないのでしょうか。

 

【 試読コーナー】

第1章 精一杯の仕返し

夏木立の日陰を縫って歩く通勤路。朝なのにもう太陽は高く、頬を刺す日差しの熱さをハンカチで覆いたくなる。

先月末まで住んでいた東京より百数十メートル標高が高い分気温は約1度低い計算だが、それだけ空気が澄んでいて太陽に近い。東京だと心までぐったりさせる炎暑だが、この町だと木陰で足を止めて汗を拭いてから再び歩き出せばよい。

地元の大学を出て、初めての一人暮らしに心が勇んだ東京での会社勤めだったが僕にとっては余りにも苦痛だらけだった。東京が悪いのではない。同期の仲間の多くが東京の会社に就職して都会での仕事に燃えている。僕は単に不運だったのだ。就職した会社の社風や配属された職場の上司たちの性格などが、たまたま僕とは合わなかっただけなのだろう。

それにしても配属とは無慈悲なものだ。会社の人事部が僕を別の部署に配属していれば、僕は今日も元気に会社に通っていたことだろう。たまたま配属された営業課の課長が精神論をかざす脂汗にまみれた古い中年男性で、僕の指導員として指名された20代後半の先輩が脳の髄まで体育会系の変人だったことが僕の不運だった。

入社してまず目をつけられたのが里田蒼葉という名前だった。課長の第一声の「アオバって女の名前だろう。」という口調が非難めいていた。責められるべきことではないが、「あおば、とひらがなで書くのは女性が殆どですが、蒼葉は男女ほぼ同数だと思います。」と反論したところ、「どう書いてもアオバはアオバで女の名前だ。」と頭ごなしに断言され、他の男子社員は苗字で呼ぶのに僕だけは「アオバ」と名前で呼ばれるようになった。

髪型にも文句をつけられた。僕は長髪ではなく、いわゆるクラウド・マッシュで、流行りのふんわりとしたミディアムの髪型だ。「お客様を不愉快にさせる髪型をなんとかしろ」と課長が言い、「お前、何のために会社に来てるんだ、仕事をするためじゃないのか?」と指導員が嫌味を言った。「女になりたいのならニューハーフのヘルスにでも就職しなおせ。」とまで言われた。彼らにとって「耳にかかるか、かからないか、どちらになさいますか」という理容師の質問自体が無意味で、男子たるもの髪を刈り上げるのが当然だった。

後で思えば偏見に満ちた指導を甘受し迎合するという選択肢もあった。女性に多い名前であることをハンディと認識するなら、角刈りにでもして、課長と指導員にお世辞の一言でもいえば住みよい世界になっていたかも知れない。でも、僕は蒼葉という自分の名前が大好きで、髪型も大切にしていた。わざわざ彼らに刃向ったわけではないが、髪型を変えるつもりは全くないし、他の課の僕と似た髪型の社員は何も言われていないということは、彼らの主張が個人的な嗜好によるものではないかと、丁寧な言葉で返事した。

その結果、課長と指導員は僕を、何もできないのに自己主張が強く反抗的で女性的な新入社員と決めつけた。彼らは執拗で何かにつけては僕に対して無慈悲で失礼な発言を繰り返した。

6月中旬の平日の夕方、課の飲み会の席で僕は運悪く課長と指導員の向かいの席に座ることになり、酔った2人から暴言を繰り返された。課長から「アオバ、お前は総合職として入社したが、事務職に変更するよう人事部と話ししているところだ。明日からはスカートをはいてこい。」と言われたので、僕は「それでしたら明朝人事部に行って、課長から今言われたことについてお断りしてきます。」と答えた。課長が自分のビールのジョッキをガツンとテーブルに叩き付けて、「お前、女のくせして上司を脅すのか。」と大声で言った。僕は「あなたには課長を続ける資格はありません。」と面と向かって声を張り上げた。

僕の発言を聞いた指導員が立ちあがり、拳骨で僕の顔を殴った。もう一発殴ろうとする指導員を他の課員が抑えた。僕は怒りに震え、スマホから110番通報した。まもなく警官が来たので、殴られた目の下の痣を示し、「今、この男に乱暴されました。」と訴えた。

指導員は僕が110番通報していたことを知らなかったので更に激高し、僕に飛びかかったが、警官に取り押さえられて連行された。

「お前、職場のちょっとしたもめ事を警察沙汰にして、会社に迷惑がかかることが分からないのか。」と課長が僕をどなりつけた。

「暴力は明らかな犯罪です。虐めは一線を越えると犯罪ですが証拠がなければ泣き寝入りしかありません。今日の犯罪のお陰で僕はあなたの虐めが一線を越えていたことを立証できます。明日は首を洗って会社に来てください。」

青筋を立てて怒る課長には、僕に殴り掛からないだけの理性があった。白けた飲み会は当然お開きになり、課長は後始末のために警察へ、残り全員はそれぞれの自宅へと散っていった。

翌日、近所の病院で殴られた顔を診察してもらい、診断書を取得した。それから警察署に行って被害届を提出した。お昼前に出社すると人事部から何度か電話が入っていた。人事部に行くと個室に通されて人事課長との面談になった。僕は昨夜の出来事の一部始終と入社以来受けて来た理不尽な苛めについて、人事部長宛ての報告書を提出した。口頭では握りつぶされるだろうと予測し、昨夜帰宅してからパソコンに向かったのだった。

「里田君の気持ちは分かるが、警察に通報したのは社会人として行き過ぎじゃないかな。会社が信用を落とすということに思いが至らなかったのかね。これ以上のスタンドプレーは止めて穏便にすませてくれ。」
人事課長に言われて、僕は「この会社は駄目だ」と思った。

もう昼休みになっていたが、僕は席に戻ってすぐに人事部長宛てのメールを書き、営業部長と社長をCC:欄に含めて送信した。

「本日人事課長に手渡した報告書を添付いたします。その際、人事課長より暴力行為を警察に通報したのは社会人として行き過ぎであり会社が信用を落とすことに配慮しなかったと非難を受けました。また暴力行為について穏便にすませるよう要請されました。私は社外で受けた暴行については本日警察署に被害届及び診断書を提出済みであり今後の裁判等については個人として対応する所存ですが、職場でのハラスメントについては社内の問題として人事部にて早急に改善策を講じられるようお願いいたします。」

送信ボタンを押してしばらくすると、部長がそわそわし始めて、僕と視線が合うとすぐに目を逸らして立ちあがり、部屋を出ていった。きっと人事部長に相談に行くのだろうと思った。

メールや報告書のことを何も知らない課長に午後から金曜日までの休暇申請を出したところ、苦々しい顔で「何日でも何週間でも何ヶ月でも好きなだけ休んでくれ。」と言われた。僕はもう会社を辞める決心はついていたが、負け犬のように去ることだけはしないでおこう、と心に誓った。

会社を出たものの何をするのか、全くあては無かった。アパートに帰ると益々気が滅入るのは目に見えていた。暴力行為やハラスメントについて色々なサイトに書き込むとか、会社をブラック企業として非難する作業に自分がのめり込みそうな気がした。でも、僕はそんなセコイ人間にはなりたくない。脳みその薄い暴力人間には診断書付きで被害届を出すという形で仕返しをした。社長に写しを入れた報告書によって課長も何らかの報いを受けるだろう。それで十分じゃないか。この会社を選んだのは僕のミスであり、その報いとして退職する、それで一件落着にしよう、と僕は思った。

無意識のうちに渋谷マークシティのバス乗り場へと向かっていた。静岡の実家に着いたのは夜が更けてからだった。

 

第2章 市役所の臨時職員

「どうしたの、急に帰って来て。出張なの?」
玄関で母の驚いた、でも優しい表情を見て僕の顔はくしゃくしゃになった。

「早く上がってお風呂に入りなさい。お父さんは居間でウィスキーを飲んでるわよ。」

風呂を上がり母が用意してくれたパジャマを着て居間に行った。ソファーの横には大学3年になった妹の楓がパジャマ姿で寝ころんで雑誌を読んでいた。

母が僕にも水割りを作ってくれていた。気まずくて、それでいて心地良い沈黙の時間があった。

「蒼葉、何か困ったことがあったのね。」
父の代わりに母が言った。僕は入社してから受けた虐めと昨夜の事件について一部始終を話した。

「ああ、良かったわ。」
母が心から安心したように言った。

「何が良いんだよ。僕もう会社には戻れないんだよ。」
戻れないのではなく戻りたくないだけだが、とにかくもう失業してしまったという気持ちだった。

「蒼葉が相手を殴って警察に捕まるとか、会社のお金を使いこむとか、悪事に巻き込まれるとか、蒼葉の様子を見てそんなことを心配したのよ。被害者でよかったわ。ねえ、お父さん。」
母が言うと、父が大きく頷いた。両親の予想外の反応に僕は調子が狂った。

「そもそも蒼葉だなんて女の子と間違う名前をつけるのがいけないんだよ。」
僕は心にもないことを言って口を尖らせた。

「蒼(ソウ)にするか蒼葉にするかお父さんと揉めたあげく、私が大好きだった蒼葉という名前になったのよ。」
母の愛情が心に浸みて、また涙が出そうになった。

「私たち兄妹の蒼葉と楓という名前は友達みんなから素敵な名前だってうらやましがられるわ。たまにお姉ちゃんだと誤解されるけど、私は蒼葉っていう名前はとても格好良いと思ってるわ。」
楓が口を挟んだ。

家族っていいな、と思った。母に似てスラリと背が高い美人の楓は、僕にとって自慢の妹だ。僕より5センチも背が高い楓は家の廊下ですれ違う時に「壁ドン」をして至近距離から僕を見下ろすという悪趣味を持っている。2才年下だが僕が中3の時に身長が逆転した頃から対等の関係になった。

「蒼葉はどうしても東京で就職したいのか?今日聞いたばかりの話だが、市役所で臨時職員を募集しているらしい。地元で働くのも良いかも知れないぞ。」
県庁職員の父が思いがけない情報を持っていた。

「臨時職員ってバイトじゃないの。正規職員に登用される道はあるのかな。」

「臨時職員から正規登用される可能性は無いだろうな。確かにバイトみたいなものだが、一般のバイトよりは給料も高いし、働きながら勉強して試験を受ける準備をするという手もあるんじゃないか。」

「給料が安くても家から通えばお金はかからないから、それで良いんじゃないの。」
母は臨時職員の話に乗り気だ。

「大学の友達でお姉さんが市役所の臨時職員をしている人がいるけど、メチャメチャ楽な仕事らしいわよ。蒼葉のリハビリのためには丁度良いかも。」
と妹が意見を述べて、家族の意見が一致した。

翌朝、僕は母に連れられて市役所に行き、3階の人事課を訪れた。社会人なのに母親同行というのは恥ずかしいことだが、母の高校の同期生が副市長をしていて、役所の採用にはコネがものを言うらしいと聞いていたので母と一緒に行ったのだ。

結局、母のコネに出番は無く、僕は7月1日から臨時職員として採用されることになった。「地元っていいなあ。」と思った。母のショッピングに付き合い、モールのフードコートで共通の好物の富士宮焼きそばを食べて帰宅した。

僕は週末に東京のアパートに帰り、荷造りをして実家に送りアパートを解約した。月曜日に退職届を出すために出社した。指導員の先輩は会社の処分を待たずに退職届を出したと課の女性が教えてくれた。「課長の交代の辞令も出るとの噂よ。」とのことだった。この会社にも自浄作用が働いているようだ。冷静に考えると、僕にとっての癌だった課長と指導員が居なくなれば、この会社で働き続けても良いのだが、ミソをつけた会社に「前歴」を気にしながら居座るよりは、心機一転して地元の臨時職員になるのが人間的にも精神的にも遥かに良い選択肢ではないかと思った。

予定通り人事部に行って退職届を出した。慰留されることも無く、退職届は事務的に受理された。僕は席に戻って私物をまとめ、3か月勤めた会社から永久に姿を消した。

***

7月1日の朝が来て、僕は張り切って家を出た。市役所までは2.8㎞、歩いて丁度半時間だ。住宅街を抜けて公園を通り、木立のある一般道を歩く。満員電車に乗って片道1時間かけて会社に行っていたことがバカバカしく思い出された。満員電車で女性の近くに立つ時には両手で吊革を掴み、万一の痴漢の冤罪から身を守らなければならない東京は、何かが間違っている。

人事課に出頭し、9時過ぎに担当者が僕を2階の農林振興課に連れて行った。

「臨時職員の里田蒼葉さんです。」

「蒼葉さん22才と書いてあったから楽しみにしていたんだが・・・。」
不満げな課長に僕を引き渡して人事課の担当は部屋から出ていった。

「吉川さん、臨時の里田蒼葉さんだ。面倒見てくれ。」
課長が吉川さんという20代後半の女性に声をかけ、僕は吉川の所に歩いていき「里田です。よろしくお願いします。」と頭を下げた。「ここあなたの席よ。」と吉川の隣の席を示された。

「僕の仕事は何でしょうか。」

「用事があったら言うわ。とりあえずお茶を出して。」
新人で臨時職員ということで地位が低いことは覚悟していたが、同僚の女性からお茶出しを命じられたことにはショックを感じた。

「どこでお茶を入れれば良いんでしょうか。」
僕が質問するとうるさそうに「ついてきなさい」と言われ、シンクのある部屋に連れて行かれた。
「お茶碗はここよ。どのお茶碗が誰のものかを覚えなさい。来客用はこちらのを使いなさい。」
当然茶碗には名前は書かれておらず、茶碗と名前を結びつけるのは大変な作業だ。
「20人以上のお茶を入れるんでしょうか。それにお茶の濃さってどの程度にすれば良いのでしょうか。」
「使えないわねえ。蒼葉というから女性だと思っていたのに、こっちは良い迷惑よ。」
吐き捨てるように言って吉川は席に戻った。

僕の居た会社でも、お茶出しは事務職社員の仕事だが、来客に限られていて、社員自身が飲むお茶は自分でいれるかコンビニで買ってくることになっていた。役所では今でも所員のお茶出しに人件費を使っているのだろうかと呆れた。税金の無駄遣いだと思った。

僕は何とか20数人分のお茶を作り、お盆に乗せて農林水産課の部屋に戻った。一人一人に「すみませんがご自分のお茶碗を選んでいただけますか。」と聞きながら2回に分けてお茶を配り終えた後、A3の紙に農林振興課の座席図を書き、課員の名前と茶碗の特徴を書き込んだ。

その間、3回「ちょっと臨時の人」と呼ばれて、コピーを頼まれた。11時半を過ぎた頃、課長から、1階でお弁当を受け取ってくるように言われた。私用ではないか、と思ったが、言われる通に使い走りした。吉川の反対側の隣に座っている30代の男性からはタバコを買ってくるように言われた。吉川に小声で「私用なのに良いんでしょうか?」と相談したところ、「厳密には駄目だけど臨時は他に仕事はないんだから言われたことをやったら。」との答えだった。

結局、初日の仕事は、午後3時ごろにもう一度お茶出しをしたのと、私用の使い走りが3回、コピーが約10回、他部署への届け物が2回ほどで、最も知的な作業はお茶碗と名前を一致させることだった。

定刻に席を立ち、まだ一生懸命仕事をしている吉川だけに「失礼します」と言って退出した。

僕はまだ日差しの強い帰り道を歩きながら、会社を辞めたことを後悔していた。理不尽な上司によってこき使われたが、難易度が高いチャレンジングな仕事には充足感と達成感があった。今日の仕事は中卒の新入社員でも向上心のある人なら落胆するほど張り合いの無い仕事だった。僕がお茶くみ、コピーと使い走りだけの職業に就いたことを、辞めた会社の女子社員が知ったらどう思うだろう。

5時半に帰宅すると、母が夕食の支度をしていた。母が忙しくしている傍らで楓はソファーで雑誌を読んでいた。「お帰りなさい、どうだった?楽しかった?」と母に聞かれて、「僕、後悔してる。ひどい職場だった。」と答えた。

「どういうことなの。」
母が料理の手を止めて僕に近寄った。

「何も仕事が無いんだ。今日したことは、お茶出しが2回と、コピーと使い走りだけ。コンビ二に煙草を買いに行かされたんだよ。お茶出しは20数人分のお茶碗を使って一人一人に出さなきゃならないんだよ。飲み終わった後にお茶碗を回収しなきゃならないし、まだお茶の残っているお茶碗を下げようとしたら”まだ入ってるでしょう”とバカにされたり、そんな苦労をしながら回収したお茶碗を綺麗に洗って乾燥させて、棚に戻すんだよ。それの繰り返し。」
僕は一気に不満をぶちまけた。

「なんだ、そんなことなの。蒼葉、それは私が何十年もしてきたことと同じよ。主婦の仕事ってそんなことの繰り返しなのよ。蒼葉は新米の主婦になったんだと思って、一生懸命与えられた仕事をしていれば、きっと周りの人から頼りにされるようになるわ。不満を言っちゃ駄目。」
母の言うことにはいつも説得力がある。僕は大げさに不満をぶちまけてしまった自分が恥ずかしかった。

(Amazon KDPの規約により10%までしか公開できず試読は第2章の途中までとなっていることをご了承ください。スカート男子プロジェクトは第3章に開始されることになります。)

スカートの男たち: ある地方都市の社会実験 性転のへきれき

★ 未発表作品に関する情報はTwitterで発信します! ★

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です